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静岡県の市 ウィキペディアから
富士市(ふじし)は、日本の静岡県東部に位置する市[1]。日本最高峰の富士山南麓に位置し、市域の北端は山頂直下に及ぶ。南は駿河湾に面しており、海岸線から富士山までを市域とする唯一の自治体となっている[1]。東は沼津市、西は静岡市に接する[2]。面積は244.95平方キロメートル[1]。人口は2020年(令和2年)時点で251,616人で、県内では浜松市、静岡市に次ぐ第3位の人口規模だが、2010年(平成22年)以降は減少傾向にあり、また少子高齢化が進行している[3]。
現在の市域においては、約33,000年前の旧石器時代の、愛鷹山麓にある遺跡が、確認できる最古の人間活動である[4]。奈良時代には、現在の富士市・富士宮市にほぼ相当する地域が駿河国富士郡となり、郡家は伝法に置かれた[5]。江戸時代には吉原宿が東海道の宿場に指定され、富士信仰に基づく参詣を行う登山客などが訪れる宿場町として栄えた[6]。また同じく江戸時代中期からは、和紙の産地として知られ、明治に入ると近代的な洋紙の大量生産が始まり、数々の製紙工場が設立された[7]。一方、戦後の高度経済成長期には、製紙工場による大気汚染・水質汚濁・悪臭などが発生し、田子の浦港にはヘドロが堆積するなど、全国的に「公害のデパート」として知られるようになった。そのため、富士市では公害防止協定の締結や健康被害の救済に関する条例の制定、排水路への排出規制などを実施。各社も硫黄排出減少に取り組むなど[8]、官民の連携により、公害問題の克服を果たした[9]。
自治体としては、1966年(昭和41年)4月1日、旧富士市・吉原市・富士郡鷹岡町の新設合併によって発足。2008年(平成20年)11月1日、庵原郡富士川町を編入合併して、現在の市域となっている[10]。また、2001年(平成13年)には、施行時特例市に指定された[11][12]。
主要産業は、富士山の伏流水や富士川などの豊富な水源を利用した製紙である[13][14]。パルプ・紙・紙加工品製造業の出荷は、2018年(平成30年)時点で全国第2位で[13]、2020年(令和2年)時点で、49社の製紙会社、59工場の製紙工場が所在し、全国の36.1パーセントのトイレットペーパーを生産している[2]。一方、最盛期の1991年(平成3年)には6,035億円の出荷額を誇っていたが、2009年(平成21年)2月に王子製紙富士工場の製紙ラインの一部が操業停止となるなどし、「パルプ・紙」の事業所数は275から224に減少。2011年(平成23年)の製紙業の出荷額は4,407億円へ落ち込んでいる[14]。また、2012年(平成24年)9月末には日本製紙富士工場鈴川事業所(旧・大昭和製紙本社工場)での紙生産が全面的に停止となるなど、製紙業の衰退、製紙・パルプの生産減少傾向が続いている[14]。
富士市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 富士市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 富士市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
富士市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
富士市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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富士市(富士地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.5 (68.9) |
23.8 (74.8) |
27.0 (80.6) |
27.7 (81.9) |
30.7 (87.3) |
34.2 (93.6) |
36.9 (98.4) |
36.6 (97.9) |
35.5 (95.9) |
32.1 (89.8) |
26.5 (79.7) |
24.2 (75.6) |
36.9 (98.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 11.2 (52.2) |
12.0 (53.6) |
14.8 (58.6) |
19.3 (66.7) |
23.2 (73.8) |
25.7 (78.3) |
29.1 (84.4) |
31.0 (87.8) |
28.2 (82.8) |
23.3 (73.9) |
18.4 (65.1) |
13.6 (56.5) |
20.8 (69.4) |
日平均気温 °C (°F) | 5.8 (42.4) |
6.8 (44.2) |
9.9 (49.8) |
14.5 (58.1) |
18.8 (65.8) |
22.0 (71.6) |
25.5 (77.9) |
27.0 (80.6) |
24.0 (75.2) |
18.7 (65.7) |
13.3 (55.9) |
8.2 (46.8) |
16.2 (61.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.4 (34.5) |
2.2 (36) |
5.3 (41.5) |
10.0 (50) |
14.7 (58.5) |
18.9 (66) |
22.8 (73) |
23.9 (75) |
20.6 (69.1) |
14.9 (58.8) |
9.1 (48.4) |
3.8 (38.8) |
12.3 (54.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.8 (19.8) |
−7.5 (18.5) |
−5.2 (22.6) |
−0.2 (31.6) |
5.8 (42.4) |
11.4 (52.5) |
14.1 (57.4) |
17.3 (63.1) |
10.5 (50.9) |
4.8 (40.6) |
−0.2 (31.6) |
−4.8 (23.4) |
−7.5 (18.5) |
降水量 mm (inch) | 76.8 (3.024) |
95.4 (3.756) |
193.4 (7.614) |
194.2 (7.646) |
195.3 (7.689) |
227.1 (8.941) |
255.5 (10.059) |
187.3 (7.374) |
273.3 (10.76) |
240.8 (9.48) |
138.4 (5.449) |
81.7 (3.217) |
2,159.1 (85.004) |
平均月間日照時間 | 199.6 | 177.9 | 178.4 | 183.5 | 175.4 | 115.5 | 119.1 | 169.3 | 146.7 | 153.2 | 166.6 | 192.4 | 1,977.5 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[26][27] |
1966年(昭和41年)に岳南地区(旧富士市、吉原市、富士郡鷹岡町)の産業を発展させるため、市民サービスを高めるために新設合併して誕生したのが現在の富士市である。2008年(平成20年)11月には庵原郡富士川町を編入合併した。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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遠藤脩治 | 1954年(昭和29年)3月31日 | 1954年(昭和29年)5月6日 | 市長職務執行者、旧富士町長 | |
1 | 遠藤脩治 | 1954年(昭和29年)5月7日 | 1962年(昭和37年)5月6日 | |
2 | 漆畑五六 | 1962年(昭和37年)5月7日 | 1966年(昭和41年)10月31日 |
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
新政富士 | 10 | ◎荻田丈仁、稲葉寿利、石橋広明、太田康彦、川窪吉男、遠藤盛正、小野由美子、藤田哲哉、佐野智昭、下田良秀 |
民主連合 | 8 | ◎影山正直、小沢映子、笠井浩、鈴木幸司、杉山諭、山下いづみ、小池義治、長谷川祐司 |
凜の会 | 5 | ◎高橋正典、海野庄三、一条義浩、望月徹、吉川隆之 |
ふじ21 | 4 | ◎米山享範、小山忠之、井上 保、小池智明 |
公明党議員団 | 3 | ◎望月 昇、井出晴美、萩野基行 |
無会派(日本共産党議員団) | 2 | 笹川朝子、鳥居育世 |
富士市は工業の盛んな街で、工業の指数の一つである製造品出荷額等は1兆4,554億5,877万円(2015年)であり、現在県内5位である。
県内にはスズキやヤマハ、ホンダなど自動車関連企業が工場を置いており、自動車のトランスミッション大手のジヤトコが本社を置いている。
富士川や富士山の伏流水など水資源が豊富であったことに加えて大消費地の首都圏に近い地の利を生かして最盛期の1991年(平成3年)には旧富士川町を含まない旧富士市内だけで6035億円の出荷額を誇る製紙の街として栄え、大昭和製紙本社工場(現・日本製紙富士工場鈴川事業所)や王子マテリア(旧・王子製紙)などの多数の製紙工場が活発に生産を行っていた[14]。しかし、2009年(平成21年)2月に王子製紙富士工場の製紙ラインの一部が操業停止となるなど「パルプ・紙」の事業所数は275から224に減少が進んだことから、2011年(平成23年)の製紙業の出荷額は4407億円へ落ち込んでいる[14]。2012年(平成24年)9月末には日本製紙富士工場鈴川事業所(旧大昭和製紙本社工場)での紙生産が全面的に停止となるなど、製紙業の衰退、製紙・パルプの生産減少傾向が続いている[14]。
小売業の商業ランキングでは富士市は静岡市、浜松市に次ぐ県内3位である[41]。
富士市は交通の要衝であり、東海道の宿であり中道往還や村山道(近世後期に成立)の起点でもある吉原宿が位置していた[47]。
一方で常に自然災害に見舞われてきた地でもあり、吉原宿は近世に複数回の移転を強いられた。これは往古からの現象であり、例えば武田信玄が駿河侵攻の最中に現在の富士市域に至った際の記録として『甲陽軍鑑』に「がわなりじま(川成島)に御陣をとり給ふ 一夜の内に大水いで 信玄公の諸勢 道具を津なみにひかれ候」とある。このように、一夜の在陣も許されぬ程の荒れ地であった。
歴史の中で富士市を舞台とする芸能も成立し、能「生贄」は富士市を舞台とし、幸若舞「十番切」は富士市の場面を含むものである[48]。能「生贄」の謡曲はアーサー・ウェイリーによって英訳され、20世紀前半には既に海外に紹介されている。
富士市における民俗学のトピックとして、人身御供の伝承が頻繁に取り上げられる[49]。全国に同様の伝承は少なからず存在するが、富士市の伝承は生贄が在地の者ではなく旅人であることが特徴として挙げられている。
例えば、以下のようなものである。
巫女六人、官職の為に上京せむと道此所に至る。里人これを捕え生贄に備むとす(『駿河記』巻二十四富士郡巻之一「柏原新田」)
昔よりこのかた吉原の宿に、今夜泊まりたる旅人は、何れも今日の生贄の御神事に御会い候ぞとよ(能「生贄」謡曲)
富士市都市計画マスタープランでは、都市交通の基本方針として、道路や鉄道などの既存の交通基盤を有効に活用するとともに、自動車交通や公共交通などの交通需要の適正な管理を行い、過度に自動車に依存しないで移動できる都市交通体系を構築することとしている。また、超高齢社会の本格到来を見据え、高齢者をはじめ、誰もが安全・安心・快適に利用できる都市交通体系を構築することとしている。
市内で最も利用者の多い富士駅や、新幹線の駅である新富士駅を中心とする。
新富士駅は東海道本線の富士駅とは離れている。新富士駅開設当時は富士駅から新富士駅のすぐ近く(100 mほど)まで伸びている日本製紙(当時の大昭和製紙)への引込み線を利用して、身延線を新富士駅まで伸ばす計画もあったようだが実現はしなかった。
富士市内のバス網は吉原中央駅を中心として放射状に形成されている。そのため、地域の拠点駅である富士駅(在来線)や新富士駅(新幹線)から目的地に向かうために、吉原中央駅で乗り換えざるを得ないことが多い。現在、富士駅を基点として再編することが計画されている。
民間の路線バスの他に、市のコミュニティバス等も運行されている。
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