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『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、1996年10月から2002年9月に日本国内で収録した企画の一覧 ウィキペディアから
水曜どうでしょうの企画 (日本国内)では、北海道テレビ(HTB)制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に主に日本国内で収録した企画について扱う。
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企画によってはタイトルの表記揺れがあるが、ここではDVD「水曜どうでしょうDVD全集」を正式タイトルとする[注 1]。
「サイコロの旅」をはじめ、「試験に出るどうでしょうシリーズ」、「四国八十八ヵ所シリーズ」、「釣りバカ対決シリーズ」など様々な企画が行われた。なお、「onちゃんカレンダー」では企画後半に海外(ハワイ、ラスベガス)を訪れているが、企画の大半は札幌・HTBのスタジオでの撮影で行われており、海外企画としてもナンバリングされていないため、この項目で取り扱う。
「第1回水曜どうでしょうカルトクイズ世界大会」を除き、レギュラー放送時の国内企画はDVD化されている。
鈴井貴之考案の企画のひとつで、放送での企画名は「東京-札幌 サイコロの旅」。『どうでしょう』を象徴する企画[注 2]として扱われており、多くの番組で類似企画が放送された。本シリーズの6回以外にも、1度だけ外国で行った「サイコロ韓国」がある(詳細は韓国食い道楽サイコロの旅を参照)。
6つのサイコロの目それぞれに移動手段と行き先を割り当て、鈴井と大泉洋が「明治のサイコロキャラメル[注 3]のサイコロを振り、出た目によって次の行き先を決定」「到着した先で再度サイコロを振って移動」を繰り返し、タイムリミットまでに札幌に戻る(北海道内に辿り着く)ことが出来るか挑戦する。金曜日にスタートし月曜日夕方をタイムリミットとすることが多いが、「スタート地点やタイムリミットが異なる」「時間切れの場所から再挑戦する」など、回によって差異がある。週末の3日間をロケ日程としていることについては、この当時鈴井がラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G'、月曜日 - 木曜日)のパーソナリティーを務めていたためであり、時間切れ・失敗になっても月曜日の生放送には間に合うよう配慮していた。
サイコロの目ごとの行き先はディレクターが考え、原則として公共交通機関で移動可能な場所が書き出されている。「札幌に戻る(および道内行き)」の目を出せばゴール(企画成功)とされ、「最後の選択」で道外の行き先の目を出すと時間切れ(失敗)となる。また、「宿泊」などの目が出ない限りは高速バス、フェリー、寝台列車などを用いた長時間移動を余儀なくされ、例として「サイコロ1」ではこの全てに搭乗して一夜を明かした。ただし、どれだけ運が悪くても3泊4日で終わり、移動中は基本的に寝られるなどの理由から、体力面以外は楽な企画ともコメントしている[2]。
目的は「ただ単に北海道へ帰る」のみだが、回を追うごとに2人の出すサイコロの目の傾向がクローズアップされるようになった。ゴールから長距離で遠ざかることがあるが基本的に着実に北へ向かう選択肢を出す大泉に対し、奇跡的にゴールを決める事や宿泊の目を出すことがあっても、高確率で四国・九州の目を出してしまう鈴井は特に運の悪さを指摘され、企画内で「ダメ人間」と罵倒されている事が多い。また、当企画における出目の傾向は「カントリーサインの旅」「絵ハガキの旅」など、“複数の行き先候補から1つを抽選する”類似方式の企画でも度々ネタにされた。
サイコロを振る際は、テレビ番組『ごきげんよう』の「何が出るかな? 何が出るかな?……[注 4]」を掛け声にして踊る(主に大泉が振る際)のが通例。これはサイコロ1の最初に振る時から使用中。
『どうでしょう』レギュラー放送最初の旅企画。当初の企画名は「アンルイスの取材で東京までせっかく来たんだから何かやってから帰りましょう企画」。立ち上げ当時の番組側にレコード会社から「東京でアン・ルイスのインタビューを収録しませんか?」と持ちかけられ、東京までの旅費も負担するとの申し出もあった事から、この提案に乗ることが決定された。さらに、ディレクター側から「せっかく東京まで行くんなら、何かついでに企画をやりましょう」と鈴井に持ちかけ、鈴井が提案したのがこの企画である。記念すべき初の企画および番組での旅だが、大泉には「インタビューの後は品川プリンスホテルに一泊して企画を考える」と伝えられ、初回から他の3人に騙されることとなった。この時、大泉は「企画は本来事前に考えてくるものだろう」と思いつつ“屋形船で豪遊”などの案を提示したが、もちろん秘密裏で「サイコロ」の実施が決まっていたためボツとされている。
制限時間の9月15日に鈴井は前述の「AIR-G'での仕事がある」ため、大泉は「親戚の人が来る」ため、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)は「子供の運動会がある」ため、どうしても帰札する必要があった。なお、「サイコロ」シリーズで鈴井を除くどうでしょう班の面々にも帰札理由があったのは「1」のみである。
2000年に数量限定で発売された『水曜どうでしょうビデオ』第1巻に収録され、後の『Classic』での放送・DVD収録のものは『どうでしょうビデオ』の素材を基とした(アン・ルイスへのインタビューはレギュラー放送以外では未放送)。午前中の再放送や『リターンズ』は第2夜の後半を「粗大ゴミで家を作ろう」第1夜前半と合わせて放送、『Classic』では前述のように『どうでしょうビデオ』の映像を30分へ再編集して放送した。『水曜どうでしょうプレミア』においては、第1夜に「北海道で家、建てます」ロケ期間中(2018年3月)に撮影の”藤村D・嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)による鈴井のインタビュー”が前後枠に挿入され、全2夜の放送となった。
前回同様、歌手とのインタビュー(西城秀樹との対談)という名目を立て、大泉を前回と同じ六本木プリンスホテルへと向かわせたが、到着した先に待ち構えた鈴井から「サイコロの旅」であることが知らされる。『どうでしょう』においては初めて本格的な大泉だましとなった。放送上では前週の「闘痔の旅」第2夜後半でインタビュードッキリ部分及び予告編が放送され、「サイコロ2」第1夜はネタばらしした直後から本編がスタートする。大泉は西城をイメージした衣装を着用したままロケを開始したが、冬場のロケにもかかわらず生地が薄手だったこと、上着を地肌の上へ直接着用していた(途中からはTシャツを衣装の下に着込んでいるシーンもあり、後述の「壇ノ浦レポート」では相当寒かったからかジャンパーを羽織っている)こと、この年は西日本を異常寒波が襲っていた[注 7] ことなど、様々な要因が重なったために常に寒さを訴えていた。
なお、鈴井は月曜日に『GO・I・S』の公開生放送の予定が入っていたため、「(旅先から電話中継じゃ)洒落にならない」として帰札を急いだが、企画初の「時間切れ」を喫した。
嬉野Dがテレビドラマ『なまらキッズ』監督のため不在となり、代理として藤村Dと同期入社の杉山順一ディレクター(元『モザイクな夜V3』『鈴井の巣』ディレクター、現番組プロデューサー)が同行。撮影は藤村Dが行った。
「サイコロ3」はサイコロシリーズで最も長い旅となり、放送期間も一番長い。また、導入部の樋口了一[注 10]への密着取材は、全編旅企画中心の編成になる以前、アーティストインタビューなどの別コーナーを織り交ぜて放送していたどうでしょう初期の番組編成に近い内容を公式な形で見ることができる貴重なものとなっている。
当初は大泉による鈴井への密着取材という偽企画で、大泉をAIR-Gに連れて行き、『GO・I・S』放送の様子を見学させる。『GO・I・S』には樋口がゲストとして出演していたが、トーク内で「翌日に自宅訪問をする」という企画を大泉抜きで進め、実際に実行(これが1つ目のドッキリ)。川崎市高津区の樋口の自宅、および樋口が当時所属していた東芝EMI[注 11]のスタジオ内で取材を行い、その後に「サイコロの旅」であると告げられるダブルドッキリとなっている。
前回に引き続いて月曜に『GO・I・S』の公開生放送が行われる予定が組まれていたことから、鈴井も「14時半までには絶対会場にいなければいけない」としていたが、2回連続の時間切れを喫した。
前編が終了した4日後、「(サイコロの目を出して)札幌に帰れるまでちゃんとやろう」と宣言し、連続リタイヤの現状へケリをつける為に前編で最後に出た淡路島から再開。淡路島までの行程は番組初の大泉拉致騒動であり、「道内で企画をやる」と嘘の内容でスケジュールを確保した上で自宅近くまで迎えに行き、車中で真相を明かして強制的に新千歳空港へと向かった。その際に大泉が「いや、こら拉致だよ!誘拐だよ!」と叫んだ事で、この一件は「大泉洋拉致事件」と命名されている。この企画以降は大泉騙しのレパートリーに「拉致」が加わり、徐々にやり口がエスカレートしながら定番化する事となった。なお、道内での企画と思っていた大泉は「雪道を歩く事になってもいいように」と、父親の所持品で「雪面の飛び魚」の異名を自称するスノーブーツを着用していたが、延々と雪のない地域ばかり歩く羽目になり、一部壊れて穴が開いていた。最終的にはチャンスタイムでゴールを果たした。
冒頭は「北海道212市町村カントリーサインの旅IIの続き」という大泉へのドッキリで始まる。大泉の乗った車が「カントリーサインの旅II」で最後に引き当てた生田原町ではなく、逆方向にある新千歳空港へと向かっていることにいつ大泉が気付くのかを追うため、番組内ではチェックポイントとして
の4ヶ所を設定した。
大泉は出発直後のトークで「家を出た時点では212ではなく、他の企画かもしれないと疑っていた[注 14]」ことを語ったが、D陣が騙すための方便として、事前に「”(全く実在しない)効率よく市町村を回るための秘策”がある」旨を大泉へ説明した影響もあり、「まさかストレートに212でくるとはね」と、あっさり「カントリーサインの旅」への道程と信じ込んだ状態で出発する。車内ではD陣・鈴井から「とにかく喋る」ようにけしかけられる[注 15]などの理由から、大泉は当時番組内で繰り広げていた嘘話に集中し、結果的に千歳ICまでに設けたチェックポイントを何事もなく通過していった[注 16]。
空港の目前ながらあまりに鈍感なことへ業を煮やし、鈴井は改めて現在地を地図で見せて“逆方向へ進んでいる”ことを把握させたが、「俺わかんないんだよ、高速ってどうやって行くのか」と混乱する大泉。だが、直後に鈴井から「疲れてんじゃない?甘いもの食べなよ」とサイコロキャラメルを差し出されたことで、ようやくこのロケが「サイコロ」の収録と把握するに至った。直後に全容を理解した大泉は、「サイコロやな?今日サイコロやな!!」と車内で絶叫したが、藤村Dはその言葉に「君は、なんでここまで気が付かないの!?」と驚きを隠せない様子だった。一方、過酷な企画である「カントリーサインの旅」ではなかった事から、大泉は騙されたながらも「212(と聞かされたこと)でひどくガッカリしてた」「212よりはいいかな」と、企画の敢行に比較的乗り気な態度を見せた。
この回の開始地は通例の東京ではなく、「どうでしょう班が中国地方で唯一行っていない」のがこの当時島根県のみであったため、イレギュラーなパターンとして出雲市の出雲大社から開始している。
今回以降、企画説明と最初の選択は羽田空港国内線ターミナル(現在の国内線第1ターミナル)前に固定された。今回から大泉に事前にサイコロ企画を行うと伝えており、今回は2人揃って『勝負服』で挑んだ。企画冒頭では前回までの「サイコロ」シリーズをダイジェストで紹介するVTRが流されたが、「サイコロ3」については前編のみ紹介しており、後編についてはを丸々省略している(次の「サイコロ6」では前後編ともに触れている。なお、「プレミア」版「サイコロ5」では前回までのダイジェスト部分自体がカットされている。)。
なお、このときに訪れた奄美大島が、「サイコロ」における到達地最南端であり、鈴井も「これ以上南に行くことはないだろう」と発言している。
放送当時は「サイコロ6 ゴールデン・スペシャル」と表記。この企画の前に放送された「ヨーロッパ・リベンジ」の最終夜で高視聴率(18.6%、ビデオリサーチ調べ。この番組の歴代最高視聴率でもある)を獲得し、番組の人気が出てきた事からゴールデンタイムでの放送を敢行した。19:00からの1時間枠で前編を放送し、通常放送の時間帯で後編が放送されている。放送当日は他局の裏番組に『いい旅・夢気分』があった為、それを意識した発言が随所に登場している。なお、『リターンズ』では2週、『Classic』では3週に再編集されて放送された。放送前日の夕方からは30時間にわたって放送の告知生CMを放送し、その時の詳細な様子が「30時間テレビの裏側全部見せます!」にて後日放送された。
ちなみに平均視聴率は12%(ビデオリサーチ調べ)。「30時間テレビ」の翌週放送の「onちゃんカレンダー」では、前枠で大泉・鈴井が袴姿になり「放送の結果が惨敗だった」ことを懺悔している。
当時の企画名は「粗大ごみで家財道具一式揃った家を作ろう企画」で、その名の通り拾った粗大ごみを用いて札幌の一等地・宮の森に家(部屋)を建てる企画である。1996年当時の札幌市は粗大ごみ回収を月に1度ステーション収集していたため、街中に処分用のごみが置かれていたことが企画の背景にあり[注 19]、当時劇団「OOPARTS」を主宰していた鈴井が、過去に舞台上の小道具・大道具用に粗大ごみを拾っていた関係で発案された、鈴井自らが所望した企画という。収集は中央区内や西区琴似などで行われた。
現在ではほとんど見ることができない「ハイテンションな鈴井貴之」が収められているほか、中期以降は旅中心のスタイルへ転換した『どうでしょう』としては極めて異端とも言える企画である。ちなみに、嬉野Dはドラマ撮影に参加していたために撮影・編集とも関与していない[注 20]。
レギュラー放送分では前編が堂島孝平のインタビューと抱き合わせになっているため、1.5週程度の内容である。また、この関係で堂島がレギュラー放送時の前枠・後枠に出演した(DVD第2弾の特典画像として収録)。午前中の再放送や『リターンズ』では「サイコロ1」後編+本企画前編・本企画後編の2回に分けて、『Classic』ではともに1回に再編集された。
『プレミア』では、番組の最後に「※大型ゴミはこの後適切に処分しました」というテロップが追加されている。
放送当時の企画名は「激走!24時間 大泉洋くん闘痔の旅」。鈴井が考えた企画のひとつで、「『サイコロ1』で発覚した大泉の“痔”を治すために、24時間でいろいろな温泉を回る“湯治(闘痔)”を行う」を目的としているが、企画そのものは藤村Dの「温泉に入りたい」という安易な発想から始まった。
「この企画から大泉が(テレビタレントとして)自我を持った」と嬉野Dが語ったり、大泉が運転をし鈴井が後ろに座り車内で会話をするというスタイルが確立されたり、藤村Dがリアクションで“出演”し始めたりと、後の『どうでしょう』にとって大きなターニングポイントとなった企画となった。
宮崎シーガイアからのオファーによるパブリシティ企画。放送時は「宮崎シーガイア」という企画名で放送された。
「日本各地や海外まで行っても一切遊んでいない」どうでしょう班が、今回のオファーに加えて「過酷な企画続きの出演陣を案ずる投書があった」[注 22]事実を踏まえ、すべての施設やイベントを体験してシーガイアの魅力を引き出すという趣旨で企画を行う。企画内容に伴って今回はD陣主導のロケのため、鈴井・大泉が同時に企画内容を知らされている。
また、この当時にロケで訪れていない地域が14県残っており、その中に宮崎県が含まれていた(九州では唯一)ことも企画決定のきっかけとなった。この時大泉は「行かなくして行ってない」「(宮崎以外)全部行ってることの方が怖い」とコメントし、シーガイア行きであることを知らされた鈴井も、何か裏があると思い「別に行きたくない」とコメントしている。後年の企画では綾町にお気に入りの宿を見つけるなど、宮崎に対しては総じて好意的な印象を持っているどうでしょう班であるが、初の宮崎行きとなるこの企画当初は、既述の通り半ば消極的な姿勢であった[注 23]。
現在は当時と経営母体が変わったため『Classic』以降の放送枠では放送リストから外されているが[注 24]、「記録」として残すため、DVDには現在のタイトルで再編集・収録されており、本放送において用いられたシーガイア側が準備した全景の空撮映像や、各種施設の広報用映像はすべてカットされており、どうでしょう班が撮影した映像のみで構成されている。
前述の通り観光目的でロケを行ったが、宣伝の関係から様々な施設を短期間で説明・紹介しなければならず、逼迫したタイムスケジュールによって疲れが取れるどころか疲労が溜まり、最終日はそれそれに疲れの色が見えていた。
前後枠は鈴井のスケジュールの都合でHTB近郊での収録ができなかった為、鈴井の仕事先の北海道文化放送(UHB)の駐車場に駐めた車の中で収録しており、大泉は同時期に大学の教育実習があった為、実習終わりで合流しスーツ姿で収録に臨んでいた。
鈴井が考案した初期を代表する企画のひとつ。鈴井・大泉が「北海道の各市町村にあるカントリーサインが印刷されたカードを引く」→「実際にその市町村に向かう」→「境界のカントリーサインの前で再び抽選を行う」を繰り返し、道内を回る企画。「北海道の番組であるのに、あまり北海道での企画がない」ことから地元・北海道に注目し、北海道212全市町村(当時)を巡る企画となったが、“道北から道南”など、効率の悪い移動が多いことから、内容としてはどうでしょう班による車内でのやりとりが主になる。道内を全て回るという膨大さを反省し、後に十勝地方限定で行なった「十勝二十番勝負」が生まれた。
『どうでしょう』の中では今後行わないことを公言している(後述)が、同じくHTBで放送の『ハナタレナックス』では大泉らTEAM NACSのメンバーが一人ずつが北海道の全市町村へ行き、そこで撮影した写真で巨大フォトモザイクを製作する企画「北海道の笑顔プロジェクト」(2008年6月 - 2019年6月)及び『おにぎりあたためますか』(大泉が出演、鈴井が企画構成を担当)にて行われた、オクラホマ(事務所の後輩)の二人が北海道の全市町村を回り、番組を宣伝するという趣旨の「番組宣伝活動・北海道完全制覇の旅!!」(2005年3月 - 2014年11月)では、全市町村を訪問した。(ただし、両番組共に回る市町村数は合併により『どうでしょう』時代の212から208、更に179に減っている)
前作「サイコロ韓国」から中5日でのロケ。
番組内で募集した一般の『どうでしょう』ファン約600人が、HTBに集まり『どうでしょう』のマニアックな問題を解いていく企画。タイトルには「第1回」と銘打たれているが、この1回が開催されたのみで終わっている[注 27]。その後、「東北2泊3日生き地獄ツアー」の初日のフェリー内においても筆記クイズのみ復刻企画に近い形で行われ(未放送)、このときも本企画の優勝者と同じ人物が優勝した[11]。
本企画のみレギュラー放送時代の作品としては唯一DVD化されておらず(初期企画等を除く)、その理由についてD陣からの正式なコメントもないが(一般人が参加しているため、肖像権の問題と思われる)、『Classic』以降の放送枠では全国放送が行われており、2015年5月8日よりHTBの「北海道ONデマンド 水曜どうでしょう」にて本企画の有料配信が開始されたため、こちらでの視聴は可能である(当初は『Classic』と同内容のものだったが『プレミア』版配信後はそちらに差し替えられた。)[12]。
問題は「カルトクイズ」の名に相応しくどれも高レベルで、出演者として自ら立ち会っていたはずの大泉・鈴井でも分からないほどの難問が出題された。1次試験として○×クイズをHTB正面駐車場で行う。そして、1次試験を勝ち抜いた約20名で、2次試験として筆記クイズをHTBの社屋内で実施。1次試験の挑戦者全員に参加記念色紙とオリジナルプリクラ(鈴井と大泉が写っているもの)がプレゼントされた[13]。
さらに、2次試験の成績上位者3人に、大泉を加えた4人で、早押しクイズによる決勝戦を実施した。名札は筆記クイズ上位3名は手書き、大泉は印刷。『笑点』をイメージさせるセットと衣装(着物)が用いられ、正解した回答者の前には、得点の指標となる明治サイコロキャラメルの箱(白が1点、赤が5点)が置かれた。決勝では通常の問題に加えてVTR問題も加わって一層難易度が高くなった。その結果、大泉ととある男性回答者のほぼ一騎討ちの状態となり[注 28]、大泉とトップを争っていた参加者の早押しボタンが突然効かなくなったり[注 29]、早押しボタンを司会の鈴井によって遠ざけられる[注 30]など様々な妨害もあった。最後の100点問題で大泉が問題を読み上げる前にボタンを押してしまい不正解、順当に回答を重ねていた一般人参加者が優勝し、「水曜どうでしょうマニア世界一」に認定された。
番号 | 名前(敬称略) | 衣装色[注 31] | 中間発表1 | 中間発表2 | 最終結果 | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|
① | 墨谷 | ■黄緑 | 4 | 25 | 25 | 3位 |
② | 田鎖 | ■水色 | 13 | 115 | 215 | 優勝 |
③ | 能登 | ■赤 | 3 | 15 | 15 | 4位 |
④ | 大泉 洋 | ■オレンジ | 7 | 95 | 95 | 2位 |
優勝者への特典は「大泉が運転する車で家まで送ってもらえる」というものだった[注 32]。
前年からHTBのキャラクターとして使用されている着ぐるみとしてのonちゃんが、この企画で番組初出演を果たす。その時はデビューの極初期にテレビ番組よりイベントを中心として散発的に活動していた「onちゃんメイツ」(テロップ表記は「今や行方知らずのonちゃんメイツ」)のメンバーとしての出演のため、着ぐるみの中の人は安田ではなかった(「十勝二十番勝負」も参照)。
本企画の『Classic』放送時の地デジ番組情報では「一般人ファン田鎖君の存在でかろうじてカルトクイズの体裁となった」と紹介されており、本編放送後の雑誌[15] での「全企画解説対談 藤村忠寿D×嬉野雅道D」において、2人は「彼(田鎖さん)が居なかったらこの企画は成り立たなかった」と回顧している。
2000年に発売されたパソコン用CD-ROM「水曜どうでしょう大辞典vol.1スーパーカルト」において、本企画をイメージした早押しカルトクイズが収録されている。ここでは本編と異なり司会が安田、回答者が鈴井・大泉・参加者(プレイヤー 男女別に選択可能)となっており、当時の決勝戦参加者をイメージしたグラフィックになっている[注 33]。問題はすべて3択クイズで、回答の速さや正解率に応じてゲーム終了時の称号が決まる。
2009年に発売された「水曜どうでしょう放送事典」にはこの企画の問題集が収録されているが、1次試験と2次試験の問題はHTBで資料が残っていない関係で放送で紹介された問題のみ収録されている。
大泉が企画の冒頭で「行きたい」と挙げた東京都の各名所を“全て歩いて回る”という企画。テレビ放送時は「東京ウォーカー」という企画名で放送されたが、これはかつて首都圏地域で発売されていた[注 34] 雑誌『東京ウォーカー』を大泉が愛読している、ということからこの企画が生み出されたという伏線と、企画内容がそのままタイトルにされた。全行程を徒歩で移動すると知らずに長距離を設定し、寝不足の上に雨中を革靴で歩いた大泉は、2日目に宿泊したホテルで「番組を降りる」と発言。後述の「バス移動」宣言に繋がっている。
この企画から画面の四隅に企画テロップが表示されるようになり、レギュラー放送終了後の「ジャングル・リベンジ」まで同様の編集が続いた[注 35]。
初日は北海道新聞の取材班、2日目は「テレビブロス」(東京ニュース通信社)の取材班が同行取材。ただし、前者は「最後まで付いて行く」と豪語しながら3kmでリタイア・離脱し、後者も六本木に到達した所で同行取材を終了した。
この企画の最終夜に重大発表と称して、深夜帯から放送時間を繰り上げ、23時25分の放送開始になることを告知した。
主な目的地[* 1] | 場所 | 備考 |
---|---|---|
- | 羽田空港 | スタート地点。空港の敷地を徒歩で脱出できず、空港窓口[* 2] で薦められたルートの「(当時の)国際ターミナル付近まで行く羽田東急ホテルの無料送迎バス」を用いた。 なお、実際には撮影当時でも羽田空港から徒歩で出ることは可能だったが、どうでしょう班がルート選択を誤ったことからこの結果に至った。 |
- | 多摩川緑地広場硬式野球場 (旧・巨人軍多摩川グラウンド) | 近くを通ったことから「読売ジャイアンツの練習風景を取材する」という触れ込みで訪れ、擬似インタビュー形式で大泉が長嶋茂雄の物真似を披露する。 この時、「『読売巨人軍』と書かれたポスト(杭)しか目印がない」などから練習場であるか信憑性が疑われたものの、二軍施設が1985年に読売ジャイアンツ球場へ移転して以降はサブ練習場としての利用が主だったため、すでに拠点は置かれていなかった(この年の3月末で施設そのものも廃止されている)。 |
1 | 田園調布の高級住宅街と田園調布駅 | |
- | 高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル高輪)で1泊 | 宿泊予定地の品川プリンスホテルが満室のため、急遽場所を変更し宿泊した。 夕食はホテル内で鉄板焼きを食べたものの、これが思いの外高額だったことから、翌日の国技館到着前に藤村Dが「出張費(番組内では「部費」と呼称)が底をついた」ことを明かしている[* 3]。 |
2 | お台場 | 徒歩でレインボーブリッジ(レインボープロムナード)を経由[* 4]してお台場海浜公園へ到着。 この時、大泉は場所柄から「フジテレビの展望台に入る」ことを所望するも、藤村Dは「テレビ朝日系列局であるHTBにとっては系列外である」こと、「自らがサラリーマンである」ことを理由として訪れるのを制した。 |
3 | 六本木 | 「レインボーブリッジを渡るのと価格が大差ない」水上バスに乗船するため、日の出桟橋(浜松町)に移動。 この頃にはどうでしょう班全員に疲労の色が見え始め、経由した東京タワーでは上まで行くことを希望した大泉のみが1人で登ったほか、赤坂のTBS・六本木のテレビ朝日(旧六本木センター側)の近くを通るも、「体力がない」という理由から道路の横断を拒否している。 |
4 | 武道館 | 国会議事堂と最高裁を経由。 「サイコロ4」で誕生した大泉の”登山家”が再登場し、扮装をしたまま入口の前で「大泉洋ショー」を行っていたところ、途中からハーモニカを吹く一般人の男性が現れ、大泉との”セッション”が開始された。 |
- | 両国国技館 | 神田神保町と秋葉原を経由。神田での休憩前、それまで革靴だった大泉にはスニーカーを、足の痛みを訴えていた鈴井にはサポーターを購入。藤村Dも「階段の上り下りが地獄」という状態に。 大泉が国技館前で「土俵入り」を行い、満足した後厩橋を渡って浅草へ向かった(放送時は「両国橋を戻る」と字幕が出たが、DVDでは修正)。 |
5 | 浅草(浅草ビューホテル)で1泊 | ホテルの部屋で企画を改めて見直しする中、ほぼギブアップ状態の鈴井と藤村Dは「予定は全て終わった」「明日はゆっくりできる」「(最初に付けた大泉学園へのマーキングは)雨中の移動時にできたシミ」などと発し、企画終了に持って行こうとしていた。 しかし、ここで大泉が日頃の意趣返しとばかりに「まだ大泉学園が残っている」「行けなかったら番組を降板し、事務所も退所する」と強硬に主張し、「6時起床、6時35分出発」なる弾丸スケジュールを構築。 既に歩く気を失くしている鈴井・藤村Dとの駆け引きの末、徐々に起床時間が遅くなっていくなど態度を軟化させ、最終的に「(行く方法は)乗り物乗り物、バスで行く」と発言。 大泉自身も実際に徒歩で行くつもりは無かったため、その後は「チェックアウトギリギリに出発する」「朝風呂に入ってからゆっくり出発する」「この後で飲みに行く」などといった、露骨に余裕を持ったスケジューリングが立てられていった。 |
6 | 練馬区大泉学園駅南口[* 5] | 宿泊地の浅草からかなりの距離があったものの、放送では謎の編集が施され、前日のホテルから大泉学園到着までの行程は「翌日」というテロップだけで省略された。 ラストにはタイトルのテロップにも「2泊3日 DVDと「プレミア」ではホテルを出発後、都営バスの浅草公園六区バス停(池袋駅東口方面)から乗車したことが示されたが、以降は行程を表示していない。 |
放送当時のサブタイトルは『桜前線を捕獲する!』。名前のとおり、「桜前線の最前線」を見に行くという企画で、どんどん北上していく桜前線を追うため、仙台・岩手県内各地・秋田乳頭温泉へと向かう。
だが、「桜前線の捕獲」は建前で、最終的には温泉に入り名産を食べるのがメインとなった。道中では「爆弾処理班」として、鈴井が苦手な甘いものを沢山食べさせられることになった。
旅程:本別町→帯広市→上士幌町→芽室町→広尾町→中札内村→音更町→池田町→足寄町→浦幌町
鈴井が考えた企画のひとつ。北海道十勝支庁(2010年4月1日より十勝総合振興局に改組)の20市町村のカントリーサインが印刷されたカードを引き、その市町村に移動し最初に出会った人にその市町村の名物を聞き、実際にその場所へ行くという企画。基本的に「この町のお薦めは何ですか?」という形式での質問しか出来ず、(例えば「お薦めの食事」といったような)主目的に誘導するような聞き方は出来ない。しかし第2夜では鈴井が「十勝川温泉はどこですか」と聞くルール違反を犯しており、結局1泊したものの翌日大泉に「(池田町の名物である)ワイン城(の場所)聞くなよ!」と咎められている。
基本的なルールは「カントリーサインの旅」シリーズと変わらないため[注 37]、いわゆるマイナーチェンジ版と言える。また、鈴井・大泉共に「この企画は今後やらない」「ほかの市町村でもやらない」と公言している(『2周年記念! 秘蔵VTR一挙公開!!』より)。
この企画において車両は「車内で泊まれるように」ということで、オートフリートップ(天井のテント)装備のマツダ・ボンゴフレンディを使用。実際に日勝峠にて大泉が使用して仮眠している。また、池田町のワイン城の後、車内でワインを飲んでいるシーンでもオートフリートップが上げられている。
鈴井が考えた企画のひとつ。名前の通り「釣りをするだけ」の企画である。第1回目では北海道・門別沖での沖釣り、第2・3回は新篠津村の氷上でのわかさぎ釣り、そして第4回目は屋久島を舞台に24時間耐久の「魚取り」として対決が実施された。発展企画として、2005年放送の「激闘!西表島」がある。
このシリーズ(特にわかさぎ釣り)は基本的に予算がかからないため「海外企画などの予算調整のため」行われる、と言われている[16]。実際放送された4回とも、(一部は総集編をはさみ)企画の後に海外企画が放送されている。
参加者 | 大泉 vs 鈴井 vs |
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優勝 | |
優勝特典 | HTB本社屋上のonちゃんオブジェの横でライトアップ |
点数 | 釣った魚の値段の合計。判定は「日本漁業連盟公式審査員」の北さん(HTBのカメラマン)。 |
参加者 | 大泉 vs 鈴井 vs |
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優勝 | 鈴井 |
優勝特典 | さっぽろ地下街ポールタウンのHTBコーナーに優勝者の等身大パネル展示 |
点数 | わかさぎ1匹=1点 |
参加者 | 大泉・ |
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優勝 | 大泉・ |
優勝特典 | ポールタウンのHTBコーナーの床に巨大写真が貼られる |
点数 |
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初代釣りバカのonちゃん(安田)、2代目釣りバカの鈴井、3代目釣りバカの大泉・noちゃん(音尾)が“一同に介したチャンピオン大会”として、屋久島の海岸・川の河口・橋上・船上で各ラウンドを開催。『どうでしょう』としては結果的にレギュラー放送最後の国内企画となった。藤村Dが後に語ったところでは、元々の企画意図は「番組終了にあたり過去の出演者を引き連れて南の島に行こうという『半分慰安旅行みたいな企画』だった」という[17]。なお、企画名は「釣りバカ」と題されているが、釣りに関連しない魚介類も全てポイントの加算対象であり、捕獲方法も自由となる(釣り竿以外に、手掴みや網の使用も可)。
音尾はラジオ出演がブッキングされていたため、ROUND1の途中から参加。1人で現地へ移動する音尾のため、嬉野Dから「札幌駅からの切符の買い方」や「飛行機の座席などの細かい説明」を記した手紙が渡されたという[18][19]。そのため、大泉以上に企画の全容を把握していなかった。
なお、新千歳空港までの車内で藤村Dの母親が(出身地である)屋久島に滞在中であることや、今回のロケ中で食事等の手配も担当していることを明かした。
参加者 | 大泉・ |
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優勝 | 鈴井・ |
優勝特典 | ポールタウンのHTBコーナーに釣り神様として奉られる |
ROUND |
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「北海道212市町村カントリーサインの旅」と「サイコロの旅」を合わせたような企画で、「旅番組に欠かせない綺麗な風景(絵葉書の写真)を探し、印刷されているポイントと同じ風景を撮影する」というものである。なお、偶然ではあるがこの企画はサッカー・FIFAワールドカップの開催年(4年に1度のペース)に行われていた。このことから公式HPの「D陣のウラ話」では2006年に行うと掲載されたが、実際には行われていない[注 40]。
「北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜」で作った大泉の料理があまりにも印象的だったために企画されたもので、「車内でクリスマス・パーティー」と「夏野菜スペシャル」の2企画が放送されている。大泉本人の料理の腕(あくまでも包丁さばきなどの技術面)自体は悪くない[注 46]が、下ごしらえ段階から開始する弊害で闇雲に時間を浪費する上、調理器具の不備や限られた食材での調理、「毎回のフランベ(特に意味は持たない「見せ場」のひとつ)」「独自のメニュー構成」「雑な味付け」などに見られる大泉の独創性あふれる調理方法から、とんでもない料理が振舞われることが特徴。なお、この企画を通して「大泉は料理が下手」と思われている事もあるが、曰く“大満足の出来”[注 47]だった「ヨーロッパ・リベンジ」での調理など、上手く完成したものを放送上カットしているケースもある。ただし、後述の企画を含め、最初は高評価であったものはカットされず、料理の腕が向上したと思わせながらも結論として「独創的な料理をふるまわれて全員の怒りが爆発する」流れを作り上げている。
本シリーズ以外の企画でも大泉が料理を作る時があるが、その際には料理の味や調理時間に対して文句を付けると大泉が逆ギレし、怒りの矛先があらぬ方向へ向かう(大抵は藤村Dとの口論へ発展する)のが一つのパターンとなる。大泉の料理そのものやそれを食べる行為は「おみまい」と称される[注 48]ほか、「夏野菜スペシャル」では大泉を“死刑執行人”と表現するなど、一種の罰ゲーム同然となっている。この他に「ピストル大泉」という二つ名も存在するが、これは「北極圏突入」で大泉が放った「ビストロ大泉」の言い間違いを聞いた他3人によって、「完成した大泉の料理も拳銃で撃たれるような衝撃的な味である」ということを理由に用いられるようになり、そのまま定着したものである。「夏野菜スペシャル」ではこの他、”炎の料理人”とも称されたが、これは各企画のいずれかのポイントでフランベを行っているためで、「夏野菜スペシャル」ではフランベ用にコアントローも持参していた。
レギュラー当時は料理の不味さが売りとなっていた「シェフ大泉」シリーズだが、不定期放送になって以降初めて「シェフ大泉」要素が登場した「北海道で家、建てます」では、20年近い月日の経過を経て大泉の料理の腕が向上した事から、異例のヒット作が連発した事で鈴井・D陣が「美味い物を食いたいわけじゃない」と不満を漏らすというレギュラー当時とは逆の事態が発生している[注 49]。
なお、『ぴったんこカン・カン』や『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(共にTBS)等の他番組へ大泉がゲスト出演する際に、大泉がシェフ大泉の恰好に扮して他の出演者らに料理を「おみまい」する企画が組まれることがある。
放送当時の企画名は「新提案! 車内でクリスマス・パーティー」。同日には本来「絵ハガキの旅」の最終夜が告知されていたが、クリスマスの特番編成で2時間繰り下がることを理由に、急遽内容を次回(2週間後の1999年1月6日)にキャリーオーバーした上で放送された。本企画は「第1回どうでミー賞」の名企画部門で4位にランクインし、1夜あたりの平均得票数は1位を記録(2位は「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」)。ただし、藤村Dは経緯から“やっつけ”で制作された本作が上位であるのが「不満」であるとしている。
“今から間に合うクリスマスの準備を紹介する”という触れ込みで、深夜から未明にかけてどうでしょう班(+安田onちゃん)・土井巧プロデューサー(以下「土井P」)・番組スタイリストの小松江里子(以下「スタイリスト小松」)がHTBの駐車場においてクリスマスパーティーを行い、その模様を収録。パーティ会場は機材車・ロケバスなどのバックドアを開いて(屋根の骨組みの代用)頭上にブルーシートを張り、モールや折り紙の鎖などを飾りつけただけのもの(調理をする大泉を除き、機材車の中に座るレイアウト)、調理台はキャンプ用のテーブル、火はカセットコンロと網を張った薪火という内容だが、これは前述の理由による繰り下げから、「(こんな時間には番組を)誰も見てない」として非常に簡素なものにされたため。
会場移動前に「星澤先生みたいなとこじゃないとやらない」と話していた大泉は、このパーティ会場について「この貧乏臭さ凄いね、これで放送するんだもん」「寒いよそらぁ。なんのこたないそりゃそうだよ、12月の外だもん」「こんなにねぇ、(天井が)低い厨房は初めて[注 50]」などと感想を発する。特に最後は痔持ちで急性腰痛症(ぎっくり腰)持ちの大泉には厳しい条件なことから、「悪いけどギックリって言ったら帰るよ」と宣言するまでに至った。
提供されたのは3品。これらを出演者・土井P・スタイリスト小松らが食したが、いずれもエビチリを食べた直後にむせ返り、小松は倒れ、土井Pに至っては口に入れた直後に吐き出してしまった。これ以外にも、当時放送されていた早朝の情報番組『発信!生スタ 早起きクマさん』の出演者である金子のりとし・吉田みどり両アナウンサー(当時)や、番組のスタッフ[注 51]などに“おみまい”した。
その後、泥酔状態のどうでしょう班は「ちょっと横の方出してもらおうよ」「(スタジオへ)行くだけ行ってみましょうか」という程度の気持ちで『早起きクマさん』が放送されているスタジオに行き、同番組スタッフの好意で番組への飛び入り出演が実現する。DVD第13弾の特典映像によれば土井Pは事情を全く知らず、大泉と藤村Dから説明されてもなお「半信半疑だった」という。この時に大泉・鈴井がonちゃん(安田)に対して殴る蹴るの暴行を加える、大泉が金子の頭に噛み付く(風のモーションを取る)などの行為を見せたが、onちゃんへの暴行で「局のマスコットキャラクターへの扱いが酷すぎる」として、藤村Dが上層部から始末書を書かされたことを副音声で明かした。金子によるとこの時のどうでしょう班は足元もおぼつかないレベルの泥酔状態だったという[注 55][21]。
ちなみに収録した12月8日は安田の誕生日だったが、未明のロケに付き合わされたことで、以下のような横柄な態度を見せた。
また、この企画で食べた食物が原因で「洒落にならない病気」にも罹患している[注 57]。
「夏野菜を使った料理を振舞ってほしい」と大泉を計3回呼び出し、1度目は夏野菜を栽培するため荒地の開墾を、2度目は料理を盛り付けるための皿の制作を、3度目でようやく調理を行った。開墾から調理・試食までロケ日数が通算69日という「日本一長い料理番組」(企画放映時のタイトルに使われた一文)。「第1回どうでミー賞」名企画部門のシリーズ別集計において、放送回数は4回と少ないにもかかわらず、堂々の第1位に輝いている(第2位の「対決列島」は全10回である)。
大泉は3回に渡るロケのいずれにも、知り合いであるイタリア料理店(後に閉店[注 60])の店長・新見氏に作ってもらったパイ生地を持参した。しかし、開墾編・陶芸編では調理が行われなかったためにパイ生地を腐らせることになる。第2週でどうでしょう農園から陶芸工房へと向かう車中では、大泉が騙しに狼狽する中で藤村Dから「普通の人は(1ヶ月で収穫出来ないことが)分かるんだよね」「『パイ生地練ってもらう』なんて、こっちは一言も頼んでない」「店長にも確かに悪いけど、でも(腐らせた件で)悪いのはキミだろ?」と責め続けられたことを受け、「君は番組のために、生地を作った俺がバカだと言うんだ」「生地を練った俺はバカか!?」「(藤村Dに空のペットボトルを投げつけ)もう辞めてやるぞ、『どうでしょう』!」などと憤慨。怒りを一通りぶちまけた大泉は、報復手段として"編集工程を面倒にする”目的で嬉野Dにカメラを回すよう脅し[注 61]、藤村Dの家族(妻子と実母)をターゲットに「家に出向いてパイ生地をおみまいする」と宣言。この時に残した「おい、パイ食わねぇか」の一言が「第1回どうでミー賞」名ゼリフ部門で第1位を獲得した。
なお、2013年に行われた「どうでしょう祭2013」の「シェフ大泉VS板長鈴井 料理対決」で、パイ生地を製作した料理店の店長が登場し、巨大なパイ生地を大泉に提供した。同イベントのトークショーにおいては、ロケ当時に大泉に渡したのが「パイ生地」ではなく「ピザ生地」だったことを明かし、14年越しに事実が判明する形となった。
ちなみにこの一連の流れについて、藤村Dは編集作業の際に「本当に怒ってるのが視聴者に分からないよう」短く編集したことを副音声で明かし、DVD版では「12年(当時)経ったら笑い話になるから」として当該のシーンが長めに編集されたほか、本編に未収の部分も特典映像として公開されている[注 62]。一方で鈴井は、この時車内が険悪なムードだったにも拘わらず、立腹中の大泉に(番組を盛り上げるためとはいえ)藤村Dが辛辣な言葉を煽るように掛け続けたことへ、後の総集編で「残りのメンバーは内心冷や冷やだった」と述懐した。
「桜前線捕獲大作戦」でどうでしょう班が訪れた土地を『どうでしょう』ファンが巡るバスツアー「東北2泊3日 生き地獄体験ツアー」に、鈴井・大泉が「ツアーに帯同するとパニックが起こるため、それを避ける意味でバレないように(という建前で)扮装をして付いていく」という企画。DVDの収録に関しては、当時ツアーに参加したファン全てに連絡を取るのはかなり難しく、公式サイト上にてモザイク処理をしない旨がアナウンスされている。
扮装用の衣装は全てスタイリスト小松が担当しており、企画にも同行している(DVD13弾では厳美渓から前沢ガーデンへ移動する途中、見切れの形で姿を確認できる)。企画中に登場していないものの、繋温泉ホテルでの一件にて安田が同行している[注 63]事が言及され、一瞬ではあるが大泉の部屋へ藤村Dが乱入する際に安田の姿を確認することが出来る(後述)。
当企画ではマイク設定のミスから音声が割れており、第1夜の前枠で鈴井が断りとお詫びを入れた。この一件以降は事故の再発を防ぐためにマイクスイッチをガムテープで固定している。
2日目の扮装準備で午前5時に起床[注 64]するために早めの就寝を取る予定の大泉は、午前0時ごろまで続いたトークショー(とそれに伴う打ち上げ)の終了後、すぐ就寝体勢に入った。だが、“泥酔状態の藤村Dが「腹を割って話そう」と部屋に乱入して、大泉を就寝させない”という事案が発生し、ツアー側の帯同人員として同室にいた安田[注 65]も巻き込まれてしまう。
大泉は、前述の鬼の茶屋付近での扮装が原因で「風邪をひいて具合が悪い」と体調不良を訴えたり、「何も話すことはない」と主張し手打ちに持っていく画策をしたりと、必死に就寝時間の確保を目指していたが、対する藤村Dは「(大泉は)番組に対し不満がある」という持論を曲げずにいた。この押し問答に大泉が耐えかね、0時50分頃には藤村Dと同室の嬉野Dへ連れ帰りを要請するも、「ああそうか分かった分かった。じゃあカメラ回そう」と自身の判断で撮影を開始させ、以降もカメラの前で同じやり取りが展開されるなど、失敗に終わる。その後も「(5時に起きるという割には)アラームセットしてないもん」「部屋の鍵間違えちった」などとたびたび叩き起こしたうえ、後半には「文句があるなら(上層スタッフに)直接話せばいい」と、番組のブレーンである鈴井や同行した土井P[注 63]も藤村Dに起こされ、鈴井に至っては大泉・藤村Dらとで執り行われたババ抜きへ強制参加させられた。
しかし、ここまで上記の顛末への異議を主張していた大泉が、逆に土井Pから「オレもいるんだから、この際不満全部言おうよ」と問いただされる事態に発展。更に長引くことを懸念した大泉は「何の不満もありません」「迷いが消えました」と訴え、“番組に不満がない”ことを示すために「僕は一生どうでしょうします」と発言した[注 66]。午前3時に藤村Dを退室させた大泉はようやく就寝するが、予定通り翌朝5時に起床。扮装の準備をする中で藤村Dから「よく眠れましたか?」と聞かれ、「殴るよ?キミ」「『よく眠れたか』って言われたらそら眠れたよ、2時間ぐっすり寝たよ」と低いテンションで返答した。
大泉の扮装後、鈴井も繋温泉ホテル内のエレベーター前の踊り場で花瓶に扮装し、エレベーターから出てきた客を驚かせるというどっきりを敢行した。しかし大半の客は反応が薄く、驚くどころか逆に「ミスター頑張って」と慰められるなど、予想を反する展開となる。このため、藤村Dがどっきりを途中で止めようとしたが、鈴井が「いや!まだやりますッ」と自ら進んで続行の意志を伝えたため、その後も5〜6回ほど続けられた。ドッキリの後、楽屋に戻った鈴井はメイクを落としながら「素顔に戻りたくない」「このまま(黒塗り)でいいかな……、もう鈴井貴之として生きるのが嫌だ」などと発言。すっかり憔悴しきっていた。
この場面は本編で放送されていないが、2002年6月5日放送の「未公開VTR&NG集」やDVD第13弾の特典映像で公開された。いずれにおいても藤村Dが乱入したと思われるシーン以降は放送されていない。
地理歴史の入試問題を実際に現地で実習し、大泉が語呂合わせや寸劇を作って覚える「アカデミックな企画」。『どうでしょう』的な企画に見えるが、教科書や資料などでは見られない実際の風景やしくみなどがよくわかるように構成されている。第1回目は「クイズ! 試験にでるどうでしょう」として、司会に安田・鈴井、回答者に大泉というクイズ番組形式で行われ、第2・3回は予備校「どうでしょうゼミナール」の直前集中講義という設定で行われた。そのため、通常は各企画毎の通し番号は「第○夜」と表記されるが、この試験に出るどうでしょうの第2回と第3回に限り「○時限目」いう表記になっている。なお、このシリーズでの罰ゲームはすべて「四国八十八ヶ所の完全巡拝」となる。
また、2020年12月11日・18日に放映された「アナザースカイII」[注 67]に大泉が出演した際、およそ20年ぶりにどうでしょうゼミナール校長に扮して登場した。
「中学入試」、「高校入試」、「大学入試」の3カテゴリから出題。大泉が答える問題を決めることができ、問題に正解すれば、難易度に応じ得点を獲得(中学は10点、20点、30点、40点、50点。高校は70点、80点、90点、100点。大学は150点、300点)。問題は地理科目だが、大泉へのチャンスタイムとして日本史問題も入っている。チャンスタイムの問題に正解すれば、得点が2倍となる。
大泉が答えを間違えた場合は、フィールドワークと称して大泉を「拉致」して現地で学習。大泉と鈴井が現地でフィールドワークを行っている間、安田は大泉がクイズで200点獲得まで帰れず、HTBの第1スタジオ内に「監禁」されながら問題を出題する。大泉が48時間以内に200点を達成できなければ、四国八十八ヵ所巡礼の罰ゲームとなる(大泉とD陣のみ参加)。結果的に大泉は「中学入試」の問題以外を全て答えられなかったため、仮に「中学入試」の問題が全て回答出来ていたとしても同じ結末であった。
本企画も後年問題になった「拉致」が該当する場面がある為、2週目以降の『Classic』からは放送リストから外されている[注 68]。
大泉が校長、鈴井が講師となり、当初番組内の司会役だった安田が生徒として試験を受けることとなった。試験範囲が石川と富山になった理由は「“ヤマ”を張った」ため。実際には富山・石川だけではなく、立ち寄った宿に因んだもの(畳の原料であるい草の生産地や、料理に出てきた牡蠣で行なわれる養殖と栽培漁業の違いなど)も出題範囲とされた[注 69]。
3日間の「集中攻撃」[注 70]の後、月曜日早朝に実力テストを実施。実力テストで、安田が10問中1問でも間違えた時点で即、大泉は全責任を負い、四国行きとなる。結果、安田は7問目で間違えてしまい、大泉は2度目の四国巡礼となる。試験が終了した後、大泉とD陣の四国行きが決定となった帰りの飛行機で、安田は悔し涙を流した[注 71]。
今回は安田だけでなく、鈴井も何も知らされない状態で生徒として参加。D陣は大泉に対し事前に大量の参考書やマンガを渡し(大泉曰く「受験生かというくらいの量(を渡された)」)、3人で企画を進めていった。大泉が「高校地理歴史」の教員免許を取得していること、また本人が「歴史が得意」という意見を採用し、日本史がテーマ。主な題材は「織田信長」で他に先土器文化から弥生時代までの遺跡が試験範囲に含まれた。
「3日間の校長・大泉による講義」「終了後にテストを実施」の流れは前回同様だが、大泉・藤村D・嬉野Dの3名で行っていた四国巡礼について、今回から「不合格の場合生徒(鈴井・安田)も巡礼」と変更されている[注 72]。テストは全10問だったが、結果は安田が4問目、鈴井が9問目で不正解となり、大泉と共に3度目の四国巡礼が決定した。
前述の企画「試験に出るどうでしょうシリーズ」における“合格点に達しなかった罰ゲーム”で、通常は10日以上を要する四国八十八箇所巡礼を大泉・D陣が4、5日という弾丸スケジュールで敢行する企画である。「番組を見ている受験生の合格を祈願して八十八箇所を回る」ことを主題に上げているものの、実際の受験シーズンに放送されたことは一度も無い。
一般的な遍路とは異なり、時間にリミットが設定されていることと、それに伴って1つの霊場に掛ける時間が総じて短いこともあって、参拝や納経などは行わない(一部の霊場は、予告編やオープニング映像などで参拝しているシーンが映る場合がある)。そのため、各霊場の門前で写真を撮ることを「巡礼」したと見做し、巡拝した寺によっては、大泉がコミカルな口調と特徴的な動きで寺紹介をする「珠玉の寺紹介シリーズ」が行われている。
計3回の中で八十八箇所全てを一度で回りきった事はない(交通機関の都合も含む)。3回のうちいずれかのロケでしか巡拝していない寺(21番・太龍寺や60番・横峰寺、66番・雲辺寺など)もあるが、通算では全て制覇した。企画の苛酷さは別企画の罰ゲームとしても度々挙がるほどであり、各回で何かしらのアクシデント・怪現象といったトラブルが発生している。
放送時のタイトルは「四国八十八ヵ所完全巡拝」。わずか3泊4日(74時間)という短時間での完全巡拝を敢行するとし、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺(看板で済ます)、冬季通行止めの60番・横峰寺と20番・鶴林寺(通行止めで済ます)などを除きほぼ全部を巡拝した。このロケ中に大泉は体調を崩し、その後半年の間体調不良を抱えていたという(『試験に出る石川県・富山県』第1夜、『四国八十八ヵ所II』第1夜前枠および本編にてそれぞれ大泉本人が発言)。移動の際使用したレンタカーはトヨタ・イプサム。
『試験に出るどうでしょう』のロケが終了した直後からロケ開始。12番焼山寺の巡拝後、大泉の最愛の祖父が亡くなったという電話があった。大泉の母親から「仕事はそのまま続けなさい」という連絡があったが、一家の家族仲を知る両ディレクターの判断でロケを一時中断し、札幌に帰らせた。この1週間後に、ロケを一時中断した時間帯からロケを再開している。
前回のスケジュールが過密だったことを受け、行程が1日増の4泊5日となった。この回のみ巡礼が春先に行われており、再度ロープウェイの乗車を逃した66番・雲辺寺、うどん屋へ立ち寄った影響で飛行機の時間が迫りパスをした88番・大窪寺を除いて巡拝を行った。使用したレンタカーはトヨタ・プリウス。
5日目の午前8時半時点で、前年の経験から高松市街は通勤ラッシュにより渋滞が起こる事を知っていたため、84 - 88番にかけては大外回りのルートに変更し行く順番を変えた。83番から87番→86番→84番→85番→88番と巡拝し、昼12時50分に高松空港から出る札幌便に乗ることを目指した(実際は渋滞や踏切にも引っかかりルート変更は失敗)。また、「この旅最大の楽しみ」として85番八栗寺の麓にあるうどん屋「山田屋[25] のざるぶっかけうどんを食べる」という目的があった。実は前年も同じ物を食べており、山田屋の10時開店と同時に入店し88番まで回って飛行機に間に合った経験があった。しかし、八栗寺に到着したのは午前10時で、20分おきに出るケーブルカーに乗らないと行けない。そのため10時10分ではなく10時30分のケーブルカーに乗るために先に山田屋へ行きうどんを食べることを選んだが、結果として88番大窪寺には行けず標識の前で撮影するにとどまった。
撮影時にアクシデントが発生するのも1つの特徴となっているこの番組で、“インパクトのあるアクシデント”が多発した回の一つに挙げられる。それを象徴するものとして、ロケ4日目の深夜に巡拝した79番・天皇寺高照院で「ビデオカメラが異常な音を発して停止し、撮影したはずの映像が記録されなかった」という現象が起きた(境内で撮影した写真は存在し、放送もされている)。車内でのカメラテスト後に再び撮影を開始したが、帰札後のチェックで「映像がデジタルノイズで大きく乱れ、音声もほとんど録音されていない」ことが判明。さらに撮影用のバッテリーライトが消え(これは単なるバッテリー切れによるもの)、車のエアコンが故障する(設定温度よりも冷たい風しか出ない)事態も立て続けに発生し、その事件を元にドラマ『四国R-14』が制作、同年の秋に放送された[注 73]。
その後、「原付西日本制覇」のロケ中の湯布院温泉の宿で、嬉野Dから天皇寺高照院で起こったことの“真実”が藤村Dに伝えられた。それは、最初にカメラが異常停止した時、「撮影したはずの映像が記録されていなかった」としていたが、それは嬉野Dの嘘であり、実際には映像が記録されていたということだった。しかし嬉野Dは、一度車内に戻って確認をした際にその映像を見て、「誰にも見せちゃいけない」と感じてすぐに消去(撮影部分を上書き)してしまった(詳細は 「番組スタッフからのメッセージ」 を参照)。
なお、映像の内容は当初大泉や視聴者には伝えられていなかったが、代わりに安田が「対決列島」のロケ中に詳細を聞き、後にトークショーで大泉に伝えられた。それによると、問題の映像の中で、大泉の足から先が消えていたという。その後、DVD第19弾『四国八十八ヵ所II』第1夜の副音声において、嬉野Dから、本当は映像が記録されていたが確認したところ、大泉の映っている映像全体が「カメラのモニターの一番下から、毛糸で編んだセーターをほどいていくように、映像の走査線が一本ずつ無くなっていって、最終的に全部消えた」という真相が語られ、第4夜の副音声において大泉本人にも明かされた。
天皇寺高照院の事件以外にも、
など、怪現象が多発している。特に弥谷寺の一件では、大泉はもとより真相を知る藤村Dが恐怖の余り走り出してしまう事態になった。また、ロケ4日目はこれらの怪奇現象や事件、車の脱輪・タイヤのパンクなどのトラブルが多発したため、「悪夢の一日」と称されている(第2夜の字幕より)。しかしながら、DVDの副音声において藤村Dが、弥谷寺で大泉に「ぼく、触りました」と一連の流れは演出であったことを告白している。それを裏付けるように、テレビ放送では「間もなく怪現象発生」というテロップが出るが、DVDでは出ていない。一方で、常楽寺の一件については特に触れられていない。
88番・大窪寺から回る『逆打ち』で巡礼を行い、大泉に加え、「試験に出る日本史」で不合格となった鈴井・安田も参加。使用されたレンタカーは「対決列島」同様、トヨタ・エスティマ(2代目)。
しかし、鈴井はラジオの生放送(『GO・I・S』)、安田はHTBの情報番組『情報ワイド 夕方Don!Don!』の1コーナー「街角サビから選手権」に出演するため、松山の宿で離脱し帰札。結果的に当時は『どうでしょう』の撮影以外にほとんどスケジュールが無く、出演者の中で「最もヒマ」な大泉のみが巡礼を続けることに[注 74]。ただし、第2夜では当時大泉が不定期で出演していた『パパパパパフィー』(テレビ朝日)ではなく『どうでしょう』にスケジュールを割いたことに触れ、「PUFFYを蹴らないで!ちょっと考えたら分かるでしょ!」と怒りを露にした場面もある。
その直後に訪れた50番・繁多寺から、TEAM NACSのリーダー・森崎博之が旅に参加した。理由としては「森崎が晴れ男である」ことも一因である。森崎本人は「食事を摂れば雨が止み晴天になる」と自称し、本編中では44番・大宝寺の巡拝から43番・明石寺に向かう途中、森崎が空腹から食事を要求したために昼食を済ませたが、実際に森崎の食事後は悪天候から晴天へと見事に変わっている。
冬季通行止めの60番・横峰寺、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺を除きほぼ巡拝。また、66番・雲辺寺は前2回ともロープウェイの時間が合わなかったために巡拝していなかったが、今回の旅で初めて訪れている。
本田技研工業の原動機付自転車「スーパーカブ」(車種は、スーパーカブ50スタンダード[27])を使用し、長距離を走る企画。鈴井・大泉がカブを運転し、D陣は車で追走する。元々は鈴井の「スーパーカブにガソリンを1リッター入れ、札幌からどこまで走れるか」という話を大きくしたところから始まった。「原付東日本縦断」後は水曜どうでしょうの節目に登場する企画として「原付西日本制覇(2000年一時休止前の企画)」、「原付ベトナム縦断(水曜どうでしょうレギュラー放送休止前の企画)」が放送された。また、不定期放送移行後の2011年には、「原付東日本」、「原付西日本」の続編として、2つの企画で走破していない空白地となっていた東京から紀伊半島、および四国を走破する「原付日本列島制覇」が放送されている[注 77]。出演陣の後姿しか放送できないため、積荷が定番となっている。
鈴井や藤村Dはオートバイ走行を趣味としており、嬉野Dに関しては新婚旅行として妻の運転するハーレーダビッドソンでタンデム走行を行い日本一周を達成、また自らもスクーターを所有する(なお、嬉野Dの妻が国内のカブ企画のルートを考えたという[28])ということから、それぞれ二輪車の経験が豊富であったが、大泉のみまったくもって初めての運転だった[注 78]。なお、オートバイは「(企画開始の1ヶ月前に発注をかけて)買ってもらって乗って帰ってきた」ことになっていたが、その後はHTBの社用車になり[29]、2011年最新作「原付日本列島制覇」でも使用し、また、鈴井の監督作品『man-hole』では冒頭に登場するバイクのシーンに活用された。
放送時のタイトルは「原付東日本縦断ラリー」。東京〜札幌間を1日目の午前9時から4日目の午前9時までの72時間以内に走破する。
なお、本企画では原付における積荷の重量規定を超える場面が含まれている為か、2週目以降の『Classic』からは放送リストから外されている。
導入は鈴井が大泉・D陣・土井Pを東京銀座に連れて行き、「銀座でお買物をしよう」という「大泉だまし」。土井Pが「番組からのご褒美を鈴井にだけ買い与える」と話していたところに、大泉が「2人でどうでしょうだろう」などと言いながら自分の分もと食いついた。その後バイク店でスーパーカブ2台を購入中、持って帰る心配を始めた大泉に鈴井が「欲しいなら乗って帰りなさいよ」「だいじょうぶ1,100kmだ」とけしかけ、半強制的に当企画に移行させた。なお、土井Pは随伴車のドライバーも担当している。
タイムリミットが4日目の午前9時なのは、鈴井のラジオ生放送出演(4日目の午後5時)に間に合わせるため。なお、藤村Dの「勘違い」と称して76時間、さらには80時間(『GO・I・S』の番組開始時間)にまでタイムリミットが延長されたが、鈴井が自らの責任で72時間に戻した。ちなみに時間内に走破できなかった場合の罰ゲームは「四国八十八箇所巡礼」と決められたものの、この時間調整などもあって“時間内に”到着し、執行されなかった。
その中から、
などから半強制的に国道17号(一部区間は国道8号と重複)・国道7号ルートが選定された。
この企画の前枠・後枠では「プロレスラー」に扮した大泉と安田、そしてonちゃんが登場するが、安田がレスラー役(基本的に覆面レスラー)なのにonちゃんがいたり、大泉がonちゃんに対して相当手加減して攻撃を加えたりしている。これは、onちゃんの中に別の人物が入っているためである[注 82]。また、同時期には安田が『鈴井の巣』で包茎手術を受けているが、同番組内では「プロレスをやらなければいけないけど大丈夫なのか」と担当医師に相談する姿も放送された。
ロケ2日目、大泉らが国道345号を新潟県山北町(現:村上市)の勝木(がつぎ、国道7号との交点)まであと少しという地点を走行中に起きた事故。本件を放送した第4夜は第一回どうでミー賞の「名企画部門」で第一位を獲得した。なお、「だるま屋」とは大泉が高崎市に寄った際に購入し、後部の荷台に積んだだるまに由来する。
走行中、大泉らは工事による片側交互通行信号に遭遇したため2分強の待ち合わせをし、信号機が切り替わる5秒前から大泉がカウントダウンを行う。信号が「GO」の表示に切り替わると同時に鈴井は問題なくスタートしたものの、大泉がギアをニュートラルに合わせていたためにスロットルを回したが前に進まず、焦ってスロットルを回したままギアを1速にしたところ、突如ウィリーしながら暴走し、目の前にあった「安全第一」のバリケード(実際にはその手前に置いてあった「→」(赤地に白文字)の案内板)に激突した[注 83]。この間、信号は再び2分強の待ち時間表示に切り替わっていたため、鈴井のみが先行して進んでしまった。
事故直後、大泉は(失笑しながら)心配する藤村Dに対して「何がですか?」などと事故が無かったかのように白を切っていたが[注 84]、藤村Dが深く追求すると「大丈夫じゃねぇよ! なまら(北海道弁で「とても」という意味)恐かったよ!!」「死ぬかと思ったよぉ!」と発した。また、先行した鈴井が心配しているのではないかと思い、合流するなり「心配したでしょう? 大丈夫ですよ」と言ったが「何してたの?」と全然心配しておらず[注 85]、それどころか大泉の説明に対し「いいなぁ おいしいなぁ」「見せるもの、ビジュアル考えているもの」と羨ましがっていた。この際、鈴井に対して説明した「動かないから アレッと思って ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ」という発言は名台詞のひとつとなった。また、大泉は「オレ あの『安全第一』なかったらヤバかったぜ」「(海に)突っ込んでたよ」と続けている。一方、鈴井も「それでいてケガ一つしてないんだもん、使える使える。」と発言。発言したまま使用されたほか、伝説のシーンとなった。
京都を初めて旅する旅人・鈴井を「京都の達人」大泉が案内をするという設定で、「春を満喫グルメといで湯 ぶらり京都の旅」を決行。嵐山から京都旅行を満喫する。しかし、金閣寺駐車場にて「『カブの旅』で佐多岬まで向かう」という本当の企画発表が行われる。あまりにも予想外だったことからカブを見た瞬間に大泉は本気で落胆し、行程の説明後に「これはね、久々に“生のリアクション”っちゅうのを僕は見せたよ」「びっくりしちゃったらああなるんだなぁ」とその心境を表した。
鈴井の映画撮影に伴う番組休止前の最後の大型企画のために、予告編では「Last Run」と銘打たれた。また、鈴井は1997年の「ヨーロッパ21ヶ国完全制覇」前後から番組における自分の立ち位置に悩んでおり、カブで走りながら「もうこの番組に戻ることはないだろう」と考えていた。しかし、「大泉くんや藤村くんをトップに立たせて、ロベカルのように『たまにボカン!と(ゴールを)決めよう』と思ったとき、またこの番組が好きになった」と後に語っている(2004年秋「ミスター大壮行会」にて)。
本企画も後述の事情により2週目以降の『Classic』からは放送リストから外されている(下記「鳥取砂丘での不適切行為」参照)。
本放送中、前枠直後に出る黒バックの撮影日に初めて爆発エフェクトが加えられ、以降の企画や『Classic』、DVD版においても同様の編集に順次差し替えられた[注 86]。
第2夜にて途中立ち寄った山陰海岸国立公園内の鳥取砂丘で、砂丘に隣接するレストハウス周辺に吹きだまった飛砂を採取し(採取するシーンは放送されていない)、荷台に載せて走行したが、本放送から7年経った2007年7月、日本海テレビでの放送を見た視聴者から、この砂採取は自然公園法に反する行為ではないかとの指摘が鳥取市に寄せられ問題化した[注 89]。
同年8月8日にはHTBが公式サイトで謝罪し、番組のネット局に対して当企画を含む数企画の販売中止を決定する[注 90]。また、同日深夜にHTBで放送された『Classic』[注 91]では番組冒頭と終盤に其々お詫びのテロップが添えられて放送された他、『水曜どうでしょう official website』上では藤村D・嬉野D連名の、鈴井・大泉の所属事務所「CREATIVE OFFICE CUE」の公式サイト内では鈴井・大泉連名の謝罪がリリースされ、さらに同月12日にはHBCラジオの『大泉洋のサンサンサンデー』内でも大泉より直接の謝罪があった。
鳥取市から報告を受けた環境省は、当該レストハウスが既に閉店しており行為の特定ができないことなどから砂採取については特に処分を下さなかったが、同企画内で鳥取砂丘に足跡で「水曜どうでしょう」と大書した行為が自然公園法で禁止されている広告などの掲出に当たるとして同月23日に文書で厳重注意され、HTBは改めて謝罪を発表した。
一部報道でHTBは「同企画をDVD化も再放送もしないとコメントした」とされていたが、D陣は番組公式サイトで“今後もDVDは「すべての企画を網羅する」ことを目指して編集を続ける”[33] と公表するに至り、2013年3月発売のDVD19弾においては、副音声で藤村Dが「DVDへの収録、発売が決定し、既に編集作業を開始している」を発表。同年10月に問題のシーンを削除する形でDVDが発売された[注 92]。
「2000年のカレンダー用写真の撮影会」として、onちゃん(安田)・鈴井がモデル、大泉が撮影係となり、HTBの第1スタジオを用いて撮影を行う。「写真家・大泉洋」の初登場企画(衣装の基本スタイルは「登山家」と共通だが、こちらはピッケルを模したものや無線機を持っていない)だが、大泉は写真に関して素人であることから知識を持ち合わせておらず、DVDの副音声でも藤村Dが「(専門的なワードを)“露出”しか知らない」「それじゃいかんせんキャラクターが弱かった」と振り返った。この時、写真撮影を趣味とする嬉野Dからは「(撮影した写真が)ブレても味だ」とのアドバイスを受けている。
企画の開始時間である午前6時32分から、午前10時に開始される局の広報番組『TVぴかぽん』の収録までに撮影を終わらせなければならず、準備を含めて10分弱/月のハイペースで撮影を行う計算となり、また空調も効いてなかったために高い室温に耐えながらの撮影となり、ロケ企画ではないもののハードスケジュールの中で進行していった。一部写真を撮影する際には超望遠レンズ(愛称:バズーカ)が使われたが、これは金子のりとしアナウンサー(当時)の私物で、写真撮影に関する全ての機材は金子アナウンサーから貸与を受けている。
しかし、この撮影会の実際の目的は"安田を海外に拉致する(「アメリカ 生き地獄体験ツアー」の一環として、ラスベガスで開催されたトークショーにゲストとして招く)ための前哨戦"で、11月をハワイ、12月をラスベガスで撮影(前述のトークショーのついでに撮影されたもので、11月のハワイは乗継ぎで立ち寄った際に撮影)し、レギュラー企画では唯一「大泉が(完全な意味で)拉致の仕掛人」になった。安田はこのときが初の海外旅行であったが、「あなたたちみたいにね、騙し騙され罵り合いのコミュニケーションの人たちと一緒には行きたくない」と落胆を見せた。
月 | テーマ | 扮装 | 注釈 |
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1月 | 正月 | onちゃん:なし 鈴井:鏡餅 |
onちゃんは大型の羽子板を手持ち。 |
2月 | 節分 | onちゃん:鬼 鈴井:袴姿 |
鬼のonちゃんへ鈴井が豆を投げる役回り。 鈴井はこのときカツラを装着していたが、撮影後に脱ぐまで気付かなかった大泉は「なんかおかしいと思ったら、ミスターそれヅラだったんだね」と発する。 |
3月 | 雛祭り | onちゃん:男雛 鈴井:女雛 |
早朝のため空調設備が作動していない上に照明設備などの熱がこもって、スタジオ内が「灼熱(約30度)」となる状態が顕在化。 あまりの暑さにモデル2名はこの時点で“やられた”状態となり、撮影する大泉もフィルムの交換にさえ躊躇を見せ、エアコンが完備された自らの控え室(大道具室)に早々と引き返していった。 |
4月 | 入学式 | onちゃん:新入生 鈴井:onちゃんの母親 |
大泉が1枚目に「送風機の前で桜吹雪を用意するスタイリスト小松」を撮影し、カレンダーでは4月のメイン写真に据えられた。 |
5月 | こいのぼり | onちゃん:なし 鈴井:こいのぼり |
onちゃんは折り紙の兜を頭に載せ、手に小さいこいのぼりを持つ形。鈴井は脚立に上り、垂直にこいのぼりを着る形となる。 指示を出す大泉がonちゃんへ「バカみたいに膨らんでないでたまには動き付けろよバカ」と発言し、憤慨したonちゃんが大泉に蹴りを入れる。 この時安田は本気で怒ったとされ、DVDの副音声においても藤村Dが「蹴り方マジだもんね」、大泉が「“こいつ(安田)『どうでしょう』の中でもこんな怒るんだ”って(思った)」と振り返っている。 |
6月 | 梅雨 | onちゃん:なし 鈴井:カエル |
カエルの鈴井が傘を持ったonちゃんへ飛びつく構図。 大泉はカメラの連写機能を使い、onちゃんに飛びつく鈴井を撮影。史上最速の撮影時間で終了したものの、控え室で大泉はスタジオ使用期限が残り1時間であることを知らされる。 |
7月 | 七夕 | onちゃん:なし 鈴井:浴衣(少年) |
超望遠(バズーカ)登場。スタジオの端から撮影してもonちゃん・鈴井にピントが合わず、両者ともに体の一部が映ったのみだった。 |
8月 | 海水浴 | onちゃん:なし 鈴井:水着+浮き輪 |
onちゃんはサングラスを装着、鈴井はを装着。 「(過密スケジュールからの疲労で)スタジオ側の雰囲気が悪い」というD陣の情報から、大泉がモデルの2人を露骨に持ち上げ始める。 |
9月 | 月見 | onちゃん:なし 鈴井:ムーン |
8月に続いてモデル2人のテンションを上げようとする大泉だが、疲れから2人は一切喋らず。 |
10月 | 運動会 | onちゃん:紅白帽 鈴井:体操着 |
「6秒間に36枚」もの連写をできる特殊なフィルムで2人による玉入れの様子を撮影し(6月同様に連射撮影のみ)、終了後に安田が着ぐるみを脱いだ時点で、「拉致」計画が遂行された[注 93]。 前述のように、この企画が生まれて初めての海外旅行となった安田は、新千歳空港へ移動中の車内で「旅のプロ」・どうでしょう班(大泉・藤村D)からの指導(恫喝風の旅程説明や、大泉による「やられ」経験談)を受ける。 2人の圧に押された安田だったが、機内では機内食やつまみをアテに、ビールを始め好物の酒を大量に堪能し御満悦だった。 なお、onちゃんの着ぐるみは小さくまとめられ、飛行機の機内には手荷物として持ち込まれている。 |
11月 | ハワイでバカンス | onちゃん:腰みの 鈴井:アロハシャツ |
ワイキキビーチで写真撮影。 午前7時30分の到着後、9時25分の出発までに写真を撮影しなければならず、実質の撮影時間は「12、3分」という強行スケジュールになった。ここからの2ヶ月はコンパクトカメラでの撮影。 |
12月 | ラスベガスでクリスマス | onちゃん:なし 鈴井:サンタ |
鈴井は帽子・プレゼント袋のみを装着する形。 安田はラスベガスへの到着について「感動もへったくれもない」と感想を残す。 フラミンゴ・ラスベガス前で撮影していたところ、onちゃんの着ぐるみを着ていたせいか多数の人が集まってきた(ピカチュウと間違われたため)。 |
「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送記念として1999年12月14日から16日にかけて放送された、24時間+6時間の生CMに密着したドキュメント。「四国八十八ヵ所」の収録中に大泉によって立案された企画だが、元々の大泉による「北海道版の24時間テレビのようなものをやりたい」という希望をD陣が脚色。CMごとに鈴井・大泉が扮装して「これまでのどうでしょうのキャラクター(主に鈴井・大泉による物真似)が総出演する」というものに変更された。
年末の繁忙期のためスタッフが少なく、生放送であるにもかかわらず、藤村D・嬉野D・技術スタッフ2名(カメラ・音声)[注 94]・北海道共立の大道具1名・スタイリスト小松の6名のスタッフのみで運営された(土井P[注 95]や杉山Dなど、制作部のスタッフも一部協力している)。ちなみに待合と衣装の着替えはHTBの第3応接室で行い、副調整室は設けずに「定刻になると、HTBの駐車場にあるカメラの映像をマスターから自動的に送出する」ように設定。そのため、万が一画面上が「カラ画」になっても大丈夫なように、カメラ前には鈴井と大泉の等身大パネルが用意された[注 96]。セット[注 97]は屋外に設営され、背後には「ゴールデンスペシャル」放送までの時間が表示されるSEIKOのデジタル式スポーツタイマーが横に置かれた。
CMを流す時間帯に関しても、ゴールデンの時間帯はネットワークセールスのためにCMの差し替えが難しいことから、深夜から早朝あるいは昼間から夕方にかけて多く流され、当該時間帯において(後述の一覧のように)過密スケジュールが組まれる要因の一つになった。
ただし、構想段階では「局を挙げた一大イベントとして」開催するつもりだったのに対し、ローカル枠のCMスペースを用いた番組宣伝にまで格下げされた結果へ、大泉は「こういう形じゃない」「ゴールデンの前に僕たちはすっかり意気消沈だよ」と納得を示さなかった。前述のようにスタッフのマンパワー不足で不備が生まれたこと[注 98]、機材が不足していたこと[注 99]に不満を見せたほか、総放送時間がわずか18分ほどだったことにも「通常の『どうでしょう』の本編より短い」と訴えている。
なお、放送が行われた両日ともに大泉は劇団イナダ組の舞台「ホットロード」の本番を、15日の午後には鈴井がAIR-G'で『GO・I・S』の生放送を控えていたため、該当する時間帯のCMはどちらか1人が担当している。
12月14日 | ||||
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回 | 時間(JST) | テーマ | 尺 | 放送枠[34] |
1 | 18:55:30 | サンバ | 1分 | 情報ワイド 夕方Don!Don! (16:50 - 19:00) |
大泉が舞台の本番直前、鈴井が『GO・I・S』の放送直後だったため、大通公園のさっぽろテレビ塔前から生中継。 番組ラストの提供バックに映るお天気カメラで背後からズームアップされ、そのままCMに接続する構成であった。芝居メイクのまま登場した大泉は直後に公演へ向かったため、「花瓶」までは鈴井単独での出演。 翌日に発表された視聴率速報では、『夕方Don!Don!』本編が視聴率を5%ほど獲得する中で1.5%まで数字を落とした(いずれもビデオリサーチ調べ)ことが明かされ、 ゴールデンスペシャル放送後の雑談中、大泉が「『Don!Don!』さんなんてのは、僕らのおかげで視聴率を落とされた」「僕らが生CMをビシッと打ったらバキッと1.5(%)だ」と愚痴をこぼした[30h 1]。 | ||||
2 | 19:57:55 | ミスタームーンライト | 5秒 | ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!! (19:00 - 20:00) |
「onちゃんカレンダー」(9月)に登場。 人気番組である『炎のチャレンジャー』直後に流れたこともあって、14%と視聴率を大きく上げる(ビデオリサーチ調べ)。鈴井はリハーサルに無かった台詞をアドリブで追加した。 | ||||
3 | 20:52:30 | クリスマスツリー | 30秒 | たけしの万物創世紀 (20:00 - 20:54) |
クリスマスシーズンということからツリーの扮装で登場。 「赤鼻のトナカイ」を歌いながら大過なく宣伝をこなすが、わずか4分後の次の扮装のために終了後は大急ぎで衣装チェンジに入る。 | ||||
4 | 20:56:40 | 花瓶 | 15秒 | HTBニュース (20:54 - 21:00) |
「東北2泊3日生き地獄ツアー」で登場。 テロップが入ることを忘れた画角となってしまい、数秒間鈴井にテロップが被ってしまう。CMの放映後に舞台公演が終了した大泉が合流。 | ||||
5 | 21:52:45 | チャトラン・ムツゴロウ | 15秒 | 人気者でいこう! (21:00 - 21:54) |
ムツゴロウは「過去のマル秘映像一挙公開!」で登場。 チャトラン(鈴井)がムツゴロウの顔を何度もなめるシーンが放送された。 この直後『リングの魂』の件で「メンツたりなくないかい?」「あいつ呼べないの?」と強制的に"けんちゃん"が呼ばれることに。 | ||||
6 | 23:16:55 | 雪ん子・なまはげ | 15秒 | ニュースステーション (22:00 - 23:20) |
なまはげは「原付東日本」で登場。 スタッフ側のミスで映像モニターの切り替えが遅れたために、オンエアの状態を一同が把握できず告知に失敗[30h 2]。大泉がなんとかなまはげをやり切る中、ミスによって反応が遅れた鈴井は「もう画が来てたと思う」と注意を発しながらテイクを終えた。 本企画では未放送。 | ||||
12月15日 | ||||
7 | 0:22:45 | 雪ん子・なまはげ(2回目) | 15秒 | ライアル・ワトソン博士のスーパーネイチャー[30h 3] (23:25 - 0:25) |
前回のリテイク版。本企画では23:16:55として放送。 | ||||
8 | 1:18:40 | タイガーマスクとダブル猪木 | 5秒 | トゥナイト2 (0:25 - 1:20) |
いずれも「原付東日本」前・後枠で登場。 直後に放送される『リングの魂』にちなみ、プロレスラーの姿で登場する。この回はタイガー(鈴井)単独で、猪木(大泉・安田)はタイガーを呼ぶ声のみ。 通称は“タイガーのダブル猪木”[30h 4]で、大泉からは「新しいジャーのよう」と茶化された。 CMのために大泉が自宅で飲酒をしていた安田を携帯電話で呼び出したが、家の前にタクシーを無理やり配車された安田は「雪ん子」放送後の0時35分頃、HTBに“ホロ酔い状態”で到着する。 | ||||
9 | 1:20:15 | タイガーマスクとダブル猪木 | 15秒 | リングの魂 (1:20 - 1:50) |
ダブル猪木(大泉・安田)出演。最後に鈴井が見切れながら「タイガー!」と発したものの、ハンドマイクを持っていなかったことで放送上に音声が入らなかった。 | ||||
10 | 1:50:00 | タイガーマスクとダブル猪木 | 15秒 | Break Out (1:50 - 2:20) |
大泉に安田が腕挫十字固を掛けるといったもの。本企画では未放送。 | ||||
11 | 2:22:45 | 陽気な外国人 | 15秒 | テレコンワールド (2:20 - 3:17) |
大泉扮する司会者(ケント・デリカット)は「アメリカ合衆国横断」の前・後枠「アメリカの有名人 私は誰でSHOW」で登場。扮装は放映枠がテレビショッピング内であることにちなむ。『プレミア』では未放送。 | ||||
12 | 3:17:00 | クロージング | 3分 | - |
鈴井・大泉・安田による若干のフリートークを展開。枠が3分と長めだった為「思いの外長い」と困惑しながらのトークとなった。 駐車場には番組ファンと思しきギャラリーが集まり、中には子供の姿もあったため、安田が「心配ですねぇ」と触れた後、それに気付いた鈴井も「うわぁ起きてるよぉ、何してんだよぉ〜」と驚きと困惑の声を発している。 その後、このパートが編成上の12月14日付の放送終了→試験電波(カラーバー)に移行する時間でもあったので、大泉がコールサイン「JOHH-TV」を送出。 「今日の放送はこれにて終了させていただきます。明日もまた見てもらいたいですね。それでは皆様、お休みなさい」と局名告知のアナウンスをし、放送休止に入った。 安田はこのあと帰宅(何度もどうでしょう班からは「明日のラスト」に来るよう提案はされたが、完ぺきな前フリとして丁重に断った)。楽屋に戻ると局内の人間からドリンク剤や焼き鳥などが差し入れられたが、それにすら管を巻き出したが、その後どうでしょう班は楽屋で1時間弱の仮眠を取った。 本企画では最後のコールサイン部分(クロージング)のみ放送。なお、この時の視聴率調査速報では0%[30h 5]を記録している。 | ||||
13 | 5:25:00 | オープニング | 3分 | - |
このパートが編成上の12月15日付の放送開始時間。 大泉が「12月15日水曜日。皆様おはようございます。今日も張り切ってまいりましょう」との挨拶の後にコールサイン「JOHH-TV」を送出し、後方で小さく映っていた鈴井が合流、若干のフリートークを行う。 この時、朝の時間帯ということもあり左上に時刻表示が実施されていた為、通常時左上に出していたテロップが右上に移動していたが、それが災いしてトークの大部分で大泉の顔がテロップに隠れてしまった。 本企画では最初のコールサイン部分(オープニング)のみを放送。 | ||||
14 | 5:48:45 | (起床予報士 大泉洋) | 15秒 | ラジ朝@モーニング (5:30 - 5:50) |
大泉のみ。鈴井は仮眠中のため等身大パネルで出演。大泉の扮装はこの後からの「起床予報士」と同様。 | ||||
15 | 5:51:40 | 起床予報士 大泉洋 | 1分11秒 | 情報ワイド 早起きDon!Don! (5:50 - 6:45) |
番組冒頭、気象予報士ならぬ「起床予報士」として出演。藤村Dの指示が遅れたために開始時間直前まで準備に追われたほか、イヤーモニターが受信機から外れるトラブルにも見舞われた。 大泉は「今朝の気温は-50度」と報じ、司会の吉田みどりアナウンサー(当時)から「寒すぎます」と突っ込みを受ける。 吉田からは「ミスターはどこですか」と問われた大泉は「後程とんでもない格好で出てきます」とコメント。 本企画では一部のみ放送。未放送の部分では、吉田アナウンサーが中学生からの応援FAXを読んだ。 | ||||
16 | 5:57:40 | 起床予報士 大泉洋 | 39秒 | 〃 |
大泉が「現在の気温は48度上昇し-2度。全道的に大変ご機嫌な1日になる」と報じる。 吉田アナウンサーから「急な上昇ですね」と突っ込みを入れられ、本物の気象予報士・石川たけおからは「氷点下50度までは下がっていません」と真面目な指摘を受けた。 | ||||
- | 6:08:01 | - | 1分 | 〃 |
胸元に「ねてます。」と書かれた札が下げられた大泉・鈴井のパネルのみが映される中、吉田アナウンサーが金子のりとしアナウンサー(当時)と共に番組を紹介。 深く「サイコロ6」の企画内容に触れたのはこれが初めてであった。本企画では未放送。 | ||||
17 | 6:40:21 | 女性レポーター 鈴井貴之 | 12秒 | 〃 |
中継直前までD陣やスタイリスト小松が準備に追われたが、台詞は「ごめんなさい、テレビに出てごめんなさい」の一言のみ発して終了。 氷点下の中でミニスカート姿だったために、石川予報士から「寒そうでしたね」と心配される。 | ||||
- | 6:42:12 | - | 37秒 | 〃 |
6:08と同じく札の下がった大泉・鈴井のパネルのみが映る中、吉田アナウンサーが番組を宣伝。 本企画では未放送。 | ||||
18 | 7:56:45 | お兄さん | 15秒 | やじうまワイド (6:45 - 8:00) |
「サイコロ6」の前・後枠に登場。 前後とのインターバルの大きさから「7時台のCMに出なければ大幅に休息時間が増える」ため、大泉・鈴井のどちらか1人だけが出演することになり、「企画の言い出しっぺである」などの理由で強制的に大泉が選ばれる。 また、「時間は演者が自分で見ればいい」という判断によってD陣も現場へ行かず、鈴井とともに控え室で放送されるCMを見ながら休憩を行う。 この時控え室でテレビを見ていた3人は、「任せていいよ(鈴井)」「いいんじゃないか?大泉くんに任せてさぁ。1人で出来んだもの(藤村D)」「大泉くんだけにやらせた方がやっぱいいよ。斬新だもん(嬉野D)」などとコメントを残した。 | ||||
19 | 9:53:15 | 西部警察 | 15秒 | スーパーモーニング (8:00 - 9:55) |
直後に放送される『西部警察』にちなみ、木暮捜査課長(鈴井)・大門刑事部長(大泉)の扮装で登場。 同時に『西部警察』の予告も行ったが、藤村Dがテロップに気を取られてカウントを出し遅れたため、途中で終了する。 | ||||
20 | 10:26:05 | 西部警察 | 30秒 | 西部警察 PART-III (9:55 - 10:50) |
この日は第38話の「長さんと泥棒」が放送されていたが、CMの直前に放送されたシーン[30h 6]を冒頭15秒の間に物真似で再現した。 DVDでは当該のシーンが削除され、後半15秒間のみ収録。 | ||||
21 | 10:50:15 | 大泉洋 おかずのクッキング | 15秒 | 土井善晴 おかずのクッキング (10:50 - 10:55) |
大泉扮する土井善晴が、鈴井扮するゲストにCM中の短時間で料理を振る舞う。ゲストは大門刑事。 この回では料理は行わず、作る料理とゲストの紹介のみ。 | ||||
22 | 10:57:00 | 大泉洋 おかずのクッキング | 15秒 | TVぴかぽん (10:55 - 11:00) |
ゲストは引き続き大門刑事。 料理を作ろうとするも、大泉が混ぜている卵にテロップが被ったことを気にした藤村Dが、再び終了カウントを出しそこねる。終了直後には大泉から「何してんだよ!!」「あれもこれもじゃねぇよ、カウントだけ出せっつってんだ!!」と激怒された。 | ||||
23 | 11:00:00 | 大泉洋 おかずのクッキング | 30秒 | 家族の物語[30h 7] (11:00 - 11:30) |
ゲストは引き続き大門刑事。 スクランブルエッグに仕上げた卵を鈴井が試食し、「うまい!」と感想を述べたが、放送時間内に収まらず。 | ||||
24 | 11:27:55 | 大泉洋 おかずのクッキング | 1分5秒 | 〃 |
ゲストのミスター長嶋は「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。長尺なこともあり、オムレツを調理する[30h 8]。 前2回の不調を受けて大泉自らが“リベンジ”を要望したため、字幕は前3回とは違い通常の宣伝形式になっている。 | ||||
25 | 11:40:00 | ムーミン・お兄さん | 15秒 | ワイド!スクランブル (11:30 - 13:05) |
ムーミンは「ヨーロッパ・リベンジ」で登場。 本企画では未放送。 | ||||
26 | 11:58:30 | ムーミン・登山家 | 15秒 | 〃 |
登山家は「サイコロ4」で登場。あまり意図が伝わらず。 本企画では11:40:00として放送。 | ||||
27 | 13:03:30 | 牛 | 30秒 | 〃 |
「東北2泊3日生き地獄ツアー」で登場。着ぐるみを被っているため、もちろん2人の姿は見えない。 着替えのタイミングで控室に来た『夕方Don!Don!』の多田健ディレクターは、次回の扮装を「牛で30秒(の尺)」と聞かされ「牛ってキャラクターなんだ……」と困惑気味にコメントを残した。 また、多田ディレクターに「もっと番組内容を説明した方がいい」などと意見提議された結果、これ以降はD陣の提案で方向性を転換することになる。 | ||||
28 | 13:18:45 | 黒柳徹子&ミスター長嶋 | 15秒 | 上沼恵美子のおしゃべりクッキング (13:05 - 13:20) |
『徹子の部屋』を模した『洋の部屋』のゲストという設定。 | ||||
29 | 13:53:00 | 黒柳徹子&ミスタースポック | 15秒 | 徹子の部屋 (13:20 - 13:55) |
ミスタースポックは「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。大泉がゲストの名前を「ミスタースポーク」と言い間違える。 | ||||
30 | 13:59:00 | 黒柳徹子&ミスターマリック | 30秒 | 信長ふしぎ連続殺人 喪服の美人妻に謎の凶器!日本ライン激流下りの死闘[30h 9] (13:58 - 15:50) |
ミスターマリックは「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。藤村Dのカンペが見切れる。これ以降は鈴井がラジオ出演のため大泉のみになる。 ラストに大泉が次回の扮装を告知しているが、大泉がタイトルの「はぐれ刑事(けいじ)」を「はぐれでか」と誤読する。 | ||||
31 | 15:48:45 | 土井善晴 | 45秒 | 〃 |
打ち合わせ段階では前回の予告通りに藤田まことの物真似を行う予定だったが、前述の多田ディレクターから出た意見を含めた協議の結果、次回にキャリーオーバー。「真面目な企画説明が必要である」という結論から、大泉が喋りやすいキャラクターとして土井が選出された。 | ||||
32 | 16:17:20 | 安浦刑事 | 30秒 | はぐれ刑事純情派 (15:55 - 16:50) |
大泉が藤田まことの物真似で登場するが、中盤で噛んでしまったため、以降は物真似を放棄して企画説明を行った。 | ||||
33 | 18:55:30 | 『ゴールデンスペシャル サイコロ6』直前 | 1分 | 情報ワイド 夕方Don!Don! (16:50 - 19:00) |
生CM1回目と同じく番組エンディング直後。前日同様にラジオ生放送直後の鈴井が再合流し、さっぽろテレビ塔前から中継される。 本企画では最後の数秒のみを放送。 | ||||
- | 19:00:00 | 『ゴールデンスペシャル サイコロ6』放送 | - | (19:00 - 20:00)[30h 10] |
このシーンのみ画面向かって左から嬉野D、大泉、藤村Dと並び、「僕らもう立てないから」との理由でD陣も大泉と共に横になったため、大泉の両端は黒ベタでカットされた[30h 11]。 カメラの撮影を担当したのは助っ人の多田ディレクター[30h 2]で、大泉はこれに「君たちが回せよ」「『Don!Don!』が回してる」と文句を付けた。 1回目の「サンバ」の生CMを打った瞬間に視聴率が半分以下になってしまった話の流れから、藤村Dは大泉が『夕方Don!Don!』の年末スペシャルで行うはずだった“極秘企画[30h 12]”の内容を、“撮影前”に“企画を立案した多田ディレクターの前で”誤って話すミスを犯す。 疲労困憊の大泉はそれに対しまともなリアクションが取れず、「最悪のリアクションだよぉ」とボヤくのが精一杯であった。 | ||||
34 | 21:45:45 | キュー☆レンジャー | 30秒 | 輝ける瞬間 コンバットカメラマン沢田教一の愛と青春[30h 13] (20:00 - 21:48) |
ボード上の「ゴールデンスペシャル」の部分へ、藤村Dの手書き[30h 2]で「サイコロ6 完結編」と記された紙が貼られ、「完結編」の番宣へ移行する。 「キュー☆レンジャー」は「サイコロ6」の前・後枠で登場。動きを演じているのは鈴井だが、声は大泉が担当。本企画では未放送。 | ||||
35 | 21:51:30 | ムンクさん | 15秒 | HTBニュース (21:48 - 21:54) |
「ヨーロッパ・リベンジ」で登場。大泉がエドヴァルド・ムンクの『叫び』に描かれている人物を模した空気人形を操演。 本企画では未放送。 | ||||
36 | 23:16:55 | キュー☆レンジャー | 15秒 | ニュースステーション (22:00 - 23:20) |
テレビに向かって「安田くん、グランドフィナーレまでに走ってここに来なさい」と呼び出す。大泉の台詞が放送時間内に収まらず、「12時...」と発した時点で切れてしまった。 | ||||
12月16日 | ||||
37 | 0:22:15 | 土井善晴・ミスタースポック・マラソンランナー | 15秒 | ライアル・ワトソン博士のスーパーネイチャー (23:25 - 0:25) |
30時間生CMのグランドフィナーレ。前回のCMで呼び出された安田が「マラソンランナー」としてゴール付近まで走ってくるが、ゴールテープを切る直前でCMが終了するという設定。 | ||||
- | 0:25:00 | 『サイコロ6 完結編』放送 | - | (0:25 - 0:55) |
『スーパーネイチャー』の放送に伴い、通常編成より1時間繰り下がって放送。 |
DVD版では、特典映像として「全放映CM(『早起きDon!Don!』出演パートを除く)+北海道のローカルCM[注 100]」を収録。
この企画は鈴井が初の映画監督作品「man-hole」を撮るために半年以上番組を休んだ後、正式に全員が復帰した第1弾の旅企画。前週に放送された「メイキング・オブ・四国R-14」の中では予告映像が放送されなかった。これについて、藤村Dは「全部秘密だから。予告編流しちゃったら何やったか分かっちゃう」としたものの、大泉には「今回また予告編出したら(特に)分かりやすいんだ、何やったのか」と指摘されている。
目的としては、「団結の輪」を描くために鹿児島県の奄美群島にある喜界島を3日間かけて反時計回りに歩いて一周すること。なお、出演者並びにD陣が怪我や病気などのアクシデントに見舞われた際にも大丈夫なように、リヤカー(ムラマツ車輌の『山田君』)を引っ張って歩くことになった。
放送時のサブタイトルは『~the battle of sweets~』。
甘味を中心に食には目がない“魔神”こと藤村Dに安田を加えた「チームびっくり人間」と、藤村Dと対照的に甘味が不得意な鈴井に大泉を加えた「ミスターチーム」の2チームによって、日本各地を移動して名物(主に甘いもの)の早食い対決を行う企画。日本列島を1週間に渡って縦断する長期ロケとなったが、企画立案を担当した藤村Dによると「北海道から九州までを車で縦断する」ことがそもそもの原案で、「対決の要素やキャスティング面は後から構築された」「各地の温泉地を回り、夜は温泉に入ることが本当の企画の趣旨であった」ことをDVDの副音声で明かしている。
当番組の企画といえば、内容を何も知らされていない大泉のリアクションを他3人が楽しむ流れだが、通常であれば企画会議の段階から参加している鈴井も今回は完全にシャットアウトされ、一切内容を知らされなかった。このため、安田による企画発表時には鈴井が「(何も知らされない)大泉君の気持ちがよく分かった」と発言した。
放送期間はレギュラー放送で最長全10回に及び[注 111]、2001年後半の放送は本企画とその罰ゲーム企画、そして5周年記念として行われた「3夜連続深夜バスだけの旅」の3企画のみが放送された。そのため第1夜の前枠では、大泉が「今年後半の『どうでしょう』は、今日の企画発表を見ないとついてこれません」とコメントを行っている。企画で使用されたレンタカーはトヨタ・エスティマ(2代目)。
この企画の前枠・後枠で、TEAM NACSのメンバー全員と鈴井が出演している(第1夜は音尾と鈴井が出演、その後第4夜から安田、第6夜から戸次重幸(当時:佐藤重幸)、第9夜から森崎と徐々に増えていく。大泉は第1夜から出演しているが説明役、最終夜EDでのみほか5人とは違う体操服で登場している)。
各地の名物・名産を早食いし、早く食べ終わった方の勝ちとなる。原則として食べ終わったら口から舌を出すか口を開け、食べ終わったことを審判にアピールして初めて勝利が確定する。名産がいくつかある場合は、食べ終わるたびにアピールしなければ次へ移ることが出来ない。なお、このアピールの姿勢がテレマーク姿勢(スキージャンプの着地姿勢)に似ているため、番組中では「テレマーク」と称された。
勝利した都道府県の面積がポイント(1km2=1pt)[注 114]として計算され、より広い領土(ポイント)を獲得した方が勝者となる。通過しない都道府県は“積み残し”とし、最終決戦である鹿児島対決で勝った方が総取りとなる。また、追加ルールとして関東、近畿、四国、九州では地方大会を実施し、各地方で通過した都道府県のポイントが獲得できる。
主な対戦地 | 対戦地・使用した食べ物 | ポイント | |
---|---|---|---|
ミスターチーム | 魔神チーム | ||
北海道 | 函館市でソフトクリーム3本勝負 | 83,000 | |
青森県 | アップルクーヘン&気になるりんご対決 | 10,000 | |
秋田県 | 鹿角市内の道の駅「あんとらあ」できりたんぽ1本勝負 | 12,000 | |
岩手県 | 小岩井農場で牛乳早飲み&牛乳まんじゅう対決 | 15,000 | |
宮城県 | 青葉城跡でずんだもちハンデ戦 | 7,000 | |
山形県 | ラ・フランス羊羹+フルーツゼリー | 9,000 | |
栃木県 | 宿の夕食で出されたデザートのずんだもちにて急遽開催 | 6,000 | |
福島県 | 前日通過したものの未開催のため、早朝{奇襲}ゆべし対決[** 1] | 14,000 | |
関東大会[** 2] | 川越市内の菓子屋横町で駄菓子対決 | 18,000 | |
長野県 | 宿泊先の下呂温泉の旅館でおやき対決[** 3] | 14,000 | |
岐阜県 | 早朝{奇襲}水羊羹対決[** 1] | 11,000 | |
愛知県 | 藤村Dの実家の喫茶店で小倉トースト(+ミックスジュース)対決 | 5,000 | |
近畿大会[** 4] | 三木市で明石焼き+牛乳対決[** 5] | 19,000 | |
岡山県 | 深夜{奇襲}サンフルーツ対決[** 6] | 7,000 | |
四国大会[** 7] | 讃岐うどん対決 | 19,000 | |
九州大会(除鹿児島県)[** 8] | 熊本市のサービスエリアでスイカ対決[** 9] | 28,000 | |
鹿児島県+未通過県 | 最終白くま対決 | 97,000 | |
通算成績 | 223,000 |
レギュラー放送時としては最後となった、鈴井考案の国内オリジナル企画。タイトルの通り「深夜バスに3日間ひたすら乗る」ことに加え「バスの停車/休憩地点で鈴井・大泉の“やられっぷり”を報告する」という企画であるが、サブテーマとして「鈴井自身が『己の限界』に挑戦する」という趣旨も含まれている。しかし、実際は「バカな企画を立案した鈴井に罰を与える」目的でバスに1人で乗車させるため、D陣と大泉が裏で計略を練っていたのであった。
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