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教育者、政治家 ウィキペディアから
黒岩 重治(くろいわ しげはる、1896年(明治29年)6月10日[1] - 1986年(昭和61年)4月24日[1][2][3])は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。
高知県[2][3]香美郡東川村別役[1](香我美町[1]を経て現香南市)で、黒岩兼太郎、加根の二男として生れた[1][4]。1916年(大正5年)高知師範学校男子本科を卒業した[1][2][4]。
安芸郡安田、香美郡岡ノ内、富家、片地、高知市第五の各尋常小学校訓導、川内、神谷、美良布の各尋常小学校長兼同高等小学校長、城山尋常小学校兼実業青年学校長、高知県視学、高知市立第二国民学校長、城北国民学校長などを歴任し[1][2][4]、1947年(昭和22年)に退職した[1]。
高知県教員組合連合委員長[注釈 1]を務め、同組織の推薦を受けて、1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に高知県全県区から無所属で出馬して当選し[1][4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。二宮尊徳の報徳思想を信奉していた黒岩は、その理念に通じる国民協同党に入党し、衆議院文教委員、同図書館運営委員、皇室経済特別委員、選挙法改正特別委員などを務めた[1]。GHQの権力下での国政の無力さを感じ、民主党に国民協同党が吸収される兆候を見て同党を離党し、次の第24回総選挙には立候補せず政界を引退した[1][6]。
その他、高知県教員体育連盟顧問、同教育会理事、同教育委員会会長、少年保護司、高知教養新聞社長などを務め[2]、晩年には要望を受けて私塾を開いて1955年(昭和30年)から1973年(昭和48年)まで知的障害児の教育を行った[1]。
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