北広島市
北海道の市 ウィキペディアから
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北広島市(きたひろしまし)は、日本の北海道中部(道央地方)に位置し、石狩振興局に属する市。札幌市と新千歳空港の間に広がるなだらかな丘陵地帯に位置する。
きたひろしまし 北広島市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(石狩振興局) | ||||
市町村コード | 01234-3 | ||||
法人番号 | 4000020012343 | ||||
面積 |
119.05km2 | ||||
総人口 |
56,553人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年11月30日) | ||||
人口密度 | 475人/km2 | ||||
隣接自治体 |
札幌市、江別市、恵庭市 空知総合振興局:空知郡南幌町、夕張郡長沼町 | ||||
市の木 | かえで | ||||
市の花 | つつじ | ||||
イメージマスコット | エルフィン[2] | ||||
北広島市役所 | |||||
市長 | 上野正三 | ||||
所在地 |
〒061-1192 北海道北広島市中央4丁目2-1 北緯42度59分08秒 東経141度33分47秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
1884年(明治17年)、札幌県札幌郡月寒村野幌原野に広島県から移住した25戸103人の入植が始まり[3][4][5]、当初は集落の名を入植者のリーダーであった和田郁次郎の名から「和田」と呼ぼうとしたが、和田は固辞した[5][6]。
このため、出身地である広島から「広島開墾」と呼ぶようになり、1894年(明治27年)に月寒村から分離独立するにあたり、自治体の名称も北海道札幌郡広島村とした[6][7]。
その後、2代目北海道鉄道(現在の千歳線)が1926年(大正15年)に当地に開通し、駅が設置されることになったが、広島県広島市にある広島駅と区別するため、北広島駅と命名され[6]、1971年(昭和46年)に開通した道央自動車道のインターチェンジも同様に当初から北広島インターチェンジの名称を使用していた。
自治体名についても、広島村は1968年(昭和43年)の町制施行(広島町)を経て1996年(平成8年)に市制施行を実施したが、市制施行にあたって即日改称し、北広島市が発足した[5][8][9]。
北広島市は石狩平野のほぼ中央に位置しており、市南西部にある島松山を除くと各所に標高100 m前後の丘陵があり起伏に富んでいる[10][11]。平坦地は丘陵上部の台地と東地区に分布する台地に存在している[11]。市内を流れる河川は大半が千歳川を経て石狩川に合流し、日本海に注いでいる[12]。地質は大部分が洪積層から成っており、南西部の丘陵地帯では畑作や酪農、北東部の低地では水田を中心に活用している[12]。東西15.0 km、南北14.8 kmあり[13]、北海道旅客鉄道(JR北海道)千歳線が中央部を南北に縦断し、道央自動車道と国道36号が西部地区を縦断している[13]。
北広島市の気候は亜寒帯湿潤気候の「裏日本型」(日本海側)に属しており[14]、西部から北東方向にのびる波状台地を境に局地的な気候変化が見られる[14]。冬は北西の季節風によって雪が降りやすく内陸性気候のために寒冷、夏は太平洋高気圧の影響によって南東の風が吹いて日中は晴れの日が多くなるが、太平洋沿岸からの海霧の影響によって朝晩に曇ることがある[14]。なお、オホーツク海高気圧が優勢な年は、冷涼な北東気流の影響によって気温があまり上がらず冷夏となることがある[14]。
「住民基本台帳」によると、北広島市の人口は「道営北広島団地」の開発が始まった1970年(昭和45年)以降急増し[15]、「昭和50年国勢調査」では人口増加率(128.4 %)が全国2位(全道1位)になっている[16]。その後も宅地開発が進むにつれて増加し、1992年(平成4年)に5万人、2004年(平成16年)に6万人を超えるも、2008年(平成20年)を境に減少傾向となっている[15]。
北広島市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北広島市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 北広島市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
北広島市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
江戸時代には松前藩によって石狩十三場所のひとつである「シュママップ場所」が島松川流域に開かれ、幕末頃まで存在した。
氏名 | 就任年月 | 退任年月 | |
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戸長 | 一色潔 | 1894年(明治27年)2月 | 1902年(明治35年)3月 |
村長 | |||
初代 | 一色潔 | 1902年(明治35年)4月 | 1903年(明治36年)8月 |
2代 | 山崎初吉 | 1903年(明治36年)9月 | 1906年(明治39年)3月 |
3代 | 吉原兵次郎 | 1906年(明治39年)4月 | 1907年(明治40年)3月 |
4代 | 伊藤光久 | 1907年(明治40年)4月 | 1908年(明治41年)3月 |
5代 | 小池三郎 | 1908年(明治41年)4月 | 1922年(大正11年)9月 |
6代 | 仁科養 | 1922年(大正11年)10月 | 1924年(大正13年)6月 |
7代 | 和田郁次郎 | 1924年(大正13年)10月 | 1926年(大正15年)10月 |
8代 | 中村左久弥 | 1926年(大正15年)12月 | 1930年(昭和5年)12月 |
9代 | 山田為吉 | 1931年(昭和6年)4月 | 1941年(昭和16年)6月 |
10代 | 松原太郎 | 1941年(昭和16年)6月 | 1946年(昭和21年)11月 |
11代 | 中下武雄 | 1947年(昭和22年)4月 | 1959年(昭和34年)6月 |
12代 | 石橋豊次郎 | 1959年(昭和34年)8月 | 1967年(昭和42年)8月 |
13代 | 穴田輝行 | 1967年(昭和42年)8月 | 1968年(昭和43年)8月 |
町長 | |||
初代 | 穴田輝行 | 1968年(昭和43年)9月 | 1983年(昭和58年)3月 |
2代 | 小野田徹雄 | 1983年(昭和58年)4月 | 1989年(平成元年)6月 |
3代 | 久保武 | 1989年(平成元年)7月 | 1993年(平成5年)7月 |
4代 | 本禄哲英 | 1993年(平成5年)7月 | 1996年(平成8年)8月 |
市長 | |||
初代 | 本禄哲英 | 1996年(平成8年)9月 | 2005年(平成17年)7月 |
2代 | 上野正三 | 2005年(平成17年)7月 |
北広島市民憲章
- 前章
- わたしたちは、「青年よ大志をいだけ」のこころを受けつぐ北広島市の市民です。わたしたちのまちは、広島県人らによって築かれ、北海道の寒地稲作をうみだした、誇りある伝統をもつまちです。わたしたちは、いま歴史への新しい歩みを進めようとしているこのまちと、自分のくらしをしっかりみつめ、自分に何ができるかを問いかけながらこの憲章を実践します。
- 第1章 まもろう 歴史がはぐくむ豊かな風土
- 豊かな緑を守り、自然を愛するやさしい心を育てたい。
- 自然との交流のなかで、スポーツやレジャーを楽しみ、生活にゆとりをもたせたい。
- 市の木・市の花を愛し、やすらぎのある環境をつくりたい。
- 第2章 つなごう 心のかようたしかなきずな
- あたたかいことばをかけ合い、ふれあいの輪をひろげたい。
- 思いやりの心をもって、ボランティア活動をひろめたい。
- 地域の活動に関心をもち、進んで参加して交流を深めたい。
- 第3章 のばそう 未来をつくるたくましい力
- 伝統を受けつぎ、汗する活動を通して創造と夢と力を育てたい。
- 未来に目を開いて、自らを発展させていく英知と勇気をもちたい。
- 幼いいのちと若い力の健やかな成長を助けるために、おとなの連帯を進めたい。
- 第4章 きずこう 個性あふれる北の文化
— 昭和59年4月1日制定[3]
- 人とまちと自然のとけあった、幅広い文化環境をつくりたい。
- 趣味や余暇を大事にし、進んで体験する心を育てたい。
- 北国の四季に親しみ、風土に根ざした文化を育てたい。
都市宣言
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
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自由クラブ | 6 | ◎中川昌憲、青木崇、阿部勝義、川崎彰治、児玉正輝、松本亜美里 |
きたひろ五和会 | 3 | ◎滝久美子、稲田保子、桜井芳信、 |
日本共産党 | 3 | ◎山本博己、永井桃、人見哲哉、 |
公明党 | 3 | ◎藤田豊、大迫彰、小玉淳子、 |
市民ネットワーク北海道 | 2 | ◎鶴谷聡美、佐々木百合香 |
民主市民連合 | 2 | ◎佐藤敏男、小田島雅博 |
無会派 | 3 | 坂本覚、島崎圭介、野村幸宏 |
計 | 22 |
議員名 | 会派名 | 当選回数 | 備考 |
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小岩均 | 民主・道民連合 | 1 | 元 広島町・北広島市議会議員、元 北広島市議会議長 |
北広島市は札幌都市圏にあり、就業者数の割合は第一次産業2.4 %、第二次産業18.0 %、第三次産業79.7 %となっている(平成22年)[34]。
工業は利便性などの立地条件を生かして市内に6つの工業団地(広島工業団地、広島第2工業団地、大曲工業団地、大曲新工業団地、大曲第3工業団地、北広島輪厚工業団地)が造成されており、各種企業が進出している[34]。
ショッピングセンター
スーパーマーケット
50音順
ゴルフ場
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