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福井県小浜市にある神社 ウィキペディアから
若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)は、福井県小浜市にある神社。式内社(名神大社)、若狭国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」、下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という。別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれる。
小浜市中心部から南東の多田ヶ岳山麓に鎮座する。上社(若狭彦神社)・下社(若狭姫神社)の2社からなるが、総称として「若狭彦神社」または「上下宮」と呼ばれる。
神紋は「宝珠に波」。これは彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠に因む(山幸彦と海幸彦を参照)。
若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集める。若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。現在はほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している。
祭神は次の2柱[1]
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、その姿は唐人のようであったという。和銅7年(714年)9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。翌霊亀元年(715年)9月10日に現在地に遷座した。白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。
国史では、天安3年(859年)に「若狭比古神」の神階が正二位勲八等に、「若狭比咩神」の神階が従二位にそれぞれ昇叙された旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では若狭国遠敷郡に「若狭比古神社二座 名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。
中世には上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。
明治4年 (1871年)に近代社格制度において国幣中社に列された。
元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社に移った。中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。
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