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釘本 久春(くぎもと ひさはる、1908年4月28日[1] - 1968年5月11日[1])は、日本の国語学者、国文学者。
東京出身。群馬県立男子師範学校附属小学校、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業[1][2]。旧制第一高等学校を経て[1]、1932年、東京帝国大学国文科卒業[1]。中央大学予科教授を経て、1939年9月文部省図書監修官[1]。戦時中は石黒修などとともに大東亜共栄圏への日本語普及政策に関わっていた。戦後はGHQと連携を取りながら、西尾実とのコンビで国語改革や、国立国語研究所の創設に参与[1]。1960年、東京外国語大学教授[1]。在職中に死去。
一高と東大で同級生だった中島敦の親友で、パラオ南洋庁赴任の職の斡旋をし、死後の全集編纂などに尽くした。島内景二によれば、『山月記』の袁傪のモデルは釘本であり、国語教科書に『山月記』が採用され続けているのは釘本の意向が反映されているという[3]。
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