大田区
東京都の特別区 ウィキペディアから
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大田区(おおたく)は、東京都の区部南部に位置する特別区。日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)が位置し、区の面積の約4分の1を占める。
おおたく 大田区 | |||||||||
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国 | 日本 | ||||||||
地方 | 関東地方 | ||||||||
都道府県 | 東京都 | ||||||||
市町村コード | 13111-3 | ||||||||
法人番号 | 1000020131113 | ||||||||
面積 |
61.86km2 | ||||||||
総人口 |
751,310人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||||||
人口密度 | 12,145人/km2 | ||||||||
隣接自治体 |
江東区、品川区、世田谷区、目黒区 神奈川県川崎市 | ||||||||
区の木 | クスノキ(1976年制定) | ||||||||
区の花 | ウメ(1976年制定) | ||||||||
区の鳥 | ウグイス(1990年制定) | ||||||||
大田区役所 | |||||||||
区長 | 鈴木晶雅 | ||||||||
所在地 |
〒144-8621 東京都大田区蒲田五丁目13番14号 北緯35度33分41秒 東経139度42分58秒 | ||||||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||||||
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特記事項 |
大田区歌(1955年制定) 平和のシンボルマーク(1988年制定) 英語表記:Ota City 英語表記2:Ota-ku 独語表記:OTA Stadt 仏語表記:Ville OTA 伊語表記:Città di OTA 中国語簡体字表記:大田区 中国語繁体字表記: 大田區 朝鮮語表記:오타구 | ||||||||
ウィキプロジェクト |
東側は東京湾を挟んで房総半島を望み、中央防波堤埋立地で大田区令和島が江東区と陸上境界を接する。北側は品川区、目黒区、世田谷区と隣り合う。南西を流れる多摩川の対岸は神奈川県川崎市である。
1947年(昭和22年)に旧大森区と旧蒲田区が合併して誕生した。区の名称は前身の2区から1文字ずつ取られた合成地名である。羽田空港の拡張により世田谷区を上回り、23区で最大の面積をもつ区になった。
区西部の丘陵部は、日本屈指の高級住宅街として知られている田園調布や山王に代表される住宅都市である。一方で、区東部の臨海部や多摩川沿いは、京浜工業地帯に含まれる工業都市であり、町工場が集積する日本を代表をする「中小企業の街」である[1]。他にも城南地区を代表する繁華街・歓楽街の蒲田、池上本門寺や大森貝塚、洗足池などの名所・旧跡もあり、多様な側面をみせる。
大田区役所がある蒲田地区は、区内行政・経済の中心であるとともに、蒲田駅・京急蒲田駅が所在する交通結節点でもある。東京都心と神奈川県を結ぶ鉄道路線(JR東日本東海道本線・京浜東北線および京急本線)や区内を横断する鉄道(東急池上線・東急多摩川線)、道路でも環状8号線などが通り、羽田空港の玄関口でもある。
区東部の羽田地区を中心とした広大な埋立地は、第二次世界大戦前まで穴守稲荷神社を中心とした東京近郊の一大観光地として栄え、現在は首都高速湾岸線・羽田線が通り、羽田空港や大田市場、東京流通センター、羽田クロノゲートなどが位置し、隣接する東京貨物ターミナル駅や大井コンテナ埠頭などがある品川区八潮地区とあわせて、東京の一大物流拠点となっている。
現在の大田区域は大正時代から昭和時代初期にほぼ全域で耕地整理が行われ、道路など都市基盤原形が整備された。現在は大森と蒲田を「中心核」とし、その他の鉄道駅周辺を「地域核」、羽田を「未来核」とし整備が行われている。
区内人口は2000年国勢調査では前回比2.21%増、2005年国勢調査では同2.31%増と増加傾向にあり、2017年時点では鳥取県や島根県、高知県の人口を上回る。大田区戸籍住民課調べによる出生・死亡などの自然増減、転入・転出などの社会増減、外国人の帰化などのその他増減を加味した人口動態でも2004年度+4,862人、2005年度+5,246人、2006年度+3,043人の増加となっている。区内人口は夜間人口より昼間人口の方が多い。男女比率は2005年国勢調査では、男性103 対 女性100 となっている。
人口密度は2000年国勢調査では10,937人/km2、2005年国勢調査では11,190人/km2である。東京23区で19番目の低人口密度となっているが、これは前述の通り羽田空港の面積を含むからである。それでも東京都平均の約2倍、全国平均の約33倍に相当する。
世帯当たりの人員は2000年国勢調査では2.19人、2005年国勢調査では2.11人と減少傾向にある。
外国人登録者数は一定している。大田区戸籍住民課調べでは毎年1月1日時点で2003年15,534人、2004年16,015人、2005年15,716人、2006年16,181人、2007年16,475人、2019年1月1日現在でその数は24,199人に達している。国籍では中国、韓国朝鮮、フィリピンの順に多い。
人口は増加傾向にあり、世帯数はさらに急増傾向にあるため、1世帯当たりの人員は縮小傾向にある。これは「夫婦と子供世帯」の大家族世帯が減少し、「単身世帯」や「夫婦のみの2人世帯」が増加していることを示している。
大田区高齢福祉課の予想では2023年度には区域の5人に1人が、75歳以上の後期高齢者となる。
大田区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大田区の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大田区
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大田区(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2005年に夜間人口(居住者)は664,029人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は657,209人で、昼は夜の0.99倍の人口になる[2](国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)。区内の繁華街(大森、蒲田)では夜より昼の人口が多く、郊外の町(東急沿線)では昼より夜の人口が多いため、相殺されて上記の数字となっている。
区の中央に位置する平地部は市街地が広がり、ビルやマンションなどが立ち並ぶ。
京浜運河より東側は埋立地となっており、物流拠点や工業団地がある。野鳥公園、海浜公園などが整備されている。
池上通りより西側は丘陵部となっており、小規模なアパートや民家、農地が混在している。丘陵部には臼田坂、蓬莱坂など名称を持つ坂が約50ある。標高は東から西に向かって高くなり、最高点では約42.5mとなる。
飛び地状の領域として、令和島地区1.03km2が中央防波堤埋立地西側に存在し、2020年6月1日に町名の新設及び住居表示が実施された。
埋立地以外の領域はほとんどが多摩川の左岸にあるが、右岸の河川敷に一部、川崎市川崎区に囲まれた飛び地状の領域がある。逆に、大師橋付近の左岸の河川敷には川崎市の飛び地がある。これらは、かつて大きく蛇行していた多摩川の旧流路の痕跡である[3]。
括弧内は行政区を示す。
東京都
神奈川県
大田区は東京湾の埋め立てによって区域を拡大してきた。1967年(昭和42年)平和島および昭和島、1972年(昭和47年)大井ふ頭、1974年(昭和49年)京浜島、1978年(昭和53年)城南島と次々に人工島を造成し、更に1984年(昭和59年)から始まった羽田空港沖合埋立て工事が1992年(平成4年)に完了したことで、世田谷区を抜いて東京23区総面積の9.6%を占める最も大きな区となった(同時に大田区の総面積の約3割を羽田空港が占めるようになった)。
中央防波堤周辺の帰属問題については「中央防波堤埋立地」を参照。
区域は、気象庁の警報注意報の発表区域では東京地方23区西部に、ケッペンの気候区分では温帯の温暖湿潤気候に属する。冬季の降雪はほとんどない。区域では北寄りの風が多い。羽田空港滑走路も北寄りの風に対応している。
区域には気象庁が東京23区に設置しているアメダス観測地点の一つがある。羽田観測地点(北緯35度33.2分、東経139度46.8分、標高6m)で、降水量、気温、風向風速を観測している。当初は降水量のみ観測していたが、1993年から気温、風向風速の観測も始めた。
東京国際空港(羽田空港、東京航空地方気象台)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.1 (70) |
22.3 (72.1) |
24.8 (76.6) |
27.8 (82) |
31.3 (88.3) |
35.5 (95.9) |
37.1 (98.8) |
38.2 (100.8) |
35.5 (95.9) |
32.1 (89.8) |
27.2 (81) |
24.8 (76.6) |
38.2 (100.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.8 (49.6) |
10.4 (50.7) |
13.7 (56.7) |
18.5 (65.3) |
22.9 (73.2) |
25.5 (77.9) |
29.5 (85.1) |
31.2 (88.2) |
27.2 (81) |
21.9 (71.4) |
16.9 (62.4) |
12.3 (54.1) |
20.0 (68) |
日平均気温 °C (°F) | 6.3 (43.3) |
6.8 (44.2) |
9.8 (49.6) |
14.5 (58.1) |
19.0 (66.2) |
22.0 (71.6) |
25.8 (78.4) |
27.4 (81.3) |
24.0 (75.2) |
18.9 (66) |
13.8 (56.8) |
8.9 (48) |
16.4 (61.5) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.7 (36.9) |
3.3 (37.9) |
6.1 (43) |
10.8 (51.4) |
15.7 (60.3) |
19.3 (66.7) |
23.2 (73.8) |
24.6 (76.3) |
21.4 (70.5) |
16.2 (61.2) |
10.6 (51.1) |
5.3 (41.5) |
13.3 (55.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −2.5 (27.5) |
−2.9 (26.8) |
−0.2 (31.6) |
0.1 (32.2) |
9.2 (48.6) |
12.1 (53.8) |
17.2 (63) |
17.9 (64.2) |
13.1 (55.6) |
8.9 (48) |
1.5 (34.7) |
−2.2 (28) |
−2.9 (26.8) |
降水量 mm (inch) | 51.0 (2.008) |
52.1 (2.051) |
111.3 (4.382) |
117.6 (4.63) |
126.7 (4.988) |
150.1 (5.909) |
137.4 (5.409) |
114.4 (4.504) |
204.9 (8.067) |
204.5 (8.051) |
90.0 (3.543) |
55.0 (2.165) |
1,405.4 (55.331) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.9 | 5.7 | 10.0 | 9.9 | 10.2 | 11.4 | 9.9 | 7.3 | 10.8 | 10.3 | 7.7 | 5.4 | 102.6 |
出典1:平年値(年・月ごとの値)(降水量のみ1991年 - 2020年、それ以外は1993年 - 2020年) | |||||||||||||
出典2:観測史上1〜10位の値最高/最低気温記録は1993年以降 |
先土器時代には人が住んでいたことが、久が原小学校内遺跡調査により確認されている。続く時代の遺跡では、縄文時代は大森貝塚が、弥生時代は山王遺跡が発見されている。
古墳時代には強大な首長がいたと推測され、荏原台古墳群が多摩川流域沿いにある。
日本が令制国に分けられると、現在の大田区は武蔵国荏原郡とされた。奈良時代から平安時代の官衙跡もあり、数多くの横穴墓が斜面に掘られ、村落が広がりを見せていたと思われる。
豪族の居館・城館跡が多く残されている。南北朝時代には、蒲田を領した武蔵江戸氏支流が蒲田氏を名乗り、そのはじめである蒲田忠武らは、南朝方の新田義興を多摩川の矢口渡で謀殺した
戦国時代に武蔵国を支配した後北条氏は、豊臣政権による小田原征伐で大名としては滅び、その旧領には徳川家康が国替えとなった。関ヶ原の戦いで勝利した家康は江戸幕府を開き、江戸南郊である現在の大田区は、天領、幕臣知行地、近辺の寺社領となった。
多摩川には六郷橋が架橋され、その他の各所では渡し船が盛んであった。
江戸湾(現在の東京湾)では海苔が養殖されたほか、大森の麦細工、梨などが名物であった。
本區は蒲田町、羽田町、六鄕町、矢口町の合併したもので、市の西南壁を成し隣接川崎市と對峙してゐる。役所は舊蒲田町役場を使用する。市會議員は増員選擧も總選擧の場合も同じく定數二名で、區會議員は定員三十六名の豫定である。神社には鈴木御臺場に穴守神社がある、俗に穴守稻荷と稱して賽者の絶へないのを以て有名である。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観』第六節「蒲田區」より
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)7月1日、東京都制が施行され、大森区と蒲田区を含む東京市35区は東京都の区となった。
区役所本庁舎沿革については、大田区役所を参照のこと。
合併した大森区と蒲田区からそれぞれ1文字ずつ採った合成地名である。一説には、当時の人口は大森区が蒲田区の3倍以上であり、町の歴史や規模も大森が勝っていた(実際に合併後の大田区役所は、区の鉄道網が集まる蒲田ではなく、元大森区役所に設置された)ため、旧品川区が旧荏原区と合併したがそのまま品川区となったように、そのまま「大森区」の名称を継承する予定であったが、合併協議の際に大森区側議員が失言し、蒲田区側議員が反対をはじめたため、両者から1文字ずつ採る事になったともいわれている。
その他の案には、「東海区」「六郷区」「京浜区」「池上区」「多摩川区」「多摩区」「羽田区」などがあった[4]。
大田区では区域を4分割し、各地域ごとに地域庁舎を設置している。更に地域庁舎の下部組織として特別出張所を設置している。また、行政地区を3区分とする場合は、蒲田地域、糀谷・羽田地域を合わせて蒲田地区としている。
大田区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森3、大森4、大森6の各全部と大森7、大森8の各一部 | ||
大森中二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森5の全部と大森7、大森8の各一部 | |
大森中三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森7、大森8の各一部 | |
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森1の一部 | ||
大森東二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森3、大森6の各一部 | |
大森東三丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森6、大森7の各一部 | |
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森9、北糀谷町の各一部 | 旧町丁が北糀谷町の部分を除く。 | |
大森南二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森9、北糀谷町の各一部 | 旧町丁が北糀谷町の部分を除く。 |
大森南三丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森9の一部 | |
大森南四丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 森ケ崎町の一部 | |
大森南五丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 森ケ崎町の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森3、大森4、大森6の各全部と大森7、大森8の各一部 | ||
大森中二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森5の全部と大森7、大森8の各一部 | |
大森中三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 大森7、大森8の各一部 | |
大森東四丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森8の一部 | |
大森東五丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森8の一部 | |
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森2、新井宿5、新井宿7の各一部 | ||
大森西二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森1、大森2、大森3の各一部 | |
大森西三丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森3の一部 | |
大森西四丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森3、大森4、大森5、新井宿7の各一部 | |
大森西五丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森4の一部 | |
大森西六丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森5の一部 | |
大森西七丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森5、本蒲田1の各一部 | |
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 入新井1、大森1の各一部 | ||
大森本町二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森1の一部 | |
2005年3月1日 | 2005年3月1日 | (平和の森公園 (大田区)#地名の変遷を参照。) | ||
2005年3月1日 | 2005年3月1日 | (大森ふるさとの浜辺公園#地名の変遷を参照。) | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 入新井4、入新井5、入新井6、新井宿1、新井宿2の各一部 | ||
大森北二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 入新井1、入新井5の各一部 | |
大森北三丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森1、入新井1、入新井2、入新井3、入新井4の各一部 | |
大森北四丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 入新井3、入新井4、入新井6、新井宿2、新井宿3の各一部 | |
大森北五丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森2、入新井3、新井宿3、新井宿5の各一部 | |
大森北六丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森1、大森2、入新井2、入新井3の各一部 | |
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 入新井1、大森1の各一部 | ||
1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島1の全部 | ||
平和島二丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島2の全部 | |
1988年4月1日 | 平和島2-4先公有水面、平和島2-6先公有水面、平和島2-7先公有水面の各全部 | |||
平和島三丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島3の全部 | |
平和島四丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島4の全部 | |
平和島五丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島5の全部 | |
平和島六丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 平和島6の全部 | |
1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 昭和島1の全部 | ||
昭和島二丁目 | 1967年10月20日 | 1968年4月15日 | 昭和島2の全部 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 山王1の全部と山王2、馬込町東2、新井宿1の各一部 | ||
山王二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 山王2、馬込町東2、新井宿1、新井宿2の各一部 | |
1975年10月1日 | 1975年10月1日 | 埋立地 | ||
京浜島二丁目 | 1975年10月1日 | 1975年10月1日 | 埋立地 | |
京浜島三丁目 | 1979年5月1日 | 1979年5月1日 | 京浜第6区埋立地第2区A区の全部 | |
1986年9月1日 | 京浜島地先公有水面京浜第6区埋立地第2区C区の全部 | |||
1980年1月1日 | 東海1の全部 | |||
東海二丁目 | 1988年11月1日 | 1988年11月1日 | (東海 (大田区)#町名の変遷を参照。) | |
東海三丁目 | 1988年11月1日 | 1988年11月1日 | (東海 (大田区)#町名の変遷を参照。) | |
東海四丁目 | 1980年1月1日 | 東海4の全部 | ||
東海五丁目 | 1980年1月1日 | 東海5の全部 | ||
東海六丁目 | 1988年11月1日 | 1988年11月1日 | (東海 (大田区)#町名の変遷を参照。) | |
1980年1月1日 | 1980年1月1日 | 城南島の一部 | ||
城南島二丁目 | 1985年6月1日 | 1985年6月1日 | 大井ふ頭その2埋立地第3区、大井ふ頭その2拡張埋立地第2区の各一部 | |
城南島三丁目 | 1996年9月5日 | 1996年9月5日 | 大井ふ頭その2埋立地第2区の全部と大井ふ頭その2埋立地第3区、大井ふ頭その2拡張埋立地第1区、大井ふ頭その2拡張埋立地第2区の各一部 | |
城南島四丁目 | 1990年4月1日 | 1990年4月1日 | 埋立地 | |
城南島五丁目 | 1991年8月15日 | 1991年8月15日 | 大井ふ頭その2埋立地第3区、大井ふ頭その2埋立地第4区イ工区、大井ふ頭その2拡張埋立地第2区の各一部 | |
城南島六丁目 | 1991年8月15日 | 1991年8月15日 | 大井ふ頭その2埋立地第4区イ工区の一部 | |
城南島七丁目 | 1996年9月5日 | 1996年9月5日 | 大井ふ頭その2埋立地第4区ロ工区、大井ふ頭その2拡張埋立地第3区の各全部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東3、馬込町東4の各一部 | ||
東馬込二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東2、馬込町東3、馬込町東4の各一部 | |
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東2、馬込町東3、馬込町東4、馬込町西1の各一部 | ||
南馬込二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東1、馬込町東2、馬込町東3の各一部 | |
南馬込三丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東1、馬込町東2、新井宿3、新井宿4の各一部 | |
南馬込四丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東1、馬込町西1、新井宿4の各一部 | |
南馬込五丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町西1、馬込町西2、馬込町西3の各一部 | |
南馬込六丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東1、馬込町西1、馬込町西2、梅田町、桐里町、池上本町、上池上町の各一部 | |
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町西4、上池上町の各一部 | ||
中馬込二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東4、馬込町西4の各一部 | |
中馬込三丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東3、馬込町東4、馬込町西3、馬込町西4、上池上町の各一部 | |
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東3、馬込町西2、馬込町西3の各一部 | ||
西馬込二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町西2、上池上町の各一部 | |
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町西4の一部 | ||
北馬込二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町西4、馬込町東4の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 市野倉町、桐里町、梅田町、馬込町東1の各一部 | ||
中央六丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 市野倉町、堤方町、桐里町の各一部 | |
中央七丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 新井宿6、市野倉町の各一部 | |
中央八丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 堤方町の一部 | |
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 馬込町東1、馬込町西1、馬込町西2、梅田町、桐里町、池上本町、上池上町の各一部 | ||
1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 市野倉町、桐里町の各全部と池上本町、堤方町、梅田町の各一部 | ||
池上二丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上本町、梅田町の各一部 | |
池上三丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上本町、池上徳持町、久ケ原町の各一部 | 旧町区域が久ケ原町の部分を除く。 |
池上四丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上本町、池上徳持町、堤方町の各一部 | |
池上五丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 女塚1の全部と堤方町の一部 | |
池上六丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上徳持町の一部 | |
池上七丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上徳持町、安方町の各一部 | |
池上八丁目 | 1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上徳持町、安方町、矢口町、調布千鳥町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 新井宿3、新井宿4、新井宿5の各一部 | ||
中央二丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 新井宿5、新井宿6の各一部 | |
中央三丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 新井宿6の一部 | |
中央四丁目 | 1965年11月15日 | 1965年11月15日 | 新井宿4、新井宿5、新井宿6、市野倉町、馬込町東1の各一部 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 山王2、新井宿1、新井宿2、新井宿3、新井宿5の各一部 | ||
山王四丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 山王2、馬込町東2、新井宿2、新井宿3の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 久ケ原町、調布嶺町1の各一部 | ||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 調布鵜ノ木町の全部と調布嶺町1、調布嶺町2の各一部 | ||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、道々橋町、久ケ原町、調布嶺町1の各一部 | ||
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布1、調布嶺町2の各全部と田園調布2、調布嶺町1の各一部 | ||
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布2、調布大塚町、調布嶺町1の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布3、調布大塚町の各一部 | ||
田園調布二丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布4の全部 | |
田園調布三丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布5の全部 | |
田園調布四丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布6の全部と田園調布3の一部 | |
田園調布五丁目 | 1970年9月1日 | 1970年9月1日 | 田園調布7の全部 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、調布大塚町の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布鵜ノ木町、調布嶺町2の各一部 | ||
鵜の木二丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布鵜ノ木町、調布嶺町2の各一部 | |
鵜の木三丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布嶺町2の一部 | |
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 池上徳持町の全部と久ケ原町、調布千鳥町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分を除く。 | |
千鳥二丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布千鳥町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分を除く。 |
千鳥三丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布千鳥町、調布鵜ノ木町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分を除く。 |
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布千鳥町、調布鵜ノ木町の各一部 | ||
南久が原二丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町、調布鵜ノ木町、調布嶺町1の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1967年12月1日 | 1967年12月1日 | 池上本町、池上徳持町、久ケ原町の各一部 | 旧町区域が久ケ原町の部分に限る。 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、道々橋町、久ケ原町、調布嶺町1の各一部 | ||
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 池上徳持町の全部と久ケ原町、調布千鳥町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分を除く。 | |
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町、道々橋町、調布嶺町1の各一部 | ||
久が原二丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町、道々橋町の各一部 | |
久が原三丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町の一部 | |
久が原四丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町、調布千鳥町の各一部 | |
久が原五丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町の一部 | |
久が原六丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 久ケ原町、調布千鳥町の各一部 | |
1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町、上池上町、道々橋町の各一部 | ||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、道々橋町、久ケ原町の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、道々橋町、久ケ原町、調布嶺町1の各一部 | ||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、調布大塚町の各一部 | ||
1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 石川町、雪ケ谷町、南千束町の各一部 | ||
1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 上池上町、雪ケ谷町、道々橋町の各一部 | ||
仲池上二丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 上池上町、池上本町の各一部 | |
1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、池上洗足町の各一部 | ||
南千束二丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、上池上町、雪ケ谷町、池上洗足町の各一部 | |
南千束三丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、雪ケ谷町の各一部 | |
1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町、上池上町の各一部 | ||
東雪谷二丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町の一部 | |
東雪谷三丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町の一部 | |
東雪谷四丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町、上池上町の各一部 | |
東雪谷五丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 雪ケ谷町、上池上町、道々橋町の各一部 | |
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町の一部 | ||
南雪谷二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、調布大塚町の各一部 | |
南雪谷三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町の一部 | |
南雪谷四丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、調布嶺町1の各一部 | |
南雪谷五丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 雪ケ谷町、道々橋町、久ケ原町の各一部 | |
1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 南千束町の全部と上池上町、池上洗足町の各一部 | ||
上池台二丁目 | 1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 上池上町、池上洗足町の各一部 | |
上池台三丁目 | 1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 上池上町の一部 | |
上池台四丁目 | 1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 馬込町西4の全部と上池上町の一部 | |
上池台五丁目 | 1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 上池上町の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、池上洗足町の各一部 | ||
南千束二丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、上池上町、雪ケ谷町、池上洗足町の各一部 | |
南千束三丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 南千束町、雪ケ谷町の各一部 | |
1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 北千束町の一部 | ||
北千束二丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 北千束町の一部 | |
北千束三丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 北千束町の一部 | |
1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 石川町、南千束町の各一部 | ||
石川町二丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 石川町、南千束町の各一部 | |
1968年10月15日 | 1968年10月15日 | 南千束町の全部と上池上町、池上洗足町の各一部 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森9、北糀谷町の各一部 | 旧町区域が北糀谷町の部分に限る。 | |
大森南二丁目 | 1964年9月1日 | 1964年9月1日 | 大森9、北糀谷町の各一部 | 旧町区域が北糀谷町の部分に限る。 |
1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 北糀谷町、糀谷町3の各一部 | ||
東糀谷二丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 糀谷町3の一部 | |
東糀谷三丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 糀谷町2の全部と糀谷町4の一部 | |
東糀谷四丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 糀谷町4の一部 | |
東糀谷五丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 糀谷町4、糀谷町5の各一部 | |
東糀谷六丁目 | 1965年2月1日 | 1965年2月1日 | 糀谷町4、糀谷町5の各一部 | |
1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 北糀谷町、糀谷町1、東蒲田3の各一部 | ||
西糀谷二丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 北糀谷町、糀谷町2、糀谷町3の各一部 | |
西糀谷三丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 糀谷町2、新宿町の各一部 | |
西糀谷四丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 糀谷町1、新宿町の各一部 | |
1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北糀谷町の一部 | ||
北糀谷二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北糀谷町の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1958年 | 1967年9月1日 | 羽田旭町の一部 | ||
1958年 | 1967年9月1日 | 羽田4の全部 | ||
羽田二丁目 | 1958年 | 1967年9月1日 | 羽田1の全部 | |
羽田三丁目 | 1958年 | 1967年9月1日 | 羽田2の全部 | |
羽田四丁目 | 1958年 | 1967年9月1日 | 羽田5の全部 | |
羽田五丁目 | 1958年 | 1967年9月1日 | 羽田6の全部と羽田旭町の一部 | |
羽田六丁目 | 1958年 | 1967年9月1日 | 羽田3の全部 | |
1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、羽田本町の各一部 | ||
本羽田二丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、羽田本町の各一部 | |
本羽田三丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、羽田本町の各一部 | |
1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 羽田江戸見町、羽田鈴木町、羽田穴守町の各一部 | ||
羽田空港二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 羽田御台場、猟師町御台場、鈴木御台場の各全部と羽田江戸見町、羽田鈴木町、羽田穴守町の各一部 | |
羽田空港三丁目 | 1993年7月1日 | 羽田空港3の全部など(羽田空港 (大田区)#町名の変遷を参照。) | ||
1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、東六郷1の各一部 | ||
萩中二丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、新宿町の各一部 | |
萩中三丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、糀谷町2、新宿町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 東六郷1の一部 | ||
東六郷二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 東六郷2、東六郷3の各一部 | |
東六郷三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 東六郷3、東六郷4の各一部 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 西六郷1、古川町の各一部 | ||
西六郷二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 西六郷2の一部 | |
西六郷三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 西六郷2、西六郷3の各一部 | |
西六郷四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 西六郷3の一部 | |
1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 南六郷1の全部と南六郷2の一部 | ||
南六郷二丁目 | 1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 南六郷2の一部 | |
南六郷三丁目 | 1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 南六郷3の全部 | |
1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 仲六郷1の全部と東六郷1の一部 | ||
仲六郷二丁目 | 1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 仲六郷2の全部と東六郷2の一部 | |
仲六郷三丁目 | 1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 仲六郷3の全部と東六郷3の一部 | |
仲六郷四丁目 | 1937年1月1日 | 1966年10月1日 | 仲六郷4の全部と東六郷4の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 池上徳持町の全部と久ケ原町、調布千鳥町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分に限る。 | |
千鳥二丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布千鳥町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分に限る。 |
千鳥三丁目 | 1968年9月1日 | 1968年9月1日 | 調布千鳥町、調布鵜ノ木町、矢口町の各一部 | 旧町区域が矢口町の部分に限る。 |
1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 下丸子町、矢口町の各一部 | ||
下丸子二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 下丸子町、矢口町、古市町の各一部 | |
下丸子三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 下丸子町、矢口町、調布鵜ノ木町の各一部 | |
下丸子四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 下丸子町、調布鵜ノ木町、調布嶺町2の各一部 | |
1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 矢口町の一部 | ||
矢口二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 矢口町、今泉町の各一部 | |
矢口三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 矢口町、今泉町、古市町の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1967年9月1日 | 1967年9月1日 | 蓮沼町の全部と池上徳持町の一部 | ||
東矢口二丁目 | 1967年9月1日 | 1967年9月1日 | 安方町、矢口町の各一部 | |
東矢口三丁目 | 1967年9月1日 | 1967年9月1日 | 小林町の全部 | |
1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 今泉町の全部と安方町、矢口町の各一部 | ||
多摩川二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 古市町、原町の各全部と古川町の一部 | |
1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 御園3の全部と御園2の一部 | ||
新蒲田二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 小林町、道塚町の各一部 | |
新蒲田三丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 道塚町、古川町、西六郷1の各一部 | |
1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 女塚1の一部 | ||
西蒲田二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 蓮沼1の全部 | |
西蒲田三丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 蓮沼2の全部と女塚2の一部 | |
西蒲田四丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 女塚2、女塚3の各一部 | |
西蒲田五丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 女塚3、女塚4の一部 | |
西蒲田六丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 蓮沼3の全部と女塚3、女塚4の各一部 | |
西蒲田七丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 御園1の全部と女塚4の一部 | |
西蒲田八丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 御園2の一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
---|---|---|---|---|
1937年11月1日 | 1969年9月1日 | 東蒲田1の全部 | ||
東蒲田二丁目 | 1937年11月1日 | 1969年9月1日 | 東蒲田2の全部と北糀谷町の一部 | |
1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 東蒲田3の一部 | ||
南蒲田二丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 東六郷1、東蒲田4の各一部 | |
南蒲田三丁目 | 1964年4月1日 | 1964年4月1日 | 萩中町、新宿町の各一部 | |
1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田1、本蒲田2、本蒲田3、大森5の各一部 | ||
蒲田二丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田1、本蒲田2、仲蒲田1、仲蒲田2、東蒲田1、大森5の各一部 | |
蒲田三丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田2、仲蒲田1、仲蒲田2、仲蒲田3、東蒲田1、東蒲田2、東蒲田3の各一部 | |
蒲田四丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田3、本蒲田4、仲蒲田2、仲蒲田3、仲蒲田4、東蒲田2、東蒲田3、東蒲田4の各一部 | |
蒲田五丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田3、本蒲田4の各一部 | |
1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田4、本蒲田5の各一部 | ||
蒲田本町二丁目 | 1965年9月1日 | 1965年9月1日 | 本蒲田4、本蒲田5、仲蒲田3、仲蒲田4、東蒲田4の各一部 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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2020年6月1日 | 2020年6月1日 | 中央防波堤外側埋立地その1第1工区、同第2工区A区の各一部 | ||
令和島二丁目 | 2020年6月1日 | 2020年6月1日 | 中央防波堤外側埋立地その1第1工区、同第2工区A区の各一部 | |
区域に存在する温泉は、ほとんどの源泉が独特の香りがある「黒湯」と呼ばれる褐色の冷鉱泉である。場所により色の濃淡がある。泉質はナトリウム化合物、炭酸水素塩が含まれる食塩泉、重曹泉である。これらは太古の海水、植物、藻などが埋没分解してできた化石水と言われている。区域にはクアハウスの他、黒湯が楽しめる銭湯が数多くあり、現時点では東京の特別区では最多の温泉施設が存在する。
また、現在の羽田空港地区には戦前まで穴守稲荷神社を中心とした一大鉱泉宿街(塩化物泉)が広がっており、東京飛行場拡張に伴い一度消滅したが、2022年12月21日の羽田エアポートガーデン(羽田空港泉天空温泉)の開業によって、羽田の地に再び温泉が復活することになった[7]。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 | 備考 |
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藤田綾子 | 当 | 46 | 日本共産党 | 現 | 34,328票 | |
松田龍典 | 当 | 34 | 日本維新の会 | 新 | 29,701票 | |
斉藤里恵 | 当 | 37 | 立憲民主党 | 新 | 27,001票 | |
鈴木晶雅 | 当 | 63 | 自由民主党 | 現 | 26,244票 | 2023年4月3日に辞職[9] |
勝亦聡 | 当 | 58 | 公明党 | 新 | 25,770票 | |
森愛 | 当 | 44 | 都民ファーストの会 | 現 | 25,014票 | 2023年4月16日に辞職 |
玉川英俊 | 当 | 52 | 公明党 | 新 | 23,062票 | |
奥本有里 | 落 | 44 | 都民ファーストの会 | 新 | 20,373票 | |
鈴木章浩 | 落 | 58 | 自由民主党 | 現 | 19,793票 | |
山森寛之 | 落 | 42 | 自由民主党 | 元 | 12,835票 | |
岡高志 | 落 | 45 | 国民民主党 | 新 | 8,943票 | |
溝口晃一 | 落 | 52 | 無所属 | 新 | 4,213票 | |
原忠信 | 落 | 69 | 無所属 | 新 | 1,548票 | |
片岡将志 | 落 | 26 | 諸派 | 新 | 1,012票 | |
村元寅次 | 落 | 68 | 諸派 | 新 | 502票 |
※大田区の郵便局一覧
現在も極めて少数だが農家が存在する。2014年(平成26年)大田区農家基本調査によると農家該当世帯は10世帯である。生産物上位は盆栽植木類、シクラメン、小松菜となっている。区域にはJA東京中央の支店が存在する。
大森は海苔養殖の発祥の地とも言われ、江戸時代には御膳海苔として上納されていた。昭和になり最盛期には東京港中央部まで進出して操業していたが、1962年(昭和37年)東京湾汚染、埋立地拡張のため海苔養殖の漁業権を放棄した。しかし、現在でも海苔問屋が数十社あり、海苔流通の中心となっている。毎年12月に大森海苔会館で行われる大森海苔組合初入札での初値は全国の海苔入札における基準値になっている。
羽田は江戸時代からの漁師町である。現在でも漁師が在住しておりアナゴ漁やアサリ漁を行っている。 区域には大田漁業協同組合が存在するが漁港はない。
区域には青果、花きの取扱量日本一の大田市場(東京都中央卸売市場)が存在するため、卸売り業の比率が高い。小売業については商店数の減少が進んでいる。大規模小売店や大手チェーン店が新設される一方で、既存店舗と商店街は低迷・衰退傾向にある。一例として、山王のダイシン百貨店は2016年、買収によりMEGAドン・キホーテ大森山王店に業態転換した。
20世紀初頭に東京ガスが大森に工場を設けて以来、大田区は東京都内有数の工業集積地となった。神奈川県の川崎市、横浜市と共に京浜工業地帯の中核をなしている。平成25年(2013年)工業統計調査(2. 市区町村別、産業中分類別統計表)によると、区域には1,503の事業所がある。
大田区の製造業は中小企業が多く、こうした「町工場」はピーク時に1万近くあった。現在は3000程度に減っている[12]。国内景気の低迷、納入先企業の生産海外移転による経営難、後継者不在などが町工場減少の背景となっている。このため、大田区では大田区産業プラザの建設、財団法人大田区産業振興協会設立などによる中小企業支援を行い、東京都も東京都立産業技術研究センター城南支所、中小企業振興公社城南支社を設置している。
町工場地帯に後から入ってきた住民が、工場の騒音や臭いなどに不満を抱く「住工混在」地域としての問題もあるが、大田区は製造業の集積を維持する「住工調和」を掲げている。独立した建物での起業や創業が困難な事業者には「工場アパート」を期間限定で貸し出している。
特筆ない限り区域に本社がある企業を表す。
蒲田地域では鉄道路線網が発達しているが、大森地域では放射状(南北方向)の鉄道しか走っていない。そのため、大森地域における東西方向の公共交通機関は路線バスに頼ることとなる。
※なお、区内を通っている地下鉄路線は浅草線のみで都営地下鉄の運営路線である為、地下鉄路線が一切通ってない世田谷区、葛飾区を除いて東京23区で唯一、東京メトロの路線が存在しない区である[注釈 1]。
区域内の路線バスはJR東海道線を境に東側を京浜急行バス、西側を東急バスが担当している(埋立地では都営バスが運行担当している路線もある)。
バス網の発達は早く、昭和初期には目蒲乗合、池上電気鉄道、梅森蒲田自動車、京浜電気鉄道、東京乗合自動車の各社が区内に路線網を繰り広げていた。そのうち前記二社は目黒蒲田電鉄を経て東京横浜電鉄に、後記三社は京浜電気鉄道の系列下にそれぞれ集約されたが、1942年に戦時統合で区内のバス会社は全て東京急行電鉄(いわゆる大東急)に統合された。1948年の大東急再編成で現在の東海道線を境界とした棲み分けが形成された。かつては大森駅 - 新宿駅西口、池上駅 - 東京駅八重洲口、蒲田駅 - 代田四丁目などの中距離路線もあり路線は充実していたが、近年は路線統合、路線縮小の方向にある。
乗降方式は前乗り中降りで、基本は均一運賃制である。一部に区間運賃制の路線があるが、整理券は使用せず、乗車時に行先を乗務員に申告して所定の運賃を支払う。
羽田空港はバスターミナルとして都内有数の規模であり、路線バスの他にも各地へ空港リムジンバスが運行されている。
その他リムジンバスとして羽田空港に乗り入れる都内およびその周辺のバス事業者がある。
区域に能力育成、教養向上を図ることを目的した専修学校がある。
公立
私立
公立
私立
大田区立庄中学校限定の給食メニューに「たこぺったん」がある。具材はたこ焼きとほぼ同じで、1995年頃、区立中学の栄養士が、油で揚げて、火の通りを良くするため少し「ぺったんこ」にする調理法を考案した。中濃ソースをつけるのが一般的で、2014年の成人のつどいで行なわれたアンケートで「食べたい懐かしい給食」首位に挙がったほどの人気メニューで、イトーヨーカドー大森店との協力で市販化が進められている[16]。
区立小学校の総児童数は1958年(昭和33年)をピークに減少を続けている。
公立
私立
かつて区域には9の区立幼稚園と49の私立幼稚園があった。しかし、2004年10月8日大田区議会において「大田区立幼稚園条例を廃止する条例」が可決され、2009年3月末に全ての区立幼稚園が廃止された。
区域に学校教育に類する教育を行う各種学校がある。
区域に東京都立の特別支援学校がある。大田区立の特別支援学校はない。
施設名 | 概説 |
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大田区立郷土博物館 | 区域の文化遺産を保管展示。 |
大田区多摩川台公園古墳展示室 | 古墳や横穴式石室を再現し出土品のレプリカを展示。 |
馬込文士村資料展示室 | 戦前大田区馬込を中心とした地域に住んでいた作家・文人に関する資料を展示。(大田区立山王会館1階) |
大田区立龍子記念館・龍子公園 | 日本画家川端龍子の作品展示および隣接する旧宅の庭とアトリエを公開。池上本門寺大堂天井には龍子未完の遺作「龍」がある。 |
大田区立熊谷恒子記念館 | 現代女流かな書道家で、上皇后美智子へのご進講も務めた熊谷恒子の旧宅を改装して作品を展示。 |
大田区立山王草堂記念館 | 日本で最初の総合雑誌「国民之友」を創刊した徳富蘇峰の旧宅一部を保存して資料を公開。敷地全体は大田区立蘇峰公園となっている。 |
大田区立勝海舟記念館 | 2019年開館。晩年を区域の洗足池の畔の洗足軒で過ごした「勝海舟」の記念館。 |
昭和のくらし博物館 | 昭和20年代の住宅と生活道具を公開。 |
五十嵐健治記念洗濯資料館 | 白洋舍東京支店構内。同社創業者五十嵐健治の資料およびクリーニングの歴史を展示。 |
大森海苔のふるさと館 | 大森ふるさとの浜辺公園内にある海苔に関する資料館。海苔に関する資料のほか、海苔づくりなどの体験もできる。 |
尾崎士郎記念館 | 2008年開館。作家尾崎士郎が1964年(昭和39年)に没するまで住んだ旧宅。大田区が2003年(平成13年)遺族より敷地を購入し建物は寄贈を受けた。書斎部分は尾崎の生地愛知県西尾市の記念館に寄贈移築されていたため、設計図を基に復元された。 |
池上本門寺「霊宝殿」 | 池上本門寺境内にあり。同寺に伝わる宗祖日蓮の遺文などの文書類など多数の文化財、資料を収蔵している。開館は日曜日のみ。 |
ギャラリー鴻 | 2010年開館。東京工科大学12号館内に設置。学生作品のみならず、2018年から「特撮のDNA」展の東京会場となっている。 |
JAL「SKY MUSEUM」 | 羽田空港内にあり、アーカイブズエリア、仕事紹介エリア、新商品・サービス紹介エリア、顔マッピングなどから構成。工場見学コースとして、航空教室と格納庫見学と併せて原則予約制となっている。 |
羽田みらいサイエンスギャラリー | 2020年開館。羽田空港跡地羽田イノベーションシティにあり、理化学研究所監修による常設展示がされている。 |
既に閉館、閉鎖している施設 | 概説 |
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赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 | 「赤毛のアン」の翻訳家として著名な村岡花子の記念館。(2014年閉館) |
大田区は東京23区の内、区営スポーツ施設が多い区の一つである。しかし、多摩川河川敷の施設は冠水すると長期間使用出来なくなる。
区域の緑被率は約20%であるが樹木で覆われている割合は9.5%である。臨海部、低地部に緑地が少なく、多くの植物は台地部に偏在している。
東邦大学医療センター大森病院と東京都保健医療公社荏原病院(両院は東京都災害拠点病院である)は内科、外科、小児科の3科系対応、その他病院は内科、外科の2科系対応となっている。
区域のほとんどは警視庁第二方面管内となるが、埋立地の一部は第一方面管内となる。
大田区には消防団が設置されており火災発生時に出動する(水防でも出動する)が、区域で発生する火災は東京消防庁にて対応可能なため交通整理などの後方支援や残火監視に当たる。現在では団員が本業で取得している各種資格や知識(土木、建築、電気ガスの資格や重機、大型車両の運転など)を活かした震災時の救助活動が期待されている。
大田区地先の海上は海上保安庁第三管区海上保安本部東京海上保安部の担任水域である。区域に水上艦艇の基地はないが、大井埠頭に港内交通管制室大井船舶信号所、羽田空港整備場地区に羽田航空基地と羽田特殊救難基地がある。
区域は陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊の警備担任区域であるが、区域に駐屯地はない。航空自衛隊、海上自衛隊の基地もない。西蒲田に隊員募集のための自衛隊東京地方協力本部大田出張所がある。大田出張所は大田区の他、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、小笠原諸島を担当している。
大田区には4種類の区立住宅・区営住宅がある。
※原則、居住者については割愛し、特筆ない限り大田区出身者を示す(区域に田園調布、久が原、山王などの住宅地があり、著名人が多数居住しているため)。
区域で撮影された番組も含む。
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