1408年
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- 日本国王足利義満急病のために死去。明の永楽帝は義満を評価しており、その死の翌年に弔問使を日本につかわし「恭献」という諡を贈っている。日本人で外国から諡号を贈られたのは義満が最初で最後である。義満の死去により、足利氏の後継者をめぐり義持と義嗣との間で争いとなるが、斯波義将の後押しにより義持の後継者が確定する。
- (応永15年2月) - 明船が兵庫から出港する。
- (応永15年2月) - 花山院長親が耕雲口伝を著す。
- 5月20日(応永15年4月25日) - 足利義嗣が15歳で従三位になり、さらに親王に准じて禁中で元服する。
- (応永15年5月) - 朝廷が足利義満に太上天皇の尊号を贈ろうとするが、第4代将軍の足利義持は辞退する。
- 7月15日(応永15年6月22日) - 若狭国小浜に南蛮(東南アジア)の「亜烈進卿」が派遣した船が入港。文献記録上初めてゾウが日本に到来。
- (応永15年7月) - 熊野本宮が焼ける。
- (応永15年8月) - 京都が暴風に見舞われ、社寺舎屋が倒れる。
- (応永15年12月) - 土倉・酒屋役の制が定められる。
- 如拙が退蔵院瓢鮎図を描く。
誕生
→「Category:1408年生」も参照
死去
→「Category:1408年没」も参照
- 3月8日(応永15年2月2日) - 斯波義種、南北朝時代、室町時代の守護大名(* 1352年)
- 5月31日(応永15年5月6日) - 足利義満、室町幕府第3代征夷大将軍(* 1358年)
- 6月18日(太宗8年5月24日) - 李成桂[要出典]、李氏朝鮮の創始者(* 1335年)
- 9月22日 - ヨハネス7世パレオロゴス、東ローマ帝国パレオロゴス朝の皇帝(* 1370年)
- 12月4日 - ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ、オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワの妃(* 1366年?)
- ジョン・ガワー、中世イングランドの詩人(* 1330年?)
関連項目
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