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伊藤 助太夫(いとう すけだゆう、天保元年(1830年) - 明治5年11月19日(1872年12月19日))は、幕末から明治にかけての下関の豪商。別名、九三(きゅうぞう)。
長府藩赤間関の大年寄であり、大名に宿舎を提供する東の本陣伊藤家の当主であった。諱は盛正、号は自然居士、静斎。
下関を代表する豪商であり、幕末の攘夷志士らを様々な側面から支援した。特に志士の代表とも言える坂本龍馬との関係は深いものであった。伊藤邸は慶応元年(1865年)の初対面以来、龍馬の止宿先であった。邸は広く、高杉晋作らが結成した奇兵隊も一時、邸内にある阿弥陀寺(赤間神宮)に本陣を移したこともある。
現存する龍馬が書いた手紙のうち、助太夫宛の手紙が2番目に多い(14通)ことからも龍馬との関係が深かったことが覗える。龍馬が構想していた土佐商会の馬関交易に関与、また名前を助太夫から九三に変えたのも龍馬の勧めからであった。
龍馬は慶応3年2月10日(1867年3月15日)、妻のお龍とともに下関を訪れ、伊藤邸の一室である「自然堂」を借り受ける。彼が号を自然堂と称したのは、ここから来ている。
43歳で病死。墓は下関の空月庵と名づけられた伊藤家墓所にある。
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