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ドイツの司祭、神学者、哲学者 ウィキペディアから
アルフォンス・デーケン(ドイツ語: Alfons Deeken, 1932年8月3日[1] -2020年9月6日[2])は、ドイツ・オルデンブルク生まれのイエズス会司祭、哲学者。上智大学名誉教授[2]。
ドイツのニーダーザクセン州生まれ[2]。8人兄弟の3番目に生まれ、父は実業家であった。学校での成績が優秀であったため、校長よりナチの指導者養成学校に推薦された。しかし、一家で反ナチス運動をしていたためその推薦を断った。第二次世界大戦中に日本二十六聖人の1人、ルドビコ茨木の伝記に出会い、日本での活動を願うようになった。ドイツの降伏時に、連合軍を歓迎しようとした祖父を眼前で連合軍兵士に射殺されている。
1952年、イエズス会に入会。東ヨーロッパ、西ヨーロッパ各地での活動を経て、1959年に来日した[2]。1965年には司祭に叙階される。1973年、フォーダム大学で哲学博士(Ph.D.)の学位を取得し、上智大学文学部教授に就いた。長く上智大学で教鞭を取り、文学部人間学研究室で「死の哲学」、「人間学」、「生と死の教育」の講座を受け持った[3]。1982年頃から「死生観、死の準備教育」を提唱し、社会に問いかけた。1982年に「生と死を考える会」を発足させ、終末期医療の改善やホスピス運動の発展などに尽くした[2]。
2003年に上智大学を定年退職し、上智大学名誉教授となった。2003年以降はドイツへ帰国し、しばらく研究生活を送ったが、ふたたび来日した。以後、日本各地で講演活動を行った。ユーモアにあふれた講演は人気があり、80歳を超えても、1日2回以上の講演を受け持つことがあった。書き下ろしの「ユーモア感覚のすすめ」は中学校の国語教科書に掲載されていた。2020年、肺炎で死去[2]。
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