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山口県の市 ウィキペディアから
下関市(しものせきし)は、山口県の西部、本州の最西端にある都市。中核市および中枢中核都市に指定されている。
しものせきし 下関市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方 | ||||
都道府県 | 山口県 | ||||
市町村コード | 35201-2 | ||||
法人番号 | 4000020352012 | ||||
面積 |
716.28km2 | ||||
総人口 |
241,431人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 337人/km2 | ||||
隣接自治体 |
長門市、美祢市、山陽小野田市 福岡県北九州市(関門海峡を挟んで隣接) | ||||
市の木 | クスノキ | ||||
市の花 | ハマユウ | ||||
他のシンボル |
市の花木:ツツジ、サクラ 市の魚:フク(フグ) 市の虫:ホタル 市の鳥:ペンギン 市の動物:クジラ | ||||
下関市役所 | |||||
市長 | 前田晋太郎 | ||||
所在地 |
〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号 北緯33度57分28秒 東経130度56分29秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
古くから関門海峡に面する港湾都市、大陸への玄関口として栄えたこともあって人口は県庁所在地の山口市をも上回り、山口県下では最大である。 中国地方では広島市、岡山市、倉敷市、福山市に次ぐ5番目の規模であり、近畿地方以西では唯一県庁所在地の人口を上回る中核市でもある。 関門橋や関門トンネル、新関門トンネルなどで繋がる対岸の福岡県北九州市と密接な関係を持ち、関門都市圏を形成する。
下関港周辺は、古くは「赤間関」(あかまがせき、あかませき、あかまのせき[1])と呼ばれており、これを赤馬関とも書いたことから、これを略した「馬関」(ばかん)という別名も用いられた[注釈 1]。また、唐戸市場を中心として日本最大のフグの集積地としても有名である(「下関とふく」も参照)。戦前から下関港を発着する関釜連絡船(現在の関釜フェリー)は、日本から朝鮮半島や中国大陸へ渡る主要ルートの1つとなったことから、東アジア諸国への玄関口としての機能をも有する。 陸上交通・海上交通の両面で重要な地点となったことから、戦時中には「下関要塞」として関門海峡沿岸部一帯が大日本帝国陸軍の支配下に置かれた。
1878年の郡区町村編制法により赤間関区(あかまがせきく)が置かれたことに始まり、1889年4月1日の市制施行時には日本で最初に市制を施行された31市の1つ(山口県で唯一)として赤間関市が発足した。1902年6月1日に現在の市名である『下関市』に改名した。現在の市制は2代目で、2005年2月13日に下関広域都市圏を構成していた(旧)下関市と豊浦郡の4町(菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町)の計1市4町が合併(新設合併)して、新たに発足したものである。合併前の下関市・豊浦郡で下関都市圏(下関広域都市圏)を形成していたが、現在は1市で都市圏を構成し経済面でも山口県及び県西部の中心都市となっている。(詳細は経済を参照)
下関市は山口県の最西端かつ、本州の最西端に位置する。関門海峡を挟んで西を日本海(響灘)、南を瀬戸内海(周防灘)に接する。周防灘に注ぐ木屋川や響灘に注ぐ綾羅木川などの河口付近に形成されている沖積平野部を除くと、稜線が海岸ぎりぎりまで接近する地形となっており、特に旧市街では平地が少ない。また下関中心部と長府地区を遮るように
下関市の気候は複雑で、日本海側気候と瀬戸内海式気候と太平洋側気候の境界に当たる。冬は北西の季節風の影響で曇天が多く、雨・雪の降る日もある。降雪量は少ない。
三方(西・南・東)を海に囲まれ、響灘を流れる対馬海流の影響もあり、旧市内及び響灘沿岸の日較差(日最高気温と日最低気温の差)は小さく、夏は山口県の他の地域に比べるとそれほど高温にならず、冬も低温にならない為温暖で過ごしやすい地域と言える。しかし、豊田町や菊川町など山沿いの内陸部では寒暖の差は大きい[2]。
下関地方気象台(下関市竹崎町、標高3m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.1 (66.4) |
23.7 (74.7) |
26.2 (79.2) |
29.7 (85.5) |
30.9 (87.6) |
35.1 (95.2) |
36.2 (97.2) |
37.0 (98.6) |
35.0 (95) |
30.8 (87.4) |
26.9 (80.4) |
26.2 (79.2) |
37.0 (98.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.7 (49.5) |
10.5 (50.9) |
13.7 (56.7) |
18.4 (65.1) |
22.7 (72.9) |
25.8 (78.4) |
29.7 (85.5) |
31.3 (88.3) |
27.8 (82) |
23.0 (73.4) |
17.5 (63.5) |
12.3 (54.1) |
20.2 (68.4) |
日平均気温 °C (°F) | 7.2 (45) |
7.5 (45.5) |
10.3 (50.5) |
14.7 (58.5) |
19.1 (66.4) |
22.5 (72.5) |
26.5 (79.7) |
27.9 (82.2) |
24.6 (76.3) |
19.7 (67.5) |
14.5 (58.1) |
9.5 (49.1) |
17.0 (62.6) |
平均最低気温 °C (°F) | 4.8 (40.6) |
4.9 (40.8) |
7.4 (45.3) |
11.6 (52.9) |
16.2 (61.2) |
20.1 (68.2) |
24.2 (75.6) |
25.6 (78.1) |
22.2 (72) |
16.9 (62.4) |
11.8 (53.2) |
7.0 (44.6) |
14.4 (57.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.3 (20.7) |
−6.5 (20.3) |
−5.5 (22.1) |
0.5 (32.9) |
6.5 (43.7) |
9.5 (49.1) |
15.1 (59.2) |
17.5 (63.5) |
12.8 (55) |
5.9 (42.6) |
0.7 (33.3) |
−4.6 (23.7) |
−6.5 (20.3) |
降水量 mm (inch) | 80.0 (3.15) |
75.9 (2.988) |
121.2 (4.772) |
130.8 (5.15) |
154.2 (6.071) |
253.6 (9.984) |
309.4 (12.181) |
190.0 (7.48) |
162.6 (6.402) |
83.7 (3.295) |
81.9 (3.224) |
69.1 (2.72) |
1,712.3 (67.413) |
降雪量 cm (inch) | 1 (0.4) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
2 (0.8) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 11.5 | 10.7 | 11.4 | 10.4 | 9.7 | 12.4 | 12.0 | 10.0 | 9.8 | 7.2 | 9.0 | 10.9 | 124.9 |
平均降雪日数 | 10.5 | 6.9 | 2.6 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.8 | 7.0 | 27.7 |
% 湿度 | 63 | 63 | 65 | 67 | 70 | 78 | 79 | 75 | 73 | 67 | 66 | 63 | 69 |
平均月間日照時間 | 95.8 | 116.1 | 162.9 | 187.6 | 207.1 | 146.6 | 172.4 | 207.2 | 161.9 | 176.3 | 134.7 | 102.6 | 1,875.9 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1883年-現在)[3][4] |
豊田(下関市豊田町大字稲光字土橋、標高40m)(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.8 (62.2) |
21.8 (71.2) |
25.1 (77.2) |
28.4 (83.1) |
31.4 (88.5) |
34.1 (93.4) |
35.7 (96.3) |
36.2 (97.2) |
33.9 (93) |
30.7 (87.3) |
26.4 (79.5) |
23.2 (73.8) |
36.2 (97.2) |
平均最高気温 °C (°F) | 8.7 (47.7) |
9.8 (49.6) |
13.4 (56.1) |
18.6 (65.5) |
23.1 (73.6) |
25.9 (78.6) |
29.3 (84.7) |
30.7 (87.3) |
27.2 (81) |
22.3 (72.1) |
16.7 (62.1) |
11.2 (52.2) |
19.8 (67.6) |
日平均気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
4.4 (39.9) |
7.5 (45.5) |
12.4 (54.3) |
17.3 (63.1) |
21.2 (70.2) |
25.1 (77.2) |
25.9 (78.6) |
22.0 (71.6) |
16.1 (61) |
10.4 (50.7) |
5.4 (41.7) |
14.3 (57.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.1 (30) |
−0.8 (30.6) |
1.7 (35.1) |
6.1 (43) |
11.4 (52.5) |
17.0 (62.6) |
21.6 (70.9) |
22.1 (71.8) |
17.8 (64) |
10.8 (51.4) |
5.0 (41) |
0.5 (32.9) |
9.4 (48.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.9 (17.8) |
−9.1 (15.6) |
−6.2 (20.8) |
−4.0 (24.8) |
0.0 (32) |
5.5 (41.9) |
12.0 (53.6) |
14.3 (57.7) |
4.6 (40.3) |
−0.6 (30.9) |
−3.7 (25.3) |
−6.3 (20.7) |
−9.1 (15.6) |
降水量 mm (inch) | 90.8 (3.575) |
88.3 (3.476) |
140.5 (5.531) |
151.4 (5.961) |
183.7 (7.232) |
272.5 (10.728) |
342.8 (13.496) |
201.2 (7.921) |
167.8 (6.606) |
93.3 (3.673) |
88.2 (3.472) |
83.1 (3.272) |
1,899.1 (74.768) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 11.3 | 10.7 | 11.6 | 10.0 | 9.5 | 12.4 | 11.6 | 9.9 | 9.5 | 7.7 | 9.3 | 11.1 | 124.6 |
平均月間日照時間 | 99.8 | 107.6 | 156.1 | 182.9 | 206.1 | 137.0 | 152.6 | 189.8 | 151.6 | 169.5 | 134.5 | 103.9 | 1,791.3 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[5] |
下関市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 下関市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 下関市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
下関市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
旧下関市と旧豊浦郡合併時直近の国勢調査(2000年10月)に基づく旧1市4町の人口の合計が30万1097人[6] と、(当時の)中核市移行の基準である30万人[注釈 2] を越えていたため、合併同年の2005年(平成17年)10月1日に中核市の指定を受けた[7]。ただし、合併以来人口は減少している(2005年の国勢調査時点では29万693人[6])。2021年の人口は約25万人であるが、山口県最大である。
下関市は、関門海峡の対岸に位置する北九州市とともに本州と九州の接点・大陸への玄関口として発達してきた。両市が中心となって形成される都市圏は関門都市圏とも呼ばれるように、両市の経済面および文化的な繋がりは極めて深い。観光(関門海峡花火大会)や行政サービスなどで両市の交流が盛んなほか、買い物・娯楽・通勤通学・交通機関利用(下関駅、小倉駅や北九州空港)などを目的とした両市間の人の流れが日常的にある。下関は北九州都市圏の5%都市圏であり実質、同一の生活圏を形成していると言える。ゆえに北九州市の商業・娯楽施設の動向が、下関市内にある同施設の経営戦略に影響を与えている。また、一時期ではあるが下関市と北九州市の道州制を見据えた越境合併及び関門特別市構想について両市で話し合いが行われたこともある。
古くより九州や中国・朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄え、江戸時代には「西の浪華」と呼ばれるほどの賑わいだった[8]。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。
「下関」の名称の初見は869年(貞観11年)[9] であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年(元暦2年)である[10]。ただし、これを関所の名称[11] と捉え、「あかま(赤間[12]・赤馬[13])」が地名であると解すると平安時代まで遡ることができる。いずれにしても鎌倉時代に「赤間関」という呼び名が成立し、付属する港湾や関門海峡の長門国側を指す広域地名、更には対岸の豊前国門司関を含めた関門海峡全体の別名としても用いられた[14]。
元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・明や朝鮮などの外交使節への応対などにあたった[15]。
特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになり、朝鮮通信使(朝鮮の使節)が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。また、室町幕府が派遣した遣明船の往復の際にも必ず赤間関に立ち寄り、帰国時には赤間関から京都へ使者が送られていた。遣明船の記録でも、往路は寧波到着時に日本の年号から明の年号に改め、帰路は赤間関到着時に日本の年号に戻す慣例[16] があった[17]。また、16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され[18]、朝鮮などの外国人も居住していた[19]。
この節の加筆が望まれています。 |
弥生時代には既に現在の下関市域には集落が複数存在しており、綾羅木郷遺跡(川中地区)、土井ヶ浜遺跡(現在の豊北地区)などに当時の遺構が現在も残る。
代 | 市長名 | 任期 | 任期数 | ||
---|---|---|---|---|---|
旧赤間関区長(官選) | |||||
初 | 高洲素介 | 不詳 | |||
旧赤間関市長(官選) | |||||
初 | 伊藤房次郎 | 1889年(明治22年)4月28日 - 1891年(明治24年)7月19日 | 1 | ||
2 | 石川良平 | 1891年(明治24年)8月9日 - 1892年(明治25年)8月 | 1 | ||
3 | 内田一心 | 1892年(明治25年)8月 - 1896年(明治29年)2月 | 1 | ||
4 | 高洲素介 | 1896年(明治29年)2月 - 1899年(明治32年)3月 | 1 | ||
5 - 6 | 原勝一 | 1899年(明治32年)4月 - 1902年(明治35年)5月31日 | 2 | ||
旧下関市長(官選) | |||||
5 - 6 | 原勝一 | 1902年(明治35年)6月1日 - 1906年(明治39年)8月17日 | 2 | ||
7 | 白上俊一 | 1906年(明治39年)10月9日 - 1910年(明治43年)5月27日 | 1 | ||
8 | 小林重威 | 1910年(明治43年)10月5日 - 1913年(大正2年)11月15日 | 1 | ||
9 | 青木良雄 | 1914年(大正3年)7月7日 - 1917年(大正6年)5月29日 | 1 | ||
10 | 不破彦麿 | 1917年(大正6年)10月9日 - 1919年(大正8年)9月2日 | 1 | ||
11 | 李家隆介 | 1919年(大正8年)10月 - 1921年(大正10年)2月 | 1 | ||
12 - 13 | 山崎林太郎 | 1922年(大正11年)8月 - 1927年(昭和2年)1月 | 2 | ||
14 | 浮田茂太郎 | 1927年(昭和2年)1月26日 - 1931年(昭和6年)1月 | 1 | ||
15 - 18 | 松井信助[29] | 1931年(昭和6年)1月16日 - 1946年(昭和21年)2月 | 4 | ||
19 | 松尾守治 | 1946年(昭和21年)3月 - | 1 | ||
旧下関市長(公選) | |||||
20 | 松尾守治 | 1947年(昭和22年)4月 - 1951年(昭和26年)3月 | 1 | ||
21 - 23 | 福田泰三 | 1951年(昭和26年)5月10日 - 1963年(昭和38年)4月 | 3 | ||
24 | 木下友敬 | 1963年(昭和38年)5月2日 - 1967年(昭和42年)4月29日 | 1 | ||
25 - 27 | 井川克巳 | 1967年(昭和42年)4月30日 - 1979年(昭和54年)4月29日 | 3 | ||
28 - 30 | 泉田芳次 | 1979年(昭和54年)4月30日 - 1991年(平成3年)4月29日 | 3島根県出身。 | ||
31 | 亀田博 | 1991年(平成3年)4月30日 - 1995年(平成7年)4月29日 | 1 | ||
32 - 34 | 江島潔 | 1995年(平成7年)4月30日 - 2005年(平成17年)2月12日 | 3 | ||
下関市長 | |||||
初 | 江島潔 | 2005年(平成17年)3月27日 - 2009年(平成21年)3月26日 | 1 | ||
2-3 | 中尾友昭 | 2009年(平成21年)3月27日 - 2017年(平成29年)3月26日 | 2 | ||
4-5 | 前田晋太郎 | 2017年(平成29年)3月27日 - 現職 | 2 |
※当日有権者数:21,6871[31]人 最終投票率:37.52%(前回比:-9.57pts)
※当日有権者数:225,864[31]人 最終投票率:47.09%(前回比:+5.05pts)
※当日有権者数:229,011人 最終投票率:42.04%(前回比:-11.43pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中尾友昭 | 63 | 無所属 | 現 | 55,383票 | 58.27% | |
西本健治郎 | 36 | 無所属 | 新 | 39,656票 | 41.73% |
※当日有権者数:234,585人 最終投票率:53.47%(前回比:+4.17pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中尾友昭 | 59 | 無所属 | 新 | 62,964票 | 50.75% | |
友田有 | 51 | 無所属 | 新 | 40,706票 | 32.81% | |
香川昌則 | 45 | 無所属 | 新 | 20,401票 | 16.44% |
※当日有権者数:238,549人 最終投票率:49.30%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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江島潔 | 47 | 無所属 | 現 | 45,938票 | 39.52% | |
中尾友昭 | 55 | 無所属 | 新 | 43,468票 | 37.39% | |
松原守 | 62 | 無所属 | 新 | 26,838票 | 23.09% |
唐戸に隣接する南部町(なべちょう)に本庁を置くほか、2005年(平成17年)の合併前の旧郡部の各町に総合支所(4箇所)、旧下関市内に12支所、総合支所管内に11支所を配する。また、3つのサテライトオフィスと1つの事務所(東京事務所)を設置している。
市役所本庁、総合支所、支所(総合支所内のものを除く)の所管する地域として、17の地区がある。
各地区の名称は、本庁の所管する区域は「本庁地区」、〇〇(総合)支所の所管する区域は「〇〇地区」と呼ばれる。
本庁地区の領域は市制施行(1889年)当初のものに旧生野町(1921年編入合併)を合わせたものである。そのほかの地区の領域は、概して、下関市への編入合併 (1933年(昭和8年)彦島 - 1955年(昭和30年)内日) や下関市との新設合併 (2005年(平成17年))によって消滅した各町村(旧豊浦郡や旧厚狭郡に属していた) の領域を引き継ぐものである。(本庁地区以外の領域の詳細は、支所設置条例 および 総合支所設置条例 を参照。)
現在市内には、下関警察署・長府警察署・小串警察署の3つの警察署があり、下関管内に彦島幹部交番(旧彦島警察署)、長府管内に豊田幹部交番(旧豊田警察署)の2つの幹部交番がある。各警察署の管轄区域は以下のとおり。
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消防業務は下関市消防局が行っている。また局内には「下関市・美祢市消防指令センター」が設置されており、下関市と美祢市全域の119番通報を一括受信し、当局から火災や救急の指令を出している。現在市内には、中央消防署・北消防署・西消防署・東消防署・豊浦西消防署・豊浦東消防署の6つの消防署がある。各消防署の管轄区域は以下のとおり。
かつて二次救急を担う4医療機関はすべて本庁地区に所在していたが、2005年4月に済生会下関総合病院が安岡地区へ、2009年4月に関門医療センターが長府地区へ移転したため、救急指定病院の集中度が緩和された。それでも、4医療機関のすべてが旧市部に所在する状況は変わらず、旧郡部からの移動が1時間を超える地域もあるため、救急医療体制や交通網のさらなる充実が課題となっている(ただし、旧郡部の北側では、長門市の二次救急医療機関を利用するほうが少ない移動時間で済む場合がある)。
〈桜〉:桜名所、〈城〉:城跡、〈大〉:10ha以上の大規模都市公園
港湾都市として栄えたこともあり、古くから海運や貿易および金融に関連した産業が盛んであった。 現在も経済面で県の中心的都市であり、2021年の市内総生産は9636億1900万円で県内1位(全県比15.5%)[42]である。産業別では第一次産業49億2700万円(約0.5%)、第二次産業3189億1200万円(約33.2%)、第三次産業6376億9700万円(約66.3%)となっており[43]、製造業2,545億円、保健衛生・社会事業1,128億円、不動産業1,120億円、卸売・小売業814億円、建設業638億円、専門・科学技術、業務支援サービス業571億円、運輸・郵便業560億円、公務479億円、金融保険業397億円、教育361億円、電気・ガス・水道・廃棄物処理業349億円などとなっている。
また就業者数は2020年で11万8929人、産業別に見ると第一次産業4655人(3.9%)、第二次産業2万7859人(23.4%)、第三次産業8万3549人(70.3%)となっている。
下関市に本社、あるいは営業拠点を置く企業も多く、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループ(山口FG)および傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫、山口県内一円を営業エリアとする一般ガス事業者の山口合同ガス、地方紙「山口新聞」や水産食品専門の全国紙「みなと新聞」を発行するみなと山口合同新聞社が本社を置いている。また日本銀行も山口市ではなく下関市に日銀支店(日本銀行下関支店)を置いている。一方で、関門海峡対岸に位置する北九州市をはじめとする北部九州地域との交流も深く、下関市は北九州市とともに関門都市圏を形成している(詳細は北九州市との関係参照)。
本市の2019年度の第一次産業総生産額は60億6800万円であり、その内訳は農業37億6600万円(62.1%)、林業3億6400万円(6%)、水産業19億3800万円(31.9%)である[44]。
2020年度の総農家数は3521戸(販売農家2488戸、自給的農家1033戸)で減少傾向にある。同年度の経営耕作面積は4401haで、その内訳は水田が3848ha、畑が444ha、樹園地が109haであり、こちらも減少傾向にある。
農業経営体の約8割が稲作を行っており作付面積は県内2位、2020年度の作付面積は3400haで収穫量は1万1900tとなっている。麦や大豆の生産も行われており麦の作付面積は365ha、収穫量は710t、大豆の作付面積は98ha、収穫量は43tである。
本市の主要な園芸作物はトマト、ネギ、アスパラガス、ナスなどであり、特に垢田トマトや安岡ねぎ、吉田ナスなどの品種は全国的にも有名である。豊田地域や豊北地域で多く栽培されている梨は県内屈指の生産量を誇り、特に豊水や二十世紀梨、幸水などの品種が栽培され本市の特産物となっているほか柑橘類は温州みかんを中心に伊予柑なども生産されている。また「豊北梨あきづき」・「下関豊田の豊水」・「ひとめぼれ(温州みかん)」・「長門ゆずきち」は、やまぐちブランドの認定を受けている[45]。旧市内では古くから花卉栽培が行われ生産量は県内1位である。現在では菊、薔薇、ガーベラなどのほか県オリジナル品種などの生産が盛んに行われている。
畜産業は酪農や肉用牛、採卵鶏を中心に盛んであり、特に豊北地域において大規模経営が営まれている。2020年度の飼育頭羽数は乳用牛が1218頭、肉用牛は2570頭、採卵鶏が578羽である。特に乳用牛は県内の44%、採卵鶏は30%が本市で飼育されているため牛乳は県内の約4割、鶏卵は約2割を生産している。
水産業は下関市を代表する産業の1つであり、以前は捕鯨が主であった。 現在も下関は「近代捕鯨発祥の地」である上、全国有数の商業捕鯨基地であり、調査捕鯨の基地でもある。現在はフグの水揚げ高が全国の8割を占め全国シェア1位であり、市内にはふぐ専用の魚市場の南風泊(はえどまり)魚市場を構える(参照、下関とふく)。またアンコウの水揚げ高も日本一であり、下関の新たな名物としてPR活動を行っている[47]。
市内には、一般人にも開放された唐戸市場、ふぐ専用の卸売市場である南風泊市場、特定第3種漁港の下関漁港にある下関漁港市場、旧豊北町にある特牛市場などの水産物部門の卸売市場がある。
下関市は瀬戸内工業地域及び北九州工業地域の構成都市であり、その地勢から特に輸送用機器製造業、食品製造業が発達している。これらの分野では市内に三菱重工業・三菱造船(造船)、ブリヂストン(タイヤ)、シマノ(自転車)、旭洋造船(造船)、ニシエフ(造船)、日清食品、マルハニチロ、やまぐち県酪乳業、林兼産業、農水フーヅ、名城食品などの主要工場が数多く立地している。 また市内には豊東工業団地、木屋川工業団地、南風泊水産加工団地、長府扇町工業団地、長州出島の5つの工業団地が整備されている[48]。
情報カメラ(お天気カメラ)は海峡ゆめタワー・火の山のどちらかか、両方に設置されていることが多い。
14校(公立10校、私立4校)
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23校(公立22校、私立1校)
41校(すべて公立)
下関市では少子化に伴う学校の小規模化が進む中、教育水準の維持・向上を図るために市立学校の統廃合を進めている[49]。
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下関は山陽道と山陰道の結節点にあたり、さらには関門海峡を挟んで九州と対峙する位置にあったこと、大陸の玄関口であったことより、古来より陸と海における交通の要衝であり続けた。陸路の例として、山陽道(西国街道)の終点であったことや現在の国道9号の終点であること、また国道191号及び国道491号の起点であること。海路の例として、近世に北前船(西廻り航路)の経由地であったことや、現在、下関港が国際拠点港湾および中枢国際港湾、日本海側拠点港湾、総合的拠点港湾に、下関漁港が特定第3種漁港にそれぞれ指定されていることなどが挙げられる。
交通の要衝であることは、国土防衛上重要な地点であることも意味する。明治期から終戦にいたるまで、下関から門司にいたる関門海峡沿岸一帯が西日本最大と言われた要塞地帯である下関要塞地帯に指定され、写真撮影や地図作成などが厳しく制限された。現在も市内各所に当時の標柱や砲台跡など、要塞地帯の遺構が残っている。
戦前は、関釜連絡船就航によって中国本土や朝鮮半島への玄関口として活況を呈した。終戦時に下関港が在日韓国・朝鮮人送還の主要な出発港の一つになったこともあり、また、現在、日本で唯一毎日運航されている貨客国際航路である関釜フェリーの存在により、現在では市内全域に多くの韓国・朝鮮系住民が居住し、とくに下関駅北側グリーンモール商店街一帯は事実上コリア・タウンとなっている。現在、国際定期旅客航路としては、前述の関釜フェリー(韓国・釜山行)などが就航している。
市内に空港はないが、近隣には北九州空港、山口宇部空港、福岡空港があり、市の公式サイトでもこの3空港をアクセス手段として掲載している[50]。
各空港への所要時間は、北九州空港へはJRとリムジンバス(小倉駅乗り換え)で約50分、山口宇部空港へは連絡バス(乗合タクシー)で約1時間15分、福岡空港へは山陽新幹線と福岡市地下鉄空港線(博多駅乗り換え)で約50分のアクセスである[50]。
かつては北九州空港へのリムジンバスも運行されていたほか、福岡市と下関市を結ぶ高速バス「ふくふく号」の一部の便が福岡空港国際線ターミナルに発着していたが、いずれも廃止された[51][52]。
北九州市立大学の調査によると、下関市内に所在する企業の空港利用頻度は、市中心部の本庁地区や彦島地域では北九州空港、東部の山陽地域(長府、小月など)や北部の山陰地域(安岡、吉見など)では山口宇部空港が高く、それぞれ地理的に近い空港が選ばれている[53]。
なお、市内にある小月航空基地は当初民間空港の下関飛行場(下関空港)として計画・着工され、開港後に軍用飛行場に転用された経緯がある[54]。第二次世界大戦後に下関市は同基地の公営空港化を目指し、GHQから民間航空路開設の許可も得ていた[55]が、自衛隊基地として全面使用されることになり市内への民間空港誘致は実現しなかった[54]。
なお、かつては以下の鉄道事業者が現・下関市域を運行していた。
かつては下関市内を発着・経由し、関門トンネルや関門橋を通り、対岸の北九州市との間を運行する路線がサンデン交通や北九州市でバス事業を行う西日本鉄道により運行されていたが、すべて廃止・撤退し現存しない。
かつてはサンデン交通が東京都(東京駅)・横浜市・大阪市・広島市・山口市・山口宇部空港・北九州市などへの夜行・昼行高速バスを運行していたが、上記の「ふくふく天神号」を除きすべて休廃止された。
山口県で唯一の道路基準地と県内の重要地の1つに指定されている[56]。
国内航路については長距離旅客航路の発着はなく下関市内の各島及び門司港への航路のみとなる。
当市内で登録される自動車のナンバープレートは「下関」ナンバーである(山口運輸支局管轄下)。
山口県では山口運輸支局本庁舎以外の自動車検査登録事務所が一切設置されていないが、下関市は2006年10月10日より県内唯一のご当地ナンバーである下関ナンバー登録の地域となった。下関ナンバー登録の対象となる地域は下関市内のみである。ご当地ナンバー導入以前は県内他市町村と同様「山」→「山口」ナンバーであった。
旧下関市街地では幕末前後から明治・大正時代にかけての歴史遺産を整備した名所旧跡や歴史的建築物(洋館、神社仏閣など)が多数存在するほか、城下町の長府地区には由緒ある神社仏閣や武家屋敷などが集まっている。また関門海峡周辺には観光施設が複数建設されており、夏には関門海峡花火大会が下関・門司両岸で開催されるなど、対岸の門司港レトロ地区(北九州市)と併せた周遊ルートとして多くの観光客で賑わっている。また、旧4町では「角島大橋」のある角島、「瓦そば」が名物の川棚温泉や石柱渓、本州最西端の地である毘沙ノ鼻などの自然景観を生かした観光地が中心となる。
下関市は山口県のなかで、最も観光客数が多く2019年の観光客数は約711万人(前年比101.6%)であった[60]。 地区別では旧市内が約415万人(前年比102.8%)であり下関市立しものせき水族館(海響館)をはじめとする唐戸エリアや関門人道トンネル、みもすそ川公園、火の山ロープウェイなどの火の山エリアの来訪者が増加した。次いで豊北地区が約101万人(95.1%)であり夏や秋の天候不良により海水浴場や角島への観光客が減少した。豊田地区は約89万人(107%)であり一の俣桜公園や道の駅蛍街道西ノ市への来訪者が増加した。豊浦地区は約59万人(98.6%)であり夏及び秋の天候不良による日帰り観光客が減少した。菊川地区は約47万人(100%)であり菊川温泉への来訪者が増加した。
宿泊客数は全体で約80万人(前年比98.4%)となり、旧市内・菊川地区・豊北地区で減少、豊田地区・豊浦地区で増加した。外国人宿泊客数は全体で約2.3万人(前年比65.1%)であった。
関門海峡に面したエリアに観光スポットが多く並ぶ。
県道34号沿いのエリア。
下関市は、大洋漁業株式会社(現:株式会社マルハニチロ水産)の創業の地であり、西日本地区におけるベースオフィスでもあったことから、当地を本拠地に大洋漁業(当初は林兼商店)野球部が活動し、1948年国民体育大会優勝、その他都市対抗野球などにも出場する強豪チームとして知られた。
1950年の2リーグ分裂により、同チームはプロ化して「株式会社まるは球団」を設立してチーム名も大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)として、セントラル野球連盟に加盟し、旧・市営野球場を本拠とした。大洋は経営的に不利な状況が続き、1951年には広島カープ(現:広島東洋カープ)との合併も囁かれたが、広島市民の熱意で合併は一旦回避される。しかし、1953年のシーズン開幕前に松竹ロビンス(京都市)と電撃合併が決まり、チーム名も「大洋松竹(洋松)ロビンス」として大阪府大阪市を本拠地とすることになり、下関のホエールズは3シーズンで消滅した。
かつてホエールズが本拠地としていた旧・市営球場(現在の下関市立市民病院所在地)は1985年限りで老朽化のため解体され、1988年には下関北運動公園内に現在の市営球場が開場した[61]。「下関のホエールズ」が消滅してから半世紀近くが経過した1999年に福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)が本拠地を大阪市(大阪球場)から福岡県福岡市(平和台球場→福岡ドーム)に移転してから初のパ・リーグ優勝・日本一を決めて以来、福岡県に近い土地柄・「ホエールズの記憶」の風化から下関市内でもホークスファンが多くなった[61]。
2018年現在はホークスファンが下関市民の大勢を占めているが[注釈 5][61][63][64][65]、大洋が下関から撤退した後も準本拠地的に年数試合の主催ゲームが開かれるなど、今なおベイスターズの人気も根強い[61][65]。ホエールズ(当時の本拠地:川崎球場)が球団創設後初の日本一に輝いた1960年、それから38年ぶりにベイスターズ(本拠地:横浜スタジアム)が2度目の日本一に輝いた1998年には、それぞれ神奈川県内の本拠地所在地(川崎市・横浜市)のみならず発祥地・下関市内でも優勝パレードが開かれ、1998年の優勝パレードには約6万人が集まった[61]。
一方、独立リーグである九州アジアリーグに2022年に加入した福岡北九州フェニックスは、初年度より下関球場で公式戦を開催し[66]、2023年シーズンからは球団名を北九州下関フェニックスに変更した[67][68]。
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