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西日本旅客鉄道が運行する特別急行列車 ウィキペディアから
やくもは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が岡山駅 - 出雲市駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線経由で運行している特別急行列車である。
やくも | |
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特急「やくも」 (2024年4月10日) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特別急行列車 |
現況 | 運行中 |
地域 | 岡山県・鳥取県・島根県 |
運行開始 | 1972年3月15日 |
運営者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
旧運営者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
路線 | |
起点 | 岡山駅 |
終点 | 出雲市駅 |
営業距離 | 220.7 km (137.1 mi)(岡山 - 出雲市間) |
運行間隔 | 15往復 |
列車番号 | 1000+号数 M |
使用路線 | 山陽本線・伯備線・山陰本線 |
車内サービス | |
クラス | グリーン車・普通車 |
身障者対応 | 3号車 |
座席 |
グリーン車指定席:1号車 普通車指定席:1 - 4号車 |
技術 | |
車両 | 273系電車(後藤総合車両所) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 直流1,500 V |
最高速度 | 120 km/h |
本項では、伯備線で運行されていた優等列車の沿革についてもここで記述する。
特急「やくも」は1972年3月に、山陽新幹線岡山開業に伴って岡山駅経由が京阪神・山陰地方中部間の最速ルートとなったことから、岡山駅 - 出雲市駅・益田駅間を結ぶ気動車特急として運転を開始した。1975年3月には「エル特急」に指定されたが、電車による運転がない列車が指定を受けるのは初めてのことであった。
1982年7月に伯備線全線と山陰本線伯耆大山駅 - 知井宮駅(現在の西出雲駅)間の電化により電車での運転が開始され、これと引き換えに益田駅発着の列車を廃止した。1988年には瀬戸大橋線経由の臨時列車として高松駅発着の列車が、1990年には国際花と緑の博覧会(花の万博)への輸送対策として大阪駅 - 岡山駅間を延長運転した列車が運転された。
1994年12月3日に「やくも」のうち速達列車の列車名を「スーパーやくも」に変更したが[1]、 2006年3月18日に「スーパーやくも」の列車名を廃止し、「やくも」に再統一された。2010年3月13日には「エル特急」の呼称が終了されている(ただし、381系のヘッドマークおよび字幕式種別・行先表示器にはLマークが残されていた)。
列車名「やくも」は島根県東部の旧国名である出雲にかかる枕詞の「八雲立つ」(やくもたつ)に因む。そのためか、島根県の東部を発着する列車に命名される事例が多い。
1959年9月には米子駅 - 博多駅間を山陰本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する準急列車に使用され、1965年11月には新設された新大阪駅 - 浜田駅間(福知山線・山陰本線経由)の特急に使用されるようになったが、1972年3月に山陽新幹線の岡山開業によって伯備線経由の特急に使用されることになった。
2024年3月16日現在、岡山駅 - 出雲市駅間で15往復(1号 - 30号)が運転されている[2]。そのうち3往復(下り13・17・29号/上り12・16・28号)は毎日運転の臨時列車である[2]。列車番号は臨時列車の下り13・17・29号/上り12・16・28号が7000+号数M、それ以外の列車が1000+号数Mとなっており、全区間同一である。
後藤総合車両所出雲支所への入出区では回送列車として出雲市駅 - 西出雲駅間を走行しているが、1986年11月1日から1996年3月15日までは一部の列車が出雲市駅 - 西出雲駅(1993年3月17日までは知井宮駅)間で普通列車として運転されていたほか、米子駅から普通列車となるものもあった。また、1973年から1975年と1994年12月3日から1997年3月21日までは岡山駅 - 松江駅間で運転される列車も設定されていた。1997年3月22日の改正で運転区間が岡山駅 - 出雲市駅間に統一された。
陰陽連絡線の特急列車では唯一すべての停車駅で交通系ICカード「ICOCA」が利用できる。
岡山駅 - 倉敷駅 - (総社駅) - 備中高梁駅 - 新見駅 - (生山駅) - (根雨駅) - (伯耆大山駅) - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - (玉造温泉駅) - (宍道駅) - 出雲市駅
運行本数 | 号数 (太字は臨時列車) | 山陽 本線 | 伯備線 | 山陰本線 | |||||||||||||
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岡山駅 | 倉敷駅 | 総社駅 | 備中高梁駅 | 新見駅 | 生山駅 | 根雨駅 | 伯耆大山駅 | 米子駅 | 安来駅 | 松江駅 | 玉造温泉駅 | 宍道駅 | 出雲市駅 | ||||
下り2本 | 1・9号 | ● | ● | → | ● | ● | ● | → | → | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
下り1本 上り1本 | 3号 20号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ─ | ● | ─ | ● | ● | ● | ─ | ● | ● | ||
上り1本 | 4号 | ● | ● | ● | ● | ● | ← | ● | ● | ● | ● | ● | ← | ● | ● | ||
下り1本 | 5号 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | → | → | ● | ● | ● | → | ● | ● | ||
下り2本 上り3本 | 7・15号 12・16・24号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ─ | ● | ─ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
下り1本 | 11号 | ● | ● | ● | ● | ● | → | ● | → | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
下り1本 上り2本 | 13号 18・22号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ● | ─ | ─ | ● | ● | ● | ● | ─ | ● | ||
上り1本 | 14号 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ← | ← | ● | ● | ● | ● | ← | ● | ||
下り1本 上り2本 | 17号 6・10号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ● | ─ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
下り1本 上り1本 | 19号 8号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ─ | ● | ● | ● | ● | ● | ─ | ● | ● | ||
下り1本 上り1本 | 21号 2号 |
● | ● | ─ | ● | ● | ● | ─ | ● | ● | ● | ● | ─ | ● | ● | ||
下り2本 | 23・27号 | ● | ● | → | ● | ● | → | ● | ● | ● | ● | ● | → | ● | ● | ||
下り1本 | 25号 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | → | ● | ● | ● | ● | → | ● | ● | ||
上り2本 | 26・30号 | ● | ● | ← | ● | ● | ● | ← | ← | ● | ● | ● | ← | ● | ● | ||
上り1本 | 28号 | ● | ● | ● | ● | ● | ← | ● | ← | ● | ● | ● | ← | ● | ● | ||
下り1本 | 29号 | ● | ● | → | ● | ● | → | → | ● | ● | ● | ● | → | ● | ● | ||
停車本数 | 下り | 15 | 15 | 3 | 15 | 15 | 7 | 7 | 7 | 15 | 15 | 15 | 7 | 14 | 15 | ||
上り | 15 | 15 | 3 | 15 | 15 | 8 | 7 | 5 | 15 | 15 | 15 | 9 | 12 | 15 |
凡例
やくも | ||||||||||
← 出雲市 岡山 →
| ||||||||||
| ||||||||||
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なお、2024年8月9日から8月16日の期間は、「やくも12号」「やくも13号」「やくも28号」「やくも29号」の2往復が381系で運行された[9]。
全区間で振り子装置が作動するため、曲線部の多い伯備線内でも高速運転が可能となっている。
1958年に京都駅 - 大社駅間の急行列車として運転を開始した。これは、1953年3月から岡山駅 - 松江駅間で運転されていた快速列車の運転区間を延長し、列車種別を変更したものである。この快速列車は、それまで普通列車のみが走るローカル線に過ぎなかった伯備線が、大阪 - 山陰地方間のルート(山陽・伯備線)としては主要ルートであった福知山線経由よりも距離が短く、山陽本線内では速度も速いという長所を生かし、陰陽連絡の主要路線となる契機となる列車であった。
京都駅 - 岡山駅間では、1958年の運転開始から1961年まで「宮島」と、1961年から1962年まで「さつま」と併結して運転されていた。
1961年には客車から気動車に変更され、京都駅 - 大社駅間の所要時間は7時間37分 - 44分と1時間近く短縮された。また、1963年には赤穂線を経由するようになった。
1968年に大阪と山陰地方を福知山線経由で結ぶ結ぶ急行列車に「だいせん」の列車名が使用されることになったことから、伯備線経由の「だいせん」は「おき」に改称され、1969年には相生駅 - 東岡山駅間も山陽本線経由に改められた。
山陽新幹線の開業によって伯備線にも新幹線連絡の特急列車が運転されることが確実となったため、それへのつなぎとして1971年に「おき」は特急列車化された。これに伴い、運転区間が新大阪駅 - 出雲市駅間に変更され、初めて伯備線で特急列車が運転されることになった。これはキハ181系の慣らし運転を兼ねる列車であったが、新幹線開業後の伯備線経由の特急列車は「やくも」と命名されたため、「おき」の名称はわずか1年で廃止された。
陰陽連絡を担う岡山駅 - 出雲市駅間の準急列車として1960年に運転を開始した。翌年には運転区間が宇野駅 - 博多駅間に大きく拡大されたが、石見益田駅(現在の益田駅) - 下関駅間は5両編成のうち、3両は山口線・山陽本線経由、2両は山陰本線・長門市駅経由で運転され、石見益田駅・下関駅でそれぞれの編成が増解結を行っていた。1965年に博多駅への乗り入れが廃止され全車両が小郡駅(現在の新山口駅)発着に変更された。1966年に急行列車として運転されるようになり、1968年には急行「たまつくり」を統合して2往復になったが、1975年に米子駅と益田駅で「伯耆」、「石見」、「つわの」に系統分割されて消滅した。
「皆生」は1962年に三原駅 - 出雲市駅間で運転を開始した準急列車であるが、設定時間帯は厳しく、利用客も伸びないことから1965年に運転区間が宇野駅 - 出雲市駅間に変更されるとともに、「たまつくり」に改称されて廃止された。「たまつくり」は1966年に急行列車化されたが、運転時刻は「皆生」とほぼ同様の時刻で運転された。運転経路は「しんじ」と同じであったため、1968年に「しんじ」に統合され、愛称名としては廃止された。1972年には旧「たまつくり」の系統を引く「しんじ」1往復が出雲市駅 - 浜田駅間を延長している。
「しんじ」の旅客流動にあわせた運転区間の変更により、1975年に岡山駅 - 米子駅間で運転を開始した急行列車である。2往復が運転され、特急「やくも」の補助列車の使命を持っていたが、1982年に伯備線の電化により「やくも」に吸収・統合される形で廃止された。
列車名は鳥取県西部の旧国名である伯耆が由来となっている。
やくも | ||||||||||||||||||||||
← 益田・出雲市・松江 岡山 →
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