日本の地震年表 (にほんのじしんねんぴょう)では、現在の日本領内[注 1] にて発生した主な地震 の記録を年表形式で記載する。
過去に起きた日本の主な地震の震央。赤:M7以上 、それ以外の地震で青:死者有り 、紫:最大震度6以上 [1] [2] 。
日本列島周辺のプレートの模式図。複数のプレートが互いに衝突し合うという複雑な構造になっている。簡単に言えば、日本で地震の発生が非常に多いのはこのためである。
基本的に地震の名称と共に被災した地域や被害の規模を列挙しているが、特に名称がない地震や名称が分からない地震については代わりに震源地 を記載している。地名は現在のものを用いるか、当時の地名とともに現在の地名を併記する。年月日や時間はすべて日本時間 で表記している。また、地震発生当時に旧暦 を用いていた場合、太陽暦 に換算している。なお、西暦表記は1582年 10月4日以前はユリウス暦 (括弧内にグレゴリオ暦 を併記[注 2] )、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦で表記している。
基準
この年表では以下の基準を満たす地震を記載している。
日本(排他的経済水域 を含む)を震源 とする地震で、マグニチュード 7.0以上 、またはマグニチュード6.0以上 で日本国内で最大震度 6弱以上 、または死者・行方不明者1人以上 のいずれか1つ以上に該当する場合。
特にマグニチュード8.0以上 、または最大震度7 、または死者・行方不明者1,000人以上(明治以降は100人以上) の場合は太字 で表記する。
群発地震 や無震帯 で起こった地震など、特記すべき地震。
地震記事の出現頻度に関する注意事項
地震年表では、前後の時代と比較し9世紀に地震が増加している。これは、実際に地震が多く発生したのではなく、中央集権体制が整い為政者側が積極的に情報を収集し、六国史 に天変地異が多く収録された背景があり、人為的効果の可能性が考えられている[14] [15] 。
六国史の編纂が終了した887年から、近世の1586年頃までは記録が著しく減少する。これは政治体制の未熟さに加え、室町時代から江戸時代初期の検地 ・刀狩 でそれ以前の地方文書 (じかたもんじょ)が回収・処分されたらしいことが原因として考えられる[16] 。江戸時代から地方の記録も次第に増加し、1884年に郡役所からの地震報告が開始されて漸く全国的な観測体制が整備された。
1996年以降は、計測震度の正式導入、震度観測点の大幅な増加により、高震度が観測されやすくなっているため[17] [18] 、本年表の掲載基準に達する地震記事が大幅に増加している。
したがって各時代の記録密度が均質とは言えず、地震年表に現れる記事の多寡を以て直ちに地震活動の盛衰を論ずることはできない[15] [19] 。
記録が疑わしく存在が疑問視されている地震もあり、疑問視されている記録には※印を付している。誤記など、存在が否定されている地震には抹消線を入れている。
文字記録が無いため、堆積物 によって地震の発生が推定されている。
679年 初頭(天武 7年12月) 筑紫地震 - M6.5 - 7.5、幅二丈 、筑紫国 (福岡県 )で長さ三千余丈の地割れ(『日本書紀』)。水縄断層 の活動による内陸地震との説がある[42] 。
684年 11月26日(11月29日)(天武13年10月14日) 白鳳地震 (天武地震、南海道沖または、南海トラフ全域が震源域の可能性あり) - M8+ 1 ⁄ 4 (Mw8 - 9 [43] )、死者多数。土佐 で津波により大きな被害。田園(約12 km2 )が海面下へ没す(『日本書紀』)。南海道沖の地震 を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。『日本書紀』に、別の日であれば記述されるであろう東海道沖の地震の記録が見られないことから同時に南海トラフ全域が震源域となった可能性がある[44] 。日本最古の確かな地震津波記録[39] 。
818年 8月ごろ(弘仁 9年7月) 弘仁地震 - M7.9、上野国 、武蔵国 などの関東内陸で液状化 を伴う地震。死者多数(『類聚国史 』)山が崩れ数里の谷が埋まり、数え切れないほどの人々が圧死した。上野国(こうずけのくに)などの境では地震で潦(にわたずみ)ができた(『類聚(るいじゅう)国史』)[49] [50] 。
827年 8月7日(8月11日)(天長 4年7月12日) 京都で地震(『類聚国史』) - M6.5 - 7。
830年 1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 天長地震 (『類聚国史』) - M7 - 7.5。
841年 前半(承和 8年5月3日以前) 伊豆国地震 - M7、けが人・圧没者あり(『続日本後紀 』)。1930年の地震で活動した丹那断層 の、一つ前の活動の検討候補である。
850年 11月23日(11月27日)(嘉祥 3年10月16日) 出羽国地震 - M7、圧死者多数(『文徳実録 』、『日本三代実録 』)。
863年 7月6日(7月10日)(貞観 5年6月17日) 越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津 付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある[51] [52] 。
864年 6月(貞観6年5月) 富士山噴火(『日本三代実録』)(青木ヶ原樹海 を作った貞観大噴火 )、阿蘇山 噴火。
867年 11月16日(貞観9年10月13日) 陸奥国大地震[53] 。
868年 7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨国地震 (『日本三代実録』) - M7台[54] 。兵庫県の山崎断層帯 の活動によるものと思われている。
869年 7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M8.3 - 8.6 (Mw>8.7 )、陸奥国 地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人 (『日本三代実録』)。多賀城 損壊。津波堆積物調査から震源域 が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[注 7] 。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[25] [55] 。
878年 10月28日(11月1日)(元慶 2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M7.4、圧死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層 の活動時期に合致するとする説と[56] 、館山市 の海岸で見出された900年ごろと推定される津波堆積物から相模トラフ のプレート境界地震とする説がある[57] 。
880年 11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲 で地震 - M7(『日本三代実録』)。
886年 6月29日(7月3日)(仁和 2年5月24日) 伊豆諸島 噴火。安房 の国で降灰と地震(『日本三代実録』)。
887年
7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震 - M6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1,000人 にのぼったとされる※。
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日)
信濃北部地震 ※ - 存在がほぼ否定される。『扶桑略記 』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒 が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し[58] [59] 、その見方が強い[60] 。
仁和地震 (南海道沖または、南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M8 - 8.5 、五畿七道 諸国が同日に大震、京都 ・摂津 を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海道沖の地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。石橋克彦 は、この地震によって八ヶ岳 が山体崩壊 を起こし、形成された堰止湖 が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したとの仮説を唱えた[60] 。
934年 7月11日 (7月16日)(承平 4年5月27日) 京都で地震。午刻に地震2回 - M6[61] 。
938年 5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M7、死者あり。高野山 でも建物損壊。その後も余震が多く、承平8年8月6日に大きな余震。
976年 7月17日(7月22日)(天延 4年6月18日) 山城・近江地震 - M6.7以上、死者50人以上。
1026年 6月10日(6月16日)(万寿 3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。M7.5 - 7.8、死者1,000人以上 と推定[62] 。益田川 沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認[63] 。
1088年 6月4日(6月10日)(寛治 2年5月13日) 宮古の辺に20時ごろから翌朝まで9回地震、大津波が13時ごろまでに3回来襲(『奥南見聞録』)。
1096年 12月11日(12月17日)(嘉保 3年11月24日) 永長地震 (嘉保地震、東海道沖の地震または南海トラフ全域) - M8 - 8.5 、東大寺 の鐘が落下、伊勢安濃津 は津波で多く損じ(『中右記 』)、駿河で民家400余流失など(『後二条師通記 』)。1099年康和地震が南海道沖の地震でないなら本地震が南海道沖の地震も含むものであった可能性がある[64] 。
1099年 2月16日(2月22日)(承徳 3年1月24日) 康和地震 (承徳地震、南海道沖の地震?) - M6.4 - 8.5 、興福寺 、天王寺 に被害。死者は不明。『広橋本兼仲卿記』の紙背文書 にある、康和 2年1月X4日に土佐で田畑海没した記録が日付の誤記で本地震によるとされた。津波被害は不明。南海道沖の地震とされたが、疑義があり畿内の地震の可能性もあり[64] 。
1241年 5月15日(5月22日)(仁治 2年4月3日) 鎌倉 で地震 - M7、津波を伴い由比ヶ浜 大鳥居内拝殿流失。
1245年 8月19日(8月26日)(寛元 3年7月26日今夜丑 剋) 京都で地震、屋々に破損多し(理科年表では8月27日[注 8] )。
1257年 10月2日(10月9日)(正嘉 元年8月23日) 正嘉地震 - M7 - 7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)※。
1293年 5月20日(5月27日)(正応 6年4月13日) 鎌倉大地震 (永仁鎌倉地震) - M8 クラスの相模トラフ巨大地震 との説がある。建長寺 などで火災発生、死者2万3000人 あまり、余震多発。
1299年 5月25日(6月1日)(正安 元年4月25日) 大阪・京都で地震、天王寺 金堂・南禅寺 堂社倒れる。
1317年 2月16日(2月24日)(正和 6年1月5日) 京都で地震 - M6.5 - 7。清水寺 出火、死者5人。2日前の2月22日にも京都で大地震。
1325年 11月27日(12月5日)(正中 2年10月21日) 正中地震 - M6.5±1 ⁄ 4 。越前 敦賀郡氣比神宮 倒潰、竹生島 の一部が崩れる。柳ケ瀬断層 を震源とするという説があるが、トレンチ調査の結果と一致しない。
1331年
8月7日(8月15日)(元弘 元年、元徳 3年7月3日) 紀伊 で地震 ※ - M7.0以上。千里浜隆起。
8月11日(8月19日)(元弘元年、元徳3年7月7日) 元弘地震 (東海地震?) - M7、富士山頂崩れる。※[70] (『太平記 』)。
1350年 6月28日 (7月6日)(正平 5年5月23日) 京都の祇園社の石塔の九輪が落ち砕けた - M6[61] 。
1360年 11月13日・14日(11月21日・22日)(正平15年、延文 5年10月4日・5日) 紀伊・摂津地震 (東南海地震?) - M 7.5 - 8.0 ※、存在がほぼ否定される。4日と5日に大地震、6日朝に津波で熊野から摂津まで大荒れというも、記録は疑わしく地震の存在は疑問視される[51] [71] 。
1361年
7月24日(8月1日)(正平16年、康安 元年6月22日) 畿内で強い揺れ。法隆寺の築地多少崩れる。次の地震の前震と考えられたが、それは史料批判精神に欠く見方で、東海道沖の地震と考えたほうが自然とされる[72] 。
7月26日(8月3日)(正平16年、康安元年6月24日) 正平・康安地震 (南海道沖または、一部東海道沖を含むなど、震源域諸説あり) - M8+ 1 ⁄ 4 - 8.5 、死者多数。摂津 ・阿波 で津波により大きな被害(『太平記』)。土佐 で正興寺の古文書が流される。
1408年 1月12日(1月21日)(応永 14年12月14日) 応永地震 - M 7 - 8 。京都で地震。熊野本宮の温泉湧出が、80日間止まる※など紀伊・伊勢の記録は疑わしい[51] 。
1433年 10月28日(11月6日)(永享 5年9月16日) 永享相模の地震 - M7以上、死者多数。津波により利根川 が逆流[注 9] 。
1449年 5月4日(5月13日)(文安 6年4月12日) 山城・大和地震 - M5+ 3 ⁄ 4 - 6.5、死者多数。
1454年
12月12日(12月21日)(享徳 3年11月23日夜半)享徳地震 - Mw>8.4 [73] 会津など?で強震、奥州海岸に大津波で人が多く流される(『王代記』)。15世紀 ごろと見られる津波堆積物との関連性が指摘されている[74] 。「理科年表 」には2023年版から記載。
12月29日(1455年 1月7日)(享徳3年12月10日) - 鎌倉 で余震とみられる大地震(『鎌倉大日記 』)。
1474年 終盤 - 1475年 初頭(文明 6年冬)京都で大地震[75] 。
1495年 9月3日(9月12日)(明応 4年8月15日) - 鎌倉大仏 殿に津波が入り堂舎屋が破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[76] )。この記録が明応7年の明応地震 の混同として扱われて、従前の「理科年表」には記載がなかったが、2023年版から記載。地層[注 10] や史料[77] の調査から、相模トラフ を震源とする関東地震の可能性が示唆されている[78] [79] [80] [注 11] 。
1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M7 - 7.5、九州で屋舎倒れ山崩れの記録(『九州軍記』)。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[81] が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震 であるという解釈も可能[82] 。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[83] 。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震 (東海道沖の巨大地震) - M8.2 - 8.4 、『林叟院創記』に溺死者2.6万人 とあり、『内宮子良館記』には5千人余流死、伊勢、志摩では1万人溺死とある。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖 が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿 が押し流される記録※は明応4年。地質調査によればほぼ同時期に南海道沖が震源域となった可能性もあるが疑問。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[84] 。
1502年 1月18日(1月28日)(文亀 元年12月10日) 越後地震 - M6.5 - 7.0、死者多数。
1510年 9月11日(9月21日)(永正 7年8月8日) 摂津・河内地震 - M6.5 - 7.0、死者あり。余震が2か月あまり続く。
1520年 3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M7.0 - 7+ 3 ⁄ 4 。紀伊・京都で地震。熊野 ・那智 の寺院が破壊、津波あり。
1585年 7月31日(天正 13年7月5日) - M7程度以上、大阪・京都・伊勢・三河で大震(『家忠日記』など)阿寺断層 の活動も候補になる[85] 。
1586年
1月16日(天正13年11月27日) 飛騨 で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷 で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏 、帰雲城 もろとも滅亡。
1月18日(天正13年11月29日) 天正地震 (東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8 - 8.1 (8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾 と若狭湾 という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層 (愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層 (岐阜県)が活動したとする説もあるが[86] 、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85] 。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12] 。
1590年 3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
1596年 以下の3つは連動型地震 の可能性がある。
9月1日(文禄 5年閏 7月9日) 慶長伊予地震 (慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震 のさきがけとなる。四国を走る中央構造線 断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震 (大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島 と久光島 の2つの島が沈んだと伝わる。大分県 を走る別府-万年山断層帯 での正断層 型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震 (慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+ 1 ⁄ 2 ±1 ⁄ 4 、京都や堺 で死者合計1,000人以上 。伏見城 の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯 や有馬-高槻断層帯 での地震と考えられている。
「大日本国地震之図」(1624年)
17世紀前半……津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝 南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM8.6 クラスの地震が発生したと推定されている(17世紀型の地震 )。1611年 または1635年 説あり[87] 。
1605年 2月3日(慶長 9年12月16日) 慶長地震 (南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9 - 8 、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊 ・阿波 ・土佐 などで大きな被害。八丈島 でも津波による死者数十人。宍喰で死者1500人余或は3800人余※などの記録もあるが人口から死者は過大とされる[88] 。津波以外の被害は確かなものが確認されていない。
1608年 12月30日(慶長13年11月23日)仙台 で地震。 - 男女50人死亡 ※[89] [注 13] 。
1611年
9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M6.9、死者3,700人 。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M8.1 (Mw>8.5 )。三陸沖(日本海溝付近)の地震と考えられてきたが、十勝・根室沖(千島海溝)のM9クラスとする説もある。一方、東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる[55] [90] 。伊達領 で大津波による死者約2,000 - 5,000人 。
1614年 11月26日(慶長19年10月25日) 広い範囲で地震 - M7.7。畿内以外の記事は後世の信憑性の劣る史料であり、死者が出た京都付近の局所的な地震ともされる[91] [92] 。南海トラフの巨大地震とする説あり[93] 。震域は会津、伊豆 、紀伊 、山城 、松山諸国まで及んだ。越後 高田藩 では地震と津波により死者多数とする記録もある※が疑わしい[94] 、京都で寺社・民家が多数壊れ[注 14] 同日に、伊豆と小田原と広い範囲で有感。津波が発生し千葉県 銚子市 の飯沼観音 の境内まで到達したとの記録がある[注 15] 。池上本門寺 五重塔 が傾く[注 16] 。
1615年 6月26日(慶長20年6月1日) 慶長江戸地震 - M6+ 1 ⁄ 4 - 3 ⁄ 4 、小田原、江戸で被害。
1616年 9月9日(元和 2年7月28日) 宮城県沖地震 - M7.0、仙台城 が破損。三陸地方 で大津波 ※。
1619年 5月1日(元和5年3月17日) 肥後 (熊本)八代 で地震 - M6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
1625年 7月21日(寛永 2年6月17日) 熊本地震 - M4 - 6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年 10月22日(寛永4年9月14日) 松代 地震 - M6.0±1 ⁄ 2 ※、存在がほぼ否定される幽霊地震。家屋倒壊、死者ありと言うも、宝永地震 を転記した際に生じた誤り[95] との説がある。
1628年 8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城 の石垣が壊れた - M6.0。
1633年 3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震 (相模・駿河・伊豆地震) - M7.1あるいはM7.0±1 ⁄ 4 、小田原で大きな被害を出し死者110 - 150人。駿河・熱海に津波。
1635年 3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M6.0前後、大きな被害。
同日に 蝦夷 で強震(『福山秘府』)。上記17世紀前半の津波堆積物を1611年とする説がある一方で、1635年とする説もある[87] [96] 。
1640年 11月23日(寛永17年10月10日) 加賀 大聖寺地震 (石川県 加賀市 ) - M6+ 1 ⁄ 4 - 3 ⁄ 4 、死者多数[注 17] 。
1644年 10月18日(寛永21年9月18日) 羽後 本荘 - M6.5±1 ⁄ 4 、象潟 で津波死者117名。本荘城廊が大破。
1646年 6月9日(正保 3年4月26日)M7.6、仙台城 の石壁100m以上崩れ、3階の陣櫓3基が倒れ。白石城 の石壁・櫓が破損[97]
1647年 6月16日(正保4年5月14日) 丹沢で地震 - M6.5±1 ⁄ 4 、江戸城 の石垣や大名屋敷など破損。小田原城 に大きな被害。
1648年 6月13日(慶安 元年4月22日)相模・江戸で地震 - M7.0程度。小田原城破損、箱根で落石、死者1名。ただし、江戸での被害疑問とする見解もある[98] 。
1649年
3月17日(慶安2年2月5日) 安芸 ・伊予 で地震 - M7.0±1 ⁄ 4 。松山城 、宇和島城 の石垣や塀が崩れる。
7月30日(慶安2年6月21日) 慶安武蔵地震 - M7.1あるいはM7.0±1 ⁄ 4 、武蔵・下野で地震。死者多数。
9月1日(慶安2年7月25日) 武蔵で地震 - M6.4程度。川崎宿 で大きな被害。
1655年 5月2日(明暦 2年4月8日) 房総沖地震 - 千葉県 で津波の記録あり。
1659年 4月21日(万治 2年2月30日) 会津 で地震 - M6+ 3 ⁄ 4 - 7.0、死者あり。
1662年
6月16日(寛文 2年5月1日)
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震 (日向・大隅地震) - M7+ 1 ⁄ 2 - 7+ 3 ⁄ 4 又はM7.2 - 7.5[100] 、死者あり。
1664年 (尚質王 17年) 琉球鳥島 で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[101] 。
1666年 2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M6+ 3 ⁄ 4 前後、死者1,400 - 1,500人 。
1670年 6月22日(寛文10年5月5日) 西蒲原地震 - M6+ 3 ⁄ 4 前後、死者13人、江戸でも有感。
1671年 2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[102] 。
1676年 7月12日(延宝 4年6月2日) 延宝石見地震 - M6.5前後、津和野城 の石垣が崩れ、領内で潰家133、死者7人。
1677年
4月13日(延宝5年3月12日) 延宝八戸沖地震 - 陸奥 、陸中 、八戸沖(青森県東方沖)で地震 - M 7+ 1 ⁄ 4 - 8.0 、津波あり、三陸沖北部の固有地震[103] 。
11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震 (延宝地震) - M8.0 前後(Mw8.5 )、死者500 - 600人。福島県 - 千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害[104] )。
1678年 10月2日(延宝6年8月17日) 宮城県北部沖で地震 - M7.5前後、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
1683年 6月17日 - 10月20日(天和 3年5月23日 - 9月1日) 日光地震 - 栃木県北部、日光付近で群発地震。規模の大きなものは、6月17日にM6.0 - 6.5、6月18日にM6.5 - 7.0、10月20日にM7.0±1 ⁄ 4 の地震が発生。10月20日の地震では、五十里村で生じた山崩れが河川を塞いだために湖が生じた(五十里湖 )。この堰止湖は40年後の1723年 の台風によって決壊し、鬼怒川 下流において死者約1,200人の被害をもたらした(五十里洪水 )[105] 。震源断層は関谷断層 である可能性が指摘されている[106] 。
1686年
1月4日(貞享 2年12月10日) 安芸・伊予で地震 - M7.0 - 7.4、広島県中西部を中心に被害、死者あり。
10月3日(貞享3年8月16日) 遠江・三河地震 - M7.0±1 ⁄ 4 又はM6.6 - 6.7[107] 、死者あり。
1694年 6月19日(元禄 7年5月27日) 能代地震 - M7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
1696年 11月25日(元禄9年11月1日) - M6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[108] 。地震記事は未確認[89] 。
1700年 4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M7.3、石垣・家屋が倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[109] 。
1703年 12月31日(元禄16年11月23日)
元禄地震 (元禄関東地震) - M8.1 - 8.2 (Mw8.1 - 8.5 [110] )、関東南部に津波。死者6,700人 、潰家、流家約28,000軒(『楽只堂年録 』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記 』)。
豊後で地震 - M6.5±1 ⁄ 4 、元禄地震の約2時間後に発生[111] 。府内領 で潰家273軒、死者1人、由布院でも潰家。
1704年 5月27日(宝永 元年4月24日) 羽後・陸奥 で地震 - M7.0±1 ⁄ 4 、野代(現能代市 周辺)の被害大。死者58人。十二湖 を生じた。
1705年 5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山 付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城 の石垣が破損。
1707年
10月28日(宝永4年10月4日)13 - 14時ごろ 宝永地震 (南海トラフ全域が震源域) - M8.4 - 8.6 (Mw8.7 [112] 〜9.3 [113] [114] )、死者4,900 - 2万人以上 、倒潰・流出家屋6万 - 8万軒とされるが被害の全体像は不明。関東から九州までの太平洋岸、瀬戸内海、大坂に津波、東海道 宿場町で家屋倒壊・伊豆 ・伊勢 ・紀伊 ・阿波 ・土佐 沿岸各地が津波で亡所となるなど大きな被害(『楽只堂年録』、『谷陵記』)。地震から49日後に富士山 の宝永大噴火 。道後温泉 の湧出が数か月間止まる。
10月29日(宝永4年10月5日) 宝永富士宮地震 - 富士宮 で地震、M6.7 - 7.0[115] 、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社 および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[116] 。
11月21日(宝永4年10月28日) 周防 ・長門 で地震 - M5.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。
1708年 2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M7クラス[117] 、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川 堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。
1710年 10月3日(宝永7年閏8月11日) 因伯美地震 - M6.5程度、山崩れなど。死者多数。
1711年 3月19日(宝永8年2月1日) 伯耆 ・美作 で地震 - M6+ 1 ⁄ 4 、大山 で山崩れ、伯耆・美作で潰家、死者4人。鳥取地震 の起り方に似る[118] 。
1714年 4月28日(正徳 4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃 北西部で地震、M6+ 1 ⁄ 4 、山崩れなど。死者56人。
1715年 2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M6.5 - 7.0。
1717年 5月13日(享保 2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1718年 8月22日(享保3年7月26日) 遠山地震 - M7.0、三河 、伊那遠山谷 で地震。遠山川 の河道閉塞 が後日決壊し、死者50人[119] 。
1723年 12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年 8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城 の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年 8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震 - M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
1730年 11月11日(享保15年10月2日) 常陸 沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
1731年 10月7日(享保16年9月7日) 宮城県 南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。
1741年 8月29日(寛保 元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4 )、死者2,033人 。北海道西南沖の大島 で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年 5月21日(寛延 4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人 。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年 10月31日(宝暦 12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103] 。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸 東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103] 。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103] 。
1766年 3月8日(明和 3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+ 1 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 、弘前城 損壊など。死者約1,500人 。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1769年 8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7+ 3 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 、M7.2[100] 又はM7.4[107] 、大分城で被害多く、熊本領内でも被害あり。津波あり。
1771年 4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震 (明和の大津波) - M 7.4 - 8.0 (Mt8.5 , Mw8.7 [120] )、死者約12,000人 。津波の最大遡上高85m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房 まで津波の到達と記録あり。
1772年 6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性あり。
1780年 7月30日(安永 9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
1782年 8月23日(天明 2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城 損壊など。
1786年 3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[121] 。
1789年 5月11日(寛政 元年4月17日) 阿波 で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
1791年 7月23日(寛政3年6月23日) 信濃松本 で地震 - M6+ 3 ⁄ 4 程度、松本城櫓・石垣、民家400余崩れ。松本で震度6と推定される[122] 。
1792年
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震 (鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽 ・鰺ヶ沢 で強震、津軽山地西縁断層帯 が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震 (連動型宮城県沖地震 ) - M8.0 - 8.4 、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年 6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1 ⁄ 4 又はM6.7[123] 。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
1801年 5月27日(享和 元年4月15日) 上総地震 - 久留里城 が破損。
1802年 12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M6.5 - 7.0、死者37人。
1804年 7月10日(文化 元年6月4日) 象潟地震 - M7.0±0.1、死者500から550人。象潟 で2mの地盤隆起と3から4mの津波。
1808年 12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[125] [126] 。
1810年 9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島 で地震 - M6.5±1 ⁄ 4 、死者60人
1812年 12月7日(文化9年11月4日) 文化神奈川地震 - M6+ 1 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 またはM6.4、震源は東京湾[127] 、神奈川宿 を中心に死者多数[128] 。
1819年 8月2日(文政 2年6月12日) 文政近江地震 - M7+ 1 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 又はM6.9[107] 、伊勢・美濃・近江で地震、死者多数。
1821年 12月13日(文政4年11月19日) 岩代 で地震 - M6.5 - 7.0、岩沼湖周辺で震度6以上と推定される[129] 。死者若干名。
1823年 9月29日(文政6年8月25日) 陸中岩手山 で地震 - M5+ 3 ⁄ 4 - 6.0、山崩れあり、死者 69人、不明4人。
1826年 1月(文政8年12月) 小笠原諸島 近海で地震 父島 二見湾で津波の高さ推定6m[130] 。
1828年 12月18日(文政11年11月12日) 三条地震 (越後三条地震) - M6.9、死者1,681人 。
1830年 8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M6.5±0.2、死者280人。二条城 など損壊。
1833年
5月27日(天保 4年4月9日) 美濃西部地震 - M6+ 1 ⁄ 4 死者11人。余震は8月まで、震源は根尾谷断層 付近。
12月7日(天保4年10月26日) 庄内沖地震 (出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) - M7+ 1 ⁄ 2 ±1 ⁄ 4 (Mw8 , Mt8.1 )、死者40 - 130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震 の津波よりも規模が大きい[131] 。
1834年 2月9日(天保5年1月1日) 石狩地震 - M6.4、イシカリ場所 を中心に81戸が全半壊。JR札幌駅 以北の複数個所で液状化 の跡が見つかっているため、M6.5 - 6.6という説もある。
1835年 7月20日(天保6年6月25日) 宮城県沖地震 (仙台地震、天保大津波 ※) - M7.0程度、死者多数。仙台城 が損壊、津波ありとするも別の地震を混同した疑いあり[132] 。
1839年 5月1日(天保10年3月18日) 釧路・厚岸で地震 - M7.0程度、国泰寺門前の石灯籠が大破。津軽で強い揺れ。
1843年 4月25日(天保14年3月26日) 天保十勝沖地震 - M 7.5 - 8.0 、死者46人。厚岸に津波。
1847年
5月8日(弘化 4年3月24日) 善光寺地震 (弘化大地震) - M7.4。山崩れにより犀川 の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万 - 1万3000人 。
5月13日(弘化4年3月29日) 越後頸城郡(現在の新潟県上越市高田付近:高田平野東縁断層)を震源とする地震 - M6+ 1 ⁄ 2 ±1 ⁄ 4 、死者20人以上。善光寺地震の誘発地震。
1853年 3月11日(嘉永 6年2月2日) 小田原地震 (嘉永小田原地震) - M6.7±0.1、死者約20 - 100人。
1854年
7月9日(嘉永7年6月15日)
12月23日(嘉永7年11月4日)9時30分ごろ 安政東海地震 (東海道沖の巨大地震) - M8.4 (Mw8.6 [135] )、死者2,000 - 3,000人 とされるが詳細は不明。東海道宿場町で家屋倒壊・房総半島 から四国に津波、特に伊豆から熊野 にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号 (プチャーチン 提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日)
16時20分ごろ 安政南海地震 (南海道沖の巨大地震) - M8.4 (Mw8.7 [135] )、死者1,000 - 3,000人 とされるが詳細は不明。紀伊 ・土佐 などで津波により大きな被害(串本 で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉 の湧出が数か月間止まる。稲むらの火 のモデルとなった津波。
本震の約4時間後に津波を伴う「戌刻余震」が発生した[136] 。津波から規模はM7.9と推定される[137] 。
安政東海・南海地震は約31時間の時間差で発生した。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録(『真覚寺日記』)。
12月26日(嘉永7年11月7日) 豊予海峡地震 - M7.3 - 7.5。安政南海地震の約41時間後に発生、スラブ内地震とされている。
1855年
2月16日(安政 元年大晦日)室戸半島付近で地震。高知などで強い揺れ。 - >Mw7と推定[138] 。安政南海地震の余震とされる。『真覚寺日記』などによれば、この地震以降、余震の回数が急増した[139] 。
3月15日(安政2年1月27日) 遠江・駿河で地震。 - 大井川の堤防が揺れ込。駿河清水で震度6と推定される[140] 。
3月18日(安政2年2月1日) 飛騨地震 - M6+ 3 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 又はM6.9[123] 、死者少なくとも203人。金沢などでも被害。
6月8日(安政2年4月24日) - Mw6.2、土佐南国の植田村で家屋の約17%が倒壊し、震度6と推定される。春野秋山で地震津波。安政南海地震の余震と推定される[136] 。
9月13日(安政2年8月3日) 陸前 で地震 - M7+ 1 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 。
11月7日(安政2年9月28日) 遠州灘 で地震 - M7.1、安政東海地震の余震とされる。津波あり[141] 。
11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震 (安政の大地震 ) - M7.0 - 7.1、死者4,700 - 1万1000人 。
12月3日(安政2年10月24日) - Mw7.2、紀伊紀伊田辺 、土佐高知、宇佐、豊後佐伯 の広い範囲で津波。津波地震と考えられる[136] 。
1856年
3月8日(安政3年2月2日) - Mw7.0、高知城下や宇佐で地震津波。安政南海地震の余震と推定される[136] 。
8月23日(安政3年7月23日) 安政八戸沖地震 - M 7.5 - 8.0 (Mw8.3 )、三陸および北海道に津波。死者29人。三陸沖北部の固有地震[103] 。
1857年
7月14日(安政4年閏5月23日) 駿河 で地震 - M6+ 1 ⁄ 4 ±1 ⁄ 4 、駿河田中で塀・石垣破損、島田で潰家。死者8人。
10月12日(安政4年8月25日) 伊予 ・安芸 で地震 - M7+ 1 ⁄ 4 ±0.5、今治で城内破損、死者5人。
1858年
4月9日(安政5年2月26日) 飛越地震 - M7.0 - 7.1またはM7.3[123] - 7.6。地震による直接の死者数百人、常願寺川 がせき止められ後日決壊、それによる死者140人。
4月23日(安政5年3月10日) 信濃大町で地震 - M5.7±0.2 - 6.2。信濃大町付近の平・青具・千見などで震度6以上と推定される[142] 。
7月8日(安政5年5月28日) 東北地方太平洋側で地震 - M7.0 - 7.5。
1861年
2月14日(万延 2年2月14日) 文久西尾地震 - M6.0、愛知県西尾市から岡崎市にかけて最大震度5強。内陸直下型地震、震源位置が三河地震とほぼ同じで、安政東海地震の誘発地震。建築研究所特別客員研究員の都司嘉宣 が提唱[143] 。
10月21日(文久 元年9月18日) 宮城県沖地震 - M6.4またはM7.2程度[100] 、津波、家屋倒壊、死者あり。
1872年
3月14日(明治 5年2月6日) 浜田地震 - M7.1±0.2、死者552人 。
秋ごろ 小笠原諸島近海で地震 - 父島二見湾で津波の高さ推定3m[130] 。
1880年 (明治13年)2月22日 横浜地震 - M4.5 - 6.0、煙突多数倒壊。地震学会(現在の日本地震学会 。世界初の地震学会)が結成されるきっかけになる。
1881年 (明治14年)10月25日 国後島で地震 - M7.0、津軽でも揺れる。
1889年 (明治22年)7月28日 熊本地震 - M6.3、死者20人。
1891年 (明治24年)10月28日 濃尾地震 - M8.0 、濃尾平野 北西部などで最大震度7 相当と推定[144] [145] 。死者・行方不明者7,273人 。根尾谷断層 の発生。
1892年 (明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
1893年 (明治26年)6月4日 色丹島沖地震 - M7.7 - 8 、色丹島で2m - 3mの津波。
1894年 (明治27年)
1895年 (明治28年)1月18日 霞ヶ浦付近で地震 - M7.2、死者6人。
1896年 (明治29年)
1月9日 茨城県沖で地震 - M7.3[148] 。
6月15日 明治三陸地震 (三陸沖地震) - M8.2 - 8.5 (Ms7.2 - 7.9, Mw8.5 , Mt8.6 )、津波地震 、死者・行方不明者2万1959人 。
6月16日 三陸沖で地震 - M7.5 の地震が2回発生。明治三陸地震の最大余震[103] 。
8月31日 陸羽地震 - M7.2、一部地域で震度7 相当と推定[145] [149] 。死者209人 。
1897年 (明治30年)
2月20日 宮城県沖地震 (仙台沖地震[150] ) - M7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
8月5日 三陸沖で地震 - M7.7(Mw7.8)、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1898年 (明治31年)
4月23日 宮城県沖で地震 - M7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
9月1日 石垣島東方沖(多良間島沖)で地震 - M7.0。
1899年 (明治32年)
3月7日 紀伊大和地震 - M7.0またはM6.9[107] 、木ノ本・尾鷲で死者7名、三重県を中心に近畿地方南部で被害。深さ40 - 50kmのフィリピン海プレート内の地震[151] 。
11月25日 日向灘で地震 - 3時34分にM7.1、3時55分にM6.9。
1900年 (明治33年)5月12日 宮城県北部で地震 - M7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
日本周辺で発生したマグニチュード5.5以上の地震(1900 - 2016) 上記の地図の範囲とほぼ同じ東経119度から東経150度、北緯20度から北緯46度の矩形の範囲で1900年から2016年末までに起こった地震は、USGSの地震カタログによると[152] 、M8.0以上が14回、M7.0 - 7.9が163回であった。
注:2003年 9月17日に気象庁マグニチュード の算出方法が改訂され、これに伴い1924年 以降に発生したほとんどの地震のマグニチュードも改訂された(一部は先行して2001年 4月23日に改訂)。このため、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
1900年代
1901年 (明治34年)8月9日 - 10日 青森県東方沖で地震 - 8月9日にM7.2、8月10日にM7.4。死者18人。
1902年 (明治35年)1月30日 青森県三八上北地方で地震 - M7.0、死者1人。
1905年 (明治38年)
6月2日 芸予地震 - M7.2、死者11人。
7月7日 福島県沖で地震 - M7.1[153] 。
1909年 (明治42年)
3月13日 千葉県房総半島沖で地震 - 8時19分にM6.5、23時29分にM7.5。
8月14日 姉川地震 (江濃地震) - M6.8、死者41人。
8月29日 沖縄本島付近で地震 - M6.2、死者2人。
11月10日 宮崎県西部で地震 - M7.6。
1910年代
1911年 (明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0 (Mb8.1 )、死者12人。
1913年 (大正 2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9(Ms7.0)
1914年 (大正3年)
1915年 (大正4年)
1月6日 石垣島北西沖で地震 - M7.4。
3月18日 北海道十勝沖で地震 - M7.0、死者2人。
11月1日 宮城県沖で地震 - M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1916年 (大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
1917年 (大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M6.0、死者2人。
1918年 (大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M8 (Ms8.2 , Mw8.3 [146] , Mt8.5 )、死者24人。
1920年代
1921年 (大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M7.0、最大震度4[3] 。震源深さ60km程度[155] 。家屋倒壊、道路亀裂。
1922年 (大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M6.8、最大震度5[3] 、死者2人。
12月8日 島原地震 (千々石湾地震) - 1時50分にM6.9(最大震度5[3] )、11時02分にM6.5(最大震度4[3] )。長崎県橘湾で地震。長崎県を中心に各地で大きな被害。死者26人・負傷者39人。被害家屋2,000以上。
1923年 (大正12年)
6月2日 茨城県沖で地震 - Mj7.1[3] 、千葉県銚子市 で最大震度4。
7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 - Mj7.3[3] 深さ44km[3] 。宮崎県宮崎市 と鹿児島県鹿児島市 で最大震度4。
9月1日
11時58分ごろ 関東地震 (大正関東地震、関東大震災 ) - M7.9(Ms8.2 , Mt8.0 , Mw 7.9 - 8.0 [156] , Mw8.2 [110] )、関東地方 南部と山梨県 で最大震度6。神奈川県 と千葉県 南部のそれぞれ一部で震度7 相当と推定[157] 。死者・行方不明者10万5385人 (1925年の調査では14万2800人)[158] (日本災害史上最悪)。本震3分後にM7.2、4.5分後にM7.3の地震が起こって地震動は10分以上続いて[159] いる。
12時3分ごろ 相模湾で地震 - Mj7.3[3] 、埼玉県熊谷市 と山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
9月2日 千葉県南東沖で地震 - Mj7.3[3] (Mw7.8[160] )、山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
1924年 (大正13年)
1月15日 丹沢地震 - Mj7.3、死者19人。山梨県甲府市で最大震度6。大正関東地震の余震と見られている。
7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj7.5、北海道根室市 で最大震度4。
8月15日 茨城県沖で地震 - Mj7.2、福島県いわき市 で最大震度5。
12月27日 網走沖で地震 - Mj7.0、深さ150km、北海道根室市で最大震度4。
1925年 (大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj6.8、兵庫県豊岡市 で最大震度6。火災発生、死者428人 。
1926年 (大正15年)
6月29日 沖縄本島北西沖で地震 - Mj7.0、深さ150km。沖縄県那覇市 で最大震度4。
8月7日 宮古島近海で地震 - Mj7.0、沖縄県石垣島 で最大震度4。
1927年 (昭和 2年)3月7日 北丹後地震 - Mj7.3(Mw7.1)、京都府 宮津市 と兵庫県豊岡市で最大震度6。震源付近で震度7 相当と推定[145] [161] 。死者2,925人 。
1928年 (昭和3年)5月27日 岩手県沖で地震 - Mj7.0、青森県青森市 、岩手県宮古市 ・盛岡市 で最大震度4。
1930年代
1930年 (昭和5年)
2月13日 - 5月31日 伊東群発地震 - 最大Mj5.9。
10月17日 大聖寺地震 - Mj6.3、富山県高岡市 で最大震度5。死者1人。
11月26日 北伊豆地震 - Mj7.3、静岡県三島市 で最大震度6。震源断層付近などで最大震度7 相当と推定[145] 。死者272人 。丹那断層の活動とされる。
1931年 (昭和6年)
2月20日 日本海北部で地震 - Mj7.2、深さ403km、北海道、岩手県、茨城県 で最大震度3。
3月9日 三陸沖で地震 - Mj7.2、北海道、青森県、岩手県で最大震度4。
9月21日 西埼玉地震 - Mj6.9、埼玉県、群馬県 、栃木県 、茨城県で最大震度5。死者16人。
11月2日 日向灘で地震、- Mj7.1、宮崎県 、熊本県 、山口県 で最大震度5。死者2人。
1932年 (昭和7年)
9月23日 日本海北部で地震 - Mj7.1、深さ394km、北海道、青森県、岩手県で最大震度3。
1933年 (昭和8年)
3月3日 昭和三陸地震 (三陸沖地震) - Mj8.1 (Mw8.4 )、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度5。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人 。アウターライズ地震。
6月19日 宮城県沖で地震 - Mj7.1。岩手県宮古市・盛岡市・水沢市 、宮城県仙台市 ・石巻市 で最大震度4。宮城県沖地震 の1つとみられる[148] 。
9月21日 七尾湾地震 - Mj6.0、富山県富山市 ・高岡市、石川県輪島市 で最大震度4。死傷者60人。
1934年 (昭和9年)2月24日 硫黄島近海で地震 - Mj7.1、福島県福島市 、小笠原諸島 父島 で最大震度1。
1935年 (昭和10年)
7月11日 静岡地震 - Mj6.4、静岡県 静岡市 で最大震度6。死者9人。
10月18日 三陸沖で地震 - Mj7.1、北海道、青森県、岩手県で最大震度3。
1936年 (昭和11年)
1937年 (昭和12年)
2月21日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.6、北海道函館市 ・釧路市 ・根室市、青森県青森市・八戸市 で最大震度2。
7月27日 宮城県沖で地震 - Mj7.1、宮城県石巻市で最大震度5。宮城県沖地震 の1つとみられる[148] 。
1938年 (昭和13年)
5月23日 茨城県沖で地震 - Mj7.0(Mw7.7)、茨城県水戸市 ・石岡市 、福島県福島市・いわき市・猪苗代町 で最大震度5。
5月29日 屈斜路路震 - Mj6.1、北海道・屈斜路湖 付近で地震、北海道釧路市 ・根室市で最大震度3。死者1人。
6月10日 宮古島北西沖で地震 - Mj7.2、沖縄県宮古島 で最大震度4。宮古島で2m前後の津波。
11月5日 - 7日 福島県東方沖地震 (塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) - 11月5日17時43分にMj7.5(Mw7.8)、同日19時50分にMj7.3(Mw7.7)、11月6日にMj7.4(Mw7.7)、11月7日にMj6.9(Mw7.6)。Mj7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度5、福島県で死者1人、東北から関東に津波。
1939年 (昭和14年)
3月20日 日向灘で地震 - Mj6.5、高知県 、熊本県、大分県 、宮崎県で最大震度4。死者1人。
5月1日 男鹿地震 - Mj6.8、秋田県秋田市 と鷹巣 通報所で最大震度5。死者27人。
1940年代
1940年 (昭和15年)
8月2日 積丹半島沖地震 (神威岬沖地震) - Mj7.5(Mw7.7)、北海道羽幌町 で最大震度4。死者10人。
8月14日 隠岐島近海で地震 - Mj6.6(Mw7.0)、境港市東本町で最大震度4。韓国でも有感。
1941年 (昭和16年)
7月15日 長野地震 - Mj6.1、長野県長野市 で最大震度6。死者5人。
11月19日 日向灘で地震 - Mj7.2、熊本県と宮崎県で最大震度5。九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1943年 (昭和18年)
6月13日 青森県東方沖で地震 - Mj7.1、北海道苫小牧市 ・浦河町、青森県青森市、八戸市 で最大震度4。
9月10日 鳥取地震 - Mj7.2(Mw7.0)、鳥取県鳥取市 で最大震度6。推定では鳥取平野を中心に震度7 相当[145] 。死者1,083人 。
10月13日 長野県北部で地震 - Mj5.9、新潟県高田市 と長野県長野市 で最大震度4。死者1人。
1944年 (昭和19年)12月7日 東南海地震 (昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj7.9(Mw8.2 )、静岡県御前崎市 、三重県 津市 で最大震度6。静岡県袋井市 付近、愛知県西尾市 の旧矢作川 流域で震度7 相当と推定[163] 。死者・行方不明者1,223人 、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年 (昭和20年)
1月13日 三河地震 - Mj6.8(Mw6.6)、三重県津市で最大震度5。愛知県の一部で最大震度7 相当と推定[145] [164] 。死者・行方不明者2,306人 、津波あり。
2月10日 青森県東方沖で地震 - Mj7.1、青森県八戸市で最大震度5。死者2人。
1946年 (昭和21年)12月21日
4時19分ごろ 南海地震 (昭和南海地震) - 和歌山県沖 - 四国沖、Mj8.0 (Mw8.4 [165] )、中部地方 から九州地方 にかけて最大震度5。死者・行方不明者1,443人 、房総から九州にかけて津波。
19時18分ごろ 択捉島南東沖で地震 - Mj7.1、北海道浦河町潮見、釧路市、根室市で最大震度2。
1947年 (昭和22年)
4月14日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.1、北海道根室市で最大震度2。
9月27日 与那国島近海で地震 - Mj7.4、沖縄県石垣島で最大震度5。死者5人。
1948年 (昭和23年)
4月18日 和歌山県南方沖で地震 - Mj7.0、和歌山県、兵庫県淡路島 、徳島県 で最大震度4。昭和南海地震の最大余震[116] 。
6月15日 紀伊水道で地震 - Mj6.7、東海地方 、近畿地方、徳島県で最大震度4。死者2人。
6月28日 福井地震 - Mj7.1(Mw7.0)、福井県福井市 で最大震度6。現在の震度階級では震度7 相当とされる[145] 。死者・行方不明者3,769人 。※この地震を機に気象庁が震度7を制定。
1949年 (昭和24年)
7月12日 安芸灘で地震 - Mj6.2、中国地方 、四国地方 、九州地方北部で最大震度3。死者2人。
12月26日 今市地震 - 8時14分ごろにMj6.2、8時24分ごろにMj6.4の地震。8時27分ごろの地震で茨城県、栃木県、埼玉県で最大震度4。死者・行方不明者10人。
気象庁震度階級 については1995年 の兵庫県南部地震 において従来の震度測量法の問題点が示されたため、それまで体感震度と計測震度を併用していたものを、1996年 4月からはすべて計測震度計による機械観測で判定することになった。また、1996年10月からは震度6、震度5がそれぞれ強、弱の2段階に分けられた。
注:2003年9月17日に気象庁マグニチュード の算出方法が改訂された。これにより、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
1970年代
1970年 (昭和45年)5月27日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.1、深さ350km[3] 。福島県、千葉県、東京都で最大震度3。
1971年 (昭和46年)
2月26日 新潟県上越地方で地震 - Mj5.5、新潟県 上越市 で最大震度4。死傷者13人。
8月2日 十勝沖で地震 - Mj7.0、北海道浦河町で最大震度5。
1972年 (昭和47年)
2月29日 八丈島東方沖で地震 - Mj7.0、東京都八丈島 で最大震度5。
12月4日 八丈島東方沖地震 - Mj7.2、東京都八丈島で最大震度6。福井地震以来、震度6の観測事例が無く、この地震で24年ぶりに公式に震度6を観測した。
1973年 (昭和48年)
6月17日 根室半島沖地震 - Mj7.4(Mt8.1 、Mw7.8[146] )、北海道釧路市、根室市で最大震度5。津波地震。
6月24日 根室半島南東沖で地震 - Mj7.1、北海道釧路市で最大震度5。根室半島沖地震の最大余震[167] 。
1974年 (昭和49年)
5月9日 伊豆半島沖地震 - Mj6.9、静岡県南伊豆町 で最大震度5、死者30人。
11月30日 鳥島近海で地震 - Mj7.3、深さ454km[3] 、福島県、千葉県、東京都で最大震度4。
1975年 (昭和50年)
6月10日 北海道東方沖で地震 - Mj7.0(Mt7.9、Mw7.7)、北海道網走市 ・浦河町・釧路市・根室市で最大震度1。色丹島 で4 - 3.5m、花咲港で95cmの津波を観測。
6月29日 日本海西部で地震 - Mj7.3、深さ570km、埼玉県 秩父市 で最大震度3。
1978年 (昭和53年)
1月14日 伊豆大島近海の地震 - Mj7.0、東京都伊豆大島 と神奈川県 横浜市 で最大震度5、死者25人。
3月7日 東海道南方沖で地震 - Mj7.2、深さ440km、栃木県宇都宮市 と千葉県千葉市 で最大震度4。
3月23日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.0、北海道釧路市で最大震度3。
3月25日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.3、北海道帯広市・広尾町・釧路市・根室市で最大震度3。
6月12日 宮城県沖地震 - Mj7.4(Mw7.4)、宮城県、岩手県、山形県、福島県で最大震度5、死者28人、津波あり。
12月6日 択捉島付近で地震 - Mj7.2、深さ100km。北海道、青森県、岩手県で最大震度4。
1980年代
1980年 (昭和55年)
6月25日 - 7月 伊豆半島東方沖で群発地震 - 6月29日に最大Mj6.7、東京都伊豆大島と静岡県熱海市 で最大震度5。
9月25日 千葉県北西部で地震 - Mj6.0[168] - 6.1[169] 、関東地方 と静岡県で最大震度4、死者2人。
1981年 (昭和56年)1月19日 三陸沖で地震 - Mj7.0、岩手県宮古市・盛岡市・一関市 、宮城県仙台市 で最大震度4。
1982年 (昭和57年)
3月21日 浦河沖地震 - Mj7.1、北海道浦河町で最大震度6。
7月23日 茨城県沖で地震 - Mj7.0、福島県、茨城県、千葉県で最大震度4。
1983年 (昭和58年)
5月26日 日本海中部地震 - Mj7.7(Mt8.1 、Mw7.7)、青森県深浦町 、むつ市、秋田県 秋田市 で最大震度5、日本海に大津波、死者104人 。
6月21日 青森県西方沖で地震 - Mj7.1、北海道森町 ・江差町 、青森県青森市・深浦町で最大震度4。日本海中部地震 の最大余震。
8月8日 山梨県東部で地震 - Mj6.0、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県で最大震度4。死者1人。
1984年 (昭和59年)
1月1日 三重県南東沖で地震 - Mj7.0、深さ388km、福島県、栃木県、千葉県、東京都、神奈川県で最大震度4[170] 。
3月6日 鳥島近海で地震 - Mj7.6(Mw7.4)、深さ452km、福島県、栃木県、千葉県、東京都で最大震度4。
6月13日 鳥島近海で地震 - Mj5.9(Ms5.4、Mt7.3)、深さ0km、神奈川県横浜市 で最大震度1。八丈島で130cmから150cmの津波を観測。津波地震[171] 。
8月7日 日向灘で地震 - Mj7.1、愛媛県、大分県、熊本県、宮崎県で最大震度4。
9月14日 長野県西部地震 - Mj6.8、長野県王滝村 で推定震度6、山梨県、長野県、京都府 で最大震度4。死者・行方不明者29人。
1987年 (昭和62年)
3月18日 日向灘で地震 - Mj6.6、宮崎県宮崎市で最大震度5。死者1人。
5月7日 日本海北部で地震 - Mj7.0、深さ463km。北海道、青森県、岩手県、茨城県で最大震度2。
12月17日 千葉県東方沖地震 - Mj6.7、千葉県銚子市 、千葉市 、勝浦市 で最大震度5。死者2人(関東における戦後初の被害地震)。
1989年 (平成 元年)
6月30日 - 7月24日 伊豆半島東方沖で群発地震 - 7月9日に最大Mj5.5、熱海市 で最大震度4。7月13日に伊豆東部火山群 の海底火山が噴火。
11月2日 三陸沖で地震 - Mj7.1、青森県青森市・八戸市、岩手県大船渡市 ・盛岡市で最大震度4、久慈で1.3mの津波を観測。
1990年代 - 2000年
1993年 (平成5年)
1月15日 釧路沖地震 - Mj7.5(旧Mj7.8、Mw7.6)、北海道釧路市で最大震度6、死者2人。
7月12日 北海道南西沖地震 - Mj7.8(Mt8.1 , Mw7.7)、奥尻島 で推定震度6、北海道江差町 ・小樽市 ・寿都町 、青森県深浦町で最大震度5。死者・行方不明者230人 。奥尻島などへの巨大津波で甚大な被害。
10月12日 東海道南方沖で地震 - Mj6.9(旧Mj7.1)、栃木県、東京都、神奈川県で最大震度4。死者1人。
1994年 (平成6年)
7月22日 日本海北部で地震 - Mj7.3、深さ552km。福島県、茨城県、東京都で最大震度3。
10月4日 北海道東方沖地震 - Mj8.2 (旧Mj8.1、Mw8.3 )、北海道釧路市・厚岸町 で最大震度6、死者・行方不明者は北方領土 で11人。
10月9日 北海道東方沖で地震 - Mj7.3、北海道釧路市で最大震度4、北海道東方沖地震 の最大余震。
12月28日 三陸はるか沖地震 - Mj7.6(旧Mj7.5、Mw7.8)、青森県八戸市で最大震度6、死者3人。
1995年 (平成7年)
1月7日 岩手県沖で地震 - Mj7.2(Mw6.9)、青森県八戸市、岩手県盛岡市・葛巻町 で最大震度5、三陸はるか沖地震 の最大余震。
1月17日 兵庫県南部地震 (阪神・淡路大震災 、阪神大震災) - Mj7.3(旧Mj7.2、Mw6.9)、兵庫県 南部・淡路島北部で最大震度7 、死者・行方不明者6,437人 。当初は最大震度6だったが、実地検分により7に修正された。
12月4日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.3(Mw7.4)(北緯 44.58度、東経 149.39度)。北海道と青森県で最大震度2。根室 17 cm、八戸 13 cm、釧路 10cmの津波を観測。
1997年 (平成9年)5月13日 鹿児島県北西部地震 - Mj6.4(旧Mj6.3、Mw6.2)、川内市 で最大震度6弱。
1998年 (平成10年)
4月20日 - 5月 伊豆半島東方沖で群発地震 - 最大は5月3日にMj5.9(Mw5.6)、東京都伊豆大島と静岡県熱海市 ・伊東市 で最大震度4。
5月4日 石垣島南方沖地震 - Mj7.7(旧Mj7.6、Mw7.5)、先島諸島 で最大震度3。一時津波警報 発表。
8月20日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.1(Mw7.0)、深さ467km。埼玉県、千葉県、東京都で最大震度3。
9月3日 岩手県内陸北部で地震 - Mj6.2(旧Mj6.1、Mw5.9)、岩手県雫石町で最大震度6弱。
2000年 (平成12年)
1月28日 根室半島南東沖で地震 - Mj7.0(Mw6.8)、深さ59km、北海道釧路市・厚岸町・中標津町 ・別海町 ・根室市で最大震度4。
3月28日 硫黄島 近海で地震 - Mj7.9(Mw7.6)、深さ128km、小笠原諸島父島で震度3。
6月26日 - 8月 新島・神津島・三宅島近海で群発地震 - 7月8日に三宅島で噴火開始。
7月1日 - 神津島近海、Mj6.5(Mw6.2)、神津島で最大震度6弱。死者1人。
7月9日 - 神津島近海、Mj6.1、神津島で最大震度6弱。
7月15日 - 新島近海、Mj6.3(Mw6.1)、新島で最大震度6弱。
7月30日 - 三宅島近海、Mj6.5(Mw6.5)、三宅島で最大震度6弱。
8月18日 - 神津島近海、Mj6.1、式根島 で最大震度6弱。
8月6日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.2(Mw7.3)、深さ445km、小笠原諸島 父島 で最大震度4。
10月6日 鳥取県西部地震 - Mj7.3(Mw6.8)、鳥取県 境港市 ・日野町 で最大震度6強(日野町で震度7 相当を観測、防災科学技術研究所 Kik-netの計測震度計による[172] )。
注:2003年9月17日に気象庁マグニチュード の算出方法が改訂された。これにより、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
2000年代
2001年 (平成13年)
2002年 (平成14年)3月26日 石垣島近海で地震 - Mj7.0(Mw6.5)、沖縄県黒島 、波照間島 で最大震度1。
2003年 (平成15年)
2004年 (平成16年)
9月5日 紀伊半島南東沖地震
19時7分 三重県南東沖で地震[注 19] - Mj7.1(Mw7.3)、最大震度5弱。津波を観測。
23時57分 三重県南東沖で地震[注 20] - Mj7.4(Mw7.5)、最大震度5弱。津波を観測。
10月23日
17時56分ごろ 新潟県中越地震 (新潟県中越大震災) - Mj6.8(Mw6.7)、新潟県 川口町 で最大震度7 。計測震度計で震度7が観測された最初の地震。死者68人(うち災害関連死 が52人)。川口町の地震計で当時世界最高の2,516ガルを記録。
18時11分ごろ 新潟県中越地方で地震 - Mj6.0、小千谷市 で最大震度6強。新潟県中越地震の余震。
18時34分ごろ 新潟県中越地方で地震 - Mj6.5(Mw6.4)、川口町、長岡市 、十日町市 で最大震度6強。新潟県中越地震の最大余震。
10月27日 新潟県中越地方で地震 - Mj6.1、魚沼市 で最大震度6弱。新潟県中越地震の余震。
11月29日 釧路沖で地震 - Mj7.1(Mw7.0)、北海道弟子屈町 、釧路町、別海町 で最大震度5強、深さ48km。一時津波注意報 が北海道太平洋沿岸東部に発表。
12月14日 留萌支庁南部で地震 - Mj6.1(Mw5.8)、気象庁による観測では北海道苫前町 で最大震度5強[3] 。防災科学技術研究所による強震観測網では北海道小平町 で震度6弱を観測[173] [174] 。
2005年 (平成17年)
2007年 (平成19年)
2008年 (平成20年)
2009年 (平成21年)
東北地方太平洋沖地震 のM9.0の本震のCMT解 (下半球等積投影法、気象庁 による速報)[282]
観測史上最大規模の地震は、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )で、モーメントマグニチュード(Mw)9.0の超巨大地震 であった。近代観測が始まる前の歴史地震 では、1707年の宝永地震 [283] 、1611年の慶長三陸地震 [284] 、869年の貞観地震 [285] 、684年の白鳳地震 [286] もM9クラスの超巨大地震であった可能性がある。
陸域で発生した震源の浅い地震では、1891年の濃尾地震 がM8.0と推定され、観測史上最大とされる。海溝型地震である1923年の関東地震 (関東大震災 )も、震源は陸域にあり、M7.9の巨大地震だった。歴史地震では、1586年の天正地震 は震源などが不明だが、濃尾地震をも上回る広大な範囲で被害が記録されており、M7.8 - 8.2[287] と推定されている。
さらに見る 順位, 名称 ...
死者・行方不明者数が多い明治以降の地震(日本・1885年以降)[288] [289]
順位
名称
発生日
死者・行方不明者数(人)
規模(M)
1
関東地震 (関東大震災 )
1923年 9月1日
105,385
7.9
2
東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )
2011年 3月11日
22,312
9.0
3
明治三陸地震
1896年 6月15日
21,959
8.2
4
濃尾地震
1891年 10月28日
7,273
8.0
5
兵庫県南部地震 (阪神・淡路大震災 )
1995年 1月17日
6,437
7.3
6
福井地震
1948年 6月28日
3,769
7.1
7
昭和三陸地震
1933年 3月3日
3,064
8.1
8
北丹後地震
1927年 3月7日
2,912
7.3
9
三河地震
1945年 1月13日
1,961
6.8
10
昭和南海地震
1946年 12月21日
1,443
8.0
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注釈
地震発生時に日本領だった地域でも現在の日本に含まれない地域の記録は除外する。一方、地震発生時に本土復帰 前など日本領でなかった地域は含める。
『大日本地震史料』では1582年以前もグレゴリオ暦で一本化しており、『日本被害地震総覧』、『地震の事典』および『理科年表』「日本付近の主な被害地震年代表」もこれに倣っている。一方でNOAA の地震カタログは1582年以前はユリウス暦を基本としているが、日本の地震についてはグレゴリオ暦と統一されていない。宇津徳治 『世界被害地震の表』および『理科年表』「世界の主な大地震・被害地震」ではユリウス暦表記となっている。
従前の岡村眞らによる研究では大分県佐伯市・高知県須崎市・高知県土佐市は1,900yBP前後、徳島県阿南市は2,000から2,300yBPである。
他にも貞観・平成を超える規模の西暦300年から330年ごろの太平洋沿岸津波、西暦500年前後の名取沿岸津波があったと主張している。
当時の1日の境界は厳密でなく、今夜丑剋と表現すれば今日の暦法では夜半過ぎの翌日2時頃に当る(『地震の事典』)。
静岡県伊東市宇佐美の標高7.8mの遺跡から15世紀末の陶器の破片と津波の跡が見つかった。明応地震では伊豆半島の東側に大津波が来ることは考えにくい。
伊豆半島の東側の宇佐見遺跡で15世紀末の津波堆積物が見つかるが、震源域の位置から明応地震とは考えにくいとされる(産経新聞、2012年3月13日)。また鎌倉大日記の記述と3年ずれ、日付も異なっている。
『日本ノ大地震二就キテ』(大森房吉 )や 『地震と火山の国』(中村一明)などによると、被害地域は「山城、大和、河内、和泉、攝津、讃岐、淡路、伊賀、伊勢、尾張、三河、美濃、遠江、飛彈、越前、若狹、加賀」の沿海に津波があったといい、濃尾地震より広大な被害範囲であった。
鹿王院(京都市右京区嵯峨北堀町)の伽藍が崩壊など。
高田領地震と同一の可能性があるが、天正地震 と同じく、疑問視されている。
2006年の震央区分変更により、それまで宮城県北部だったのが、宮城県中部となった。
3号機タービン建屋1階で2,058ガルを記録した。
巨大津波計 で観測されたため、観測精度は0.1m単位[190] 。
浦幌町内で推定震度6弱の地域があったとみられる[234] 。
熊本地震は4月14日21時26分以降に発生した熊本県を中心とする一連の地震活動を指す[250] 。
出典
阿部勝征 日本付近に発生した津波の規模(1498年 - 2006年)
一定間隔で巨大地震の発生とみられ、発生間隔を知る手がかりになるともされる。読売新聞2022年10月4日13版29面
松岡裕美・岡村眞, 2011, (PDF ) , 日本地球惑星科学連合2011年大会講演要旨, SSS035-P02.
岡村眞, 2011, 岡村委員提出資料 (PDF ) , 東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会
国立天文台編 『理科年表 平成29年』 丸善、2017年, p728.
萩原尊禮 ・藤田和夫 ・山本武夫・松田時彦・大長昭雄, 1989, 続古地震―実像と虚像、東大出版会
東北地方凶作に関する史的調査 昭和10年9月30日 積雪地方農村経済調査所
箕浦幸治・中田高・松井孝典(1993):寿地震の痕跡、日本地質学会第100 回学術大会講演要旨 p.684.
小松原琢(2006):琶湖西岸断層帯の変位量分布、月刊地球、54、165 - 170.
本朝地震考 地学雑誌 Vol.9(1897) No.10 P495-500
都司嘉宣・上田和枝, 1997, 明応(1498)南海地震の存在とその日付について、地球惑星科学関連学会1997年合同大会講演予稿集、169.
「大津波400-600年に一度か」 読売新聞 2012年7月11日。蝦名裕一東北大助教の研究。
Nanayama, F., Furukawa, R., Shigeno, K., Makino, A.,Soeda, Y. and Igarashi, Y.(2007): Unusually nine large tsunami deposits from the past 4000 years at Kiritappu marsh along the southern Kuril Trench. Sedimentary Geology , 200 , 275-294.
文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年
首都直下地震モデル検討会 首都のM7クラスの地震及び相模トラフ沿いのM8クラスの地震等の震源断層モデルと震度分布・津波高等に関する報告書
石川有三(産総研): 1707年宝永地震の規模の再評価、日本地震学会2011年秋季大会講演予稿集、D11-09.
Ishikawa(2012) (PDF ) Yuzo Ishikawa(2012):Re-evaluation of Mw of the 1707 Hoei earthquake
渡辺偉夫 『日本被害津波総覧』 東京大学出版会、1998年
第1章 地震 (PDF ) 気象庁:【気象庁技術報告】平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震調査報告 p.80