秋田寅之介
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秋田 寅之介[1](あきた とらのすけ、旧姓・秋富、1875年〈明治8年〉4月1日[2][3] - 1953年〈昭和28年〉9月11日[4])は、日本の政治家(衆議院議員[5]、下関市会議員・同議長[6][7])、資産家[8]、実業家。秋田商会社長[1][7]。族籍は山口県平民[3][6]。

経歴
山口県厚狭郡藤山村(現・宇部市)生まれ[2][5][9]。秋富傳五郎の二男[2][7][10]。秋富久太郎の弟[7][10]。11歳の時叔父の許に小僧となり追い使われるが、忠実に働いて僅かな暇にも『立志伝』を読む[1]。
1893年、19歳で[9]先代松次郎の養子となる[10]。1917年、家督を相続する[7][10][11]。家業の海運業に従事する傍ら、海陸産物の売買にも事業を拡げる[9]。日清戦争中には食糧・雑貨などを朝鮮、満州方面へ輸送し、戦後は台湾へ木材や食糧を販売して大きな利益を得る[9][注 1]。
1901年、下関材木業発展のため彦島海岸に倉庫を新築する[2]。日露戦中の1905年には従来の家業(柏長廻漕部)の業務とは別に木材・食糧販売を主体とする秋田商会を創立し[9]、その社長となって木材売買運送及び海外貿易の事業に従事する[3]。満鮮、支那、台湾等に商取引をなす[7]。
秋田商会、満龍鉱業、青島製粉、関門商事、関門ビルブローカー、馬関毎日新聞、日満商事、南海金山、朝鮮鉱山各社長、秋富商事、対馬銀行各取締役、東洋木材相談役等を務めた[6][7][10][11]。
1917年、第13回衆議院議員総選挙に長崎県から出馬し、衆議院議員に当選[7]。立憲政友会に所属[5]。
人物
業務の傍ら公共事業に尽くす[3]。また『新代議士名鑑』によると「彼が今日地位を占めたのは全く忍耐と努力の結晶である」という[1]。
栄典
家族・親族
- 秋田家
- 養父・松次郎(1855年 - ?、回漕業及旅館兼委託物品問屋[14]、山口県多額納税者)
- 養母・ツル(1860年 - ?)[3]
- 妻・コト(1877年 - ?、養父・松次郎の長女[2]、秋田商会無限責任社員[7])
- 養子・三一(1895年 - 1987年、旧姓・武光、材木商海運貿易鉱業、貴族院議員、山口県多額納税者[6][7]) - 住所は兵庫県芦屋市平田町。
- 長女・梅子[2](1899年 - ?、秋田三一の妻[7])
- 親戚
- 兄・秋富久太郎(秋田商会木材社長)[15]
脚注
参考文献
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