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新潟県にある原子力発電所 ウィキペディアから
柏崎刈羽原子力発電所(かしわざきかりわげんしりょくはつでんしょ)は、新潟県柏崎市および刈羽郡刈羽村にまたがる東京電力ホールディングスの原子力発電所。略称はKK(ケーケー)。
柏崎刈羽原子力発電所 | |
---|---|
柏崎刈羽原子力発電所 全体風景 | |
国 | 日本 |
所在地 |
〒945-0000 新潟県柏崎市青山町16 |
座標 | 北緯37度25分35秒 東経138度35分40秒 |
現況 | 定期検査中(2022年6月現在)[1] |
着工 | 1978年12月 |
運転開始 | 1984年11月 |
事業主体 | 東京電力ホールディングス |
原子炉 | |
運転中 |
5 × 1100MW 2 × 1356MW |
種類 | BWR(1〜5号機) ABWR(6・7号機) |
原子炉製造元 |
東芝 日立 GE |
ウェブサイト http://www.tepco.co.jp/nu/kk-np/ | |
2022-06-29現在 |
1号機から7号機までの7基の原子炉を有し、合計出力は821万2千kWである[2]。1997年7月2日に7号機が営業運転を開始したことで、それまで最大だったカナダのブルース原子力発電所の出力を抜き、世界最大の原子力発電所となった[3]。
発電された電気は、新新潟幹線および南新潟幹線の2系統の各々50万V送電により、一旦群馬県の西群馬開閉所に収容され、そこから首都圏に送電される[4]。
東京電力ホールディングスは、その事業地域内に原子力発電所を有しない電力会社であり、この発電所が所在する新潟県は東北電力の事業地域である。両者の協定に基づき、この電力の一部は東北電力に供給される。
原子炉形式 | 運転開始 | 定格出力 | 施工 | 現況 | |
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1号機(KK-1) | 沸騰水型軽水炉(BWR)GE社設計Mark-2[9] | 1985年9月18日 | 110万kW | 東芝 | 定期検査中 |
2号機(KK-2) | 沸騰水型軽水炉(BWR)GE社設計Mark-2改[10] | 1990年9月28日 | |||
3号機(KK-3) | 1993年8月11日 | ||||
4号機(KK-4) | 1994年8月11日 | 日立 | |||
5号機(KK-5) | 1990年4月10日 | ||||
6号機(KK-6) | 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)[11]3社合同設計[12] | 1996年11月7日 | 135.6万kW | 東芝/日立/GE | |
7号機(KK-7) | 1997年7月2日 | 日立/東芝/GE |
(参考:東電公表内容[13])
柏崎刈羽原子力発電所から群馬県の西群馬開閉所までの2系統の送電線のうち、1993年に竣工した南新潟幹線は技術的に100万Vでの交流送電が可能な構造となっており[14]、当初の計画では既に100万Vでの交流送電が開始されていたはずであった。しかし、電磁波の影響を懸念する沿線地域が計画に反対しているため、日本初の100万V送電計画は未だ実現しておらず、その目処も立っていない。同じ電力(単位時間当たりのエネルギー)を送電するのに電圧を上げるとそれに反比例して電流は小さくなるので、現在は50万Vで送電しているが、100万Vで送電すれば送電損失が1/4になる(送電損失)。但し、この損失は送電電力の1%ほどであり、多くの損失が変圧時に生ずることや昇圧によるコストアップなどを考えると、この程度の送電距離であればあまり必然性がないという判断がなされたともいえる。
需要の増大に比例して電圧は上昇しており、20年で2倍程度に昇圧する傾向があるといわれている。同じ送電線で昇圧によりより多くの電力を送ることができるため、エネルギーソースの電気化が進む中、次第に100万V級送電は一般化するとも考えられる。
2007年の新潟県中越沖地震発生時、稼働する全ての原子炉は自動停止した。3号機のすぐ横の変圧器からの火災は地震発生から2時間後に鎮火した。この詳細とその後の状況を記す。
2007年7月16日10時13分頃に新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。最大で993ガルを観測し、柏崎刈羽原子力発電所内の運転中の全ての原子炉は緊急停止した。ただし運転を管理する中央制御室では数十秒間にわたり続く揺れのために計器の確認が出来ない状況であった。第一運転管理部長は構内を自動車で移動中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運転中の全機がスクラム(緊急停止)したと構内PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を他の職員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾けるべきとして緊急時対策室のある事務所建物へ移動。ところが緊急時対策室入口ドアの枠が歪んでドアが開かなくなったために室内に入れず、駐車場にホワイトボード4〜5枚を引き出して構内PHSで連絡を取り続けた[注 1]。
全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機中央制御室でも100近くの異常を示すアラームに対応するために当直長ら5人の運転職員らは、変圧器火災の情報が知らされ、地元消防に通報を試みるが中央制御室に優先接続電話は無く、電話は繋がらなかった。3号機変圧器の火災現場では4人が消火を試みたが、消火栓の水は地震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の軽トラック搭載消火ポンプは失念していたという。自衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車場の第一運転管理部長は、「消火は出来ない」という連絡が入ったため、「地元の消防を待て」と指示した。周辺住民は外部からの携帯電話等の情報で発電所火災を知った。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。地震発生から約2時間後の12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。
第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をスクラム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫られた。3号機当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判明、3号機建屋壁面のブローアウトパネルが脱落していた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策本部の第一運転管理部長へ報告。同部長は炉心冷却を3号機優先と決定した。この時、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3回にわたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見から6時間後に同部長へやはり放射性の水の漏洩であることが報告された。これは、後に上の階のプールの水が地震の揺れでこぼれたものが配線の隙間穴から階下へ流れたものであることが判明し、その一部は外部へ排水されたと判った。
この地震では、柏崎市で震度6強を観測したため、運転を行っていた2、3、4、7号機は自動で緊急停止した。原子炉・冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は確認されていない。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。その他、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた事も分かった。
施設内部は地震発生から5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。
国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事は7月21日、「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明[23]。原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から7までの8段階のうち「0(尺度以下)」である。
東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており[24]、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っていた。
その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。
こうした地震の影響を受け、会田洋・柏崎市長は、東京電力に対し1-7号機のすべての貯蔵タンクなどを対象として、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した[25]。また、経済産業省も同社に対して、耐震安全性が確認できるまで、原子炉の運転を再開しないよう指示を出した。
今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされる[26] が、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAのカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている[27]。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、メディアなどで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。[28]
東京電力が保有する他の原子力発電所への影響および電力供給への影響については新潟県中越沖地震に対する東京電力の対応も参照のこと。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で高さ14〜15mの津波をかぶり浸水、原子炉冷却機能が失われた福島第一原子力発電所事故の発生を受け、東京電力は本原発において海抜高さ15mの防潮堤を2013年6月までに設置すると発表。1〜4号機の防潮堤延長は800m以上、5〜7号機は500m以上となる。併せて海抜45mの高台に貯水容量2万トンの貯水池を建設した。
2014年3月現在、同原発は1〜7号機全てが定期検査および新規制基準適合性審査中を理由に停止している状況であり、東京電力は対策工事などを施したのち2013年度中の運転再開を目標にしていたが事実上不可能となった。東京電力は福島原発事故の賠償のため、原子力損害賠償支援機構と策定した特別事業計画の中に、2013年度中の再稼働を見込んでいることを明記した[39]。この特別事業計画は2012年4月27日に枝野幸男経済産業大臣に申請され、2014年1月15日に経済産業省の認定を受けて正式発表された[39][40]。
市民団体「みんなで決める会」は、再稼働の是非について新潟県での住民投票条例の制定を求める署名運動を行うため、2012年4月から活動を開始した[41]。
2013年7月に地元新潟県の泉田裕彦知事と、東京電力の広瀬直己社長の会談が開かれた。ここで、泉田知事は「なぜ再稼働を急いだのか。道路混雑などで物理的に県民が早急に避難を完了するのは不可能で、数日に及ぶ車中泊により被曝量は増大する」などと具体例を列挙しながら東京電力の姿勢を批判し、再稼働を容認しない姿勢を示した。会談後の記者会見では広瀬社長も「難しい。」と答えた[42]。これに対し甘利明経済再生担当相は、知事側が原子力規制委員会に安全性の判断させないと主張している点は誤解があると指摘し[43]、原子力規制委員会の田中俊一委員長も、「申請が出されれば粛々と審査していく。」とし、「地元自治体との調整については規制委員会では関与しない。」と述べた[44]。その後、知事側も再度の会談に向け調整を行なっていく考えを示した[45]。
2017年12月に、原子力規制委員会は6、7号機に対して新基準に対して適合性を示すと発表した。地元合意などを経て、東日本大震災後の再稼働へ進む見込みである。東日本大震災大震災後の新規制への適合性について、沸騰水型(BWR)として合格したのは本件が初めてである。
2024年9月6日、東京電力は6号機の使用前確認申請を原子力規制委員会に行った。認可された詳細設計通りに安全対策工事が実施されていることの確認を求めるための手続きで、申請に添付された工事工程表では「2025年2月再稼働」の日程が示された[46]。
新潟県中越沖地震後の2007年12月5日、東京電力は1981年の当発電所の設置許可申請の時点で長さ8kmと短く評価していた活断層の長さを新たに23kmと確認されたと発表した。活断層の長さは、原子力発電所から海岸線に沿って約11.5km東北に北上した地点と、発電所から海岸線に沿って約11.5km南西に南下した地点の両地点間、延長約23kmの海岸線をそのまま18.5km沖に平行移動した長さと位置に相当する。従来のあると考えられていた、長さ8kmの活断層は柏崎市椎谷のほぼ観音岬沖であり、その発表は従来の位置と同じだが、長さ23kmに延長されたものであったとした。
2号機以後の設計時に、東京電力では活断層の調査を行なったが、その時には新潟沖に4本の断層を見つけたとしている。この時には断層が古く短いとされて大地震を起こす可能性はないと判断された。鈴木康弘は東京電力が集めた79〜85年の音波探査データを再分析して今回動いたとされる断層では、東京電力の約7kmに対して約36kmと判定した。2006年6月、島根原子力発電所に関して中国電力が「断層はない」としてきた地点で、中田高が活断層を実際に掘り起こすなどの成果によって、新しい断層の予想技術が認識されつつある。「活褶曲」(かつしゅうきょく)という地形の下に断層が潜んでいるというものである。渡辺満久は2007年9月に地球観測衛星「だいち」の合成開口レーダーのデータを分析した結果として「柏崎刈羽原発は活褶曲の真上にあるようだ」と発表した[17]。
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