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日本の合唱団 ウィキペディアから
西六郷少年少女合唱団(にしろくごうしょうねんしょうじょがっしょうだん)は、東京都大田区西六郷にある児童合唱団である。
団員は小学校5年から高校3年まで、西六郷小学校合唱部とその卒業生を中心としたメンバーで構成されている。
(旧)西六郷時代の伝統を受け継ぐことは元より、常に新たな少年少女合唱文化の創造を目指し、一同意欲的に練習・演奏に励んでいる。
1951年に東京都大田区立西六郷小学校に赴任した鎌田典三郎(かまたのりさぶろう)教諭が、1955年に当時来日していたウィーン少年合唱団の歌声に触発されて、男子児童のみによる「西六郷小学校少年合唱団」を設立する。のちに女子児童と西六郷小卒業生をも加えた児童合唱団として「西六郷少年少女合唱団」となる[1]。
日本の小学校合唱コンクールで次々と受賞する。[要出典]『歌のメリーゴーラウンド』のレギュラー出演や『みんなのうた』放送曲の歌唱[2]で全国に知られる。1969年発売の合唱曲『チコタン』のレコードは昭和44年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞を受賞した。「ぼくらの町は川っぷち」を団歌として歌い続けてきたことでも知られる。
1960年代に、テレビ番組の『鉄人28号』『狼少年ケン』『少年忍者風のフジ丸』『海賊王子』『ハッスルパンチ』『キャプテン・スカーレット』など数々のテーマソングのレコーディングに参加し、アニメソングでも常連の合唱団となる。
1964年に、準国賓としてスカルノ大統領からインドネシアに招かれる[3]。
1974年、加藤登紀子作詞・作曲作品『土耳古行進曲』のコーラスを担当する。
1999年3月に、合唱団創立者の鎌田が死去し、遺志に従い5月3日の演奏会で解団する。後に有志らが新たに新西六郷少年少女合唱団を結成する。
第一期西六郷少年少女合唱団の解団後に、「伝統の合唱団を街からなくさないで」という団員や地域住民の強い声に押され、OB・OG有志により西六郷鎌田記念合唱団が結成された。
都心に近く、町工場が多い土地柄で、旧「西六郷少年少女合唱団」のOB・OGの多くが今も西六郷に住んでいる[4]。
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