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中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年〈昭和22年〉6月18日 - )は、日本の政治学者、歴史学者。京都大学名誉教授。学位は法学修士(京都大学・1974年)。専門は国際政治学、国際関係史、文明史。
「美しい国づくり」企画会議委員就任に際して公表された肖像写真(2007年) | |
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1947年6月18日(77歳) 日本・大阪府 |
居住 |
日本 イギリス |
国籍 | 日本 |
出身校 |
京都大学法学部卒業 京都大学大学院法学研究科修士課程修了 ケンブリッジ大学大学院修了 |
学問 | |
研究分野 |
政治学 歴史学 |
研究機関 |
京都大学 三重大学 静岡県立大学 |
博士課程指導教員 |
林良平 高坂正堯 ハリー・ヒンズリー |
主な指導学生 |
小谷賢 小山俊樹 |
影響を受けた人物 | 江藤淳 |
影響を与えた人物 | 安倍晋三 |
主な受賞歴 |
佐伯賞(1989年) 石橋湛山賞(1990年) 毎日出版文化賞(1997年) 山本七平賞(1997年) 正論大賞(2003年) 文藝春秋読者賞(2005年) |
京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを歴任。
大阪府出身の国際政治学者、歴史学者。国際政治学、国際関係史、文明史を専攻する。保守系の論客でも知られる。京都大学、ケンブリッジ大学で学び、京都大学、三重大学、静岡県立大学で教鞭を執った。また、ケンブリッジ大学やスタンフォード大学で客員研究員を兼任していた。
京都大学での指導教員は高坂正堯(学部は民法の林良平)。ケンブリッジ大学ではサー・フランク・H・ヒンズリー。この二人に対する思いは『高坂正尭著作集』第6巻(古典外交の成熟と崩壊)解題「ヨーロッパへの愛あるいは歴史への愛」に記されている。この2人と並び、特に江藤淳から大きな影響を受けたと回想している[1]。
『正論』、『諸君!』、『VOICE』、『WiLL』などの保守系オピニオン誌の常連寄稿者である。執筆内容は時事評論が多いが、ルーズベルト・アメリカ合衆国大統領フルーズベルト夫妻(フランクリン・ルーズベルト、エレノア・ルーズベルト)の反日、容共的姿勢や、敗戦後の日本占領統治を主導したGHQ内のニューディーラーの体質、戦後民主主義を批判する歴史に関する論稿も多い。また同じくアメリカに関する話題では、1991年の湾岸戦争においてはアメリカの軍事介入を批判していたが、2003年のイラク戦争には賛成し、戦争を支持した当時の首相小泉純一郎を評価している[2]。
2007年(平成19年)7月13日には、慰安婦問題に対する旧日本軍による組織的・計画的な強制連行がなかったとする理解に基づき、米国大使館に手渡されたアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める抗議書に賛同者として名を連ねた[3]。また、田母神俊雄が航空幕僚長在任中に発表した論文について、その主張を支持した[4]。
情報・諜報研究についても積極的な発言を行い、2002年(平成14年)には門下生を中心とした「情報史研究会」という研究会を設立した[5]。また、冷戦期にソ連の暗号解読を行っていた「ヴェノナ計画」関連資料がクリントン政権期に米国で公開されたことを受けて、マッカーシズムへの再評価を主張している[6]。
2002年(平成14年)7月から2006年(平成18年)5月まで新しい歴史教科書をつくる会の理事を務めた。
小泉純一郎については、政権成立当初は評価していたものの、その政治手法が大衆迎合的であり、実施した政策(構造改革、北朝鮮政策など)もまた支持できないものであるとして、批判を強めていった。その後小泉に代わり、より保守的な政治を推進する「保守革命」「保守新党」の必要を主張し、その中で石原慎太郎、安倍晋三らを高く評価することとなる[注 1]。なかでも安倍を高く評価した[8]。
2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では安倍の選挙運動はがきに推薦人として記載され、公職選挙法違反の疑いをかけられたが、安倍事務所と中西の妻の手違いと説明された。安倍の首相就任前後には、政策に影響力を持つブレーン「五人組」(他に伊藤哲夫、西岡力、島田洋一、八木秀次)の一人として報道されたこともある[9][10]。
2006年(平成16年)春以降は五人組の一人で、日本会議政策委員の伊藤哲夫[11]と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ねた。また、安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。
2006年9月の第1次安倍内閣発足後は「美しい国づくり」企画会議のメンバーに選ばれた。
2012年(平成24年)9月5日、中西、三宅久之、すぎやまこういちなど保守系の著名人28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させた[12][注 2]。同日、同団体は安倍晋三の事務所に赴き、出馬要請をした[24][14]。9月26日、総裁選が実施され、安倍が当選した。
日本会議の4つの関連団体の役員を務めている。すなわち、「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)副代表[20]、皇室の伝統を守る国民の会代表発起人[21]、美しい日本の憲法をつくる国民の会代表発起人[22]、美しい日本の憲法をつくる京都府民の会共同代表[25]などである。日本会議の諸活動に参画し、第1次、第2次安倍政権を支えた。
2016年に「戦後70年談話や日韓合意を契機に、安倍政権への評価が根本的に変わった。当初の支持を撤回する」と述べた[26]。さらに、『歴史通』2016年5月号で中西は「さらば安倍晋三、もはやこれまで」と安倍晋三への決別を宣言した。
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