教育関係人物一覧(きょういくかんけいじんぶついちらん)は、教育思想家・実践家・教育学者・教育評論家・教育官僚など、教育に関係する人物の一覧。
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大正(明治・大正)
- 芦田惠之助 - 綴り方教育の実践家
- 粟屋謙 - 文部官僚、滝川事件当時の文部次官。
- 赤井米吉 - 明星学園の創設者。『愛と理性の教育』
- 赤間信義 - 文部官僚、参事官ほか
- 足立正 - 教育者。元境町 (鳥取県)町長。山陰の郷土史を研究。
- 井上赳 - 文部官僚、1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。
- 稲毛金七 - 「創造教育論」
- 今井恒郎 - 日本済美学校の創設者。
- 石川啄木 - 自称日本一の代用教員『林中日記』
- 上原種美 - 文部官僚、教育者、文部省督学官、同図書官、同事務官、実業学務局農業教育課長などを歴任。
- 上田庄三郎 - 教育評論雑誌『観念工場』創刊、教育労働運動
- 上田萬年 - 文部官僚、国語学者、言語学者。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長、神宮皇學館館長、貴族院議員。
- 江木千之 - 文部官僚、文部大臣。第二次小学校令を起草、文政審議会を設置。
- 奥田義人 - 明治時代から大正時代にかけての官僚・政治家・法学者。
- 岡田良平 - 文部官僚、文部大臣、京都帝国大学総長、東北帝国大学総長。臨時教育会議を設置。
- 乙竹岩造 - 『日本庶民教育史』
- 及川平治 - 「自動的教育論」分団的動的教育
- 小原國芳 - 「全人教育論」 玉川学園の創立者
- 小倉金之助 - 数学者『数学教育史』
- 加藤精三 - 文部官僚、旧鶴岡市第6代市長、衆議院議員(5期)、致道博物館顧問。
- 河原春作 - 大正時代から昭和時代にかけての文部官僚、教育者。
- 片上伸 - 「文芸教育論」
- 菊池大麓 - 文部官僚、明治時代から大正時代にかけての数学者、教育行政官。男爵、理学博士。 東京帝国大学(東京大学の前身)理科大学長・総長、文部次官・大臣、学習院長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長など歴任
- 北沢種一 -「作業教育」 東京女高師附属小
- 木下竹次 - 合科学習法『学習原論』
- 倉橋惣三 - 文部官僚、大正時代から昭和時代にかけての教育者。
- 河野清丸 - 「自動教育論」
- 後藤牧太 - 明治時代から昭和初期にかけて文部官僚、教育者。理科教育の先駆者で、「手工教育の開拓者」と呼ばれる。
- 小砂丘忠義 - 生活綴り方運動
- 小西重直 - 教育学者・滝川事件
- 小牧昌業 - 幕末から大正期の漢学者、文部官僚、内閣書記官長、官選県知事、貴族院議員、文学博士。
- 佐藤得二 - 文部官僚、仏教学者、作家。哲学研究者
- 阪本越郎 - 文部官僚、お茶の水女子大学教授。
- 澤柳政太郎 - 文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす
- 下山懋 - 綴り方教育の実践家
- 杉浦重剛 - 明治・大正時代の文部官僚、国粋主義的教育者・思想家・政治家。
- 椙山正弌 - 椙山女学園創設者で初代学長、理事長
- 鈴木三重吉 - 児童文化運動の父。児童雑誌「赤い鳥」主宰。
- 関屋龍吉 - 大正・昭和戦前期の文部官僚。文部省社会教育局長を務め、「社会教育育ての親」とも評される。「青い目の人形」による日米交流や、少年団・青年団の組織化などに足跡を残す。
- 千本福隆 - 明治時代から大正時代にかけての文部官僚、教育者。東京高等師範学校名誉教授。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。
- 田中稲城 - 明治時代から大正時代にかけての文部官僚、図書館学者。 帝国図書館(国立国会図書館の前身)初代館長、日本文庫協会(日本図書館協会の前身)初代会長。「図書館の父」と称される。
- 田澤義鋪 - 政治家、教育者。青年団教育の父。
- 武部欽一 - 文部官僚、文部省参事官、教育者。
- 千葉命吉 - 「一切衝動皆満足論」
- 塚原政次 - 明治時代から昭和初期にかけての文部官僚、教育心理学者。文学博士
- 手塚岸衛 - 「自由教育論」 千葉県師範附属小
- 中川謙二郎 - 明治時代から大正時代にかけての日本の教育者、文部官僚。 共立女子職業学校(共立女子中学校・高等学校の前身)校長、仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身の一つ)初代校長、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)校長を歴任した。
- 中村春二 - 成蹊学園の創設者。
- 乗杉嘉壽 - 明治から昭和期の文部官僚・教育者。日本に社会教育を体系的に紹介した人物
- 野口援太郎 - 和製ペスタロッチ、池袋児童の村小学校の創立者。
- 野尻精一 - 明治時代から大正時代にかけての文部官僚、教育者
- アニー・ライオン・ハウ - 幼稚園教育の先駆者。頌栄保姆伝習所、頌栄幼稚園を設立。
- 羽仁もと子 - 自由学園の創立者。
- 濱尾新 - 明治時代から大正時代にかけての教育行政官、文部省専門学務局長、元老院議官、東京帝国大学(東京大学の前身)総長、文部大臣、高等教育会議議長、東宮大夫など
- 樋口勘次郎 - 『統合主義新教授法』
- 樋口長市 - 「自学教育論」
- 廣池千九郎 - モラロジーの提唱者。モラロジー道徳教育財団の創立者。
- 福原鐐二郎 - 明治時代から大正時代にかけての文部官僚。文部次官、東北帝国大学総長、学習院長、帝国美術院(日本芸術院の前身)院長、貴族院議員を歴任した。
- 保篠龍緒 - 文部官僚、作家、翻訳家、『アサヒグラフ』編集長。など
- 真野文二 - 明治時代から昭和初期にかけての文部官僚、機械工学者。文部省実業学務局長、九州帝国大学(九州大学の前身)総長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。
- 正木直彦 - 明治から昭和初期の文部官僚、美術行政家。東京美術学校(現東京藝術大学)の第五代校長を務めた。
- 牧口常三郎 - 創価教育学の提唱者
- 槙山栄次 - 明治時代から昭和初期にかけての文部官僚、教育者
- 森岡常蔵 - 明治時代から昭和初期にかけての文部官僚、教育学者
- 山本鼎 - 自由画教育運動「芸術自由教育」
- 湯原元一 - 明治時代から昭和初期にかけての日本の教育者、文部官僚。東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)および東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)校長、東京高等学校(東京大学教養学部の前身の一つ)初代校長を歴任した。
- 湯本武比古 - 明治時代から大正時代にかけての文部官僚、教育者。
障害児教育
- 熊谷実称 - 学制にのっとった盲学校開設。
- ヘンリー・フォールズ - スコットランド宣教師。盲唖院設立。
- 津田仙 - 盲唖院設立に協力。
- 前島密 - 慈善事業組織「楽善会」
- 小松彰 - 「楽善会」訓盲院を設立。
- 山尾庸三 - 「楽善会訓盲院」に協力。
- 遠山憲美 - 盲・ろう学校設立意見書。愛媛県士族。
- 古河太四郎 - 盲・ろう学校設立意見書。
- 槇村正直 - 京都府知事。盲唖院開校。
- 石井亮一 - 障害児施設。「孤女学院」
- 脇田良吉 - 「白川学園」
- 岩崎佐一 - 「桃花塾」
- 川田貞治郎 - 「藤倉学園」「日本心育園」
- 川本宇之介 - 文部官僚、大正時代から昭和時代にかけての日本の教育者。 東京市および文部省の職員を経て東京聾唖学校(筑波大学附属聴覚特別支援学校の前身)、東京盲学校(筑波大学附属視覚特別支援学校の前身)両校の教諭をつとめた
- 岡野豊四郎 - 「筑波学園」
- 島村保徳 - 「大阪教育治療院」
- 三田谷啓 - 医師。「三田谷治療教育院」
- 久保寺保久 - 「八幡学園」山下清を育てる。
- 児玉昌 - 「小金井学園」
- 田中正雄 - 「広島治療教育学園」(「六方学園」)
- 鈴木治太郎 - 知能検査を標準化。
- 高木憲次 - 肢体不自由児の教育の父(肢体不自由者の福祉の父)
- 石川倉次 - 日本訓盲点字をつくる。
- 小西信八 - 障害児教育の先覚者。交流教育。
- 石井筆子 - 障害児施設
- 鈴木彪平 - 盲導犬の普及活動。視覚障害者の教育。