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日本の富士山学の研究者(1941-) ウィキペディアから
竹谷靱負(たけや ゆきえ、本名:竹谷誠(たけや まこと)[1]、1941年11月2日 - )は、日本の富士山文化の研究者、富士信仰の研究者、元教育情報工学者[1]。理学博士[2]。 拓殖大学名誉教授[2]、富士山御師の末裔[1]。富士山文化研究会会長[1]、富士学会理事[3]などを務める。東京都武蔵野市出身。
1941年(昭和16年)11月2日、富士山北口の御師(山梨県富士吉田市)である竹谷家の長子として誕生。父親は出生前に出征、戦死、母親の生家である東京・武蔵野市で育つ[1]。
成蹊高等学校を卒業後、早稲田大学理工学部応用物理学科に入学、1967年(昭和42年)早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了、同年より日本電気株式会社(NEC)中央研究所勤務。同社在職中の1981年(昭和56年)に理学博士(早稲田大学・数学専攻)となり、1987年(昭和62年)より拓殖大学工学部情報工学科助教授、1991年(平成3年)同大教授。2009年(平成21年)同大名誉教授、専門研究分野は教育情報工学で、研究課題は教育情報の構造分析法(認知マップテストによる理解度評価法の研究他)、インターネット利用の学習環境の構築(バーチャルスクールの研究他)など。過去にイリノイ大学Children Research Center客員研究員(2004年〜2005年)。
また、富士山御師の家系であることから、富士山学(富士山文化、富士信仰、富士講、富士塚調査など)に関する研究にも取り組んでいる。富士山学に関する書籍を多数執筆。
ペンネームである竹谷靱負は、富士山北口(山梨県富士吉田市上吉田)に、戦国時代より約400年続く富士山北口御師である竹谷家(屋号は竹谷もしくは竹屋)の世襲名である[1]。富士山文化の研究、富士山学専門家の第一人者[4]である。
富士学会理事(2009年〜)[3]、NPO富士山自然文化情報センター理事長(2008年~2018年)[5]、富士山文化研究会会長(2006年〜2016年)を務める。
二男一女の父親で、長男である竹谷六未(睦)は北口本宮冨士浅間神社(国の重要文化財/世界文化遺産構成資産)の元神職(権禰宜)であり、現在はフィリピン共和国・セブにてリゾートホテル、ダイビングショップ経営[6]。
伯母竹谷よねが嫁いだ外川家は、2002年(平成14年)、従弟で当主の外川文俊が夭逝したため断絶。1768年(明和5年)に築造された主屋は保存状態がよいため、「旧外川家住宅」の名称で2011年(平成23年)6月に、国の重要文化財に指定された。また2013年(平成25年)6月には富士山が世界文化遺産に登録され、旧外川家住宅はその構成遺産に認定された[7]。また御師・竹谷家住宅(現・原家住宅)の主屋は、2018年(平成30年)7月、国の「登録有形文化財(建造物)」に登録された[8]。
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