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東京大学の学部・大学院研究科 ウィキペディアから
東京大学教養学部(とうきょうだいがく きょうようがくぶ、英語: College of Arts and Sciences[注 1])は、東京大学に設置されている学部の1つである。また、東京大学大学院総合文化研究科(とうきょうだいがくだいがくいん そうごうぶんかけんきゅうか、英語: Graduate School of Arts and Sciences[注 2])は、同大学大学院に設置されている研究科の一つである[注 3]。いずれも、キャンパスの所在地名から駒場と呼ばれる。
教養学部前期課程では、6つの科類ごとに一般教養が行われており、東京大学における教養課程の教育を担っている。教養学部と総合文化研究科は一体となって運営されているため、この記事で合わせて解説する。
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部は、東京英語学校 - 大学予備門 - 旧制第一高等学校(および旧制東京高等学校)の流れを汲んでおり、東京大学の他部局とは異なる沿革を持つ。また、キャンパスも独立しており、教養学部独自の学園祭(駒場祭)を持つ。教養学部では、東京大学に入学した全ての学生を対象とした教養教育(前期課程教育)を行っており、先述の歴史的背景により、総合的な教養教育カリキュラムが組まれている。また、教養学部後期課程(3・4年)および総合文化研究科は、発足時から前期教養課程の教育を発展させて学際的な教育・研究を行ってきた[1]。前期課程、後期課程、大学院の独立性は薄く、互いに教養教育と先端研究が有機的に連携している[2]。
東京大学の学部への入学者は、学士入学する者を除いて、全員が6つの科類(文科一類・二類・三類、理科一類・二類・三類[注 4])に分かれて教養学部に所属し、2年間の前期課程を履修する。入学選考時に各科類を指定して出願する(東京大学の入学試験を参照)。科類により後期課程に進学可能な学部・学科がおおよそ決まっている(東京大学の進学選択を参照)。教育内容の詳細は前期課程教育で解説するが、前期課程教育のうち「基礎科目」は将来の進路に応じて科類ごとに履修科目が指定されている。
1949年の学部設置当初は前期課程のみであったが、1951年に後期課程として教養学科が設置された(ただし学部設置当初から後期課程を設置することが予定されていた)。その後、学科新設・改組が行われるが、1996年に学科組織が大きく再編され6学科(超域文化科学科、地域文化研究学科、総合社会科学科、基礎科学科、広域科学科、生命・認知科学科)となる。それまでは主に文科生が進学する教養学科第一に属していた科学史・科学哲学、人文地理学、認知行動科学が、それぞれ主に理科生が進学する基礎科学科、広域科学科、生命・認知科学科に移行したことは特筆に値する。2011年に学科を再編し、現在の3学科(教養学科、学際科学科、統合自然科学科)となる。教育内容については#後期課程教育を参照。
教養学部後期課程から接続する大学院として1983年に設置された。学際性と国際性を理念に掲げ、人文科学・社会科学・自然科学の枠を超えた領域横断的な教育・研究が行われており、国際関係論、相関社会科学、表象文化論など総合文化研究科(教養学部)を発祥の地とする学問分野も存在している。国際社会科学専攻は、国際関係論と相関社会科学の2分野から構成されている。また、科学史・科学哲学、文化人類学、人文地理学など他学部・研究科に含まれない分野も総合文化研究科で研究されている。言語情報科学専攻、超域文化科学専攻、地域文化研究専攻、国際社会科学専攻、広域科学専攻(3学系)がある。
施設は東京都目黒区駒場の東京大学駒場Iキャンパスに設置されている。同キャンパスには数理科学研究科も設置されているが、総合文化研究科・教養学部と数理科学研究科の事務組織は一体となっており、「総合文化研究科・数理科学研究科・教養学部事務部(教養学部等事務部)」となっている。
総合文化研究科・教養学部のシンボルマークは3枚のカシワの葉を重ねたもので、旧制第一高等学校のシンボルであり、1999年に制定された。後述する三層構造を表している[3]。
☆は総合文化研究科に、その他は教養学部に関連した事項である。
代 | 期間 | 人物 | 備考 |
---|---|---|---|
東京大学教養学部長 | |||
1 | 1949年(昭和24年) 5月31日 – 1951年(昭和26年)12月13日 | 矢内原忠雄 | |
2 | 1951年(昭和26年)12月14日 - 1951年(昭和26年)12月20日 | 麻生磯次 | 事務取扱 |
2 | 1951年(昭和26年)12月21日 - 1952年(昭和27年)12月21日 | 麻生磯次 | |
3 | 1952年(昭和27年)12月22日 - 1954年(昭和29年) 3月30日 | 高木貞二 | |
4 | 1954年(昭和29年) 3月31日 - 1958年(昭和33年) 3月31日 | 辻直四郎 | |
5 | 1958年(昭和33年) 4月 1日 - 1960年(昭和35年) 3月31日 | 川口篤 | |
6 | 1960年(昭和35年) 4月 1日 - 1963年(昭和38年) 3月31日 | 朱牟田夏雄 | |
7 | 1963年(昭和38年) 4月 1日 - 1966年(昭和41年) 3月31日 | 相原茂 | |
8 | 1966年(昭和41年) 4月 1日 – 1968年(昭和43年) 3月31日 | 阿部秋生 | |
9 | 1968年(昭和43年) 4月 1日 – 1968年(昭和43年)11月13日 | 野上茂吉郎 | |
10 | 1968年(昭和43年)11月14日 – 1969年(昭和44年) | 2月13日田村二郎 | |
1969年(昭和44年) 2月14日 – 1969年(昭和44年) 2月19日 | 高木佐知夫 | 事務取扱 | |
11 | 1969年(昭和44年) | 2月20日 – 1969年(昭和44年) 5月25日高橋詢 | |
12 | 1969年(昭和44年) | 5月26日 – 1971年(昭和46年) 3月31日原 佑 | |
13 | 1971年(昭和46年) 4月 1日 – 1972年(昭和47年) 3月13日 | 山下肇 | |
14 | 1972年(昭和47年) 3月14日 – 1974年(昭和49年) 3月13日 | 高木佐知夫 | 還任 |
15 | 1974年(昭和49年) 3月14日 – 1976年(昭和51年) 3月13日 | 小山弘志 | |
16 | 1976年(昭和51年) 3月14日 – 1977年(昭和52年)12月31日 | 大森荘蔵 | |
17 | 1978年(昭和53年) 1月 1日 – 1979年(昭和54年)12月31日 | 嘉治元郎 | |
18 | 1980年(昭和55年) 1月 1日 – 1981年(昭和56年)12月31日 | 磯田浩 | |
19 | 1982年(昭和57年) 1月 1日 – 1983年(昭和58年) 3月31日 | 本間長世 | |
東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長 | |||
19 | 1983年(昭和58年) 4月 1日 – 1983年(昭和58年)12月31日 | 本間長世 | |
20 | 1984年(昭和59年) 1月 1日 – 1985年(昭和60年) 1月 9日 | 小出昭一郎 | |
1985年(昭和60年) 1月10日 – 1985年(昭和60年) 2月15日 | 毛利秀雄 | 事務取扱 | |
21 | 1985年(昭和60年) | 2月16日 – 1987年(昭和62年) 2月15日竹田晃 | |
22 | 1987年(昭和62年) 2月16日 – 1989年(平成元年) 2月15日 | 毛利秀雄 | 還任 |
23 | 1989年(平成元年) 2月16日 – 1991年(平成 3年) 2月15日 | 青柳晃一 | |
24 | 1991年(平成 3年) 2月16日 – 1993年(平成 5年) 2月15日 | 原田義也 | |
25 | 1993年(平成 5年) 2月16日 – 1995年(平成 7年) 2月15日 | 蓮實重彦 | |
26 | 1995年(平成 7年) 2月16日 – 1997年(平成 9年) 2月15日 | 市村宗武 | |
27 | 1997年(平成 9年) 2月16日 – 1999年(平成11年) 2月15日 | 大森彌 | |
28 | 1999年(平成11年) 2月16日 – 2001年(平成13年) 2月15日 | 浅野攝郎 | |
29 | 2001年(平成13年) 2月16日 – 2003年(平成15年) 2月15日 | 古田元夫 | |
30 | 2003年(平成15年) 2月16日 – 2005年(平成17年) 2月15日 | 浅島誠 | |
31 | 2005年(平成17年) 2月16日 – 2007年(平成19年) 2月15日 | 木畑洋一 | |
32 | 2007年(平成19年) 2月16日 – 2009年(平成21年) 2月15日 | 小島憲道 | |
33 | 2009年(平成21年) 2月16日 – 2011年(平成23年) 2月15日 | 山影進 | |
34 | 2011年(平成23年) 2月16日 – 2013年(平成25年) 2月15日 | 長谷川壽一 | |
35 | 2013年(平成25年) 2月16日 – 2015年(平成27年) 3月31日 | 石井洋二郎 | |
36 | 2015年(平成27年) 4月 1日 – 2017年(平成29年) 3月31日 | 小川桂一郎 | |
37 | 2017年(平成29年) 4月 1日 – 2019年(平成31年) 3月31日 | 石田淳 | |
38 | 2019年(平成31年) 4月 1日 - 2021年(令和 3年) 3月31日 | 太田邦史 | |
39 | 2021年(令和 3年) 4月 1日 - 2023年(令和 5年) 3月31日 | 森山工 | |
40 | 2023年(令和 5年) 4月 1日 - 現職 | 真船文隆 |
東大教養学部は、「前期課程」と「後期課程」と「大学院総合文化研究科」を合わせた三層構造になっている点が特徴的である。これにより、大学院における先端研究の結果を教養教育に直接反映させることができるシステムになっている。この教育システムは「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」として文部科学省の特色ある大学教育支援プログラムに採択されている[6]。
東京大学における大学院重点化によって、教養学部の教員も総合文化研究科に所属変更された(ただし数学教員は数理科学研究科へ)。教養学部長も総合文化研究科長が兼任する形になっている。
前期課程には、旧制高等学校を踏襲した教育組織として科類が置かれている。
前期課程教育を行う教員組織は「部会」と呼ばれており、大学院総合文化研究科・数理科学研究科に所属する教員で構成されている。大学院重点化により、教養学部教員は大学院所属となっている。
なお、大学院重点化される前は学科目制をとっており、外国語学科、人文科学科、社会科学科、自然科学科、保健体育科の5学科目が置かれ、その中に現在の部会に相当する各教室が置かれていた。
以下の5専攻が設置されている。広域科学専攻は自然科学の研究が中心であるが、心理学、人文地理学、科学史・科学哲学のような学際分野も含まれている。広域科学専攻については、教員数が100名を超える大規模な専攻であるため、3学系に分けられている。
各専攻の他に、専攻横断プログラムが設置されている。
教養教育開発機構 (KOMED)(2005年設置)と生命科学構造化センター(2006年設置)を融合し、2010年4月設立された。
総合文化研究科では、以下の3件が文部科学省の21世紀COEプログラムに採択された。いずれも総合文化研究科の学際的研究を生かしたものとなっている。
21世紀COEプログラムの「共生のための国際哲学交流センター」を継承した以下の拠点がグローバルCOEプログラムに採択された。
東京大学は新制大学となって以来、リベラル・アーツ教育を学部教育の基礎として重視している。前期課程教育は東京大学に入学した全ての1, 2年生を対象に教養学部で実施されている。教養学部(大学院総合文化研究科)が運営主体となっているが、その他の学部や研究所なども一部の授業を担当しており、先端研究の成果が教養教育に反映されているという特徴がある[13]。
東京大学の教養教育は、カリキュラムこそ現代に合わせて変化しているものの、実質的に旧制高等学校時代で重視されていた教養教育の流れを汲んでいる(詳細は教養学部の項を参照)[14]。本節ではそのような事情を踏まえて東京大学における教養教育を特に詳細に解説する。
このような東京大学の教養教育への取り組みは、2003年に文部科学省の特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」として採択された[6]。また、2007年には現代的教育ニーズ取組支援プログラムに「ICTを活用した新たな教養教育の実現-アクティブラーニングの深化による国際標準の授業モデル構築-」が採択された。その他には、大学教育の国際化推進プログラムとして「国際標準の学部初年次教育実現のモデル構築-留学生も視野に入れた先進的研修プログラムの試行-」(2006年)、「国際連携による初年次教養教育のモデル実現-職員・学生の参画をとおした「学び」のエンパワーメント-」(2007年)が採択されている。
現在のカリキュラムは2006年度に開始されたが、1993年〜2005年のカリキュラムの基本的な枠組みを継承している。大きく基礎科目、総合科目、主題科目の3つに大別され、そのうち基礎科目がいわゆる必修科目である。進学振分けは基礎科目・総合科目の成績に基づいて行われる。
なお、期末レポートにて剽窃などの不適切行為が判明した場合、当該学期の履修全科目の単位が無効となる処置が採られる[15]。
教養学部後期課程では教員数に比べて学生が少ないため、綿密な教育が行われている。学際性と国際性を重視しており、外国語教育が充実している(※の分科を除いて外国語が必修である)のも特徴である。また、後期課程共通科目が設置されており、専門以外の分野も幅広く学べるようになっている。一般の大学と異なり“ゼミに所属する”という制度がないが、ゼミ形式の授業が多数開講されており複数、あるいは1つのそれを任意に履修することになる。
その他に、全学部(後期課程)・大学院研究科の学生を対象としたスポーツ・トレーニングの授業を教養学部後期課程科目として開講しており、本郷キャンパス御殿下記念館または駒場Iキャンパスで受講することができる。
教養学部後期課程では1995年より、AIKOM (アイコム: Abroad in Komaba)と呼ばれる短期交換留学制度が行われている。16か国24大学と協定を結んでおり、※の分科を除く後期課程の学生は1年間協定校に留学できる。また、一定数の留学生を受け入れており、文化・社会などの授業を英語で開講している。
ここでは前期課程のクラス活動と駒場祭について解説する。運動会・サークルや五月祭などについては東京大学#学生生活で解説されているので、合わせて参照するとよい。
教養学部前期課程にはクラスがあり、学生はいずれかのクラスに所属することになっている。学生が所属するクラスは、所属科類と、基礎科目の選択外国語(英語・日本語以外)によって決められている(基礎科目の選択外国語は入学時に決定し、入学後の変更はできない)。基礎科目や一部の総合科目(主に理科生向けの自然科学分野の授業)はクラスごとに受講する授業が指定されている。
クラスは教養学部の学生自治の基本単位となっており、学生自治会の代議員や自治委員はクラスごとに選ばれる。また、五月祭や駒場祭、全都新入生歓迎フェスティバル(新フェス)にクラス単位で参加したり、試験対策プリント(略称「シケプリ」)をクラスで作成するなど、前期課程の学生生活ではクラス活動が重要なものとなっている。
クラスで行われる特徴的な行事としては、毎年4月に2年生が新入生を1泊2日程度の合宿に連れて行く「オリ合宿」がある(大学側の運営ではなく学生による自主的行事)。オリ合宿はクラスごとに行われ、クラスの仲間と早く親しくなる良い機会であるため、ほとんどの新入生が参加している[16]。なお2011年度は東日本大震災の影響により、全クラス一斉に行う形でのオリ合宿は中止となった。また、2020・2021年でも新型コロナウイルス感染拡大を受けて2年連続オリ合宿の中止を余儀なくされた[17][18]。ところで、教養学部教員が各クラスのクラス担任となっているが、学生とクラス担任がふれあう機会はあまりなく、クラス担任の存在すら知らない学生が多い[19]。
駒場祭(こまばさい、Komaba Festival、略称:駒祭)は東京大学駒場キャンパスで開催される大学祭。駒場生のみで構成される駒場祭委員会により開催されている。例年11月下旬勤労感謝の日付近の3日間開催されている。 駒場祭の起源は、1891年(明治24年)に旧制第一高等学校(一高)で開催された第1回紀年祭にまでさかのぼる。1950年(昭和25年)3月一高が廃止され、新制東京大学に移行した後、同年11月25日に第1回駒場祭が開催され、現在に至る。初代委員長は小倉寛太郎。
この節の加筆が望まれています。 |
年度 | テーマ | Ref. |
---|---|---|
74回(2023年) | あそびがみ | [20] |
73回(2022年) | あかねさす | [21] |
72回(2021年) | 動く | [22] |
71回(2020年) | かざり | |
70回(2019年) | 七変華 | |
69回(2018年) | はい、ちーず | |
68回(2017年) | おと かさなる | |
67回(2016年) | めしあがれ。 | |
66回(2015年) | 祭は旅だ。 | |
65回(2014年) | DISCOVERY | |
64回(2013年) | 発破 | |
63回(2012年) | Festaholic | |
62回(2011年) | 祭生 | |
61回(2010年) | Across the University | |
60回(2009年) | クロノグラフ | |
59回(2008年) | コマパズル | |
58回(2007年) | 祭結晶 | |
57回(2006年) | 情熱華火 〜三日咲く夢〜 | |
56回(2005年) | 一祭合彩 | |
55回(2004年) | Be Natural, Be Crazy… | |
54回(2003年) | 東大発見! | |
53回(2002年) | 観 | |
52回(2001年) | 喝 | |
51回(2000年) | Next Frontier | |
50回(1999年) | BREAK | |
49回(1998年) | 静と動の交響曲 | |
48回(1997年) | 前途多難な羅針盤 | |
47回(1996年) | Stop to Start 〜今、立ち止まる瞬間〜 | |
46回(1995年) | 究極の自己主張 究極の自己満足 | |
45回(1994年) | いましかできないことが いまあるはず | |
44回(1993年) | - | |
43回(1992年) | 開殻 | |
42回(1991年) | 何か少し、変わるかもしれない | |
41回(1990年) | 駒場に来た 東大生を見た | |
40回(1989年) | 最・前・線 | |
39回(1988年) | 現場はここにある。 | |
38回(1987年) | きみと、はなしがしたいんだ | |
37回(1986年) | 朝に道を聞いても 夕べに死んではもったいない | |
36回(1985年) | どうして? どうして? どうして? | |
35回(1984年) | パラレルワールド 橋架けて | |
34回(1983年) | ヒト ヒト コマバサイ ヒト | |
33回(1982年) | 平和・真実・自由 ―きみのために ぼくのために― | |
32回(1981年) | 時代の奔流に 世界が眠り込む今 真理を叫べ 警鐘を鳴らせ 世紀末の暗雲を突き破り 飛翔しよう! | |
31回(1980年) | さあ、踏みだそう 湧きおこる理性の声を 体現しよう 未来は我らが切り拓くのだ | |
30回(1979年) | 歴史を創り出す若人よ 真理の探究者よ 眩惑を断ち真実を見つめよ 若き魂の 不断の燃焼と昇華を求めて 新たなる時代へ旅立とう | |
29回(1978年) | 目は太陽をとらえる 手は空へとのびる しかし 足は地面から離れない 今こそ 土をつかもう 大地を見つめよう 我々は ここに立っているのだから | |
28回(1977年) | 迷妄の時代は 今こそ 新たな展望を求めている 沸き上がる無数の呼気の奔流 巨大な構想を担い 鳴らせ時代の暁鐘 | |
27回(1976年) | 見つめよ 我等生きんとする時代を 語るがいい 輝く未来を 創ろうではないか 我等の手で | |
26回(1975年) | 広場へ行こう こんな時こそ こんな危機にこそ 駒場のエネルギーを感じたい 駒場の広場は 皆が話し合う 皆が理解し手を結びあう 駒場の英知と創意とエネルギーの総結集だ! 壁を知らない青年)の可能性だ! サァ広場へ | |
25回(1974年) | 駒場の学友諸君、駒場を訪れたみなさん、ともに唱い、ともに語り、友情と連帯の輪を築きあげましょう! | |
24回(1973年) | 我等の開く扉は 真に人民に貢献する学問の扉 我等の開く扉は 日本の文化を豊かにする扉 我等の開く扉は 真に日本の平和を築く扉 我々の開く扉は 我々自身の力で開く扉 | |
23回(1972年) | 眼ざまし時計のベルを鳴らせ 睡り込んだ教養学部を呼びさまそう 若き生命の問いかけに応えうる大学の創造を | |
22回(1971年) | 破産通告に揺らぐ侵略者の砦 友よ、今こそ歴史の舞台に飛翔せよ! | |
21回(1970年) | 告発せよ 取りもどせ 不安を怒りへ 怒りを力に!! | |
20回(1969年) | 団結を! 連帯を! 統一の旗の下に | |
19回(1968年) | (「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」※橋本治が作成したポスターにのみ用いられたコピー) | |
18回(1967年) | - | |
17回(1966年) | - | |
16回(1965年) | 観念の原点よりも 認識と科学の原点を | |
15回(1964年) | 平和観念の死滅を救え!! 押し返せ反動化 創り出そう未来を 反戦意識の新たなる胎動を! | |
14回(1963年) | 俺たちでつくろう おしきせはごめんだ | |
13回(1962年) | - | |
12回(1961年) | 反体制の新しいいぶきを 真の人間性追求のために | |
11回(1960年) | 安保闘争の教訓を学び、更に民主主義運動を発展させよう/学問の自由と学園の自治に対する政治権力の介入を阻止しよう/若き可能性と主体性の追求のために | |
10回(1959年) | 第十回駒場祭を平和と民主主義のために/安保条約改定の本質究明/戦争と破壊を目的とした科学の研究には協力しないことを固く誓おう | |
9回(1958年) | 創造的文化の建設と発展のために/日本の核武装化反対/民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう | |
8回(1957年) | 平和と民主主義を守ろう/創造的文化の建設と発展のために/原子戦争準備反対 | |
7回(1956年) | - | |
6回(1955年) | - | |
5回(1954年) | - | |
4回(1953年) | - | |
3回(1952年) | - | |
2回(1951年) | - | |
1回(1950年) | - |
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