下村寿一
日本の官僚・教育者 ウィキペディアから
下村 寿一(しもむら じゅいち、1884年(明治17年)7月31日[1] - 1965年(昭和40年)1月9日[2])は、日本の文部官僚。東京女子高等師範学校校長。女子学習院長。
経歴
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京都府与謝郡加悦町(現在の与謝野町)出身[1]。1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。山形県属、同警視、富山県理事官、東京府理事官を務めた[1]。その後、文部省参事官・文部大臣秘書官に転じ、宗教局長、社会局長を歴任し、1929年(昭和4年)に退官した[1]。1932年(昭和7年)に宗教局長として復帰し、1934年(昭和9年)に普通学務局長に転じた[5]。1935年(昭和10年)より東京女子高等師範学校校長を務め[5]、1945年には女子学習院長となった[2]。
1948年から1955年まで大日本女子社会教育会(現・公益財団法人日本女性学習財団)の理事長を務めた。宗教法人審議会会長、文化財専門審議会副会長などを務めた[6]。1953年12月、国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)に関し衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[7]。
著作
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- 「明治以来の宗教行政」(『文部時報』第730号、帝国地方行政学会、1941年7月)
- 著書
- 『教育行政撮要』 岩波書店、1933年4月
- 『教育行政撮要』 岩波書店、1937年9月改訂版
- 『現代教育学大系 原論篇第廿三巻 社会教化運動』 成美堂書店、1936年10月
- 『岡田良平』 文教書院〈日本教育先哲叢書〉、1944年1月
- 『聖戦完遂と女子教育』 日本経国社、1944年11月 / 日本図書センター〈近代日本女子教育文献集〉、1984年12月 / 2002年6月、ISBN 4820568892
- 編書
- 『崇神天皇の御聖徳』 文松堂出版、1944年9月
脚注
参考文献
関連文献
外部リンク
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