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日本の中国哲学者 ウィキペディアから
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日[1] - )は、日本の中国哲学者。
大阪市出身[5]。大阪府立北野高等学校を経て[6]、1960年京都大学文学部卒業[2]。卒業論文では『孝経』を扱う[7]。1963年京都大学大学院修士課程修了[8]。修士論文では『史記』を扱う[8]。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける[7]。
1963年、高野山大学文学部講師[9]。1968年、同助教授[9]。1969年、名古屋大学文学部助教授[9]。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任[9]。
1982年、大阪大学文学部助教授[9]。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)[10]。1984年、大阪大学文学部教授[9]。1998年に定年退官し、大阪大学名誉教授となる[9]。
阪大退官後は、1998年から1999年、甲子園短期大学学長[9]、2003年から2008年、同志社大学研究開発推進機構専任フェロー[11][9]、2008年から2013年、立命館大学特別招聘教授[9]、および立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所所長[12][9]。2013年から2015年、立命館大学特別研究フェロー[9]。
2015年の自身の著作集の刊行完了を以て、研究者としては一線を退いたと述べている[13]。
『論語』や『孝経』の学術的な訳注のほか、儒教の宗教性の研究、『史記』の研究、中国論理学史、日本思想史・日本儒教史など多方面に著書があり、一般向け書籍も多数ある。
大阪大学中国学会の機関誌『中国研究集刊』の創刊者(1984年)でもあり[14]、主編者を長く務め(後任は湯浅邦弘)、同誌に研究ノートや中国学界にまつわる回想を寄稿している。本人の談によれば、同誌の刊行資金作りや若手研究者の支援のために、一般向け書籍に盛んに携わるようになった[15]。
懐徳堂記念会の運営にも携わっている[16]。大阪大学附属図書館には、加地が寄贈した貴重漢籍などからなる個人文庫「加地伸行文庫」がある[16]。
『漢文法基礎』などの参考書の執筆を行い、Z会の顧問を務めている[3]。
中学校や高校の国語科における漢文教育では、漢文を日本語として捉え、先人がどう解釈したかを理解することが重要との旨を主張している。
『論語』の実践として、主に教育論の言論、講演活動を行っている。「儒教の本質は、生命の連続を大事にすることである。祖先からずっと伝わってきている生命を後世に伝えるために自分はここにいる。それは自分だけでなく、他人もみんな伝わってきた生命なのだから、それを絶つな」としている[17]。
保守派の論客として知られ、産経新聞オピニオン面「正論」欄の執筆メンバーを務めており、2008年には第24回正論大賞を受賞した[18][19]。2017年には、産経新聞の英語版ウェブサイトを運営する一般社団法人「ジャパンフォワード推進機構」設立時の理事に就任している[20]。新しい歴史教科書をつくる会賛同者でもある[21]。
教育目的の徴兵制復活を唱え、2012年に国立大学の秋入学移行が論議された折には、高校卒業から大学入学までの半年間で新入生の心身を鍛え直すために自衛隊への正式な入隊を義務付けよと主張した[22]。
天皇制について、「私の天皇像とは、天皇制を遂行できる天皇である。もしそれができない天皇ならば退位してもらいたい」「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」と平成年間の皇室の在り方に対して、批判している[23]。
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