芳賀徹

日本の文学研究者、比較文学者 ウィキペディアから

芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - 2020年2月20日[1])は、日本文学者比較文学[2]。学位は、文学博士東京大学・1985年)(学位論文「絵画の領分 : 近代日本比較文化史研究 」)。国際日本文化研究センター名誉教授、東京大学名誉教授[2]京都造形芸術大学名誉学長。日本藝術院会員[3]正四位

概要 人物情報, 生誕 ...
芳賀 徹
人物情報
生誕 (1931-05-09) 1931年5月9日
日本東京府
死没 2020年2月20日(2020-02-20)(88歳没)
日本東京都
出身校 東京大学教養学部
子供 芳賀満(考古学)
学問
研究分野 文学(比較文学)
研究機関 東京大学国際日本文化研究センター
学位 文学博士
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経歴

出生から修学期

1931年、東京府(現・東京都)で生まれた。本籍は山形県。両親の都合で幼時より両親の出身地でもある山形県で過ごし、1941年東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)へ転入。東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)4年修了で、1948年に旧制第一高等学校に入学。1年修了で1949年に新制東京大学に入学。東京大学教養学部教養学科フランス分科で第一期生として学び、1953年に卒業。同大学大学院比較文学比較文化専修課程に進み、島田謹二の下で比較文学を学んだ。第一期生として修士課程を修了後、フランスへ留学。

当初、フランスに留学してその詩に親しんでいたが、蘭学研究を始めて近世以降の東西交渉史に関心を持った。ついで近代日本絵画における西洋文化の影響、岩倉使節団を論じ、徳川時代の平和を、パクス・ロマーナをもじって「パクス・トクガワーナ」と名づけた[4][1][5]1957年に帰国。

文学研究者として

1963年、東京大学教養学部専任講師に就いた。1965年より助教授。1966年、プリンストン大学研究員。1968年に初の単著である『大君の使節』を刊行。1977年に同教授昇格。1985年、学位論文『絵画の領分:近代日本比較文化史研究』を東京大学に提出して文学博士学位を取得[6]

1983年から1988年まで、東京大学比較文学比較文化研究室主任教授を務めた。1991年、国際日本文化研究センター教授を併任。1992年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際日本文化研究センター教授として研究を続けたが、1997年に同センターを定年退官し、同名誉教授となった。同年4月、大正大学教授に就任。

1998年4月、岡崎市美術博物館館長に就任(2010年まで)[7][8][9]1999年、京都造形芸術大学教授、学長を歴任し、2008年名誉学長。2006年、瑞宝中綬章受章[10]。2006年11月1日源氏物語千年紀の呼びかけ人となった。

2010年4月、静岡県立美術館館長に就任(2017年まで)[11][7]2012年現代俳句大賞受賞。2014年1月、宮中歌会始召人を務めた。2018年、日本芸術院会員に選出された。

2020年2月20日、胆嚢がんのため、東京都内の病院で死去[1]88歳没。死没日をもって正四位に叙される[12]

委員・役員ほか

受賞・栄典

研究内容・業績

専門は比較文学。東京大学では福田眞人杉田英明[13]を含む数多くの後進を育成した。

新しい歴史教科書をつくる会

交遊

家族・親族

著書

単著

共編著

訳書

関連項目

脚注

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