喜多徹人
日本の教育者、著述家 ウィキペディアから
日本の教育者、著述家 ウィキペディアから
喜多 徹人(きた てつと、1960年 - )は、日本の教育者、著述家、カウンセラーで神戸セミナー校長。兵庫県予備校連盟会長[1]、全国予備学校協議会副会長[2]、日本ブリーフサイコセラピー学会理事を歴任[3]。
滋賀県近江八幡市に生まれる。小学時代には宿題はほとんどやらない"問題児"だったが、小学4年生の時の夏休みの宿題の課題が"自由研究"だったことで突如やる気を起こし、人のやらないことをやって驚かそうと思いついたのが「往復3㎞の山道を毎日走ること」であった。それを毎日、タイムを計り変化をグラフ化し、20日間全60㎞の日記を書き、さらに写真を貼って提出した。叔父を初め、担当教師、クラスの生徒のほとんどが喜多のこの行動に驚いた。このとき喜多は「やる気」の素が、誰にも強制されず自ら決めることだと悟った[4]。
高校時代は高校球児として甲子園にも出場。県予選での「5試合で3塁打6本」は今も滋賀大会記録となっている[5]。2浪の後、京都大学法学部に入学。卒業後、三和銀行に入行し、窓口業務、融資業務、個人営業、法人営業を経験するかたわら4年間学生採用も担当。6年後の31歳の時に、村上雄藏創設でユニークな教育方針と独特のカリキュラムを取り入れていた神戸セミナー副校長に抜擢され、教育界に転身[6][1][3]。高校中退者や、不登校、引きこもりの経験者も多く通う同校にて、多くの生徒、保護者と面談を重ねるうちに「やる気」の起こらない生徒にある一定の法則があることに気付く。これらの経験から、心理学的アプローチも取り入れ「自信はすべてに優先する」との教育方針を打ち出し、生徒を個でとらえチームでカウンセリングを行う手法で高校中退者を有名大学へ導くなどの実績を上げ、全国で講演を依頼されるに至る[7][8][6][9]。
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