Loading AI tools
ウィキペディアから
小林 信一(こばやし しんいち、1908年(明治41年)1月27日[1][2] - 1983年(昭和58年)8月15日[1][3][注 1])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。
山梨県東山梨郡松里村上井尻(塩山町、塩山市を経て現甲州市塩山上井尻)出身[1]。日川中学校(現山梨県立日川高等学校)を経て[1]、1926年(大正15年)山梨県師範学校第2部を卒業した[1][2][3]。
南都留郡盛里小学校訓導[1]、旭尋常高等小学校訓導、山梨国民学校教頭、峡東青年学校長などを歴任し[3]、1947年(昭和22年)松里中学校長に就任[1]。1948年(昭和23年)山梨県教職員組合執行委員長となり[1]、山梨県連合教育会副会長も務めた[3]。
1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に山梨県全県区から無所属で出馬して当選[4]。第25回総選挙では次点で落選[5]。第26回、第27回総選挙では当選[5]。第28回総選挙では次点で落選[5]。第29回総選挙では当選し、第30回総選挙では次点で落選[5]。第31回から第33回総選挙まで当選し[6]、衆議院議員に通算7期在任した[1][2][3]。この間、衆議院産業公害対策特別委員長、同公害対策特別委員長、日本社会党山梨県本部委員長、社会党本部会計監査委員、同党衆参両院議員総会長などを務めた[1][3]。1976年(昭和51年)12月の第34回総選挙に出馬したが次点で落選した[7]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.