小浜市
福井県の市 ウィキペディアから
福井県の市 ウィキペディアから
小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)に位置し、若狭湾に面する、旧若狭国の市。国府は遠敷。もと酒井氏11万石の城下町。日本海岸の要港。若狭塗・若狭めのう細工が特産。景勝地の蘇洞門がある。人口約3万人。ソフトバレーボール発祥の地。1951年(昭和26年)市制施行。
畿内の色が濃い港町で、律令時代より前からヤマト王権の日本海側入口として盛えて来た。古く風情ある町並みを残しており若狭の小京都と呼ばれることも多い[注 1]。また、市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、海のある奈良と呼ばれることもある。
3月に奈良の東大寺で実施されるお水取りの水は、遠敷川・鵜の瀬から送られたものと言われている。また、伊勢志摩や淡路島と並んで、海産物を奈良や京都まで送った地域(御食国)の一つでもある。
江戸時代には浅井三姉妹の次女・初の夫である京極高次(京極氏)や、酒井氏などが治める小浜藩の城下町だった。この時代からサバの水揚げ基地ともなっており、鯖街道の起点となった。
福井県の南西部、若狭国中央部に位置し北は若狭湾とその内湾である小浜湾に面する。古くから日本海の要港だった。東南部から小浜湾に流入する北川、南川、多田川流域に平地が開ける。
日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。
小浜(小浜市遠敷、標高10m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.5 (65.3) |
21.6 (70.9) |
25.2 (77.4) |
30.9 (87.6) |
34.0 (93.2) |
37.5 (99.5) |
38.7 (101.7) |
39.1 (102.4) |
37.4 (99.3) |
31.4 (88.5) |
26.6 (79.9) |
21.8 (71.2) |
39.1 (102.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.4 (45.3) |
8.0 (46.4) |
12.1 (53.8) |
18.0 (64.4) |
23.0 (73.4) |
26.3 (79.3) |
30.5 (86.9) |
32.1 (89.8) |
27.6 (81.7) |
21.9 (71.4) |
16.3 (61.3) |
10.5 (50.9) |
19.5 (67.1) |
日平均気温 °C (°F) | 3.8 (38.8) |
4.1 (39.4) |
7.4 (45.3) |
12.6 (54.7) |
17.7 (63.9) |
21.6 (70.9) |
25.7 (78.3) |
27.0 (80.6) |
22.9 (73.2) |
17.2 (63) |
11.6 (52.9) |
6.5 (43.7) |
14.8 (58.6) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.4 (32.7) |
0.4 (32.7) |
2.8 (37) |
7.5 (45.5) |
12.8 (55) |
17.6 (63.7) |
22.1 (71.8) |
23.0 (73.4) |
19.1 (66.4) |
12.8 (55) |
7.1 (44.8) |
2.6 (36.7) |
10.7 (51.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.4 (15.1) |
−10.1 (13.8) |
−6.7 (19.9) |
−1.5 (29.3) |
3.9 (39) |
6.3 (43.3) |
13.6 (56.5) |
14.0 (57.2) |
8.5 (47.3) |
2.7 (36.9) |
−1.2 (29.8) |
−7.8 (18) |
−10.1 (13.8) |
降水量 mm (inch) | 217.6 (8.567) |
156.6 (6.165) |
135.4 (5.331) |
108.4 (4.268) |
137.9 (5.429) |
137.8 (5.425) |
180.7 (7.114) |
157.1 (6.185) |
234.4 (9.228) |
179.9 (7.083) |
160.0 (6.299) |
222.6 (8.764) |
2,018.7 (79.476) |
降雪量 cm (inch) | 66 (26) |
62 (24.4) |
9 (3.5) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
20 (7.9) |
157 (61.8) |
平均月間日照時間 | 64.1 | 77.4 | 124.7 | 169.3 | 196.8 | 141.2 | 162.6 | 205.2 | 140.6 | 136.9 | 104.3 | 81.5 | 1,613.4 |
出典:気象庁 |
小浜市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 小浜市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 小浜市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
小浜市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
若狭国の遠敷郡(おにゅうぐん)と大飯郡の一部を占め、延喜式名神大社で若狭国一宮の若狭彦神社、若狭国二宮の若狭姫神社が鎮座する。他にも延喜式内社は多い。
若狭国府も小浜付近にあったと考えられるが、比定地は不明である。
鎌倉時代に小浜は国衙の税所が支配する今富名の一部に組み込まれたが、南北朝時代に入ると若狭守護の支配下に置かれた。守護は度々代わり、そのうちに今富名は山名氏に恩賞として与えられたために、守護に任じられた一色氏は山名氏と対立、明徳の乱で山名氏と戦い今富名と丹後国を奪って小浜の支配を回復した。
一色義貫が足利義教に謀殺されると、謀殺に加担した武田氏が安芸から、若狭国の守護として入り、京都から多くの貴族を招くなど、公家文化が華ひらいた。織豊期に、越前国の朝倉氏の攻撃によって衰退した。
関ヶ原の戦いの後、論功行賞により浅井三姉妹の次女・初の夫である京極高次が若狭一国8万5,000石を賜って後瀬山城に入城する。京極家はさらに小浜城(雲浜城)を築き、小浜は小浜藩の城下町として盛えた。その後、京極家は出雲の松江に加増転封され、代わって酒井忠勝が徳川家光から長年の忠勤の褒美として若狭の国持大名として封じられた(しかし、国持大名としての格式は1代のみ)。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 田中信蔵 | 1951年 | 1953年 | |
2代 | 中崎源治郎 | 1953年 | 1953年 | 昭和28年台風第13号にて被災し死亡 |
3代 | 今島寿吉 | 1953年 | 1965年 | |
4代 | 鳥居史郎 | 1965年 | 1973年 | |
5代 | 浦谷音次郎 | 1973年 | 1984年 | |
6代 | 吹田安兵衛 | 1984年 | 1988年 | |
7代 | 辻與太夫 | 1988年 | 2000年 | |
8代 | 村上利夫 | 2000年 | 2008年 | |
9代 | 松崎晃治 | 2008年 | 2024年 | |
10代 | 杉本和範 | 2024年 | 現職 |
※の小学校は標準服の着用が義務付けられている。
かつては京都、大阪方面への高速バスが運行されていた。
小浜市は「御食国」の一角だった歴史から、観光関係者は「心やすらぐ美食の郷 御食国若狭おばま」をキャッチフレーズに掲げている。また、多くの名勝・旧跡および周辺の自然と食材の豊富さから、第5次小浜市総合計画では、『「夢、無限大」感動おばま』をキャッチフレーズに掲げていた[10]。
この節の加筆が望まれています。 |
小浜市中心部の24区には、各地の神社に由来する名前が付いている。
|
|
|
|
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.