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日本の社会運動団体 ウィキペディアから
新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)は、1997年に結成された日本の社会運動団体。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場(「自由主義史観」と称する)から、戦後の歴史観を否定する新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしている。
湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転身。自身の歴史検証法を「自由主義史観」と名付けた。
1996年1月15日、藤岡が代表を務める「自由主義史観研究会」は、産経新聞のオピニオン面に「教科書が教えない歴史」の連載をスタート[3][4][注 1]。
同年6月27日、文部省は翌年度用中学校社会科教科書の検定結果を公表。従軍慰安婦について記述した7冊すべてが合格した[4]。翌28日から、「従軍」慰安婦や南京大虐殺などを教科書に載せるのは「反日的・自虐的・暗黒的」だとして、削除を求める抗議活動が行われた[2]。8月10日、藤岡は、自由主義史観研究会との共著名義で、『教科書が教えない歴史』(発行:産経新聞ニュースサービス、発売:扶桑社)を出版した。同月、小林よしのりは『SAPIO』連載の「新・ゴーマニズム宣言」で、元従軍慰安婦の証言やメディアの報道内容に疑問を提起した[4]。9月7日、「日本を守る国民会議」は現行の教科書を攻撃するキャンペーンを開始し、教科書会社の社長名・住所・電話・FAXを公開した[2]。
同年12月2日、藤岡、西尾幹二、小林らは「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見を赤坂東急ホテルで開催。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した。安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結だ」との声明を発表した。声明文には藤岡、西尾、小林、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた[5][6][7]。会見時の賛同者は78人であった[8][注 2]。
1997年1月21日、つくる会メンバーの西尾ら7人は小杉隆文部大臣に面会。教科書の慰安婦関連の記述は検定基準に違反しているとして、削除を要求したが、小杉は「元従軍慰安婦のことは内閣外政審議室の調査で明らかになっている。義務教育に取り入れるのは妥当」と述べ、要求を拒否した[3]。同年1月30日、つくる会は結成総会をもって正式に発足した[1][2][8]。
発足から約1か月後の2月27日、自民党の国会議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が設立された。会長には中川昭一、事務局長には安倍晋三、幹事長には衛藤晟一が就いた[10]。衆参あわせて62人が参加し、運動を大きく後押しすることとなった[4][11]。また、つくる会には多くの著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた[注 3]。1999年9月には会員が1万人を超え、全都道府県に48の支部組織(東京都は2つ)をつくり、その当時、年間1億3千万円以上の予算で活動していた[2]。
つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服し、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている[要出典]。
つくる会の教科書は中学歴史用の歴史分野と公民分野のものが2001年版と2005年版が出版(いずれも扶桑社刊)されたほか、2009年版、2011年版は自由社から出版された。本部のほか全国各地に地方支部が設置[13]されている。つくる会の執筆した『新しい歴史教科書』は、2001年に初版が出された。文部科学省によって137か所の検定意見が付けられたが、同時に執筆した『新しい公民教科書』とともに、ほかの出版社の歴史教科書と同様に教科用図書検定に合格している。
つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。
2000年4月4日、つくる会は日本会議と共同して、多くの右派組織を結集し、「教科書改善連絡協議会」(略称:改善協)を設立した。会長は三浦朱門、副会長は亀井正夫、石井公一郎が就いた。つくる会は「日本会議国会議員懇談会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」と結びつき、教育委員会や地方議会に圧力をかける運動を展開するが、「改善協」はこの運動の主要な担い手となった[2][14]。
2007年5月31日、7代目会長に藤岡信勝が就任した[15]。つくる会の地方支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。平沼赳夫や萩生田光一など会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されている[16]。
保守の政治家のほか、ブログや掲示板等のネットにおいても支持している者の姿がよく見られ、ネットで論じられていたことから誕生したとも言われる山野車輪著の『マンガ 嫌韓流』は、その思想的背景にはつくる会の影響が強いと主張する者もいる[17]。
つくる会として、アメリカ合衆国下院が日本政府に対し従軍慰安婦問題への謝罪を迫ったアメリカ合衆国下院121号決議に対して、民主党の慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会とともに強い反発を表明[18]しているほか、沖縄地上戦に関する歴史教科書問題についても批判的な立場[19]を取っているが、そのなかで「沖縄戦の犠牲に対する感謝と共感の念をはぐくむよう記述すること」という教科書改善の会(つくる会の運動から離れた有志による同様の社会運動団体)の要望を、日本の歴史教科書を「自虐的」たらしめた「近隣諸国条項」と同様に「沖縄条項」を取り入れるものであるとして批判している。
新しい歴史教科書をつくる会は、中学校社会科の歴史的分野における教科書そのものや、つくる会が執筆した『新しい歴史教科書』を取り巻く環境について主に次のような主張をしている(この主張に対する反対意見・賛成意見などについては、後述の不採択活動、世間の評価を参照)。
まず1997年に発表された趣意書で、次のように主張している[20]
2005年5月10日に、つくる会が外国特派員協会で開催された記者会見において『新しい歴史教科書』の近現代史の英訳版を配布するとともに、欧米のプレスとの質疑応答で次のように主張した[21]:
つくる会の教科書について、以下の事柄を主張している。
2024年8月4日現在[31]
役職 | 氏名 | 肩書 | 備考 |
---|---|---|---|
会長 | 高池勝彦 | 弁護士 | |
副会長 | 岡野俊昭 | 元銚子市長 元銚子市立第五中学校校長 |
|
皿木喜久 | 元産経新聞社論説委員長 | ||
藤岡信勝 | 教育評論家 | ||
松浦明博 | 元帝京科学大学大学特命教授 | ||
松木國俊 | 朝鮮近現代史研究所所長 | ||
茂木弘道 | 史実を世界に発信する会代表 | ||
理事 | 安達弘 | 元横浜市立小学校教諭 | |
荒木田修 | 弁護士 | ||
海上知明 | NPO法人孫子経営塾理事 | ||
小山常実 | 大月短期大学名誉教授 | ||
高森明勅 | 日本文化総合研究所代表 | ||
富岡幸一郎 | 関東学院大学教授 | ||
三浦小太郎 | アジア自由民主連帯協議会事務局長 | ||
諸橋茂一 | 教育を考える石川県民の会会長 | 「真の近現代史観」懸賞論文受賞歴あり | |
吉永潤 | 神戸大学教授 | ||
監事 | 尾崎幸廣 | 弁護士 | |
顧問 | 杉原誠四郎 | 元城西大学教授 | |
中山成彬 | 前衆議院議員 | ||
事務局長 | 越後俊太郎 | ||
つくる会は幾度と無く路線対立等が原因で内紛を繰り返して来た。
1998年2月、理事会は「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任する。後釜として大月隆寛が2代目の事務局長になったが、その大月も自律神経失調症から病み上がったばかりの1999年9月15日に、当時の西尾幹二会長から手紙で解任を勧告される。
1999年7月29日、理事会は当時の藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任する。藤岡は理事に留まったが、濤川は理事も退任。背景には藤岡と濤川の権力争いや、濤川の女性問題があった。
2002年2月、西部邁と小林よしのりが退会。反米保守であった小林、西部と、親米保守であった他の理事達の対立が原因。
2006年1月16日、西尾幹二が名誉会長を辞任して退会し、更に遠藤浩一、工藤美代子、福田逸が副会長を辞任する。ところが同年3月1日に藤岡は会長補佐に就任して復権し、同年2月27日に理事会は八木秀次会長、藤岡信勝副会長、宮崎正治事務局長を解任させ、宮崎は退職に追い込まれた。八木等を解任した表向きの理由は、2005年12月に理事会の許可を取らず中国へ赴き、現地の知識人と論争していた事とされる。しかし、当の解任された八木は藤岡に追放されたと主張している。この泥沼の内部抗争の原因は、肝心の公民、歴史教科書の採択率が軒並み1パーセントにも満たない事だと言われている。
後任の会長は種子島経になったが、地方支部と支援団体から反対意見が相次いだため、2006年3月28日の理事会で八木秀次を副会長に選任して内紛の収拾が図られた。
しかし2006年4月30日、種子島経会長と八木秀次副会長が揃って辞任。「つくる会」も離れることを発表した。同時に、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修の4理事も辞任し、会を離れた[24]。5月22日、中西輝政理事が辞任。評議会で承認される。
「つくる会」を脱会した八木は同年春から6月にかけて、伊藤哲夫、西岡力、島田洋一、中西輝政らと会合を重ね、9月に成立が予想された「安倍政権」の課題について話し合った。彼らはいつしか「五人組」と称されるようになり、安倍晋三の重要なブレーンとして名が広まった[32]。
同年6月末、八木を中心として「つくる会」を脱会した人々が集まり、「新『つくる会』」を発足させようとする動きが展開された。彼らはやがて「日本教育再生機構設立準備室」なるものをつくり、八木秀次、伊藤隆、種子島経、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修、中西輝政ら脱会者はのきなみ準備室の発起人に名を連ねた[1]。「日本教育再生機構」は同年10月22日に設立された[25]。
やはり会員であったが離脱した屋山太郎も八木に同調して、2007年7月24日、「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立した。12月には、八木の命令で藤岡を誹謗中傷する怪文書を作ったと藤岡からブログ名指し批判された産経新聞記者が名誉毀損で藤岡を刑事告訴。これには地方支部から2007年4月に“分派行動であり相容れない”として、会長・小林の引責辞任を求める文書が提出され、これを受けて本部は小林を5月末で解任。関係解消を申し入れられた為、扶桑社とも手を切った。扶桑社は「教科書改善の会」と共に次回検定に向けて教科書編纂を行なうという。
一方、産経新聞が八木秀次の副会長選任に関する報道で「理事会では西尾幹二の影響力を排除する事を確認した」「宮崎正治の事務局復帰も検討されている」と言う記事を掲載した事に対し、つくる会と西尾幹二が抗議する。また、名誉会長を辞した西尾は自身のブログに於いて「脅迫を目的とした匿名メールが出回っている」と述べた上で、公安のイヌに成り下がった八木の犯行だと主張している。2007年7月、藤岡は八木を名誉毀損で提訴。さらに9月には八木及び産経新聞の記者らを業務妨害で刑事告訴した。
また、2005年4月、教科書検定受検前のサンプル版(白表紙本)が出版元の扶桑社から規則に違反して、一般に頒布・閲覧の用に供されていた事が発覚し、同社は文部科学省の指導を受けた。このサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明し歴史は物語であるとしている点が、歴史学のディシプリンを根底から否定するものとして問題視され、多くの歴史家から反発を招いた。これには執筆者に歴史学者を擁していないことの影響も指摘されている。採択反対派は、この事実に加えて、つくる会の教科書と比較して他社の教科書を貶めるような宣伝(他社教科書の内容を中傷する小冊子を制作配布)をしているとし、採用を後押ししている産経新聞も含めた三者を公正取引委員会に私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)違反で申告した。
これまで、つくる会の教科書は扶桑社から出されていたが、2007年2月26日に扶桑社はつくる会に対し「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」である[33]として、採択率を上げるためのテコ入れ案として、路線対立から「つくる会」から脱退した「教科書改善の会」との協力ないし、一部執筆者の変更や扶桑社から教科書出版部門の別会社への転籍を提案したが、しかしつくる会が容認しなかったため、2007年5月に扶桑社は関係解消を通告した[34]。
つくる会は、扶桑社に代わる新たに教科書出版を引き受ける出版社を公募したうえで[35]、今後は東京都の自由社から出版される事が決定した。ただし自由社の石原萠記社長は著名な社会民主主義者でもあり、その思想傾向がつくる会の主張と合わないのではないかとの指摘もある(詳細についてはリンク先参照のこと)。しかしながら、西尾幹二は自身のホームページ[36]のなかで石原の『戦後日本知識人の発言軌跡』を引用した上で、「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです」と、あくまで保守系であると主張している。
またつくる会によれば扶桑社から版権の移動について相談するとしていたが[37]、扶桑社は採択した中学校のために2010年度まで使用されている『新しい歴史教科書』については、継続して扶桑社版が供給することになった。また扶桑社の教科書事業子会社としてフジテレビが3億円を出資して「育鵬社」を設立(社長は扶桑社の片桐松樹社長が兼任)し、そこから教科書改善の会が編纂する教科書を発行することになった[33]。
この扶桑社の態度に対し作る会は、弁護士を通じて2007年6月13日付けで、著作権は執筆者にあり扶桑社にはない、現行版の配給修了をもって著作権使用許諾を打ち切ることを通告する文書を発信した[33]。また、かつての同志であった屋山太郎が代表世話人をつとめ、多くの会員と支持者を引き抜いていった「教科書改善の会」を「特定出版社の応援団として知識人たちの運動団体」であり「つくる会がその教科書を失って消滅することを大前提にしてつくられるもの」として強く非難した[33]。そのため、従来つくる会の運動を支援してきたフジサンケイグループに対し事実上の絶縁状をたたきつけることとなった。
2020年3月23日、つくる会が執筆した中学校の歴史教科書に100頁あたり120件以上の検定意見が出たため教科書検定に不合格となった[38]。つくる会によれは、文部科学省から405か所の「欠陥箇所」を指摘され、うち175か所について反論書を提出したが、全て却下され、2019年12月に不合格が確定したという。一度合格した教科書が不合格になるのは異例のことである[39]。
『アサヒ芸能』(2020年7月30日特大号)によると、この時検定にかかわった文部科学省の教科書調査官に、脱北者団体「自由北韓運動連合」が作成した「北朝鮮のスパイリスト」で北朝鮮の工作員として名指しされている人物X[注 5]が含まれている。公安関係者は同誌の取材に対し、調査官に北朝鮮のスパイがいるとすれば、検定が公正だったかどうか疑わしく、日本を貶めるような意図が働いたと考えるのが妥当ではないかと述べた[40][41]。乾正人は、Xが「従軍慰安婦」表記を中学校教科書に復活させ、つくる会の教科書を検定不合格にした張本人と見做している[42]。
つくる会は2020年6月、令和4年度からの使用を目指し、文部科学省に検定の再申請を行う方針を示した[43]。再申請では83件の検定意見が出されたが全て修正し、2021年3月30日に合格が発表された[44]。2021年9月21日には不合格となった令和元年度の教科書検定は違法であるとし、合格していた場合に得られたと推定される売上収益など計約1200万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起している[45]。また1,200件以上の表記ミスなどが指摘された東京書籍の高等学校の新高等地図が2020年度の教科書検定に合格していたことから、検定の公平さに疑問が生じたとしてつくる会は2023年3月27日に永岡桂子文科相あてに公開質問状を提出した[46]。
現場の教員、PTA、教育委員、歴史学者、アジア女性資料センター、"人間と性"教育研究協議会などの市民団体[47]が「歴史修正主義の教科書だ」、「戦前の軍国日本の肯定」などとして反対運動をしており、採択の可能性のある学校の周囲にて反対のビラを撒いたり、採択会場に乱入したり、「採択すると市民を殺す」等の脅迫電話を役所にかけたり[48]、時には暴力的行為[49]等を行っているとされる。つくる会ではこうした脅迫めいた反対運動が採択が進まない一つの原因であるとしている。
公安調査庁によると、日本共産党や同党系団体は採択反対の取り組みをしており、代表的反対運動団体である「子どもと教科書全国ネット21」を側面から支援し、これらは採択関係者に抗議電話やファックスを集中的に送ったり、文科省周辺で「人間の鎖」を行うなど激しい反対運動を展開しているとしている[50]。また、過激派の共産主義者同盟戦旗派や共産主義者同盟 (全国委員会)が主導する「アジア共同行動日本連絡会議」が、採択に反対する内外の労組、在日韓国人団体などと共闘して全国各地の教育委員会や地方議会に対し、不採択とするよう積極的活動をしていたことが判明している[50]。
栃木県下都賀地区の場合、一度採択が決定したが、中核派主導の「百万人署名運動」が教科書採択協議会に抗議電話を殺到させており、結果的に栃木県下都賀地区は採択を撤回するに至っており、またJRCL(旧第四インター)や統一共産同盟の活動家が加わった団体が採択を検討していた和歌山県教育委員会に集中的に抗議ハガキや質問状を送り付けていたことも伝えられている[50]。
2002年には、革命的労働者協会(解放派)がつくる会事務所に時限発火装置で放火するテロ事件が発生している[49]。
中核派は2005年の杉並区で採択が検討された際にも市民団体と共闘して抗議運動をしており、同年8月4日に東京都杉並区教育委員会がつくる会の教科書を検討するにあたって中核派の1人が暴行で逮捕された[51][52]。
つくる会の教科書に賛同する教育委員(茨城県大洗町)や[注 6]、教育長(東京都、当時)や元文部省官僚の加戸守行愛媛県知事が直接関わって採択しようとした動きもあった。実際に愛媛県の県立中学校である養護学校では知事の意向が反映され採択(2001年)された。また県立の中高一貫校でも2004年に採択された。
韓国の報道機関のなかには「つくる会」を『日本の教科書わい曲団体「つくる会」』といった表現[53]をしており、また在日韓国人組織である「在日本大韓民国民団」が、つくる会の運動を、超党派議員で構成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」がバックアップしており、そこでの活動が「韓日関係の熱気を凍らせるもの」などとして採択反対運動を行う主張をしており[54]、杉並区での採択の際にも全国の民団員が次々と殺到して傍聴席に陣取り、杉並区議会で教科書採択の質問が出ると、禁止されている野次を続け、注意をされても止めず、さらに区長室の前にも多数で押し掛け、シュプレヒコールを繰り返している[55]。
愛媛県今治市で「新しい歴史教科書」を採択したことに対し、市民団体、在日韓国人、韓国人が原告となり使用停止を求める行政訴訟を起こした。2010年2月、この裁判の口頭弁論で来日していた韓国人歴史研究家が今治市教育委員会事務局を訪れて、「新しい歴史教科書」の採択を再検討するよう市教育長に求めた[56]。教育長は「事実を事実として教えている。平和を願わない人はおらず、戦争の悲惨さなどを伝える努力もしている」と述べた[56]。翌2011年4月には、韓国の市民グループ「アジアの平和と歴史教育連帯」の委員長も今治市教委を訪れ「新しい歴史教科書」の採択中止を要望した[57]。同グループは「韓国を強制で併合したことも正当化し、アジアとの真の友人関係をはぐくむことに反する」と主張している[57]。
一般には、前述の経緯から「つくる会」が反日分子であると批判している左派勢力が反対して不採択運動を推し進めているとされている[21]。
谷沢永一は2001年に反論書『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)を出版し、同書のなかで最初は期待していたが、メンバーの歴史的知識の欠如が著しく、結局のところ「つくる会」も従来の自虐史観と一緒であるとして、このような教科書は世に出すべきではなかったと主張し、最後は「国は歴史教育から手を引け」と言う山崎正和の理論で締めくくっている[要ページ番号]。
山田洋次、広瀬隆のほか、歴史専攻の大学教員が参加し、「新しい歴史教科書」について歴史研究の方法論も含めてテーマ別に検証して反論をまとめた『別冊歴史読本』の特集号(安田常雄、吉村武彦編集、特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』、『別冊歴史読本』87巻、新人物往来社、2001年)が刊行された。
2011年6月21日、橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」の市議団は、愛国心や公共心育成を盛り込んだ改正教育基本法と新学習指導要領に沿った中学校教科書を採択するよう求める要望書を市教委に提出する方針を示した[58][59]際に、検定に合格した教科書には自虐的な記述が見られるとして、「新しい歴史教科書」と「日本教育再生機構」のメンバーが執筆した育鵬社の教科書が「最も改正教育基本法の趣旨に沿った内容」と評価した[58]。
この節の加筆が望まれています。 |
大月隆寛、副島隆彦、高田明典、高橋順一、西岡昌紀、橋爪大三郎、日垣隆、宮崎学らは、「新しい歴史教科書」に関する右翼側と左翼側の論争にはウンザリであるとした上で、2001年度版の他の歴史や公民教科書と何が違うのかを細かく分野ごと(例;白村江の戦い、南京事件など)に検証し、独断でどちらがより正確な説明をしているかの判定をしている。「東京書籍・帝国書院・日本書籍など大手教科書出版社vsつくる会教科書」という不公平な形ではあるが、彼らは14分野をつくる会教科書、30分野を他の大手教科書の「勝ち」とし、18分野を引き分けとしている[78]。
韓国の保守派民間団体「教科書フォーラム」が、現行の韓国の歴史教科書の左傾化を是正するとして、独自に記述を見直した『代案教科書 韓国近・現代史』を出版したが、従軍慰安婦を「従軍慰安婦が強制ではなく、大金を稼げるという言葉にだまされたものだ」とした記述に対し、韓国MBCテレビは2008年3月29日放送の報道番組「ニュース・フー」(News Who)に「ニューライト教科書、韓国版扶桑社?」と表現し批判的報道をした。
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