吉岡忍 (作家)

日本の作家 (1948-) ウィキペディアから

吉岡 忍(よしおか しのぶ、1948年7月6日[2] - )は、日本ノンフィクション作家2017年から2021年まで日本ペンクラブ会長を務めた。日本BS放送番組審議会委員。サテライト・サービス放送番組審議会委員。 株式会社インタラクティーヴィ放送番組審議会委員。次兄はオルタスジャパン専務取締役兼ディレクターの吉岡攻[3]

来歴・人物

長野県佐久市出身[1]長野県野沢北高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部在学中に、ベトナム反戦運動「ベ平連」に参加し、米軍脱走兵の逃亡支援活動に従事。また「ベ平連ニュース」の編集長も務める。1969年には、新宿駅西口地下広場で「新宿フォークゲリラ」を企画した。

その後、ノンフィクション作家となり、1985年日本航空123便墜落事故を題材にした『墜落の夏 -日航123便事故全記録-』(1987年)で第9回講談社ノンフィクション賞を受賞する。

日本ペンクラブ常務理事、放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員会委員なども務め、言論の自由報道の自由に関して積極的発言を続ける。大学時代に『べ平連ニュース』の編集に参加[1]

2005年3月、「マガジン9条」発起人となった[4]

2008年11月から、ライターの古木杜恵らとともに、地方テレビ局の報道番組を東京で上映する「ドキュメンタリー酒場」を開始した。

2017年6月、日本ペンクラブ会長に就任した[5]。2021年5月25日、会長を桐野夏生に交代する。

著作

単著

  • 『教師の休日 ルポルタージュ』教育研究社、1980年。 / 朝日文庫、1992年。
  • 『街の夢 学校の力』日本書籍、1981年。
  • 『もう学校にはいられない:ルポルタージュ 聖職を去る教師たちの証言』リブロポート、1983年。 / 朝日文庫、1993年。
  • 『ガリバーと巨人の握手』中央公論社、1985年。
    • (改題)『散るアメリカ』 中公文庫、1990年。
  • 『墜落の夏:日航123便事故全記録』新潮社、1986年。 / 新潮文庫、1989年。
    • (再録)柳田邦男責任編集『技術社会の影:同時代ノンフィクション選集』第9巻、文藝春秋、1992年。国立国会図書館書誌ID:000002209670
  • 『技術街道をゆく:ニッポン国新産業事情』現代企画室、1987年。 / 講談社文庫、1993年。
  • 『「事件」を見にゆく』文藝春秋、1988年。 / 文春文庫、1992年。
  • 『島国へ帰る』(内山英明写真)徳間書店、1989年。
  • 『死よりも遠くへ』新潮社、1989年。 / 新潮文庫、1992年。
  • 『日本人ごっこ』文藝春秋、1989年。 / 文春文庫、1993年。
  • 『鏡の国のクーデターソ連8月政変後を歩く』文藝春秋、1991年。
  • 『学校の力 ルポルタージュ』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1992年。
  • 『女たちの地球』潮出版社、1993年。
  • 『新聞で見た町』朝日新聞社、1993年。
  • 『放熱の行方』講談社、1993年。 / 『放熱の行方:尾崎豊の3600日』講談社文庫、2001年。
  • エイズの表情』アドバンテージサーバー〈ブックレット生きる〉、1993年。
  • 『都市は浮遊する』(内山英明写真)講談社、1993年。
  • 『いつか晴れた海で:エイズと平田豊の道程』(内山英明写真)読売新聞社、1994年。
  • 『路上のおとぎ話』朝日新聞社、1998年。
  • 『月のナイフ』理論社、1999年。
  • 『M / 世界の、憂鬱な先端』文藝春秋、2000年。 / 文春文庫、2003年。
  • フリーランスライターになる方法』日本放送出版協会生活人新書〉、2003年。
  • 『奇跡を起こした村のはなし』[6]筑摩書房ちくまプリマー新書〉、2005年。
  • 『ある漂流者のはなし』ちくまプリマー新書、2005年。
  • 『ニッポンの心意気:現代仕事カタログ』ちくまプリマー新書、2007年。

共編著

分担執筆

映画出演

脚注

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