富士市(ふじし)は、日本の静岡県東部に位置する市。日本最高峰の富士山南麓に位置し、市域の北端は山頂直下に及ぶ。南は駿河湾に面しており、海岸線から富士山までを市域とする唯一の自治体となっている。東は沼津市、西は静岡市に接する。面積は244.95平方キロメートル。人口は2020年(令和2年)時点で251,616人で、県内では浜松市、静岡市に次ぐ第3位の人口規模だが、2010年(平成22年)以降は減少傾向にあり、また少子高齢化が進行している。
現在の市域においては、約33,000年前の旧石器時代の、愛鷹山麓にある遺跡が、確認できる最古の人間活動である。奈良時代には、現在の富士市・富士宮市にほぼ相当する地域が駿河国富士郡となり、郡家は伝法に置かれた。江戸時代には吉原宿が東海道の宿場に指定され、富士信仰に基づく参詣を行う登山客などが訪れる宿場町として栄えた。また同じく江戸時代中期からは、和紙の産地として知られ、明治に入ると近代的な洋紙の大量生産が始まり、数々の製紙工場が設立された。一方、戦後の高度経済成長期には、製紙工場による大気汚染・水質汚濁・悪臭などが発生し、田子の浦港にはヘドロが堆積するなど、全国的に「公害のデパート」として知られるようになった。そのため、富士市では公害防止協定の締結や健康被害の救済に関する条例の制定、排水路への排出規制などを実施。各社も硫黄排出減少に取り組むなど、官民の連携により、公害問題の克服を果たした[9]。
自治体としては、1966年(昭和41年)4月1日、旧富士市・吉原市・富士郡鷹岡町の新設合併によって発足。2008年(平成20年)11月1日、庵原郡富士川町を編入合併して、現在の市域となっている[10]。また、2001年(平成13年)には、施行時特例市に指定された[12]。
主要産業は、富士山の伏流水や富士川などの豊富な水源を利用した製紙である[14]。パルプ・紙・紙加工品製造業の出荷は、2018年(平成30年)時点で全国第2位で、2020年(令和2年)時点で、49社の製紙会社、59工場の製紙工場が所在し、全国の36.1パーセントのトイレットペーパーを生産している。一方、最盛期の1991年(平成3年)には6,035億円の出荷額を誇っていたが、2009年(平成21年)2月に王子製紙富士工場の製紙ラインの一部が操業停止となるなどし、「パルプ・紙」の事業所数は275から224に減少。2011年(平成23年)の製紙業の出荷額は4,407億円へ落ち込んでいる[14]。また、2012年(平成24年)9月末には日本製紙富士工場鈴川事業所(旧・大昭和製紙本社工場)での紙生産が全面的に停止となるなど、製紙業の衰退、製紙・パルプの生産減少傾向が続いている[14]。
- 高低差
- 市街地から見て東に愛鷹山塊、北方に富士山が位置する。
- 日本三大急流の一つである富士川や潤井川のほか、和田川・沼川・砂沢川・凡夫川・伝法沢川・千束川・赤渕川・須津川といった河川を有する。
- 旧来は西部に広大な富士川氾濫原(恒常的な氾濫により生活圏でない地帯)が占め[16] また約147 haの湿地帯が広がる地域であった[17]。富士川氾濫原が分布する地帯は居住地とはなり得なかったため井戸が存在しない程であったが[18]、富士川の平定によるいわゆる「加島五千石」の形成と製紙業の隆盛を経て工業地帯へと変化した。
- 愛鷹山塊のうち最高峰の越前岳が富士市に位置し(裾野市も含む)、その富士見台は富士山がある風景100選に指定されている[19]。また愛鷹山鋸岳に連なるキレットが特徴である[20]。
- 駿河湾に面する。海岸線は10 kmであり、周囲は95.9 kmである。市域の面積 244.95 km2[15]、東西に23.2 km[15]、南北に27.1 km[15] に及ぶ広さである。
- 駿河トラフ(南海トラフの北端の海溝)とその延長上の富士川河口断層帯に面しているため、プレート境界型の大地震(東海地震)の危険性が指摘されており、国・静岡県・周辺自治体とともに地震対策、特に津波対策に力が入れられている。
- 江戸時代には東海道の宿場町の一つである吉原宿が存在したが、2度の高潮(海嘯)[21] により壊滅的な被害を受け、その度に宿場の位置が内陸部に移動している。最終的な吉原宿は現在吉原商店街になっている。
- 東部(旧吉原市東部)は軟弱地盤を有する。第二次世界大戦前までは沼津市との間には浮島沼[注釈 2]が広がっており、排水に問題を抱えていた。これを解決するため明治2年(1869)に現在の昭和放水路の位置に巨額と2年半という工期をかけて大規模な堀割水路を建設したが、同年高波により破壊されている[22]。その後も水害に晒され続けており、後に県により昭和放水路が建設された。沼川を中心とする現在の東海道本線と岳南電車岳南線に囲まれた地域は浮島沼に付属する湿地帯であったが、戦後の干拓により一部を残して消滅している。しかし軟弱地盤であることは変わりなく、東名高速道路建設の際にも地盤沈下に悩まされ、砂杭類を3,000本以上埋め込み、また地下排水工の施行等で問題を解消したという背景がある[23]。
人口
|
富士市と全国の年齢別人口分布(2005年)
| 富士市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 富士市 ■緑色 ― 日本全国
| ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
富士市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
| 195,598人
|
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1975年(昭和50年)
| 215,457人
|
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1980年(昭和55年)
| 222,488人
|
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1985年(昭和60年)
| 231,176人
|
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1990年(平成2年)
| 239,796人
|
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1995年(平成7年)
| 246,985人
|
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2000年(平成12年)
| 251,559人
|
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2005年(平成17年)
| 253,297人
|
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2010年(平成22年)
| 254,027人
|
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2015年(平成27年)
| 248,399人
|
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2020年(令和2年)
| 245,392人
| |
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接する自治体・行政区
- 静岡県
気候
- 富士山の見えた日数は1年の内、205日(全体145日、一部60日)であった(2015年)。
- 例年は富士市中部の市公共施設が位置する「富士市森林墓園」辺りで積雪が見られる[24][25]。
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富士市(富士地域気象観測所)の気候 |
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) |
20.5 (68.9) |
23.8 (74.8) |
27.0 (80.6) |
27.7 (81.9) |
30.7 (87.3) |
34.2 (93.6) |
36.9 (98.4) |
36.6 (97.9) |
35.5 (95.9) |
32.1 (89.8) |
26.5 (79.7) |
24.2 (75.6) |
36.9 (98.4) |
平均最高気温 °C (°F) |
11.2 (52.2) |
12.0 (53.6) |
14.8 (58.6) |
19.3 (66.7) |
23.2 (73.8) |
25.7 (78.3) |
29.1 (84.4) |
31.0 (87.8) |
28.2 (82.8) |
23.3 (73.9) |
18.4 (65.1) |
13.6 (56.5) |
20.8 (69.4) |
日平均気温 °C (°F) |
5.8 (42.4) |
6.8 (44.2) |
9.9 (49.8) |
14.5 (58.1) |
18.8 (65.8) |
22.0 (71.6) |
25.5 (77.9) |
27.0 (80.6) |
24.0 (75.2) |
18.7 (65.7) |
13.3 (55.9) |
8.2 (46.8) |
16.2 (61.2) |
平均最低気温 °C (°F) |
1.4 (34.5) |
2.2 (36) |
5.3 (41.5) |
10.0 (50) |
14.7 (58.5) |
18.9 (66) |
22.8 (73) |
23.9 (75) |
20.6 (69.1) |
14.9 (58.8) |
9.1 (48.4) |
3.8 (38.8) |
12.3 (54.1) |
最低気温記録 °C (°F) |
−6.8 (19.8) |
−7.5 (18.5) |
−5.2 (22.6) |
−0.2 (31.6) |
5.8 (42.4) |
11.4 (52.5) |
14.1 (57.4) |
17.3 (63.1) |
10.5 (50.9) |
4.8 (40.6) |
−0.2 (31.6) |
−4.8 (23.4) |
−7.5 (18.5) |
降水量 mm (inch) |
76.8 (3.024) |
95.4 (3.756) |
193.4 (7.614) |
194.2 (7.646) |
195.3 (7.689) |
227.1 (8.941) |
255.5 (10.059) |
187.3 (7.374) |
273.3 (10.76) |
240.8 (9.48) |
138.4 (5.449) |
81.7 (3.217) |
2,159.1 (85.004) |
平均月間日照時間 |
199.6 |
177.9 |
178.4 |
183.5 |
175.4 |
115.5 |
119.1 |
169.3 |
146.7 |
153.2 |
166.6 |
192.4 |
1,977.5 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[26][27] |
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1966年(昭和41年)に岳南地区(旧富士市、吉原市、富士郡鷹岡町)の産業を発展させるため、市民サービスを高めるために新設合併して誕生したのが現在の富士市である。2008年(平成20年)11月には庵原郡富士川町を編入合併した。
旧・富士市
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、現在の市域にあたる富士郡下横割村、上横割村、十兵衛村、水戸島村、森島村、森下村、蓼原村[大部分]、宮下村、五味島村[大部分]、平垣村、本市場村、本市場新田、松本村[大部分]、長通村、中島村、柚木村[大部分]、岩本村[一部]、松岡村[一部]、依田原新田[一部]、永田村[一部]、富士川新田[一部]、五貫島村[一部]、青島村[一部]が合併して加島村が発足。
- 1929年(昭和4年)8月1日 - 加島村が改称、町制を施行し富士町となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 富士町・田子浦村・岩松村が合併(新設合併)、市制を施行し(旧)富士市となる。
- 1964年(昭和39年)4月 - (旧)富士文化センター(1994年4月富士市民センターに改称)が(旧)富士市平垣(現・富士町)にオープンした[28]。
吉原市
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、富士郡吉原宿が(旧)吉原町となる。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 吉原町が島田村を編入する。
- 1941年(昭和16年)4月3日 - 吉原町が伝法村を編入する。
- 1942年(昭和17年)6月14日 - 吉原町と今泉村が合併(新設合併)し、吉原町となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 吉原町が市制を施行し、(旧)吉原市となる。
- 1955年(昭和30年)
- 2月11日 - (旧)吉原市・元吉原村・須津村・吉永村・原田村が合併(新設合併)し、新たに吉原市となる。
- 4月1日 - 吉原市が大淵村を編入する。
- 4月29日 - 浮島村が駿東郡原町と合併(新設合併)し、新たに原町となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 吉原市が原町のうち浮島地区三地区を編入する。
- 1966年(昭和41年)9月24日、25日 - 昭和41年台風第24・26号の接近により、吉原海岸に防波堤を越える波浪が押し寄せ死者13人、負傷者64人の被害[29][30]。
- 市長
- 小長井義正(2014年1月19日就任、2期目)
- 予算
- 2013年(平成25年)度[37]
- 一般会計: 808億円
- 特別会計: 482億7,512万円
- 企業会計: 288億1,412万円
- 職員数
- 2,496名(2012年4月1日現在)[37]
歴代市長
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旧富士市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
| 遠藤脩治 | 1954年(昭和29年)3月31日 | 1954年(昭和29年)5月6日 | 市長職務執行者、旧富士町長 |
1 | 遠藤脩治 | 1954年(昭和29年)5月7日 | 1962年(昭和37年)5月6日 | |
2 | 漆畑五六 | 1962年(昭和37年)5月7日 | 1966年(昭和41年)10月31日 | |
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富士市長[注釈 3]
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 斉藤滋与史 | 1966年(昭和41年)12月 | | |
2 | 渡辺彦太郎 | 1970年(昭和45年)1月 | | |
3 | 鈴木清見 | 1989年(平成元年)12月 | | |
4 | 鈴木尚 | 2001年(平成13年)12月 | | |
5 | 小長井義正 | 2014年(平成26年)1月19日 | 現職 | |
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旧鷹岡町
- 鷹岡(たかおか)地区 - 旧鷹岡町
- 天間(てんま) - 旧天間村
- 入山瀬(いりやませ) - 旧入山瀬村
- 久沢(くざわ) - 旧久沢村
- 厚原(あつはら) - 旧厚原村
旧富士市
- 岩松(いわまつ)地区 - 旧岩松村
- 岩本(いわもと) - 旧岩本村
- 松岡(まつおか) - 旧松岡村
- 富士駅周辺地区 - 旧富士町(加島村)
- 松本(まつもと) - 旧松本村
- 長通(ながどおり) - 旧長通村
- 本市場新田(もといちばしんでん)
- 五味島(ごみじま) - 旧五味島村
- 米之宮町(よねのみやちょう)
- 中島(なかじま) - 旧中島村
- 青葉町(あおばちょう)
- 蓼原町*(たではら-ちょう)
- 蓼原*(たではら) - 旧蓼原村
- 本市場町*(もといちば-ちょう)
- 本市場*(もといちば) - 旧本市場村
- 上横割(かみ-よこわり) - 旧上横割村
- 横割(よこわり)
- 横割本町(よこわり-ほんちょう)
- 下横割(しも-よこわり) - 旧下横割村
- 十兵衛(じゅうべえ) - 旧十兵衛村
- 八幡町(はちまんちょう)
- 加島町(かじま-ちょう)
- 平垣*(へいがき) - 旧平垣村
- 平垣本町*(へいがき-ほんちょう)
- 平垣町*(へいがき-ちょう)
- 本町(ほんちょう)
- 富士町(ふじちょう)
- 元町(もとちょう)
- 柚木(ゆのき) - 旧柚木村
- 松富町(まつとみちょう)
- 水戸島*(みとじま) - 旧水戸島村
- 水戸島元町*(みとじま-もとちょう)
- 水戸島本町*(みとじま-ほんちょう)
- 森島(もりじま) - 旧森島村
- 森下(もりした) - 旧森下村
- 宮下(みやした) - 旧宮下村
- 田子浦(たごのうら)地区 - 旧田子浦村
- 前田(まえだ) - 旧前田村
- 鮫島(さめじま) - 旧鮫島村
- 浜田町(はまだちょう)
- 田子(たご) - 旧田子村
- 柳島(やなぎしま) - 旧柳島村
- 中丸(なかまる) - 旧中丸村
- 川成島(かわなりじま) - 旧川成島村
- 川成新町(かわなりしんまち)
- 宮島(みやじま) - 旧宮島村
- 五貫島(ごかんじま) - 旧五貫島村
旧富士川町
- 富士川(ふじかわ)地区 - 旧富士川町
- 松野(まつの)地区 - 旧松野村
- 北松野(きた-まつの) - 旧北松野村
- 南松野(みなみ-まつの) - 旧南松野村
- 富士川(ふじかわ)地区(狭義) - 旧富士川村
- 木島(きじま) - 旧木島村
- 岩淵(いわぶち) - 旧岩淵村
- 中之郷(なかのごう) - 旧中之郷村
市議会
- 定数:32名
- 任期:2019年(令和元年)5月1日 - 2023年(令和5年)4月30日
- 議長:一条義浩(凜の会)
- 副議長:笠井浩(民主連合)
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会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
新政富士 | 10 | ◎荻田丈仁、稲葉寿利、石橋広明、太田康彦、川窪吉男、遠藤盛正、小野由美子、藤田哲哉、佐野智昭、下田良秀 |
民主連合 | 8 | ◎影山正直、小沢映子、笠井浩、鈴木幸司、杉山諭、山下いづみ、小池義治、長谷川祐司 |
凜の会 | 5 | ◎高橋正典、海野庄三、一条義浩、望月徹、吉川隆之 |
ふじ21 | 4 | ◎米山享範、小山忠之、井上 保、小池智明 |
公明党議員団 | 3 | ◎望月 昇、井出晴美、萩野基行 |
無会派(日本共産党議員団) | 2 | 笹川朝子、鳥居育世 |
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県議会
- 静岡県議会富士市選挙区
- 定数:5名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(平成4年)4月29日
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氏名 | 会派名 | 当選回数 | 備考 |
早川育子 | 公明党静岡県議団 | 5 | |
伴卓 | ふじのくに県民クラブ | 2 | 所属党派は国民民主党 |
植田徹 | 自民改革会議 | 7 | |
鈴木澄美 | 自民改革会議 | 3 | |
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文化施設
新聞
- 富士ニュース - 富士市、富士宮市を中心とした地方新聞社。
第一次産業
- 農家数が3,072戸(2005年)で、周辺自治体と比べても多い[40]。
- 農業特産物は茶・梨・イチゴ。中でも茶は「富士のやぶ北茶」のブランドイメージの普及を目指している。
- 林業では、ヒノキの生産が盛んで、富士ヒノキの銘柄化を目指している。
- 漁業特産物はシラス
第二次産業
富士市は工業の盛んな街で、工業の指数の一つである製造品出荷額等は1兆4,554億5,877万円(2015年)であり、現在県内5位である。
県内にはスズキやヤマハ、ホンダなど自動車関連企業が工場を置いており、自動車のトランスミッション大手のジヤトコが本社を置いている。
製紙業
富士川や富士山の伏流水など水資源が豊富であったことに加えて大消費地の首都圏に近い地の利を生かして最盛期の1991年(平成3年)には旧富士川町を含まない旧富士市内だけで6035億円の出荷額を誇る製紙の街として栄え、大昭和製紙本社工場(現・日本製紙富士工場鈴川事業所)や王子マテリア(旧・王子製紙)などの多数の製紙工場が活発に生産を行っていた[14]。しかし、2009年(平成21年)2月に王子製紙富士工場の製紙ラインの一部が操業停止となるなど「パルプ・紙」の事業所数は275から224に減少が進んだことから、2011年(平成23年)の製紙業の出荷額は4407億円へ落ち込んでいる[14]。2012年(平成24年)9月末には日本製紙富士工場鈴川事業所(旧大昭和製紙本社工場)での紙生産が全面的に停止となるなど、製紙業の衰退、製紙・パルプの生産減少傾向が続いている[14]。
本社や工場(支社)をおく主な企業
- 市内に本社を置く主な企業
- 主な工場・支社(一部上場企業)
第三次産業
小売業の商業ランキングでは富士市は静岡市、浜松市に次ぐ県内3位である[41]。
- 中心市街地
- 中心市街地活性化基本計画による市の規定により中心市街地を「富士駅周辺地区」と「吉原地区」に定められた[41]。
- 中心市街地来街者が減少傾向にあり、富士市による「中心市街地来街者実態調査」で富士地区の平均来街者が2008年度比で日曜日2.4 %減、平日が7.2 %減という結果で、吉原地区が2008年度比で日曜日4.7 %減、平日は12.7 %減となった。2005年度比では両地区ともに2割以上の減少率となっている[42]。
- 富士駅周辺地区
- 富士駅周辺地区は旧富士市の中心市街地でもあり、駅北には富士本町商店街がある[43]。当地域の核店舗として「富士ショッピングセンター・パピー」と「イトーヨーカ堂・富士店」があったが、パピーは老朽化による耐震性の問題が浮上し、補強による投資効果が期待できないことなどから撤退となった[44]。パピーの5階にあったシネコンは唯一営業を続けていたが、2010年4月の撤退が決定した。[45]。残ったヨーカ堂も2009年10月1日にセブン&アイ・ホールディングスの業績悪化の波から不採算店舗の閉店が検討され、選定された4店舗の内の1つである富士店の閉鎖が決定し、2010年1月11日に閉鎖した[46]。イトーヨーカ堂跡地はホリデースポーツ富士店、パピー跡地は市は富士市立中央病院の移転先予定候補と定めた。
- 吉原地区
- 富士地区最大級の都市旧吉原市があった地区である。最も歴史がある街でもある。市街地中心には東海道53次の吉原宿があった。現在は吉原中央駅から吉原本町駅まで吉原商店街となっているが日産吉原工場やヤオハンや大手百貨店が撤退したためシャッター街となってしまっていた。しかし近年はヤオハン跡地に複合マンションやラジオ局のスタジオや市民活動センターなどを含めた再開発が行われた。現在も市は商店街活性化の力を入れている。昔は吉原商店街周辺には完成時東海1の吉原市民文化センター(現在マンションを核とする商業施設を建設中)、吉原市民体育館(現在富士市立富士体育館)、吉原信用金庫本店(現在富士信用金庫吉原支店)、吉原郵便局(現在同市国久保に移転)、吉原市役所(現在合併により移転し跡地は住宅街)などがあり吉原市の中心市街地であった。
- 主な商業集積地(商店街など)
- 市役所・ロゼシアター地区
- 富士市の中心的な商業地区であり、地理的にも富士地区と吉原地区のおおよその中心地にあたる。1980年代後半より市役所方面からと、東名富士ICから潤井川を越えて延びる片側2から4車線の道路(橋)を整備し、クルマ社会を中心に考えた区画整備をすることで、建物の建設が進められた。
- 新富士駅周辺地区(国道1号線沿い)
- 新富士駅周辺地区は、東海道新幹線新富士駅開設後に栄えた地区である。当地区を東西に走る富士由比バイパスの国道1号への格上と富士川橋の無料化を期に、富士市による展示場ふじさんめっせ(富士市産業交流展示場)の建設や、イオンSC、ヤマダ電機、ニトリといった大規模小売店舗や中規模小売店舗が進出している。
- 鷹岡地区(国道139号線沿い)
- 富士市と富士宮市を結ぶ国道139号線(通称大月線)が通っており、国道沿いに商業地域が続いている。2012年に、新東名高速道路新富士ICが開通し、従来の西富士道路と接続され、取り付け道路の一部が静岡県道88号一色久沢線の自動車専用道路として新たに供用された。
- 県道396号沿い
- 富士市を東西にまたがる県道396号は旧国道1号であり、古くより国道沿に発展した地域である。今でも富士警察署付近から富士川橋付近までの6 km程に区切れなく商業地域が続いている。
- 富士川地区
- 旧富士川町の旧国道1号線沿いと隣接する富士川駅周辺に、東海道の古くから残る商店街がある。富士由比バイパス(国道1号)で簡単に新富士駅周辺地区や静岡市清水区の商業地区へ行くことができることから、富士市への合併以前から町外への流出が多く商店街としては衰退が続いている。また富士宮市へのアクセスが便利な松野地区に中規模店舗が何店が出店しており、富士川地区の商業地域としては松野地区へ移行しているといえる。
- 中里地区
- 富士市と沼津市を結ぶ吉原沼津線(通称:沼津線 または もみじ通り※街路樹が全て紅葉樹のため)を中心とした富士市東部の商業地区。食料品や生活用品を扱う店舗が集積し、街路樹(モミジバフウ)や歩道も整備されているためウォーキングを楽しむ人も多い。地域の住民アンケートによると自動車社会の富士市では珍しく、自転車または徒歩で買い物する人の割合が非常に高いのも特徴。岳南電車や東名中里バス停など公共交通機関も発達しているエリア。富士市の紅葉の名所、須津川渓谷や富士バンジーなど、観光地としても注目されている。現在県道三島富士線(通称:根方街道)のバイパス路線としての整備が沼津市側にて行われているとともに、新東名高速道路の駿河湾沼津スマートICからも近い。
富士市は交通の要衝であり、東海道の宿であり中道往還や村山道(近世後期に成立)の起点でもある吉原宿が位置していた[47]。
一方で常に自然災害に見舞われてきた地でもあり、吉原宿は近世に複数回の移転を強いられた。これは往古からの現象であり、例えば武田信玄が駿河侵攻の最中に現在の富士市域に至った際の記録として『甲陽軍鑑』に「がわなりじま(川成島)に御陣をとり給ふ 一夜の内に大水いで 信玄公の諸勢 道具を津なみにひかれ候」とある。このように、一夜の在陣も許されぬ程の荒れ地であった。
歴史の中で富士市を舞台とする芸能も成立し、能「生贄」は富士市を舞台とし、幸若舞「十番切」は富士市の場面を含むものである[48]。能「生贄」の謡曲はアーサー・ウェイリーによって英訳され、20世紀前半には既に海外に紹介されている。
民俗学
富士市における民俗学のトピックとして、人身御供の伝承が頻繁に取り上げられる[49]。全国に同様の伝承は少なからず存在するが、富士市の伝承は生贄が在地の者ではなく旅人であることが特徴として挙げられている。
例えば、以下のようなものである。
巫女六人、官職の為に上京せむと道此所に至る。里人これを捕え生贄に備むとす(『駿河記』巻二十四富士郡巻之一「柏原新田」)
昔よりこのかた吉原の宿に、今夜泊まりたる旅人は、何れも今日の生贄の御神事に御会い候ぞとよ(能「生贄」謡曲)
また阿字神社・六王子神社・護所神社が知られる。
教育政策
- 2003年(平成15年)度より、一部の小中学校に於いて二学期制を導入。その研究結果を基に、「子どもたちに『確かな学力』の定着を図り、『豊かな人間性』をはぐくむ学校教育の一層の充実をねらう取り組み」として、2006年(平成18年)度より富士市内全小中学校で二学期制を実施している。
- 読書の大切さを感じ、本と親しむ子どもを増やすため、全小中学校に学校図書館司書を配置している。
専修学校
私立
- 富士リハビリテーション専門学校
- JA静岡厚生連するが看護専門学校
- 富士調理技術専門学校(高等課程も併設)
- タカヤマアドバンスビューティー専門学校
幼稚園・保育所
- 幼稚園
- 市立 9園、私立 16園
- 保育所・認定こども園
- 市立 18ヶ所、私立 13ヶ所
交通政策
富士市都市計画マスタープランでは、都市交通の基本方針として、道路や鉄道などの既存の交通基盤を有効に活用するとともに、自動車交通や公共交通などの交通需要の適正な管理を行い、過度に自動車に依存しないで移動できる都市交通体系を構築することとしている。また、超高齢社会の本格到来を見据え、高齢者をはじめ、誰もが安全・安心・快適に利用できる都市交通体系を構築することとしている。
バス
富士市内のバス網は吉原中央駅を中心として放射状に形成されている。そのため、地域の拠点駅である富士駅(在来線)や新富士駅(新幹線)から目的地に向かうために、吉原中央駅で乗り換えざるを得ないことが多い。現在、富士駅を基点として再編することが計画されている。
民間の路線バスの他に、市のコミュニティバス等も運行されている。
- 主なバスターミナル
- 路線バス
- コミュニティバス等
-
- 富士急静岡バス運行路線
- 市運行路線(コミュニティバス)
- 田子浦地区「しおかぜ」
- 富士南地区「みなバス」
- 岩松北地区「こうめ」
- 吉原・富士駅北地区「うるおい」
- 吉原中央駅→富士駅南口「モーニングシャトル」
- 桑崎→富士東高校「なのはな」
- 伝法地区おでかけバス(実証運行中)
- 市運行路線(デマンドタクシー)
- 天間地区「てんまーる」
- 大淵富士本地区「こぶし」
- 原田地区「ほたる」
- 吉永地区「かぐや」
- 丘地区「おかタク」
- 元吉原地区「マリン」
- 吉永北地区「なのはな」
- 神戸地区「やまぼうし」
- 松野地区「おぐるま」
- 富士川地区「ふじかわ」(実証運行中)
- 高速バス
道路
- 高速道路
- 自動車専用道路
- 国道
- 主要地方道
- 一般県道
- 旧街道
名所・旧跡
- 左富士
- 平家越橋
- 雁堤
- ディアナ号の錨
- 実相寺
- 曽我寺
- 東海自然遊歩道
- 須津川渓谷
- 大棚の滝
- 須津渓谷橋
- 浮島ヶ原自然公園
公園・レジャー施設
日帰り入浴
- 野草風呂 よもぎ湯
- 鷹の湯
- 湯らぎの里
- ふじかぐやの湯
注釈
「富士市地域防災計画(令和5年2月 富士市防災会議)」の「共通対策編 / 第1章 総論 / 第4節 市の自然的条件 / 1.位置及び地勢」において「海抜は、最低 0m(海岸線)から最高 3,680mに達する(国土地理院2万5千分の1地形図による)。」との記述が確認できる[15]。
浮島沼は、周辺の湿地帯と合わせて浮島ヶ原とも呼ばれる。浮島沼は東海道五十三次(浮世絵)に描かれている。富士市側は吉原宿、沼津市側は原宿でその姿を見ることができる。
公園内にでごいち文庫(旧国鉄客車を改装した図書館がある・その隣にはD51形蒸気機関車が静態保存されている)
出典
「市町村の変遷」『静岡県統計年鑑2020』(2020年、統計センターしずおか) - 2024年10月15日閲覧。
平松洋志「富士市長選 市政の課題(上)製紙のまち 斜陽化」『読売新聞』読売新聞社、2013年12月7日。
「あと4m高ければ 吉原防波堤の高波災害」11面、『朝日新聞』昭和423年7月26日夕刊 3版。
集中豪雨で775戸浸水 富士市で護岸堤も決壊『朝日新聞』1979年(昭和54年)8月19日朝刊 3版 23面
「特集 市民プール」(PDF)『広報ふじ』第647巻、1995年8月20日発行、2-5頁、2020年10月30日閲覧。
「特集・中央図書館」(PDF)『広報ふじ』第649巻、1995年9月20日発行、2-9頁、2020年10月30日閲覧。
「富士市 中心部来訪者が最少、05年度比2割減」『静岡新聞』2009年10月22日。
平松洋志「富士市長選 市政の課題(下)観光産業発展なるか」『読売新聞』読売新聞社、2013年12月8日。
富士市立博物館『六所家総合調査報告書 古文書②』21頁、富士市教育委員会、2016年
福田晃ら編『幸若舞曲研究別巻』237-239頁、三弥井書店、2004
中山太郎『補遺日本民俗學辭典』268-269頁、昭和書房、1935
“静岡ダービーにお邪魔しました!”. 乃木坂46 運営スタッフ 公式ブログ. 乃木坂46運営委員会 (2012年4月14日). 2013年9月23日閲覧。
- 富士市『2022 市勢要覧』、富士市、2022年。 - リンク
- 富士市教育委員会『富士市文化財保存活用地域計画』、富士市教育委員会、2022年7月。 - リンク