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江戸時代の僧侶、国学者 ウィキペディアから
東条 義門(とうじょう ぎもん、天明6年7月7日(1786年7月31日) - 天保14年8月15日(1843年9月8日))は、江戸時代後期の僧侶、国学者。東条は子孫の姓で、本人は称していない。法名は霊伝、号は白雪楼。
若狭国小浜(現・福井県小浜市)の真宗大谷派妙玄寺にて、伝瑞の三男として生まれる。9歳で父と死別し、願蔵寺の養子となったが、父の後継で住職となった兄が早世したので、23歳の時に妙玄寺を継いだ[1]。
義門は教学の基礎として国語研究の重要性を感じ、独学で日本語の文法や音韻について、詳細な研究を開始した[3]。本居宣長の成果のほか、本居春庭、藤井高尚(歌学)、太田全斎(音韻学)らに学びながら、実証的な研究を進めたのである。
とりわけ日本語学史上における成果としては、動詞・形容詞の活用を現在知られる形にまとめ上げたことが挙げられる。義門は『友鏡』において、5つの活用形(将然言[注 1]・連用言・裁断言[注 2]・連体言・已然言)を「五転」として掲げ、後に『和語説略図』で新たに「希求言[注 3]」を設けた[7]。
こうした義門の文法論は、明治以降における日本語文法の基礎を築くことになった。例えば黒川真頼の文法学説には、義門の学説の受容が指摘されている[5][8][9]。
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