城戸 幡太郎(きど まんたろう、1893年7月1日 - 1985年11月18日)は、日本の心理学者・教育学者。北海道大学名誉教授。筆名は「秋津 豊彦」。
1893年、愛媛県生まれ。旧制愛媛県立松山中学校、巣園学舎、早稲田大学高等予科を経て、東京帝国大学文科大学心理学科選科卒。
卒業後は1924年より法政大学教授。1931年から1933年まで岩波講座『教育科学』の編集者の一人として活動[注釈 1]。1933年雑誌『教育』を創刊[注釈 2][注釈 3]。1936年10月保育問題研究会を設立。1937年5月18日教育科学研究会を組織。財団法人滝乃川学園教育部長なども兼務した。1937年の東北、北海道の冷害を留岡清男と視察。「生活綴方」批判を述べ、論議を呼ぶ[1][注釈 4]。1940年12月大政翼賛会組織局連絡部副部長に就任[注釈 5]。その後、1941年4月翼賛会を辞職。1944年6月、治安維持法違反容疑で拘束される(教科研事件)。1945年5月、証拠不十分で不起訴、釈放される。戦後は、北海道大学教育学部教授[注釈 6]、1957年定年退官。1965年ウズナーゼ心理学研究所を訪問[2]。1971年子どもの文化研究所所長に就任。北海道大学名誉教授、東京文理科大学教授、工学院大学教授、中央大学教授、東洋大学教授、北星学園大学教授、国立教育研究所所長、北海道教育大学学長、正則高等学校校長。
- 「心理學に於ける民族的研究の方法について」 『心理研究』 第12巻 5冊 (通巻 71号 1917)
- 「文化の改造と心理學」 『心理研究』 第17巻 4冊 (通巻 100号 1920)
- 「一般能力の過程に就て」 『哲學雑誌』 第35巻 401号 - 402号 (1920)
- 「ライプチヒの心理學會と現代心理學の傾向」 『日本心理学雑誌』 第1巻 3冊 (1923)
- 「心理學的認識の原理」 『哲學雑誌』 第39巻 454号 (1924)
- 「表現心理學の方法について」 『日本心理學雑誌』 第3巻 1冊 (1925)
- 「新カント學派としてのパウル・ナトルプの心理學に就て」 『日本心理學雑誌』 第3巻 2冊 (1925)
- 「形態心理學の形態」 『心理學研究』 第1巻 (1926)
- 「児童に於ける特殊なる知能の問題」 『心理學研究』 第1巻 6号 (1926)
- 「精神と人間と文化-留岡君の批評に答ふ」 『心理學研究』 第2巻 1輯 (1927)
- 「知覺に於ける形態の表象と関係の判断」 第2巻 2輯 (1927)
- 「感覚の概念に就いて」 『心理學研究』 第2巻 3輯 (1927)
- 「実践的判断と疑惑的方法-カント倫理学についての一考察」 『哲學雑誌』 第43巻 500号 (1928)
- 「精神科學と社会科學-特に心理學と経済學との関係について」 『法政大學論文集 (法政大學五十周年記念論文集)』 第3巻 3号・4巻 1号合併号 (1928)
- 「精神科學と教育的弁証法」 『教育論叢』 第22巻 3号 (1929)
- 「形態心理學の誤謬」 『哲學雑誌』 第45巻 523号 (1930)
- 「獨逸に於ける二三の「教育科學概論」について」岩波講座『教育科学』別冊「教育」 (1931)
- 「プロレタリアの社會事業」 『社會事業研究』 第19巻 1号 (1931)
- 「意識の表現性精神的動作」 『松本亦太郎博士在職25年記念 心理學及芸術の研究 上巻』 改造社 (1931)
- 「兒童の表現形態について 上下」 『教育心理學』 第6巻 (1931)
- 「哲学的人間學」岩波講座『哲学』 (1932)
- 「日本思想と生活心理學」 法政大學日本精神史學會編 『日本精神史論纂』 第1巻 (1932)
- 「現代の心理學と国語教育」 千葉春雄編 「最近の心理學語教育の問題」 厚生閣 (1932)
- 「言語と教育」 『岩波講座教育科學・第16冊』 岩波書店 (1933)
- 「社會的教育學」 『岩波講座教育科學 第20冊』 岩波書店 (1933)[注釈 7]
- 「動物心理學の問題と方法に就て」 『動物心理學』 第1巻 1号 (1934)
- 「兒童研究と歴史の問題」 『教育』 第3巻 4号 (1935)
- 「国語表現學」 『岩波講座国語教育 2. 国語教育の學的機構』 岩波書店 (1936)
- 「教育の科学的方法について」 『教育研究』 第444号 (1936)
- 「兒童學と精神発達論」 『教育』 第5巻 8号 (1937)
- 「生活學校巡礼」 『教育』 第5巻 10号 (1937)
- 「教育史観より見たる映画教育の意義」 『映画教育』 (1937年11月 - 12月)
- 「形態心理學の問題」 『中央公論』 第619号 (1939)
- 「敎育の科學的企劃性」 『敎育科學研究』 創刊号 (1939)
- 「教育と科學」 『最新日本教育學十二講』 文教書院 (1939)
- 「國民學校案は如何に實施さるべきか」 『敎育科學研究』 第2巻 1号 (1940)
- 「第二回全國敎・硏・協議會を迎ふるに當つて」 『敎育科學研究』 第2巻 7号 (1940)
- 「國民學校の精神を活かすために」 『敎育科學研究』 第2巻 10号 (1940)
- 「敎育翼賛の道」 『敎育科學研究』 第3巻 1号 (1941)
- 「児童心理学の問題と方法」 『児童心理』 第1巻 1号 (1947)
- 「北大教育学部の構想」 『北海道教育評論』 第3巻 7号 (1950)
- 「義務教育修了時における学力の調査一、二」 『教育統計』 第11号 - 第12号 (1951)
- 「学力の問題」 『教育心理学研究』 第1巻 1号 (1953)
- 「選抜考査法の問題」 『児童心理』 第7巻 12号 (1953)
- 「教育の産業革命-教育労働と教具との関係」 『北海道視聴覚教育』 創刊号 (1953)
- 「教材・教具・指導力」 『新しい教材』 創刊号 (『北海道視聴覚教育』改題・通巻 17号 1955)
- 「ソ連及び中国における心理学の研究」 『教育心理学研究』 第4巻 2号 (1956)
- 「文化心理学の方法論-意味の座標転換について」 『中央大学大学部紀要』 第18号 (哲学科第6号 1959)
- 「教育心理学における文化の問題」 『教育心理学研究』 第9巻 1号 (1961)
- "Origin of Japanes Psychology and its Development", Psychologia, Vol. 4, No. 1, (1964)
- 「日本心理学史考-第二次大戦の終わるまで」 『東洋大学社会学部紀要』 第4号 (1964)
- 「教科としての教育心理学の研究法について-特に教育の研究と教員の養成を問題として」 『教育心理研究』 第12巻 4号 (1964)
- 「人間科学としての心理学」 『安倍三郎先生古希記念 現代心理学論集』 明星大学心理学研究室 (1968)
- 「哲学から教育学へ-心理学を環として」 『科学と思想』 第4号 (1972)
- 「教育心理学の問題と研究法」 『教育心理学年報』 第18集 (1979)
- 『文化と個性と教育』文教書院 1925
- 『心理学の問題』岩波書店 1926
- 『古代日本人の世界観 日本の言語と神話』岩波書店 1930
- 『心理学概説』岩波書店 1931
- 『現代心理学の主要問題』同文書院 1932
- 『国語表現学』賢文館 1935
- 『心理学史 現代哲学全集』日本評論社 1936
- 『生活技術と教育文化』賢文館 1939
- 『幼児教育論』賢文館 1939
- 『民生教育の立場から』西村書店 1940
- 『生活技術と教育文化』萬里閣 1946
- 『教育科学的論究』世界社 1948
- 『現代心理学 その問題史的考察』評論社 1950
- 『日本のカリキュラム』評論社 1950
- 『幼児の教育』福村書店 1950
- 『心理学と教育』国土社 1958
- 『教育原理論』国土社 1963
- 『心理学問題史』岩波書店 1968
- 『日本の教育計画』国土社 1970
- 『文化心理学の探究』国土社 1970
- 『教育科学七十年』北海道大学図書刊行会 1978
- 『何のための教育か学校か 子どもの幸せと日本の未来のために』情報センター出版局 1980 Century press
- 『幼児教育への道』フレーベル館 1980
- 『教育心理学への反省と期待』教育出版 1981
- 『教育学辞典』第1-5巻 編 岩波書店 1936-40
- 『新教育研究原語辞典』編 文民教育協会 1949
- 『実験心理学提要』第1-2巻 高木貞二共編 岩波書店 1951-52
- 『体系教育心理学辞典』増田幸一、依田新、阪本一郎と共編 岩崎書店 1952
- 『中学生の基礎学力』(共著)東京大学出版会 1954
- 『私たちの生活百科事典 学生普及版 1 (家)』編 生活百科刊行会 1955
- 『教育科学の探究』砂沢喜代次共編 明治図書出版 1971
- 『現代教育と創造性の開発 城戸幡太郎先生古稀記念会の記録』城戸幡太郎先生古稀祝賀会実行委員会 1964
- 『日本の教育科学』城戸幡太郎先生80歳祝賀記念論文集刊行委員会編 日本文化科学社 1976
注釈
講座本体は科学的研究を意図する論文で構成したが、日本の教育の実際上の問題を取り上げることが講座では充分できないため、附録雑誌『教育』を出し、そこで取り上げることとした。この附録は講座終了の1933年8月まで継続発行された。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年 pp.42-43
岩波講座『教育科学』の附録雑誌名『教育』を重ねて使用。1937年の教育科学研究会発足以降は、同研究会の準機関誌として機能させた。
≪創刊の辞≫
一、教育は、今日その将来の動向について甚しく戸惑っている。教育はもはや教育内部の理念を以てしては自立することが出来なくなり、急激に進展する社会のテンポを追うて、次第に拡まりゆく社会の戦線に参加することを余儀なくされている。
『教育』は、内外の教育思想の動向を明かにして、一つの教育図表を展開したいと思う。
二、今日の教育は必ずしも教育技術を欠くとは云わぬ。しかしそれは果してどの程度にその効果を実証されたものだろうか。効果の実証されざる技術はその場限りの思いつきに過ぎぬ。
『教育』は、この意味に於て、個性調査、学校調査、社会調査等の研究を集めて、広く深き基礎に教育技術の新たなる発見と実証とに貢献したいと思う。
三、『教育』は、凡そ雑誌である限り、一つの商品であり、ジャーナリズムに立つ。しかし、『教育』の生産と普及とはともかくとして、その編輯をまでコンマーシャリズムとモダーンニズムとの渦中に投じたくはない。
精確なる教育時報と、放膽にして公正なる教育評論とを、『教育』の特色たらしめたい。
かくして、われらの『教育』は、我国の教育社会に対して新しき動向を示す指針となることを確信する。
—『教育』第1巻第1号 岩波書店、1933年4月
「生活学校巡礼」東北地方において生活教育を主張するものは主として綴方人と稱せられる教師達で、綴方における北方性というようなことが問題になったのもそのためであって、それらの人々によって考えられた生活教育ということは児童の作品を通じて児童の生活を表現せしめ、これに基いて児童の生活を指導することである。北海道における教育夏季講習会の如きも、札幌市教育会、北海道小学校長会、北海道綴方教育連盟の共催であり、生活教育に関してとくに問題を持っていたのは綴方教育連盟の人達で、講習会でとくに座談会が希望されたのも主としてそれらの人達からであった。児童の作品を通じて児童の生活を理解することはできる。しかし綴方教育のみによっては児童の生活は指導されない。教育における生活指導の原理は国民の生活力を涵養することにある。綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。児童の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教えねばならぬ。それには生活教育は労働教育あるいは生産主義の教育による生活指導でなければならぬ。『教育 第5巻10号』 岩波書店、1937年
1940年2月頃から多くの教育科学研究会員が治安維持法違反で検挙されるなどの弾圧が強くなってきた。弾圧を避けてむしろ大政翼賛会の中で教育の生活主義と科学主義を標榜する教育科学運動を実現させるために、留岡が大政翼賛会青年部に加入。そののち、組織局連絡部の三輪壽壮より招かれて就任。このとき組織局長は後藤隆之助。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年 pp.138-139
留岡の協力を得て社会教育に映画を利用することに努力し、1952年11月北海道視聴覚教育研究会を発足させ、のちにフィルム・ライブラリーの設置にまで発展させた。また、NHK札幌支局小此木通孝放送部長の協力の下に教員の現職教育として大学卒の資格を与えるための通信教育を放送によって受講してもらう放送教育を成立させた。資格附与は学芸大学でないとできないので北海道学芸大学と共同で行った。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年 p.191
「教育科学の方法がたんに人間が環境によって変化されることのみを説くものとすれば、それは
誤られたフォイエルバッハ流の唯物論に基づく人間学か社会学の方法にすぎぬ。人間を教育する社会を改革する人間の実践に教育の意義を見出すことのできぬ教育科学には、真に教育科学としての自律性を認めることはできぬ。社会科学が従来の社会学に対して持つ方法の独自性はこの社会生活についての理論を人間的実践のうちに、したがって実践の理論として確立せんとするところにある。そこには知識に対する技術、理論に対する応用の区別は認められない。しかし社会科学における実践がたんに経済生活における階級闘争の克服のための革命的実践のみを意味するものとすれば、社会科学の方法をもってただちに教育科学の方法となすことはできぬ。教育社会における陶冶の方法が……支配にあるのではなく指導にあるとすれば、教育の実践は政治や革命とは異って、あらゆる社会生活における共同の精神を実現することであらねばならぬ。しかし共同の精神が政治を目的とし、革命を目的とするものであるとすれば、政治のための指導あるいは革命のための指導ということもなさねばならぬ。したがって教育科学の問題は指導の行なわれる教育社会の機能をいかに考えるかによって指導の精神ならびにその方法を異にする種々なる教育の問題を提出することになる。」
日本社会学会・城戸浩太郎賞は1950年代に研究者としての将来を嘱望されていながら、登山の遭難で早死された城戸浩太郎の功績をしのんで設立されたものである。
出典
城戸幡太郎著『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年 p.273
千葉良雄著「思考活動と構え―ウズナーゼ学派の思考研究」ソビエト心理学研究会『ソビエト心理学研究』第5号、1968年所収
城戸幡太郎著『教育科学七十年』北大図書刊行会、1978年 pp.272-277