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バルディビア
チリの都市 ウィキペディアから
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バルディビア(Valdivia)は、チリ南部(なんぶ)ロス・リオス州(しゅう)・バルディビア県(けん)にある都市(とし)である。人口(じんこう)は15万(まん)0727人(にん)(2017年(ねん))。
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歴史
陶器時代(紀元845年頃)には、サンタ・マリア墓地に見られるように、この地域は単色の陶器で特徴づけられていた。西暦1300年頃のチャン・チャン1遺跡は、この地域の後期陶器集落の中でも際立っている。
植民地時代
1544年、フアン・バウティスタ・パステネ提督がアイニレブ川(後にバルディビアと命名)を発見したとき、ヨーロッパ人との最初の接触があった。1552年2月9日、ペドロ・デ・バルディビアによって、先住民の集落アイニルの上に「サンタ・マリア・ラ・ブランカ・デ・バルディビア」としてバルディビア市が設立された。1554年、皇帝シャルル5世から「最も高貴で忠実な都市」の称号を与えられた。
植民地時代、この都市はいくつかの大きな挫折に見舞われた:
1575年:地震と津波による破壊。
1599年: アンガナモン、パイジャマチュ、ペランタロ侯爵率いる先住民の反乱により破壊される。
1643年: オランダによる占領に失敗
1645年: ペルー副王領として再確立され、要塞の建設が始まる。
19世紀と20世紀
1820年(ねん)、コクラン卿(きょう)がコラル湾(わん)の要塞(ようさい)を占領(せんりょう)したとき、バルディビアに独立(どくりつ)がもたらされた。1826年(ねん)にバルディビア県(けん)が誕生(たんじょう)した。1846年(ねん)以降(いこう)、ドイツからの移民(いみん)、特(とく)に1852年(ねん)にカルロス・アンワンダーが率(ひき)いた一団(いちだん)が到着(とうちゃく)し、この地方(ちほう)の産業(さんぎょう)と文化(ぶんか)の発展(はってん)に大(おお)きく貢献(こうけん)した。20世紀(せいき)初頭(しょとう)には、バルディビアはチリの主要(しゅよう)産業(さんぎょう)の中心(ちゅうしん)地(ち)のひとつとなり、コラル港(こう)はバルパライソに次(つ)いでチリで2番目(ばんめ)に重要(じゅうよう)な港(みなと)となった。1906年(ねん)には、南米(なんべい)初(はつ)の鉄鋼(てっこう)業(ぎょう)がコラルに設立(せつりつ)された。
20世紀の重要な出来事
1954年:チリ・アウストラル大学の設立。
1960年:大地震と津波で街が半壊。
1974年:ロス・ラゴス第10州に編入。
1987年:クルーセス橋とニエブラへの道路建設
1998年:1960年に破壊されたバルディビア大聖堂の再建。
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気候
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沿革
脚注
外部リンク
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