大月市
山梨県の市 ウィキペディアから
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大月市(おおつきし)は、山梨県東部の郡内地方に位置する人口約2.1万人の市である。
おおつきし 大月市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 山梨県 | ||||
市町村コード | 19206-6 | ||||
法人番号 | 8000020192066 | ||||
面積 |
280.25km2 | ||||
総人口 |
20,626人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 73.6人/km2 | ||||
隣接自治体 | 上野原市、都留市、甲州市、笛吹市、南都留郡富士河口湖町、北都留郡小菅村 | ||||
市の木 | 八重桜 | ||||
市の花 | 山ゆり | ||||
大月市役所 | |||||
市長 | 小林信保 | ||||
所在地 |
〒401-8601 山梨県大月市大月二丁目6番20号 北緯35度36分38秒 東経138度56分24秒 大月市役所 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
県東部に位置しており、東京都心からは約80キロメートルの距離にある。
市域面積は広大で、郡内地方は秩父山地や御坂山地、丹沢山地などに属する山間部にあり、市街地は南部を東流する桂川(相模川)や支流の笹子川、葛野川などに沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に形成されている。
北部は山岳地帯。市街中心地は大月駅周辺の南部に集中しており、この付近に中央自動車道、中央本線、国道20号(甲州街道)が東西に通り、南北を国道139号が通じる。また、富士吉田市方面に通じる富士急行線等も通じる。
内陸性気候であるため、夏・冬で気温差が激しい。 1991年から2020年までの平年値による年平均気温は13.3℃、年降水量は1434.3mm[1]。
大月(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.0 (69.8) |
24.5 (76.1) |
27.4 (81.3) |
32.8 (91) |
35.4 (95.7) |
39.1 (102.4) |
39.9 (103.8) |
38.2 (100.8) |
37.2 (99) |
33.7 (92.7) |
26.1 (79) |
24.9 (76.8) |
39.9 (103.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 8.6 (47.5) |
9.8 (49.6) |
13.3 (55.9) |
19.0 (66.2) |
23.6 (74.5) |
25.9 (78.6) |
30.0 (86) |
31.0 (87.8) |
26.5 (79.7) |
20.6 (69.1) |
15.8 (60.4) |
11.0 (51.8) |
19.6 (67.3) |
日平均気温 °C (°F) | 1.8 (35.2) |
3.0 (37.4) |
6.7 (44.1) |
12.1 (53.8) |
16.9 (62.4) |
20.4 (68.7) |
24.2 (75.6) |
25.0 (77) |
21.1 (70) |
15.2 (59.4) |
9.3 (48.7) |
4.1 (39.4) |
13.3 (55.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.3 (26.1) |
−2.4 (27.7) |
1.0 (33.8) |
5.9 (42.6) |
11.1 (52) |
16.0 (60.8) |
20.0 (68) |
20.7 (69.3) |
17.1 (62.8) |
11.0 (51.8) |
4.3 (39.7) |
−1.0 (30.2) |
8.4 (47.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.6 (11.1) |
−12.8 (9) |
−8.9 (16) |
−3.9 (25) |
0.4 (32.7) |
7.3 (45.1) |
12.6 (54.7) |
12.8 (55) |
5.5 (41.9) |
−0.2 (31.6) |
−4.1 (24.6) |
−8.5 (16.7) |
−12.8 (9) |
降水量 mm (inch) | 52.2 (2.055) |
45.3 (1.783) |
89.9 (3.539) |
87.7 (3.453) |
101.5 (3.996) |
143.6 (5.654) |
179.3 (7.059) |
179.3 (7.059) |
238.4 (9.386) |
204.8 (8.063) |
68.8 (2.709) |
43.6 (1.717) |
1,434.3 (56.469) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.7 | 5.1 | 9.3 | 8.7 | 9.5 | 12.1 | 12.7 | 10.5 | 11.8 | 10.1 | 6.7 | 4.5 | 105.9 |
平均月間日照時間 | 202.1 | 188.3 | 188.5 | 189.9 | 194.4 | 137.1 | 157.8 | 188.4 | 133.1 | 139.7 | 163.0 | 181.6 | 2,080 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[2] |
梁川町、富浜町、猿橋町、七保町、賑岡町、大月町、初狩町、笹子町の地域区分がある。
大月市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町名の読み | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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笹子町黒野田 | ささごまちくろのだ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
笹子町白野 | ささごまちしらの | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
笹子町吉久保 | ささごまちよしくぼ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
初狩町下初狩 | はつかりまちしもはつかり | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
初狩町中初狩 | はつかりまちなかはつかり | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
大月一〜三丁目 | おおつき | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 大月町大字大月、大月町大字駒橋の各一部 | |
駒橋一〜三丁目 | こまはし | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 大月町大字駒橋、大月町大字大月の各一部 | |
御太刀一・二丁目 | みたち | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 大月町大字駒橋、大月町大字大月の各一部 | |
大月町大月 | おおつきまちおおつき | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
大月町駒橋 | おおつきまちこまはし | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
大月町花咲 | おおつきまちはなさき | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
大月町真木 | おおつきまちまぎ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町浅利 | にぎおかまちあさり | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町岩殿 | にぎおかまちいわどの | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町奥山 | にぎおかまちおくやま | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町強瀬 | にぎおかまちこわぜ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町畑倉 | にぎおかまちはたぐら | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
賑岡町ゆりケ丘 | にぎおかまちゆりがおか | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
七保町浅川 | ななほまちあさかわ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町葛野 | ななほまちかずの | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町駒宮 | ななほまちこまみや | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町下和田 | ななほまちしもわだ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町瀬戸 | ななほまちせと | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町奈良子 | ななほまちならご | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
七保町林 | ななほまちはやし | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町朝日小沢 | さるはしまちあさひおざわ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町伊良原 | さるはしまちいらばら | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町小沢 | さるはしまちおざわ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町小篠 | さるはしまちおしの | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町桂台一〜三丁目 | さるはしまちかつらだい | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
猿橋町猿橋 | さるはしまちさるはし | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町殿上 | さるはしまちとのうえ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
猿橋町藤崎 | さるはしまちふじさき | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
富浜町鳥沢 | とみはままちとりさわ | 1954年9月8日 | 未実施 | ||
富浜町宮谷 | とみはままちみやたに | 1954年9月8日 | 未実施 | ||
梁川町新倉 | やながわまちあらくら | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
梁川町塩瀬 | やながわまちしおぜ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
梁川町立野 | やながわまちたちの | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
梁川町綱の上 | やながわまちつなのうえ | 1954年8月8日 | 未実施 | ||
大月市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大月市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大月市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大月市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
郡内地方は相模川水系をはじめとする河川の河岸段丘上に多くの考古遺跡が散在し、市域でも縄文時代の遺跡は80か所以上が確認されており、定住痕跡もみられる。 郡内では平坦地に乏しいため縄文後晩期には遺跡数が減少し、弥生時代以降の遺跡は極めて少ない。
律令制下には都留郡福地郷・征茂郷に比定されている。奈良・平安時代の遺跡では大月遺跡、原田遺跡、太田ヶ原遺跡などがあり、古墳時代から継続的に集落が営まれてきた。また、笹子川流域においては甲府盆地東端との交流も考えられている。
市域西部の波加利荘は平安時代に武蔵七党横山党の分流古郡氏の旧領で、鎌倉時代の建暦3年(1213年)に古郡氏が和田合戦に荷担して滅亡した後には宣陽門院領となり、武田氏や島津氏が地頭となっている。
戦国期に郡内領主として出現する小山田氏が都留市域に本拠を構え、大月市域でも郷村支配が確認されている。岩殿山は修験者からの信仰を集めた霊山で、小山田氏や国中地方の武田氏、江戸期には谷村藩主秋元氏らの保護をうけた円通寺があった。
市域東部の猿橋は百済の渡来人が架橋した伝説を伝え日本三奇橋の一つに数えられているが、交通の要衝でもある付近の地域呼称でもあった。 『鎌倉大草紙』に拠れば、応永34年には関東公方の足利持氏が武田信長追討のために一色持家を派遣し、猿橋の地で合戦が行われたという。また、戦国時代には大永4年(1524年)に武田信虎が猿橋を拠点に相模国奥三方(神奈川県津久井郡)まで出陣して北条氏綱と戦っている。郡内領主の小山田氏は武田に服属し、岩殿山に岩殿山城を築いている。
江戸時代には甲州街道の宿場が整備され、街道の45の宿場のうち12宿が現在の大月市内にあった。 江戸からの往来が盛んとなり、奇橋猿橋は荻生徂徠『峡中紀行』や歌川広重などの旅行者等によって紹介された。 山間部である郡内の特徴として田地は少なく、市域の生業は焼畑による畑作のほか宿場での駄賃稼ぎや林業などの山稼ぎや養蚕、農間余業として郡内織と呼ばれる織物生産を行い、谷村や上野原の市場へ出荷していた。
第二次世界大戦後期は日本を空襲するB-29が富士山から東京空襲のため東に向かう経路にあることから、陸軍の防空監視哨が複数設けられた。 1945年8月13日、終戦の2日前に市内の工場への空襲があり勤労動員されていた生徒らが被害を受けた。
織物産業は戦後一時期まで基幹産業であったが、現在では衰退している。 市内に勤務先は乏しく交通機関の整備により東京圏に汲み込まれ、勤労者の多くが東京都多摩地域の企業などに通勤している。 ただし2000年頃から長期不況による都心回帰現象により通勤者及び人口は減少しつつある。
市内の小中学校は小規模校が多く、児童数減少で複式学級化も予測されたため、2006年6月に小学校5校、中学校2校への統合計画が作成され[4]、2016年までに統合を完了した。
中心となる駅:大月駅
JR東日本中央本線は東京駅からの直通電車があり、中央自動車道の大月インターチェンジがある等、東京方面からの交通の便が良く、本格的な自然、甲州街道沿いの歴史文化や富士山の眺望などを特徴としている。一方、富士五湖地域や観光果樹園などが多い峡東地域に比べると観光の魅力が弱く、これらの観光地への通過地となっているという指摘もなされている[5]。 また、大月市には桃太郎にまつわる数々の伝説が残っている[6]。2021年10月には桃太郎会サミットを開催するなど、大月桃太郎伝説で地域活性化を目指している[7]。
大月などの郡内方言は、西関東方言のエリアになるが、アとエの中間のような発音に置き換えられるものがある。(例)泣いている→にゃーてる。これは、静岡弁の影響が強いという説がある。
また、「食べるら?(食べるでしょ)」「もう行くら?(もう行くでしょ)」と語尾に「ら」をつけることも多い。これは長野・山梨・静岡方言(ナヤシ方言)で広く用いられる話法でもある。
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