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平安時代前期に発生した地震 ウィキペディアから
相模・武蔵地震(さがみむさしじしん)は平安時代前期のユリウス暦878年10月28日(グレゴリオ暦11月1日)(元慶2年9月29日)に発生した地震。「元慶地震」[1]、「元慶の関東地震」[2]とも。宇津による推定マグニチュードは7.4で、現在の関東地方南部に大きな被害をもたらした[3]。また、松田(1989)らは、M7.0 - 7.5 と推定している[4]。
西暦換算に関する注意
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相模・武蔵地震 | |
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本震 | |
発生日 | ユリウス暦878年10月28日・グレゴリオ暦11月1日・元慶2年9月29日 |
震央 | 関東地方南部 |
規模 | M7.0 - 7.5(M7.4とも) |
被害 | |
被害地域 | 日本 関東地方南部 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
当時の歴史書『日本三代実録』には、
という記述がある。この日平安京で有感地震があったこと、同時刻に関東諸国[6](近畿・中部・関東)で大地震があり、相模・武蔵で最も被害が大きく、その後5~6日間余震活動が活発であったこと、公私の建物が多数倒壊し、土地も陥没して街道の往来が出来なくなり、公民が多数圧死したことが窺える[7]。
また、この地震から約3年後には、
という記述がある。この記事では、元慶3年9月29日の地震で相模国分寺の本尊など仏像3体[8]が破損し、その後失火し焼失したことから、国分寺の修造を相模国が申請し、貞観十五年に漢河寺へ移転していた国分尼寺を元の位置への再移転申請するとともに、これを許可している。元慶3年9月29日に地震記録はないので、元慶3年ではなく元慶2年の誤記と推定され、878年相模・武蔵地震の被災記録とみられる[7]。
地震考古学に基づく震源断層は、5世紀以降18世紀以前に最新活動が見られる伊勢原断層、或いは9世紀ごろに相模湾沿岸で急激な隆起が発生したと推定されることから相模トラフのプレート境界断層のどちらか若しくは両方と推定されている[4][9]。
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