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室内で行われるスポーツ競技の一つ ウィキペディアから
ボウリング(英: bowling)は、スポーツ競技のひとつ。さまざまな種類のボウリングがあるが、日本において単に「ボウリング」と言った場合、そのほとんどはテンピンボウリング(英: ten-pin bowling)のみを指すため、本項ではテンピンボウリングに限定して述べる。漢訳語「
テンピンボウリングは、ワールドゲームズ実施競技、アジア競技大会、国民体育大会の正式競技種目にもなっている。
日本語での表記法については、文化庁の国語施策における「外来語の表記」で、「長音符号の代わりに母音字を添えて書く慣用もある」として、その例に「ボウリング」を挙げている[2]。「ボーリング」と表記した場合、掘削工事を指すことがあるので注意が必要。
レーン上にピンと呼ばれる的が10本、手前に頂点が向く正三角形に整列され並べられ、プレイヤーはピンを狙ってボール(英: bowling ball)を転がし、倒したピンの数の合計を競う。
基本は一人で競技し、対戦はコンペティティブ・ペーシェンスとしてスコアの比較で行う。
1ゲームは10フレームから構成される。通常、ボウリングを行うための施設であるボウリング場で行う。ボウリング場は複数のレーンと、ピンを自動配置するピンセッターや、ボールが自動返送されるボールリターンなどを備えている。また競技用ボールや靴などは貸し出しが行われており、手ぶらで楽しめるスポーツである。
「ボウリングをすること」などを意味する「bowl」という英語は、ラテン語で「泡」や「瘤」を意味する「bulla」に由来する。一方、同じ綴りで食器や容器(ボウル)を意味する「bowl」や「球」を意味する「ball」は、ゲルマン語に由来し、本質的に異なる。
もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった[3]。その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて、木でできたボールとピンが墓から発掘された[注 1]ことから、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世ドイツの宗教革命家として知られるマルティン・ルターが、倒すピンを9本にし、並べ方もひし形にして、ボウリングの基本的なルールを統一したとされ、これが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている[4]。9本という決められた数のピンを倒すという行為から、やがて「ナインピンズ・ボウリング(en:Nine-pin bowling)」(九柱戯[5])という一つのスポーツが派生し、宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えた。九柱戯はいまだにヨーロッパでは比較的メジャーな競技で、愛好者も多い。
17世紀になるとオランダ人が移住したことで、アメリカでもボウリングが盛んになった[4]。しかしナインピン・ボウリングは賭け事に利用されたため1840年代に禁止される[6]。そこで1本ピンを追加して三角形に並べ、ナインピンを禁じる法律を回避したテンピン・ボウリングが誕生することとなった[4][注 2]。1895年にはアメリカ・ボウリング協会(American Bowling Congress)が発足される[4]。1950年代初めに全自動式ピンスポッター(ピンを自動で並べる機械)の設置が始まることで急速に普及し、1952年には国際的な統括機関である国際柱技者連盟(Fédération Internationale des Quilleurs, 略称FIQ)が設立された[4][6]。
日本では、文久元年5月15日(新暦換算:1861年6月22日)、長崎の大浦居留地(長崎居留地)にて、日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。1861年7月6日、英字新聞「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」にインターナショナル・ボウリング・サロンの開設を告げる案内広告が掲載された[8]。この広告に6月22日にインターナショナル・ボウリング・サロンが開設されたと掲載されていた[9]。
これを記念して、日本ボウリング協議会[注 3]が1971年に6月22日を『ボウリングの日』と定め、ボウリングの普及と振興のための企画などを実施するようになった[10][11]。2002年からは日本ボウリング場協会がキャンペーンを実施している[12][13][14]。
なお、幕末の志士・坂本龍馬が長崎に居留していたイギリス人貿易商グラバーと交流があったことから、後世、日本ボウリング資料館の開館を報じる『ボウリング・マガジン』において、「龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれない」という願望を含んだ記事が掲載されたが、そのような事実があったという確たる証拠は一切無い[要出典]。
1955年(昭和30年)の雑誌には「最近になって日本に入ってきたスポーツで、まだあまり大衆に親しまれていない」[15]とあり、広く親しまれるようになったのは昭和40年代以降と思われる。スポーツ競技と定義されているが、手軽な集団レクリエーション・ゲームとしても浸透しており、あまり経験の無い人も参加しやすい性質を持つといえる。
1970年(昭和45年)前後には、須田開代子と中山律子に代表されるスター・プレイヤーの出現などがきっかけとなって、ボウリング場が数百メートルごとに立ち並ぶほどの一大ブームが到来した。日本国内のボウリング場は1972年(昭和47年)時点で3697箇所を数えた[16]。
その手軽さとルールの簡明さゆえに、国民に馴染みの深いスポーツの一つであったが、ブームが過ぎると集客力も減衰して施設は激減していった。ボウリング場も1980年代からはアーケードゲームを併設し総合娯楽施設として構えていたことが多かった。遊びの多様化によるボウリング競技者人口の減少に加え、先のブーム時に建てられた施設の老朽化が進んで耐震基準を満たさなくなったことが大きく響いて、次々に廃業している。
日本国内のボウリング場は1972年(昭和47年)には最多の3697箇所を数えた[17]。2016年(平成28年)時点で821箇所にまで減っている[16]。2023年(令和5年)9月1日時点で、日本全国の施設数は661となっている[17]。
通常の得点計算においては、上記のような条件のため、ストライクを続けることが高得点の条件となるが、各フレームごとに独立して得点計算を行うCurrent Frame Scoring Systemが導入される大会もあり、日本でも2023年よりio.LEAGUEにて導入されている。
コンピュータの導入により、点数が自動的に計算・表示されるボウリング場が多く、またコンピュータによる計算の普及により計算方法を知り、自身で計算できるようになるプレイヤーが増加した。
近年は専用のボウリング場だけでなく、体育館等に設えた特設のレーンを会場に行うケースも増えている。NHK衛星第1テレビジョンで放送された「ジャパンカップ」の中継によると、専用レーンでは限られた収容人員しか見学できないため、特に注目されるテレビマッチなど、できるだけ多くの観客にボウリングを楽しんでもらいたいという趣旨から、体育館等に特設のレーンを設えて試合を行う「アリーナファイナル」などを行う機会が増えたと説明されている。
ピンとは、レーンの先に設置された棒状のもの。手前からピラミッド状に10本設置される。ピンには位置により番号が付けられており、投球者からみて最も手前の先端に当たるピンが1番ピン、以下、2列目左から右へ2番、3番、3列目左から右へ4 - 6番、最終列左から右へ7 - 10番ピンである。この呼び方は、右投げ・左投げに関係なく共通である。1番ピンを「ヘッドピン(またはヘッド)」、5番ピンを「キングピン」、10番ピンを「テンピン」と呼ぶことが多い。
ボウリングのボールは以下のような構造を持つ。
ピンセッターはレーンの奥にあり、ボウリングの倒れたピンを回収し、自動的にピンをセットする機械。ピンとボールを回収し、ボールとピンを分別、ボールはプレイヤーに戻し、ピンは向きをそろえて立て直す。ボウリングにおいて最も主要な装置であり「ボウリング・マシン」と呼ばれることもある。機械が発明されるまでは、右の写真のように「ピンボーイ」と呼ばれる少年がピンを手でセットし、ボールをプレイヤーに投げ返していた。
日本のボウリング場で使われているピンセッターは、主に次の4つのメーカーのものである。
上記のピンセッターはピンが1本ずつ独立して循環する方式であるが、ピンがピンスポット上部から紐で繋がり、各投球ごとに紐を引き上げてセットする方式もある。この方式のメーカーとして、かつてはSM(シュミット)やLS(ランシング)があった。その後日本国内ではしばらく見られなかったが、2022年にFUNK NORTH AMERICA社のSTRING PINSETTERがファンキーボウル(宮城県大崎市)に導入された。
取り消し付きの数字は倒れたピンの番号を、太字の数字は残りピンの番号を表す。●はスプリットである。下記の残りピンは、右投げを基準にしている。
呼び名 | ピンの状態 |
---|---|
バケット | 4 5 2 |
インザダーク1 | 2 |
インザダーク2 | |
ベビースプリット● | |
クリスマスツリー1● | 7 2 |
クリスマスツリー2● | 7 |
ビッグフォー(別名:ハッピーバースデイ)● | 7 4 |
ビッグファイブ(別名:ギリシャ教会)● | 7 4 |
スネークアイ(別名:ベッドポッド)● | 7 |
ダイムストア1● | |
ダイムストア2● | 7 |
リリー● | 7 |
ワッシャー1 | 7 4 2 1 |
ワッシャー2 | 4 2 1 |
ワッシャー3 | 2 1 |
トラピゾイド● | 7 2 3 |
トラピゾイド(別名:グレイド)● | 7 2 3 | 8 9 10
ダイヤモンド● | 4 2 3 |
ビートセブン● | 7 |
ビートテン● | 7 4 2 | 8
プロのトーナメントでは、ゲームの合間のアトラクションとして、トリックプレイと呼ばれる余興が披露されることがある。これは、通常ではありえないシチュエーションを人為的にセットし、やはり通常とは異なる投法などでピンを倒すものである。以下は、トリックプレイで見られるセットの一例である。
日本におけるプロボウラーとは、日本プロボウリング協会が行うプロボウラー資格取得テスト(プロテスト)に合格し、プロ資格を所持する同協会の正会員の者である。プロボウラーの証明として、プロワッペンをユニフォームに着用している。
ゴルフのプロゴルファー制度や将棋などの棋士のプロ制度と大きく異なるのは、合格者数に定員が定められていない点である。受験資格があり、実技試験で規定の基準を上回ることができれば、他人の成績に関わらず試験に合格することができる。結果次第でその年に受験した受験生が全員揃ってプロボウラーとなる可能性もある。
一度プロボウラー資格を取得すれば、協会への年会費を支払い続ける限り、成績等によって資格が剥奪されることはない(除名等で剥奪されることはある)。
他のスポーツと同様、プロトーナメントなどに出場し賞金を獲得できる。しかしながら、賞金ランキングトップの選手においても年間総獲得賞金額が1000万円を上回ることは少なく、ボウリング場などに勤務しながら自場でボウリングスクールを行ったり、人気選手は全国のボウリング場を回りアマチュアボウラーとの交流会を行っている。
日本テレビ系「ワールド☆レコーズ」(2004年 - 2005年)で「100本ボウリング」を放映されたことを切っ掛けに、ボウリング場「X-BOWL」(釧路・小田原・松本)に100本ボウリングのレーンが開設された。番組が「300本ボウリング」を放映後、こちらも300本に変更された。X-BOWLでは1人1球のみの挑戦で料金は2005年時点で300円。300本のピンは手作業で並べるため一度セットするのに40分ほどかかる[47]。そのためこのゲーム自体では採算が取れないが、集客効果が上がったといわれる。後に埼玉県の「アイビーボウル」でも導入された。
群馬県前橋市発祥のボウリングを基に作られたニュースポーツ。 レーンの途中にゲートボールのゲートを置き、そこを通過させてボウリングのピン10本全てを何投で倒すことが出来るかを競う。 投げたボールはコースの途中にあるゲート(4回移動する)を通過させてから、ピンを倒す。 投球数の少ないチームが勝ちとなる。
ブラインドボウリングとも[49]。ブラインドスポーツの一種で、視覚障害のある人のためのボウリング競技。基本的に、晴眼者からのサポートを受けて行うか、それに加え、ガイドレーン(高さ約90cm、長さ約370cm)を使用して行う2つのスタイルがある。B1(アイマスクかアイシェードをつけるのが必須)、B2、B3の3つのクラスがある[50]。
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