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ブドウ科の植物、およびその果実 ウィキペディアから
ブドウ(葡萄[1]、英: grape、学名: Vitis spp.)は、ブドウ科(Vitaceae)のつる性落葉低木である。また、その果実のこと。中近東が原産といわれ、古代ヨーロッパや中国などへと広まり、温帯域を中心に世界中で栽培されている。食用になる果実は房になって垂れ下がり、多数の実をつける。栽培種はヨーロッパ種やアメリカ種、それらの交雑種があり、果皮の色により赤系、黒系、緑系がある。
紀元前2世紀ごろの中央アジア・フェルガナでの呼称 budaw(ブーダウ)に対する中国語の音写「蒲陶」が変じて「葡萄」となった[2][3]。
100 gあたりの栄養価 | |
---|---|
エネルギー | 288 kJ (69 kcal) |
18.1 g | |
糖類 | 15.48 g |
食物繊維 | 0.9 g |
0.16 g | |
0.72 g | |
ビタミン | |
チアミン (B1) |
(6%) 0.069 mg |
リボフラビン (B2) |
(6%) 0.07 mg |
ナイアシン (B3) |
(1%) 0.188 mg |
パントテン酸 (B5) |
(1%) 0.05 mg |
ビタミンB6 |
(7%) 0.086 mg |
葉酸 (B9) |
(1%) 2 µg |
ビタミンC |
(13%) 10.8 mg |
ミネラル | |
カリウム |
(4%) 191 mg |
カルシウム |
(1%) 10 mg |
マグネシウム |
(2%) 7 mg |
リン |
(3%) 20 mg |
鉄分 |
(3%) 0.36 mg |
亜鉛 |
(1%) 0.07 mg |
マンガン |
(3%) 0.071 mg |
| |
%はアメリカ合衆国における 成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。 出典: USDA栄養データベース |
葉は両側に切れ込みのある15 - 20センチメートルほどの大きさで、穂状の花をつける。野生種は雌雄異株であるが、栽培ブドウは1つの花におしべとめしべがあり、自家受粉する自家結実性であるため、他の木がなくとも1本で実をつける。果実は果柄(かへい)を通じて房状になり[4]、果皮は緑色または濃紫色で、内部(果肉)は淡緑色である。果皮についている白い粉状のものはブルームとよばれる蝋物質で、水分の蒸発を防ぐために実から自然に出てくる[1]。
主に熟した果実を食用とするが、果実は子房が肥大化した、いわゆる真果である。外果皮が果皮となり、中果皮と内果皮は果肉となる。果実のタイプとしては漿果に属する。大きさは2 - 8センチメートル程度の物が一般的である。ブドウの果実は枝に近い部分から熟していくため、房の上の部分ほど甘みが強くなり、房の下に行くに従い甘味も弱くなる。皮の紫色は主にポリフェノールの1種であるアントシアニンによるものである[1]。甘味成分としてはブドウ糖と果糖がほぼ等量含まれている[1]。また、酸味成分として酒石酸とリンゴ酸が、これもほぼ等量含まれる。
ブドウ属の植物は数十種あり、北アメリカ、東アジアに多く、インド、中東、南アフリカにも自生種がある。日本の山野に分布する、ヤマブドウ、エビヅル、サンカクヅル(ギョウジャノミズ)もブドウ属の植物である。
現在、ワイン用、干しぶどう用または生食用に栽培されているブドウは、ペルシアやカフカスが原産のヴィニフェラ種 (V. vinifera) と、北アメリカ原産のラブルスカ種 (V. labrusca)である。
栽培されるブドウには生食用ブドウと加工用ブドウがあり、加工用品種は醸造・干しブドウ・ジュースなどに利用される。生食用はテーブルグレープ、酒造用はワイングレープ(wine grapes)と呼ばれている。
ブドウは温帯の農作物で、平均気温が10度から20度程度の地域が栽培適地である。北半球では北緯30度から50度、南半球では南緯20度から40度の間に主要産地が存在する。最適の降水量は品種によって差があり、ヨーロッパブドウは一般に乾燥を好み、アメリカブドウは湿潤にも強いが、種全体としてみれば年間降水量が500 mmから1,600 mmあたりまでに主要産地が存在する。
ブドウは水はけがよく日当たりが良い土地を好む。他の果樹と同様、ブドウも種子から育てると質の良い果実ができにくく、また枝を土に挿すと容易に根を生やすため、古来から挿し木によって増やされてきた。しかし、19世紀後半に根に寄生するブドウネアブラムシ(フィロキセラ)によって大打撃を受けたため、以後は病害虫予防のために台木を使用することが一般的となった。
収穫期は品種によって差があるが、日本においては最も早いデラウェアが7月下旬から収穫が始められ、最も遅い品種は11月上旬まで収穫される。また、ハウス栽培の場合はこれよりも早くなる。
世界で木の仕立て方は、4種類ある[5]。括弧()内は地域。
原産地の中近東から、古代ヨーロッパや中国に伝わったとされる[1]。世界的観点からは、ブドウは生食する果物というより、葡萄酒の原料であった。ブドウの栽培化の歴史は古く、紀元前3000年頃には原産地であるコーカサス地方やカスピ海沿岸ですでにヨーロッパブドウの栽培が開始されていた。ワインの醸造は早くに始まり、メソポタミア文明や古代エジプトにおいてもワインは珍重されていた。メソポタミアでは気候や土壌的にブドウの栽培が困難なため、消費されていたワインの多くは輸入されていた[6]。ギリシャ神話には、デュオニソス(バッカス)がエーゲ海諸島にブドウの植え方、醸造方法を広めた伝説があり[7]、有史以前からワイン醸造のためのブドウ栽培が大々的に行われていた。また、ギリシア人が植民した地域でもブドウ園が各地に開設されるようになった。ギリシアを支配したローマ帝国の時代にはワインは帝国中に広まり、そのためのブドウ栽培も帝国各地で行われるようになった。ローマ人は特にガリアやラインラントにブドウを導入し、現在でもこの地域はブドウの主要生産地域となっている。ローマ帝国崩壊後の政治の混乱によってブドウ栽培は衰退していったが、各地の修道院などによって少量ながら生産が維持され続け、やがて政情が安定するとともに再び栽培が盛んとなっていった。11世紀から13世紀にかけては気候が温暖となり、イングランドのような北方の国家においてもブドウの栽培が盛んとなり、現ベルギーのルーヴァンなどでも輸出用のワインを作るためのブドウ栽培なども行われていた。しかし14世紀頃から気候が寒冷化した上に輸送費が下落して、ブドウの栽培地域は次第に南方へと限られるようになっていった[8]。
一方、原産地から東へと伝播したものは、紀元前2世紀には中国に到達した。張騫が大宛より特産のワインとブドウを持ち帰っている[2][3]。
大航海時代が始まり、世界各地にヨーロッパ人が植民するようになると、移民たちは故郷の味を求め、ワインを製造するために入植先にブドウを植えていった。南アフリカ共和国のケープ州やチリなど、この時期に持ち込まれたブドウ栽培が成功してワインの名産地となった地域も多い。北アメリカ大陸にもヨーロッパブドウが持ち込まれたが、ここでの栽培は当初あまり成功しなかった。これは、ブドウのもう一つの主要系統であるアメリカブドウに属する野生種が北アメリカ大陸東部には多数あり、ブドウネアブラムシ(後述)などのアメリカブドウの病害が免疫のないヨーロッパブドウに大被害を与えたためである。アメリカ先住民はアメリカブドウを盛んに利用しており、やがてヨーロッパ系の植民者たちも野生種の中から有望な種を選抜して栽培種化していった。しかし、アメリカブドウには独特の香りがあり、ワインにするには不向きであったため、アメリカブドウは主にジュース用として発展していった。
アメリカでワインを生産するため、ヨーロッパブドウをアメリカで育てるために様々な試みがおこなわれた。病害に強いアメリカブドウとヨーロッパブドウを掛け合わせた雑種を作るやり方も盛んに行われたが、ワイン用としては一部を除いてヨーロッパブドウを超えることができず、次第に廃れた。一方で生食用品種では巨峰やピオーネなど有望品種がいくつも生まれている。それに代わる方法として、病害に耐性を持つアメリカブドウを台木としてヨーロッパブドウを接ぎ木する方法が19世紀後半に開発され、これが主流となった。
北アメリカ原産のブドウはブドウネアブラムシ(フィロキセラ)に対する耐性を持つが、1870年頃に北アメリカの野生ブドウの苗木がヨーロッパにもたらされ、この根に寄生していたブドウネアブラムシによって、耐性のないヨーロッパの固有種の殆どが19世紀後半に壊滅的な打撃を受けた[9]。以後ブドウネアブラムシ等による害を防止するの理由で、ヨーロッパブドウについては、アメリカ種およびそれを起源とする雑種の台木への接ぎ木が行われている[10]。
日本には、原産地から中国を経て奈良時代に渡ったとされる[1]。日本での由来には諸説ある。
奈良時代の高僧行基(ぎょうき)が甲斐の国(現在の山梨県)で修行中、夢枕に手にぶどうを持った薬師如来が現れ、その姿と同じ薬師如来像を刻んで柏尾山大善寺に安置した。以来、行基は薬として大陸から伝わったぶどうを勝沼に伝え、栽培が広まったという説。他には、山梨県勝沼の雨宮勘解由(かげゆ)が、自生の山ぶどうと異なるつる植物を発見して自宅に持ち帰り植えたのがはじまりという説などがある[11]。
日本で古くから栽培されている甲州種は、中国から輸入された東アジア系ヨーロッパブドウが自生化したものが、鎌倉時代初期に甲斐国勝沼(現在の山梨県甲州市)で栽培が始められ、明治時代以前は専ら同地近辺のみの特産品として扱われてきた[12](ヤマブドウは古くから日本に自生していたが別種である)。文治2年(1186年)に甲斐国八代郡上岩崎村の雨宮勘解由によって発見され、栽培が始まったとされる。甲州の栽培は徐々に拡大し、正和5年(1316年)には岩崎に15町歩、勝沼に5町歩の農園ができていた[13]。江戸時代に入ると甲府盆地、特に勝沼町が中心となり、甲州名産の一つに数えられるようになった。松尾芭蕉が「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」との句を詠んだのもこの頃のことである。正徳6年(1715年)の栽培面積は約20ヘクタールに上った。その後、関西や山形でも栽培されるようになり、江戸時代末期には全国で約300ヘクタールにまで栽培面積は拡大していた[14]。日本にあった在来の品種は甲州だけではなく、甲府盆地で栽培された甲州三尺や、京都周辺で栽培されていた聚楽といった品種も存在していたが、聚楽は既に消滅し、甲州三尺の栽培も少なくなってきている。
その後、明治時代に入ると欧米から新品種が次々と導入されるようになった。当初はワイン製造を目的として主にヨーロッパブドウが導入されたが、乾燥を好む品種が多いヨーロッパブドウのほとんどは日本での栽培に失敗した。例えば、1880年(明治13年)に兵庫県加古郡印南新村(現・稲美町)にて国営播州葡萄園が開園したものの、わずか6年後に閉園に追い込まれた[15]。一方、アメリカブドウの多くは日本の気候に合い定着したものの、ワイン用としては匂いがきつく好まれなかったため、生食用果実の栽培に主眼が置かれるようになっていった。特に普及したのはデラウェアとキャンベル・アーリーであり、戦前はこの2品種が主要品種となっていた。昭和10年には8,000ヘクタール近くまで栽培面積が拡大したものの、第二次世界大戦によって一時急減した。昭和21年には生産量が戦前の半分にまで減少したが、昭和30年には戦前の水準に回復した。
果実は、そのまま生食されるほか、乾燥させてレーズンに、また、ワインやブランデーなどのアルコール飲料、ジュース、ジャム、ゼリー、缶詰の原料となる。世界的にはワイン原料としての利用のほうが主である。ワインを原料とした酢(ワインビネガー)も製造される。
ワインを製造する地域では、残った種子を搾油の原料としてグレープシードオイルが製造される。また、種子にはプロアントシアニジンという成分が含まれ、健康食品用などに抽出も行われている。また、ワイン醸造後にできる発酵後のブドウの残りかす(ポマース)からはポマース・ブランデーが蒸留される。
紫色をした皮にはアントシアニンなどのポリフェノールが豊富に含まれており、赤ワインやグレープジュースにも多い。絞った後の皮などの滓は、肥料として処理することが多い。ブドウの実の表面に現れる白い粉状のものはブルーム(果粉)とよばれる脂肪酸などでできた天然物質である[16]。農薬と勘違いをする人もいるが、水分が奪われないように実を守る働きがあり、ブルームが多く残っているブドウ果実は、収穫時に丁寧に扱われて鮮度と品質が良いことを示す判断材料にもなっている[16]。
葉も可食であり、西アジアを中心とする地域の料理ドルマの材料に用いられる。
食用とされない果柄についても、がん細胞の増殖や転移を抑える物質の抽出が信州大学などにより研究されている[4]。
特殊な利用法として、ブドウの実に大量に含まれる酒石酸から酒石酸カリウムナトリウム(ロッシェル塩)を製造することができる。ロッシェル塩は強誘電体であり、圧電素子としてかつてはよく利用された。日本では第二次世界大戦末期には通信機器用の軍需物資として注目され、ブドウ園から原料が大量に集められた[17]。しかし湿気に弱いという欠点があったため、現在ではより優れた特性を持つ他の物質によって代替され、この目的で使用されることはなくなった。
新しい研究によると、ブドウの摂取は太陽の紫外線に対する肌の自然な保護を74.8%高めることができ、食用の日焼け止めとして機能する可能性がある[18]。
2004年のブドウの総生産量は6,657万トンであり、バナナ(1億394万トン)、かんきつ類(1億273万トン)に次いで生産量が多い果物である。1980年代前半までは世界で最も生産量の多い果物であったが、生産量は20世紀中盤からほぼ横ばいで、20世紀に入り生産量の急増したバナナやかんきつ類に抜かれ、さらに同じく生産量の急増しつつある4位のリンゴ(6,192万トン、2004年)に追いつかれつつある。国際連合食糧農業機関(FAO)によると、世界のブドウ園の総面積は75,866平方キロメートルにのぼる。世界のブドウ生産量のうち71%がワイン生産用、27%が生食用に使用され、残りの2%はレーズン生産用である。世界最大のブドウ生産国は中国であり、ついでイタリア、アメリカ、スペイン、フランスと続く。
順位 | 国 | 年次生産量(トン) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
2021 | 2020 | 2019 | 2018 | 2017 | ||
1 | 中国 | 11,200,000 | 14,314,100 | 14,195,400 | 13,666,800 | 13,082,900 |
2 | イタリア | 8,149,400 | 8,222,360 | 7,900,120 | 8,513,640 | 7,169,745 |
3 | スペイン | 6,086,920 | 6,817,770 | 5,745,450 | 6,983,260 | 5,387,403 |
4 | アメリカ合衆国 | 5,488,470 | 5,479,400 | 6,314,915 | 6,890,980 | 6,698,520 |
5 | フランスの旗 フランス | 5,073,580 | 5,884,230 | 5,489,650 | 6,267,790 | 5,011,054 |
6 | トルコ | 3,670,000 | 4,208,908 | 4,100,000 | 3,933,000 | 4,200,000 |
7 | インド | 3,358,000 | 3,181,000 | 3,041,000 | 2,920,000 | 2,922,000 |
8 | チリ | 2,581,108 | 2,434,664 | 2,714,691 | 2,828,021 | 2,383,095 |
9 | アルゼンチン | 2,241,420 | 2,055,746 | 2,519,886 | 2,573,311 | 1,965,206 |
10 | 南アフリカ共和国 | 2,000,297 | 2,008,242 | 1,883,869 | 1,901,736 | 2,032,582 |
世界計 | 58,521,410 | 58,292,101 | 58,500,118 | 67,067,128 | 78,034,332 |
2021年の日本のブドウ生産量は16万5,100トンであり[21]、果物ではウンシュウミカン、リンゴ、ナシ(ニホンナシ)、カキに次いで5位の生産量である。昭和時代の末期には30万トンを記録していたが、以後は年々微減する傾向にある。栽培面積も同様に、昭和54年、55年の3万300ヘクタールを頂点として減少傾向にある。県別では山梨県が最大の産地で、2021年には40,600トンの生産があり、国内生産量の25%を占めた[21]。以下、2位の長野県が28,800トン(17%)、3位の岡山県が15,100トン(9%)、4位の山形県が14,600トン(9%)、5位の福岡県が6,910トン(4%)となっている[21]。日本は南西諸島を除くほぼ全域がブドウの適地であるため、北海道から九州までの広い範囲においてブドウが生産されている。世界ではワイン生産用が7割を占め非常に多いのに比べ、日本では生食用が9割近くを占め、ワインやブドウジュース、菓子などの加工用は1割弱に過ぎない[22]。また、輸出は全くないが、年間10,000tあまりが輸入されている。
品種的には、日本で最も栽培されている品種は巨峰であり、2020年度には3,189ヘクタールで栽培されていた。ついでシャインマスカット、ピオーネ、デラウェア、甲州と続く[20]。昭和45年頃にはデラウェアが栽培総面積の36%を占め、次いでキャンベル・アーリーが26%、甲州10%であったが、昭和40年代後半より巨峰の栽培技術が確立すると急速に栽培面積を拡大し始め、1994年には巨峰の栽培面積がデラウェアを抜いた。平成に入ってからはピオーネも急速に栽培を拡大させている。デラウェアは昭和35年の無核化技術の開発によって栽培が拡大したものの、粒が小さいため近年では栽培が減少傾向にある。キャンベルアーリーや甲州は戦前からの主要品種であったが、新品種の開発によって栽培面積は漸減傾向にある[23]。
ブドウ属 (Vitis) は、真ブドウ亜属 (Euvitis) と 擬ブドウ亜属 (Muscadinia) に分けられる[24]。
大部分の野生種、栽培種のブドウが含まれる。染色体数は38 (2n=19)である。
その他、エビヅル、サンカクヅル(ギョウジャノミズ)、クマガワブドウ、アマヅル、リュウキュウガネブ、ヨコグラブドウ、ケナシエビヅルなど、日本では15種類の野生ブドウの自生が確認されている。また、アジア大陸には中国を中心に、約40種の野生ブドウが確認され、日本の野生ブドウと同種または近縁種も確認されている。
全て北米原産で、ヨーロッパブドウと違ってどれもフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)耐性を持つ。
染色体数40(2n=20)である。
主な栽培品種は、ヨーロッパ種(ヨーロッパブドウ)、アメリカ種(アメリカブドウ)とその交雑種があり、特に日本で栽培されているブドウは生食用の交雑種が大半である[1]。皮の色によって「甲斐路」などの赤系、「巨峰」「ピオーネ」などの黒系、「シャインマスカット」などの緑系に分けることもできる[1]。太字は日本国内で生産されている品種。
「ブドウ品種の一覧」も参照。また、ワイン用品種については「ワイン用葡萄品種の一覧」も参照。
など。
種なしブドウは、開花後の房をひとつずつジベレリン水溶液に浸す処理をして作られる[40]。植物ホルモンを利用した方法で、ホルモンの作用により無種子化した実を肥大(単為結果)させる方法である。本来ジベレリンは、戦前の稲の生長研究から発見された植物ホルモンで、戦後になってブドウの実の成長促進に役立てられないかとする研究に用いられていたが、研究過程で偶然「種なし化」という想定外の効果が見つかり、実用化されるに至った[40]。
種なし化と成長促進の効果を実現するジベレリン処理の技術は、日本の農産物振興への取り組みによって生まれ、1970年ごろからデラウェアに用いられた種なし化は、わずか数年で日本全国へと広まった[16]。近年ではサイトカイニン水溶液を添加することにより処理時期が拡大している。
デラウェアなどの小粒種に用いられるのが主であったが、技術の向上により巨峰などの大粒種にも種なしが可能となっている[16]。ジベレリン処理を行うと果軸が硬化するため、種ありに比べ脱粒しやすい品種が多い。また、収穫時期は種ありに比べて早まる。なお、ジベレリン水溶液は元々無色透明であるが、ジベレリン処理をした果実を色で判別するために水溶液に食紅などを混ぜ着色している。
品種によって効果に差違が生じ、シャインマスカットの場合ジベレリン処理単体での無核化率は60 - 75%程度になるが、開花14日前にストレプトマイシン処理すると無核化率は100%に近くなる[41]。
食用ブドウにおける産地分布(自治体及び旧自治体は作況調査市町村別データ長期累年一覧による。なお、2006年を最後に市町村別統計は廃止されているため、2020年の明確な産地分布は不明)
など。
唐草模様は日本古来の伝統的模様であるが、そこに描かれているのはブドウのつると葉である[40]。起源は古代エジプトのスイレンやブドウをデザイン化したものであるが、オリエントを経てシルクロードを渡り、仏教美術を取り入れながら唐を経て日本に伝わった[40]。7世紀末建立の法隆寺、8世紀建立の薬師寺金堂の建築意匠にも取り入れられ、その後は風呂敷などに見られる簡略化された模様へと変化していった[40]。
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