那須塩原市
栃木県の市 ウィキペディアから
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那須塩原市(なすしおばらし)は、栃木県北部に位置する市。首都圏及び関東地方の最北部に位置し、那須塩原都市圏の中心都市である。
なすしおばらし 那須塩原市 | |||||
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塩原温泉湯っ歩の里 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 栃木県 | ||||
市町村コード | 09213-4 | ||||
法人番号 | 8000020092134 | ||||
面積 |
592.74km2 | ||||
総人口 |
113,700人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 192人/km2 | ||||
隣接自治体 |
大田原市、矢板市、日光市、那須郡那須町、塩谷郡塩谷町 福島県:南会津郡南会津町、下郷町、西白河郡西郷村 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 | ヤシオツツジ | ||||
那須塩原市役所 | |||||
市長 | 渡辺美知太郎 | ||||
所在地 |
〒325-8501 栃木県那須塩原市共墾社108番地2 北緯36度57分42秒 東経140度02分46秒 那須塩原市役所(2012年4月) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は約11万人で足利市に次いで県内第5位、面積は日光市に次いで県内第2位、市内総生産は宇都宮市・栃木市・小山市に次いで県内第4位である。
本市は関東平野の北端の扇状地上に立地し江戸時代以前は「手にすくう水も無し」とうたわれた那須野が原が広がり不毛の台地であった。江戸時代には大田原藩による大田原用水(後の蟇沼用水)や、山口堀(後の旧木ノ俣用水)など、飲料水や灌漑に用いるための用水路が開削・拡張されたが、規模が小さく那須野が原台地を潤すほどにはいたらなかった。
しかし明治時代に入って、明治政府の殖産興業政策により、会津と東京の物資輸送を担う大運河構想を発端として那須疏水が整備されると那須野が原の開拓が急速に進展した。この名残として黒磯地区、西那須野地区、塩原地区には今でも那須野が原の地に入植したかあるいは農場を拝領した明治の宰相、要人の名を冠した地名が多く残る。
黒磯地区・西那須野地区の市街地は、明治以降すなわち1883年(明治16年)の日本鉄道(東北本線)の開業、1885年(明治18年)に那須疏水の開削により形成された比較的新しい市街地である。一方、塩原地区は、日本有数の温泉地として全国的に名が知れており、かつては塩原十一湯と呼ばれた1200年以上の歴史を持つ古い温泉郷であり、明治大正期の数々の文豪がこよなく愛した。
那須野ヶ原は那須岳、大佐飛山地、高原山より流れ出る複数の河川(那珂川、熊川、蛇尾川、箒川)によって国内最大級の複合扇状地が形成されている。その面積はおよそ4万haにのぼるが、大田原市以西那須連峰山麓部までの一帯の河水は、そのほとんどが伏流水として地下に潜る。そのため、井戸も湧出させるまでに数10m - 100m以上を掘削する必要がある。また北側の那珂川は水量こそ豊富であるものの深い谷底を流れ、南側の箒川もまた扇状地の最も低くなっている場所を流れているため、ここから田畑へと水を引くことができない。大田原藩や黒羽藩などの那須地域の諸藩が、城下の水を確保するために掘削した小規模な蟇沼用水や木ノ俣用水のように小規模な用水路が引かれることもあったものの、那須野が原では広範囲に砂礫層が堆積しているため、保水力が弱く水田や用水路から水が地中へと浸透してしまう。このため流域の住民は厳しい水供給を余儀なくされていた。実話として、那須野ヶ原より約4km離れている箒川まで水桶を抱えて水を確保しに往復していたという話もある。『手にすくう水もなし』と例えられるほど慢性的な水不足に悩まされた那須野の住民にとって安定した水供給は悲願であったが、蟇沼用水や木ノ俣用水などが細々と水脈を保っていた以外に水利はなく、明治に入るまで那須野ヶ原は原野のまま存置されてきた。
さらに、地面を耕せば大量に石が出るため、農作業には柄が短く頑丈に作られた特別な鍬を必要とした。
このように那須野が原は元々水資源に乏しく農地には適さない地域であり、江戸末期まではほとんど集落のない原野であった。
明治時代、那須野ヶ原の本格的な開拓が行われたが水供給の問題は尾を引いていた。初代栃木県令鍋島幹彼は、那須と東京を運河で結ぶ「大運河構想」を練っていた。この構想は壮大すぎ実現には至らなかったが、これにヒントを得た那須野ヶ原の灌漑整備構想がもたれるようになった。那須地方の実業家であった印南丈作と矢板武は、那珂川から用水を引き那須野ヶ原の灌漑用水に利用しようとする構想を打ち立てた。事業計画は容易に進まなかったが、栃木県令三島通庸の強力な後援もあって内務省による正式な事業となり1885年(明治18年)9月、住民の宿願である那須疏水事業が着手された。
那珂川上流の西岩崎地点に頭首工(西岩崎頭首工)を建設し、そこから農業用水を台地に送水するというものであったこの疏水は、安積疏水(福島県)を掘削した熟練の技術工員により工事が進められ、幹線水路約16.3kmが着工から僅か5か月という極めて早いペースで完成した。翌年からは支線水路約46.5kmが建設され、長年水不足に悩まされた那須野ヶ原に遂に安定した水供給が図られた。事業費は当時の予算で10万円であるが、この事業費は当時の内務省土木局の年間予算の10分の1にあたり、いかに巨大なプロジェクトであったかが分かる。1905年(明治38年)と1928年(昭和3年)にも拡張事業が行われ、総延長約332.9kmの水路網によって約4,000haの開墾が可能となった。
疏水の開通により、印南丈作と矢板武による那須開墾社や三島通庸の筆耕社をはじめとして、全国各地から開拓民を募集し、開墾事業を推進した。前述のように、地表を少し掘ると石ばかりの土地であり、冬は吹き下ろす寒風に苦しめられるため、開拓は困難を極めたという。
1967年(昭和42年)頃から1994年(平成6年)の間に行われた国営那須野が原開拓建設事業において近代化整備を施されると共に[1]、統合によって相互利用が可能となった[2]。
那須疏水は、安積疏水(福島県郡山市とその周辺地域)、琵琶湖疏水(滋賀県琵琶湖-京都市)と並ぶ日本三大疏水の一つと数えられる。那須野が原用水は2006年2月3日に疏水百選にも選ばれている[2]。
明治以前より扇状地の扇端部で水利の良い大田原市は奥州街道などが通り政治・交通の要衝であった。しかし、那須野が原の開拓後は、国道4号のほか、東北本線が3駅、東北自動車道のICが2箇所、東北新幹線が停車するなど主要交通網が当市域を縦貫し、工業団地が多数建設され、さらには首都機能移転候補地の一番手に挙がり、合併後においては、栃木県北部地域において最大の人口・面積・市内総生産を擁し、国勢調査においては大田原市や矢板市等県北部地域を包含する那須塩原都市圏が設定され、広域の道路標識においては大田原ではなく那須塩原が表示されるようになるなど、当市は交通・物流、経済・産業、人口・都市機能において県北地域の中心として扱われるようになってきている(これに対し大田原市は、裁判所支部、検察庁支部、法務局支局及び天気予報の拠点とされるものの、宇都宮線が1駅、国道4号線が西端を僅かに通過しているのみであり、那須塩原都市圏の副中心都市に過ぎない)。
旧西那須野町域は、首都機能移転先の第一候補地であった。1999年(平成11年)12月20日、国会等移転審議会は、小渕恵三内閣総理大臣に対し、移転先候補地として「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」、そして将来移転先候補地となる可能性がある地域として「三重・畿央地域」を選定する答申を行った。審議会では、移転先候補地の答申を行うにあたり、16の評価項目を設け点数付けを行い、さらに、各項目の重要度を加味した上で総合点を算出し、結果、栃木・福島地域(那須・阿武隈地域)が最高得点を獲得した。なお、西那須野町は、合併前は、県内の町としては最大の人口を擁していた。
市の名称「那須塩原」は、合併当時において当市域内で新幹線の駅名として長年使用されており、全国的観光地で著名な「那須」と「塩原」を用いることで地理的にイメージしやすい事から選定された[3]。なお、那須高原などの観光資源を抱える隣接の那須町が混同防止のため“那須”の名称を使わないよう求めていたが、協議会側は「那須の地名は那須町だけのものではない」とし、投票で決定した。また同時に市章を制定した。[4]
東京から北に約150km、県都宇都宮から約50km、東京-仙台のほぼ中間(双方から新幹線で70分~80分程度)に位置し、関東平野の北端に位置する広大な那須野が原北西一帯を占めている。 西側に高原山、北側に大佐飛山地、那須岳に連なる山岳部があり、北東に那珂川、南西に箒川が南東方向に流れ、その中央には、南西から北東に東北新幹線と宇都宮線(東北本線)、東北自動車道、国道4号の幹線交通網が縦貫する。市内に東経140度、北緯37度のラインがある。
国土地理院地理情報によると那須塩原市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、本市最北端は、栃木県はもとより、関東地方の最北端でもある。東西の長さは36.40km、南北の長さは35.30kmである。また、2010年国勢調査基準によると、人口の重心は上中野208番地付近にある。
北端 北緯37度09分18秒 東経139度57分10秒 ↑ | 人口重心 北緯36度55分55.59秒 東経139度59分58.62秒 | |
西端 北緯36度57分05秒 東経139度43分59秒← | 中心点 北緯36度59分45.5秒 東経139度56分14秒 | 東端 →北緯36度58分58秒 東経140度08分29秒 |
↓ 南端 北緯36度50分13秒 東経139度58分57秒 | ||
大まかな地域区分は以下の通りである。
黒磯地区、東那須野地区、旧西那須野町域は、平野部に属するため、主に市街地、商業地、住宅地、工業団地となっているが、高林地区、旧塩原町域は山間部であり、観光名所が点在している。
広域の合併により発足した市であるため、市街地が西那須野駅周辺、黒磯駅周辺のほか、大原間(那須塩原駅周辺)及び塩原古町地区等に分かれた多核分散都市となっている。
西那須野塩原インターチェンジや西那須野駅のある西那須野地区は、塩原温泉、大田原市への玄関口となっており、那須塩原駅や黒磯板室インターチェンジのあり東那須野地区、日本有数のリゾート地那須高原への玄関口となっている黒磯地区とともに県北地域の交通の要衝となっている。
黒磯駅と西那須野駅周辺には古くからの中心的市街地が形成され、西那須野駅と黒磯駅の中間にある那須塩原駅周辺は新幹線の開業以来に西側に新市街地が形成されつつあり、将来的に新市役所の建設が計画されている。
黒磯地区及び西那須野地区の一部地域が住居表示地区となっている。
市内の気候は、平野部と山間部で大きく異なる。
標高200-250mの西那須野、黒磯地区等の平野部は、内陸性気候に属し、東京より若干気温が低い程度であり、夏は非常に蒸し暑く、雷雲、雷も発生し、冬は山から吹きおろす空っ風(北風)が強く非常に寒いが、降雪は年に1~3度程度である。
一方、塩原地区ほか山間部(高原部)は、夏はやや涼しく、冬は積雪する。
黒磯 (1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 15.3 (59.5) |
20.6 (69.1) |
22.9 (73.2) |
28.4 (83.1) |
31.8 (89.2) |
34.6 (94.3) |
35.4 (95.7) |
35.3 (95.5) |
33.1 (91.6) |
28.8 (83.8) |
23.1 (73.6) |
22.0 (71.6) |
35.4 (95.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 5.6 (42.1) |
6.6 (43.9) |
10.4 (50.7) |
16.1 (61) |
21.0 (69.8) |
23.9 (75) |
27.3 (81.1) |
28.6 (83.5) |
24.8 (76.6) |
19.3 (66.7) |
13.8 (56.8) |
8.3 (46.9) |
17.1 (62.8) |
日平均気温 °C (°F) | 0.9 (33.6) |
1.5 (34.7) |
4.9 (40.8) |
10.2 (50.4) |
15.5 (59.9) |
19.1 (66.4) |
22.8 (73) |
23.8 (74.8) |
20.1 (68.2) |
14.5 (58.1) |
8.5 (47.3) |
3.3 (37.9) |
12.1 (53.8) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.9 (25) |
−3.4 (25.9) |
−0.6 (30.9) |
4.2 (39.6) |
9.8 (49.6) |
14.8 (58.6) |
19.2 (66.6) |
20.1 (68.2) |
16.2 (61.2) |
9.8 (49.6) |
3.1 (37.6) |
−1.8 (28.8) |
7.3 (45.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −13.7 (7.3) |
−12.2 (10) |
−11.1 (12) |
−6.1 (21) |
−0.2 (31.6) |
5.8 (42.4) |
9.3 (48.7) |
11.1 (52) |
6.6 (43.9) |
−1.6 (29.1) |
−6.0 (21.2) |
−11.0 (12.2) |
−13.7 (7.3) |
降水量 mm (inch) | 32.9 (1.295) |
32.4 (1.276) |
81.0 (3.189) |
111.0 (4.37) |
143.3 (5.642) |
175.1 (6.894) |
254.5 (10.02) |
234.0 (9.213) |
230.3 (9.067) |
158.3 (6.232) |
73.9 (2.909) |
41.3 (1.626) |
1,552.5 (61.122) |
平均月間日照時間 | 169.8 | 166.8 | 190.8 | 189.6 | 177.1 | 122.4 | 114.5 | 134.2 | 115.7 | 134.7 | 150.1 | 157.4 | 1,822.1 |
出典1:理科年表 | |||||||||||||
出典2:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[5][6] |
市域の半分を占める那須野ヶ原は那須岳、大佐飛山地、高原山より流れ出る複数の河川(那珂川、熊川、蛇尾川、箒川)によって国内最大級の複合複合扇状地が形成され、緩やかな傾斜の平地が広がっている。その面積はおよそ4万haにのぼるが、大田原市以西那須連峰山麓部までの一帯の河水は、そのほとんどが伏流水として地下に潜る。
一方、北西部の山岳部は市域の概ね半分を占め、塩原温泉郷や板室温泉、三斗小屋温泉(同市の飛地)等の豊富な温泉がある。
面積は2016年(平成28年)4月1日現在、全国市町村別で153位、県内では日光市(1,449.83km2)に次いで第2位。
地表から30 - 50cmより下は砂礫層となっており、どこでも少し地面を掘るだけで大量の石が出る。
大田原市・宇都宮市・東京方面への往来が盛んである。
地域名 | 総数 (人) | 男 (人) | 女 (人) | 世帯数 (人) | 平均世帯 人員(人) | 平均年齢 (歳) | 面積 (km2) | 人口密度 (人/km2) |
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黒磯地区 | 36,881 | 18,149 | 18,732 | 15,045 | ||||
東那須野地区 | 11,776 | 5,872 | 5,904 | 4,502 | ||||
高林地区 | 6,097 | 3,094 | 3,003 | 2,261 | ||||
鍋掛地区 | 7,141 | 3,536 | 3,605 | 2,615 | ||||
西那須野地区 | 25,946 | 12,891 | 13,055 | 10,303 | ||||
狩野地区 | 22,873 | 11,475 | 11,398 | 9,419 | ||||
塩原地区 | 2,243 | 1,077 | 1,166 | 1,062 | ||||
箒根地区 | 5,394 | 2,675 | 2,719 | 2,008 | ||||
総数 | 118,351 | 58,769 | 59,582 | 47,215 |
県内人口は第5位。
栃木県全体や他の地方都市が人口減少問題に直面する中、工業団地の増加や、大宮・東京方面への新幹線通勤・通学(いわゆるリゾート通勤・通学)者の増加のため、那須塩原市の人口は年々増加している。
2005年国勢調査以降、本市を中心都市として、大田原市(副中心都市)・矢板市・那須町によって構成される都市圏が設定された。 規模としては、150都市圏中75位の小都市雇用圏である。
本市は宇都宮都市圏にも属する。
那須塩原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 那須塩原市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 那須塩原市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
那須塩原市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 出身校 | 職歴 | 備考 |
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- | 平山喜助 | 2005年(平成17年)1月1日 | 2005年(平成17年)2月14日 | 旧塩原町長。新市発足から市長選挙までの間の市長職務執行者 | ||
1 | 栗川仁 | 2005年(平成17年)2月14日[9] | 2011年(平成23年)12月4日 | 栃木県立那須農業高等学校 | 農業 | 在任中死去[10][11]、合併前の黒磯市長 |
2 | 阿久津憲二 | 2012年(平成24年)1月23日[12] | 2016年(平成28年)1月21日 | 栃木県立黒磯高等学校 | 栃木県議会議長 | |
3 | 君島寛 | 2016年(平成28年)1月22日 | 2019年(平成31年)3月9日 | 日本大学法学部 | 那須塩原市副市長 | 在任中死去[13] |
4 | 渡辺美知太郎 | 2019年(平成31年)4月22日 | 現職 | 慶應義塾大学文学部 | 参議院議員 |
那須塩原市役所の組織は以下のとおり。
那須塩原市行政施設は以下のとおり。
那須塩原市にある国関連施設は以下のとおり。
かつて那須塩原市にあった国関連施設は以下のとおり。
那須塩原市にある栃木県庁関連施設は以下のとおり。
那須地区消防組合
所轄署は以下のとおり。
議員会派(2021年5月7日時点)
常設される常任委員会と構成人数は以下のとおり。
特別委員会と構成人数は以下のとおり。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 出身校 | 職歴 | 選任までの臨時議長 | 備考 |
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1 | 人見菊一 | 2005年(平成17年)1月12日 | 2005年(平成17年)5月13日 | 塩澤昭夫 | |||
2 | 高久武男 | 2005年(平成17年)5月13日 | 2007年(平成19年)5月10日 | 松原勇 | |||
3 | 植木弘行 | 2007年(平成19年)5月10日 | 2009年(平成21年)5月14日 | ||||
4 | 平山英 | 2009年(平成19年)5月14日 | 2010年(平成22年)5月25日 | 室井俊吾 | 在任中死亡 | ||
5 | 君島一郎 | 2010年(平成22年)6月4日 | 2013年(平成25年)5月10日 | 金子哲也 | |||
6 | 中村芳隆 | 2013年(平成25年)5月10日 | 2017年(平成29年)5月12日 | ||||
7 | 君島一郎 | 2017年(平成29年)5月12日 | 2019年(平成31年)4月2日 |
宇都宮地方裁判所大田原支部(大田原市に所在)の管轄区域である。
2010年国勢調査によると、本市は、那須塩原都市圏を形成し、かつ宇都宮都市圏に属する。
観光客入込者数・宿泊者数
うち外国人10,265
西那須野地区の国道4号沿いは日本のモータリゼーションの始まりの頃より多くの自動車販社が立地し県北地域の自動車販売の中心的存在となっている。乗用車のほか、トラック・バス、外国車の販社が多数立地する。
一方で、県北地域最大級となる大型ショッピングモール等の建設も相次いでいる。那須塩原駅にほど近い島方地区にはイオングループのショッピングセンター「イオンスーパーセンター那須塩原店」(現在のザ・ビッグエクストラ那須塩原店)、豊浦地区の国道4号線沿線には、トステム系列のホームセンターを中心とした「スーパービバホーム那須塩原SC」、塩野崎地区の東那須産業団地には県内2番目となるアウトレットモール「那須ガーデンアウトレット」が、それぞれ2008年7月にオープンされた。
那須塩原市に本店・支店・出張所等の窓口を置く金融機関一覧は以下のとおり(2016年9月現在)。
郵便番号は以下が該当する。5集配局が集配を担当する。
旧黒磯市地域が黒磯MA、旧西那須野町・塩原町地域が大田原MAの管轄となる。市外局番はいずれのMAも「0287」。収容局は以下の7ビルが該当し、市内局番は以下の通り。
下記地域は黒磯市外の収容局が管轄となる。
那須塩原は別荘地としても有名である。明治の名士が塩原温泉等に別荘を保有し、口コミで文豪達に広まり、塩原温泉に文豪達が集うようになったという。
歴史的に有名な別荘としては、以下のようなものがある。
他に別荘を保有した名士らは、次の通りである。
那須塩原で話される方言は、市域、特に西那須野地区が明治時代の開拓地であることから全国各地からの移住者の子孫が多く、さらに工業団地建設に伴う転入者の増加から、いわゆる栃木弁のみならず、雑多な方言が影響し合い共通語との違いが曖昧化した首都圏方言が少なくない。
新型コロナウイルス感染症対策として、観光関係者約600人に毎月PCR検査を実施する費用の原資とするため[16]、2020年(令和2年)12月1日から[17]2021年(令和3年)9月30日まで[18]入湯税の引き上げを実施していた[17][18]。この期間は、引き上げ前の入湯税150円に[17]、宿泊料金1万円以下は50円、1万円を超え2万円以下は100円、2万円を超える場合は200円を加算していた[19]。
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