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皇帝が外出すること ウィキペディアから
皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃の外出を行啓(ぎょうけい)/巡啓(じゅんけい)というほか、行幸と併せて行幸啓(ぎょうこうけい)/巡幸啓(じゅんこうけい)という。単に「行幸啓」といった場合には、天皇と皇后が一緒に外出することを指す場合が多い。
行幸啓した皇族が外出先から帰ることを還幸(かんこう)、還啓(かんけい)、還幸啓(かんこうけい)という。
日本書紀には「天皇幸」で、天皇の行幸となり、「天皇至自」で、天皇の還幸と言う意味になっている。一方、「天皇」が外れると、皇族もしくはそれに近い者の行幸、還幸と言う意味になる。行幸して儀式などに臨む場合、臨幸(りんこう)という。
これら以外の皇族の外出は御成り・お成り(おなり)、お成りをした皇族が外出先から帰ることを御帰還(ごきかん)という。
行幸の際に宿泊するところを行宮(あんぐう、かりみや)という。[2]
行幸に際し、地名や社名が付く場合がある。特に、目的地を持った行幸には地名が付くことがある。例えば、住吉大社に行幸する場合は「住吉行幸」などと呼ばれる。また、鎌倉時代の書物の中には「鞍馬御幸」などの表記もうかがえる。江戸時代に入ると、慶安4年2月25日(1651年4月15日)の後光明天皇による朝覲行幸以後、文久3年3月11日(1863年4月28日)の孝明天皇による上賀茂神社・下鴨神社行幸まで行幸は行われなかった(ただし、火災等による御所移動時の行幸は除く。また、天保8年(1837年)には江戸幕府との合意によって仁孝天皇による朝覲行幸が計画されていたが、対象となる光格上皇の病気と崩御によって実現されなかった)[注 1]。明治の「東京行幸」は行幸という言葉を使い、その形態を装っているが、実質的な東京奠都という意味で用いられる。
独立行政法人国立印刷局が発行する官報には、天皇・皇后の行幸啓があった場合、下記の項目が掲載される。
具体的には、下記の例のように掲載される。
史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟に指定されていた明治天皇の行在所等の「聖蹟」[7]は、1948年(昭和23年)6月29日付け、昭和23年文部省告示第64号によって一斉に指定解除された。同告示(『官報』6435号所載)には指定解除物件の一覧がある。
天皇は毎年開催される以下の行事には皇后を同伴して行幸するため、「四大行幸啓」といわれる。
この時には当該行事に臨席するだけでなく、天皇、皇后の希望により地域の高齢者福祉施設、障碍者福祉施設の視察・行幸啓を計画に入れるのが慣例になっている。
のちの女帝持統天皇は正式即位前の持統天皇4年(690年)正月に吉野宮に行幸したが、その後も吉野へ行幸し、計31回となる。これは(天武天皇が天皇号を称したのち)天皇としての権威や正当性を補い、強化するための行幸とみられ、皇后就任の地としての吉野宮を訪れることで、先の女帝である皇極(斉明)天皇と同様に、天皇としての資格・正当性を宣伝する意味合いがあったとされる[8]。
天平15年(743年)に聖武天皇が恭仁宮から紫香楽宮に行幸した際に五位以上が28名、六位以下が2370名随行(当時の用語では「陪従」と呼ぶ)したと記されている(『続日本紀』天平15年4月辛卯条)他、また他の奈良時代から平安時代にかけての他の行幸でも1000名以上の随行が確認できる行幸が複数確認できるため、天皇の行幸となるとその1000名もしくは2000名クラスでの陪従者が発生したと考えられる。行幸に際しては律令官人は天皇に随従する「陪従」と宮都を守護する「留守」を務めるものとされ、特に前者は功労として位階の授与が与えられる場合があった。また、公式令には中国の例に倣って天皇の行幸時には皇太子が監国を務めて留守を守ることを前提とした条文が存在しているが、史書で確認できる行幸では皇太子が陪従している事例がほとんどで、皇親や議政官が「留守官」に任じられて天皇の留守中の宮都の管理を行っていた[9]。
現在(平成以降)の行幸は、天皇皇后の二人で行う「行幸啓」が原則である。国内の行幸は金曜日から月曜日、土曜日から火曜日の三泊四日で一つの道府県へ行幸啓するように計画される。行幸啓においては宮内庁の総務課長が「行幸主務官」として責任者となる。そのため総務課長は警察庁からの出向者が務める。行幸啓に使用する交通機関は航空機は民間の航空会社の特別機、新幹線も特別車となる。見送りには首相、宮内庁次長、警視総監が出席する[10]。1994年2月の小笠原行幸啓では、現地に飛行場がなく、船舶では時間がかかるため、海上自衛隊のUS-1A飛行艇が使用された[11]。
行幸には以下の者が随行する。これらを「供奉者(ぐぶしゃ)」という。
訪問先では訪問地の知事と首長が供奉者に加わる。
行幸啓先での天皇、皇后の鹵簿は以下のような編成となる。
災害被災地の行幸啓では、前駆車、御料車(マイクロバス)、後衛車の3台のみとなり、御料車になるマイクロバスに供奉者も同乗する。白バイの護衛はなく、地元の知事や警察本部長は災害救援優先のために随従しない。
上記のほか、各地の「みゆき通り」のように行幸にちなむ名が随所に見られる。
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