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みよしは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が芸備線の備後落合駅・三次駅 - 広島駅間で運転していた急行列車である。
陰陽連絡線の急行列車の1つとして運転されていた「ちどり」の運転区間の短縮により、1985年に「みよし」が運転を開始した。2000年には芸備線の急行列車の総称として、最盛期は4往復運転されていた。しかし、沿線住民からは急行料金が不要な快速列車の増発運転への要望が強く、また高速バスの台頭などもあって平均乗車率が30%程度まで低下し[要出典]、これ以上の利用者の増加を見込めなくなった。さらに車両の老朽化も進んでおり、2007年7月1日に廃止された。
「みよし」の列車名は、芸備線のほぼ中央に位置する三次市から採られている。
備後落合駅・三次駅 - 広島駅間で4往復が運転され、このうち備後落合駅 - 三次駅間は普通列車として運転されていた。列車番号は、三次駅 - 広島駅間では号数+810で、備後落合駅発着の列車は、備後落合駅 - 三次駅間では直通する列車の号数+1820であった。備後落合駅発着の列車は、備後落合駅で新見方面の列車に接続していた。
三次駅 - 広島駅間の所要時間はおよそ1時間10分 - 20分で、2006年3月17日までは60分台の列車もあったが、JR福知山線脱線事故をきっかけに所要時間の見直しが実施されたことにより所要時間が延びている。
備後落合駅 … この間は各駅に停車 … 三次駅 - 甲立駅 - 向原駅 - 志和口駅 - (下深川駅) - (安芸矢口駅) - (矢賀駅) - 広島駅
キハ58系気動車2両編成3本(2本使用、1本予備)が使用され、通常は2両編成で運転されており、普通車自由席のみの設定で座席指定席は連結されていなかった。
当時、急行列車でキハ28・58系気動車を使用しているのは、「みよし」のみとなっていたが、この列車の廃止により、急行形車両による急行列車が消滅した[注釈 1]。多客時には2両増結された4両編成で、また、団体輸送が生じた際には、専用車両を併結した6両で運転されることもあった。
この車両は間合い運用で普通列車にも使用されていた。朝、広島から回送で送り込まれ三次発となる2829D、広島発三次行の1866D、三次発22時台の最終列車広島行となる1877Dに充当されていた(列車番号はいずれも廃止直前2007年3月18日改正時点のもの)。
太平洋戦争終戦後、原子爆弾投下から急速に復興した広島市は、国の出先機関が設置されるなどの施策で中国地方全域の中心都市として求心性を強めた。このため、従来は京阪神方面との結びつきが強かった山陰地方からの交通需要が高まった。しかし、広島に連なる陰陽連絡の鉄道路線は芸備線・木次線・伯備線がすでに全通していたものの、戦後しばらく優等列車の設定はなく、普通列車も鈍足で本数が少ないまま置かれていた。
国鉄が新たな需要に対し迅速な対応を欠いた中、1950年(昭和25年)10月から一畑電気鉄道が松江 - 広島間急行バスの運行を開始。昼夜各1往復運転で新鋭の大型バスを投入し、当時の道路状況の悪さにもかかわらず、峠越えを含む200 km弱を6時間30分で運行して、直通客の獲得に成功した。
これに先だつ同年6月から、国鉄は自動車線の雲芸線に出雲今市(現・出雲市) - 備後十日市(現・三次)間夜行便の運行を開始、芸備線との連絡を図っていたが、一畑電鉄バスの好成績から、山陰 - 広島直通列車運行に踏み切る。鉄道としては最短ルートとなる木次線経由で、1953年(昭和28年)11月に臨時列車として、米子駅 - 広島駅間に快速列車が運転を開始した。この列車は松江城の別名である千鳥城にちなんで「ちどり」と命名された。1955年(昭和30年)には夜行列車の「夜行ちどり」も運転を開始した。
全区間で蒸気機関車が牽引する客車で運転され、大きな峠越えを擁する木次線内では、簡易線向け小形機関車のC56形によって牽引される過酷な条件にあったことから、二・三等合造車を含むわずか3両の軽量編成が組まれ、「ちどり」「夜行ちどり」とも同じ編成で運転されていた。
1959年(昭和34年)に準急列車として定期列車化され、使用車両も準急用の2基エンジン強力車であるキハ55系気動車が投入され、無煙化と大幅な速度向上が実現し、以後この地域のローカル優等列車には基本的に気動車が使用されるようになった。1962年(昭和37年)に「夜行ちどり」が「ちどり」に編入されて廃止されたことにより、「ちどり」は2往復が運転されるようになった。気動車列車となったことで、客室面積に寄与しない機関車が不要となったことと、牽引定数に縛られない車両の増解結が容易になったため、木次線内では出雲坂根駅の三段スイッチバックにて線路有効長を最大限に生かすなどの対策を講じ、輸送力の向上が図られた。
1966年(昭和41年)に急行列車化され、1968年(昭和43年)には芸備線・木次線で運転される急行列車の愛称が「ちどり」に統一されたことにより、3往復となったが、米子鉄道管理局管内では、急行「いずも」とならび、傑出した乗車率の列車であった。繁忙期には輸送力が不足していたため、上り(米子行)を中心に臨時列車も運転され、夜行「ちどり」が3本運転される日もあった。その後、上り夜行「ちどり」の末端区間の、松江 - 鳥取間は普通列車(米子からは快速)となり、通勤輸送を担うことになり、前日の山陰本線経由「さんべ」の付属編成を米子止まりとして、翌朝の夜行「ちどり」と繋いで7両編成で運転していた。
新幹線が岡山市に乗り入れた1972年(昭和47年)から中国地方と山陰地方を結ぶメインルートは伯備線が担うようになり、さらに1975年(昭和50年)3月の山陽新幹線全線開業、中国自動車道や国道54号の整備が進むにつれて利用者数が低下した。1980年(昭和55年)には夜行「ちどり」が廃止されたが、廃止直前の夜行「ちどり」の収入は、1日20万円であった。1985年(昭和60年)には運転区間の短縮によって「みよし」が運転開始されると、1往復にまで削減された。国鉄分割民営化後も継続して運転されたが、1990年(平成2年)に木次線への乗り入れが廃止されて運転区間が備後落合駅 - 広島駅間に短縮され、2002年(平成14年)3月23日に「みよし」に編入(備後落合駅 - 三次駅間は新たに普通列車を設定)されて廃止された[1]。
その後、「広島県デスティネーションキャンペーン」の一環として、2013年(平成25年)8月31・9月1・7・8日に、広島 - 三次間で1日1往復、リバイバル急行「ちどり」が運転された。車両は往年の急行形気動車色風にラッピングされたキハ48形の2両編成が使用され、全区間全車指定席での運転となった[2][3]。途中停車駅は下深川、志和口、向原、吉田口、甲立であった。
1962年3月から準急列車として岡山駅 - 広島駅間を伯備線・芸備線経由で運転を開始したもので、東城駅の南西に位置している帝釈峡にちなんで「たいしゃく」と命名された。岡山駅 - 新見駅間では「しんじ」に併結され、新見駅で増解結が行われていた。直通利用はなく、新見駅 - 三次駅間はキハ20形の1両で運転されていたが、1966年に急行列車化、1968年には「ひば」が統合され、2往復になった。
1972年に伯備線内が削減されて全列車が新見駅 - 広島駅間の運転に統一され、しばらくは2往復が維持されていたが、並走する国道の開通と中国自動車道の一部開通により、1980年に一部の区間が普通列車として運転されるようになった。1985年に1往復に削減されて国鉄分割民営化を迎え、1991年には備後落合駅 - 広島駅間に見直されたが、2002年に運転区間が同一の「みよし」に編入されて廃止された[1]。その後も「みよし」が廃止されるまで、備後落合駅での夜間留置は行われていた。
「ちどり」の増発列車として1962年3月に米子駅 - 広島駅間で運転を開始したが、「ちどり」は芸備線・木次線経由で運転されるのに対し、「しらぎり」は伯備線・芸備線経由で運転された。木次線経由 242.3km と伯備線経由 244.3km で運転距離もそれほど差は無いが、線形は伯備線経由の方が良く、米子駅 - 広島駅間の所要時間は「ちどり」よりも30分以上短かった。
1966年に急行列車化されてからも運転区間の変更はなく、1968年に「ちどり」に統合されて廃止された。
1964年10月から1968年10月まで鳥取駅 - 広島駅間で運転されていた準急列車・急行列車で、乗車率の高かった「ちどり」の救済のために運転されていた。広島駅 → 鳥取駅間は夜行列車として運転され、1966年に急行列車化されたが、1968年にわずか4年で廃止された。
1967年10月からわずか1年間だけ運転されていた急行列車で、新見駅 - 広島駅間で1往復のみ運転されていた。芸備線を走行する列車は、木次線か伯備線に乗り入れて中国地方と山陰地方を結んでいたため、純粋に芸備線のみを走行する優等列車としては、この列車が初めてであった(厳密に言えば新見 - 備中神代間が伯備線経由ではあるが)。新見駅6時30分発で、広島駅には9時58分に到着するダイヤは好評で、三次駅 - 広島駅間の乗車率は高かった。
列車名は、広島県・島根県および鳥取県にまたがる比婆道後帝釈国定公園にある比婆山が由来となっている。
広島駅から湯原温泉や奥津温泉の観光需要を促進するために、1972年3月から1980年10月まで運転されていた急行列車で、津山駅 - 広島駅間を姫新線・芸備線経由で運転されていた。しかし、運転速度が遅く、1979年10月に中国自動車道が一部開通したことにより、1980年10月に廃止された。
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