テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして、成就しない。寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く。
フジテレビプロデューサー小林俊一が、渥美清主演の新しいテレビドラマの企画を検討していた際に、渥美清に相談。渥美が、脚本家としても活動していた新人監督の山田洋次を推薦。旅館で執筆中の山田を小林と共に訪ねた渥美が、少年時代に憧れていたテキ屋の話や、自身の青春時代の話を披露、その時の雑談を元に、テレビドラマ「男はつらいよ」の物語が誕生した。
1960年代のドラマの主人公は、正統派の2枚目がほとんどで、「テキ屋が主役」という当時としては、斬新な設定のドラマの成功後、落語の長屋物からの影響、東映の「ヤクザ映画」のパロディとして企画されたという推論[1][2]、松竹映画に出演していた安藤昇が面識のある山田に「ヤクザ者が一般社会に入ってくることから巻き起こる物語」の案を話したエピソード[3][4]、など、様々な面からの影響が唱えられている。
フジテレビが制作・放送したテレビドラマは、1968年(昭和43年)- 1969年(昭和44年)に、放送されたが、柴又では、撮影が行われていない。当初、全く人気がなかったが、徐々に視聴率が上がり、最終回で、ハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島で、ハブに咬まれて毒が回り死ぬ、という結末を迎えると、視聴者から抗議が殺到。映画化につながった[5]。
映画シリーズは、山田洋次が全作の原作・脚本を担当。松竹によって1969年8月27日に第1作が公開され、1995年(平成7年)までに渥美が参加した48作が製作された。1997年(平成9年)には、特別篇、2019年(令和元年)には、映画公開50周年を記念して、23年ぶりに新作として、50作目が公開された。
当時の松竹社内では、映画化に反対の声が多く、期待されていなかったので、シリーズ化も想定されていなかった。2作で終わる予定で[6]、第1作の観客動員数は54万3000人とまずまずの結果となり、早々に第2作が再作開始。第3作は森崎東が、第4作を小林俊一が監督を行い、山田はこれらはもういいと思い脚本のみ手掛けた[7]。第5作は山田が再び監督しシリーズを完結させる予定であったが、それまでトントンの線で横ばい状態であった観客動員が一挙に5割増しとなり(それでもシリーズ平均の観客動員165万の半分にも及ばない72万人という小ヒットである)、これを受けてシリーズ継続となった。そのため、第5作は、続編製作の保証がない状態で作られた第1作、山田が当初2部作構想としていた第2作とともに、ある種の完結感を持ってしめくくられている。
以降、尻上がりで全作品がヒット、特に第8作は前作比6割増の爆発的飛躍で、森川の死による打ち切り意見を吹き飛ばすとともに、以降は100~200万台の動員を見込める松竹のドル箱シリーズとなった[注 1]。30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズ(作品数)としてギネスブック国際版にも認定された(年数では『007』シリーズの方が長い)。山田は全50作完結を構想し、第49作『寅次郎花へんろ』準備中に渥美の死去により、1995年(平成7年)に公開された第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』をもって終了(打ち切り)になった。その後、ファンからのラブコールが多かったとのことで、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』を再編集し、新撮影分を加えた『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』が1997年(平成9年)- 1998年(平成10年)に公開された。
1972年(昭和47年) - 1985年(昭和60年)の14年間はきっちりお盆と年末年始の年2回公開が守られており、多くの人が帰省休みを取るこの時期を彩る日本の風物詩とまでいわれた。なお、通常の「正月映画」が12月3週目あたりから公開されるのに対し、同シリーズは年末ぎりぎりの公開として初冬の風景をおりこんでいる。
1981~1985年は曜日にかかわりなく12月28日公開に固定されていたぐらいだが、後期はやや早まってクリスマス前後に公開されるようになった。また、前述の冬公開から「寅さん」は冬の季語にもなっている。1986年と1988年は山田がそれぞれ『キネマの天地』『ダウンタウン・ヒーローズ』に取り組む都合でお盆はお休み、これを挟んだ1987年と1989年はお盆・正月製作が守られたものの、渥美の体力低下もあって1990年以降は正式に正月のみの年1本製作へと変更された。前後して、恒例であった冒頭の夢の場面も次第になくなっていく。
渥美が撮影に参加した映画シリーズ48作の配給収入は464億3000万円[8]、観客動員数は7957万3000人[8] を記録。ビデオソフトは1996年7月末までにセル用とレンタル用の合計で85万本が流通している[9]。その後、ほぼすべての配信プラットフォームで全作品が視聴可能となっている。
1969年(昭和44年)の映画第1作公開から50周年に当たる2019年(令和元年)12月27日には、旧作の名場面に新撮部分を加えた第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開[10][11][12]。2018年(平成30年)9月6日に誕生50周年を迎える来夏頃に“50作目”となる新作映画を公開することが6日、都内で行われた『50周年プロジェクト』会見で発表された。“22年ぶり”となる新作には、シリーズ全49作を4Kデジタル修復した映像と、新たに撮影される映像が使用される。あわせて、2年をかけて4Kデジタル修復されたシリーズ全49作のBlu-ray Disc発売と全国劇場公開、東京都葛飾区柴又の寅さん記念館のリニューアルオープン、山田洋次監督の小説『悪童 小説 寅次郎の告白』の刊行、BSテレ東の企画『やっぱり土曜は寅さん!』による全49作のテレビ放送、などが行われた[13]。
フジテレビ系列で1968年10月3日から1969年3月27日まで毎週木曜日22時00分 - 22時45分に放送された。脚本は山田洋次・稲垣俊・森崎東らが手掛けた。全26話だが、映像は第1話と最終話しか現存していない(後述)。
あらすじ(テレビドラマ)
東京の東の外れ、葛飾区柴又に帝釈天こと名刹題経寺がある。門前町には名物の草団子を商う店が軒を連ねている。その中に「とら屋(とら家)」という江戸時代から続く老舗があった。そこには主人の車竜造(森川信)と妻のつね(杉山とく子)、そして両親と長兄を亡くし、腹違いの次兄は行方知れずになったままの姪さくら(長山藍子)が暮らしている。
1968年(昭和43年)夏、日々何事も無く平凡な毎日を過ごしている「とら屋」一家のもとに、行方不明だったさくらの次兄・寅次郎(渥美清)が18年ぶりに帰って来た。感動の対面を果たす兄と妹。ただし、すぐに人相の悪い怪しげな寅次郎の仲間達が押しかけてきてどんちゃん騒ぎを始める。あまりの非常識な振る舞いにさくらの怒りを買った寅次郎は、翌日反省し再び旅に出て二度と帰らないことを決める。ところが、柴又の町内を出ないうちに近所に住む恩師の散歩先生(東野英治郎)の娘で幼馴染みの坪内冬子(佐藤オリエ)に出会い一目惚れ。冬子恋しさにそのまま「とら屋」に居つくことになる。旅暮らしでいつかは一獲千金が実現することを夢見ながらテキ屋稼業をしている寅次郎は、平穏なとら屋の日常を過激なまでに変えてしまう。可愛いさくらのために奮闘努力を誓う寅次郎だが、ほとんど空回りに終わる。さくらといい仲だった恋人の道夫(横内正)との間に入ってぶち壊しにしたり、次から次へと変な知り合いを連れてきたり、警察のご厄介になったり、テレビに出て大恥をさらしたり、はたまた急にアメリカ航路に密航して心配させたり大騒動続きである。そんな寅次郎の破天荒な生き様を最初は煙たがっていたさくらたちだが、次第に刺激を与えられることを楽しむようになる。それと共に、寅次郎の悪気が無く憎めない人柄を愛するようになっていく。その後、さくらは寅次郎が仮病で入院した時に知り合った医師の諏訪博士(井川比佐志)と結婚。体調を崩した竜造は「とら屋」をたたむことを決意、散歩先生は亡くなり、冬子も恋人の藤村(加藤剛)との結婚を決めた。
心の拠り所が無くなった寅次郎は一獲千金を狙い、弟の雄二郎(佐藤蛾次郎)を引き連れて奄美大島へハブを捕まえに行く。時は流れ、さくらのお腹に赤ちゃんが授かった頃、突然雄二郎がやってくる。奄美大島でハブに噛まれて絶命した寅次郎の遺品という帽子を携えて…。信じられないさくら。その夜、さくらのアパートにひょっこりと寅次郎が現れる。「やっぱり生きてたんだ!」喜ぶさくらだが寅次郎はすぐに姿を消す。慌てて外へ出ると寅次郎は愛唱歌「喧嘩辰」を歌いながら去っていく。追いかけるさくらが公園に来たところで、寅次郎の姿はフッと消えてしまう。心配して駆けつけた博士の腕の中で、いつまでも泣き続けるさくらだった。
登場人物(テレビドラマ)
- 車寅次郎(別名フーテンの寅、通称寅さん又は寅ちゃん):渥美清
- 車さくら(戸籍上は車櫻。寅の腹違いの妹):長山藍子
- 車竜造[注 2](寅の叔父。通称おいちゃん又はおじちゃん[注 3]):森川信
- 車つね(竜造の妻。通称おばちゃん):杉山とく子
- 坪内冬子(マドンナ。寅とさくらの幼馴染):佐藤オリエ
- 坪内散歩(寅の恩師で英語の先生。冬子の父):東野英治郎
- 諏訪博士(ひろしと読むが寅ははかせと呼ぶ。寅の担当医。物語終盤にさくらと結婚する):井川比佐志
- 川又登(寅の舎弟でとら屋の従業員):津坂匡章
- 染子(寅の実母、京都の連れ込み旅館の女将):武智豊子
- 川島雄二郎(自称・寅の実弟。タネ違いの弟。その髪形から寅はドイツの鉄兜と呼ぶ):佐藤蛾次郎
- 山本久太郎(通称Qさん。寅の昔の仲間で泥棒として登場):佐山俊二
- 鎌倉道夫(さくらの恋人):横内正
- マクナマラ(画家):マーティ・キーナート
- しののめの銀蔵(寅の親分):杉狂児
- 中村瑞枝(寅の昔馴染み):市原悦子
- 高橋英吉(瑞枝の内縁の夫):田中邦衛
- マスター(スナックの店主):田武謙三
- 愛子(喫茶店のウエイトレス):寺田路恵
- アケミ(竜造の浮気相手):宮本信子
- 岡村亀雄(寅の同級生):塚本信夫
- 畠山三太郎(寅の昔の仲間):谷幹一
- 畠山ツル子(三太郎の妻):春川ますみ
- 藤村薫(バイオリニスト。冬子の恋人):加藤剛
- 小川宏ショー出演者(特別出演。いずれも本人名義):小川宏、露木茂、田代美代子
製作
1966年にフジテレビで放送されていた、渥美清主演の連続テレビドラマ『おもろい夫婦』が大ヒットしており、これをきっかけに昭和40年代の同局では、渥美の連続ドラマが毎年のように放送されていた。本作は第3作にあたる。
制作は、フジテレビと当時の渥美の所属事務所の高島事務所。企画と演出はフジテレビ制作部のディレクター兼プロデューサー(当時)の小林俊一、同局の編成部では白川文造が係わった。
1968年夏、松竹の中堅監督であった山田洋次が、フジテレビから渥美主演のドラマの脚本の依頼を受けたことで本作の企画が始まった[13]。本作の原点となったのはフランスの国民的作家・マルセル・パニョルによる喜劇「マルセイユ3部作」(『マリウス』〈1929年〉、『ファニー』〈1932年〉、『セザール』〈1936年〉)で、学生時代に演劇好きの友人から戯曲を借りて読み「なんとここには日本人しか分からないと思っていた落語や浪花節の人情の世界がマルセイユを舞台にしてたっぷりと描かれているではないか」と感銘を受けた山田は後にフジテレビから渥美主演のテレビシリーズの脚本執筆を打診された際に青春時代に読んだ同シリーズを思い出し、「マリウスは博で、ファニーはさくら。セザールは渥美さんが演じた寅さん」と同シリーズに登場する愛すべき人物たちを中心にさらに熊五郎・八五郎・ご隠居といった古典落語の登場人物も重ね合わせて本作の登場人物たちを構築[26][27]。
主人公の「寅さん」については、執筆に先立って「ゆっくり話がしたい」と主演の渥美と東京・赤坂の旅館で対面し、まるで名人の落語を聞くかのように驚異的な記憶力とテキ屋の口上など豊かな話術で笑わせる渥美から「この人は本当に頭がいい人だな。こういう人が愚かな男を演じると面白い話ができるのでは」「落語に出てくる熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」との着想を得て、落語の熊さんと結びつけながら「下町の不良少年のなれの果て」という「寅さん」のキャラクターを創造していった[13][28]。柴又帝釈天の舞台設定は、助監督時代に作家の早乙女勝元との打ち合わせの折に帝釈天参道で食事したことを思い出し、戦災から逃れた風情の残る街並みと「葛飾、柴又、帝釈天」の語感が良さから決定。ほどなく門前の団子屋の設定も決まった[13]。
企画段階でのタイトルは『愚兄賢妹』という番組名だったが、フジテレビの営業から「愚兄賢妹では堅苦しくて番組として売り難い」と言われたため、タイトルを変更することになる。そして、北島三郎が唄っていた『意地のすじがね』の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞をヒントに、小林俊一が『男はつらいよ』と命名した。
他にも、同時期にTBS系列で放送されていた渥美清主演のテレビ映画『泣いてたまるか』の、最終話のタイトルが「男はつらい」であり、この回の脚本を山田洋次が書いていたことも決め手となった。他にも渥美清が良く口ずさむ歌が北島三郎であり、その作詞者が星野哲郎であることも主題歌の作詞を依頼する決め手になった。
音楽の山本直純に関しては小林俊一がドラマを企画する際に好んで依頼していたのが山本であり、一連の渥美ドラマでも同様に山本直純に依頼した。
放送とその後
船山馨原作のベストセラー小説をドラマ化した『石狩平野』(脚本:早坂暁、主演:南田洋子)が不調で、1年の放送期間が半年に短縮された[注 4]。これにより、秋の番組編成に穴が空いてしまったため、本作の放送時間が木曜22時となる。今でこそ木曜22時は「木曜劇場」で定着しているが、当時のこの時間帯は他局が圧倒しており、大苦戦が続いたフジは同局の渥美ドラマの人気で打破したい思惑もあった。
放送開始当初こそ視聴率は苦戦を続けたが、回数を重ねる毎に少しずつ上昇していき、番組終了までに最高で20パーセント台を達するまでになった。視聴率としては高いとは言えないが、当時の状況を思えば大健闘の数字である。
一部の資料では「3か月間13回を放送を延長して26回になった」という記述があるが実際は最初から半年間26話の予定であり、13話説は小林俊一が山田洋次を説得する際に出した打開案に過ぎない。
最終話で寅次郎は、ハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に出かけるが、そのハブに噛まれて死んでしまう。寅次郎を死なせたことで、視聴者からはテレビ局に抗議の電話が殺到。これが映画化に繋がった。しかし、当時はまだテレビ番組の地位が、映画から見てかなり低く見られていた時代であった。松竹は、テレビ番組の映画化に難色を示していたが[32]、山田洋次と松竹プロデューサー上村力の説得に折れる形で今で言うリブートの様な形で映画化された(当時、松竹の社長であった城戸四郎が山田の意見を汲みいれた)[33]。
テレビドラマ版エピソード
寅次郎が首に下げているお守りは成田山新勝寺のもの、帽子は渋谷道玄坂の店で作られた特注品であり、撮影の邪魔にならないようにツバが既製品より短く作られている。帽子やシャツ、雪駄も手製であり、テレビ版終了後の打ち上げで商品としてそれぞれスタッフが一つずつ持ち帰ったものの、映画を製作にするにあたり慌ててすべて取り戻したという逸話がある。最終回の舞台は奄美大島であるが、これは沖縄が当時米軍統治下であり、ロケは徳之島で行われた。以上のエピソードは「テレビドラマ版DVD」の特典映像スタッフによる座談会で明らかにされている[34]。
テレビ版では一度も柴又へロケに来ておらず、シーンは全てセットで制作されている[35]。
映像の現存状況
テレビ版の映像は、フジテレビのライブラリーには第1話と最終話のみ現存している。その理由としては、以下の事柄も関係している。
- 当時のVTRの規格が2インチで、機器・テープ共に高価だった。
- 当時は著作権法などの絡みにより、番組の資料保存が制約されていた。
- 番組保存の概念が希薄だったことや、白黒番組が二次使用で商売になることは想定していなかった。
そのため当時、ビデオテープは放送後に別の作品へ使い回され、内容が上書き消去されるのが普通であった。
現存する第1話と最終話については渥美清の没後、同局の情報番組『ビッグトゥデイ』で、追悼企画としてノーカットで再放送されたほか、1997年2月にフジテレビよりVHSで、2008年8月に松竹よりDVDでソフト化された。これらの映像ソフトでは欠落した回も写真で紹介するほか、スタッフによる企画の誕生などのエピソードが収録されている。横浜市にある放送ライブラリーでは、第1回を閲覧することが可能である。2015年5月10日と2016年1月9日に、BSフジにて第1話と最終話が一挙放送された。
関連商品
- VHS
- 男はつらいよ・完全復刻オリジナルテレビ版(1997年2月21日、フジテレビジョン、PCVC-30568)
- DVD
- テレビドラマ版「男はつらいよ」(2008年8月27日、松竹 映像商品部、DB-0264)
- 第1話、最終話と特典映像(インタビュー、最終話までのあらすじ紹介)を収録
放映リスト
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話数 | 放送日 | 脚本 | 演出 | とらや関係者以外の出演者 | 備考 |
第1話 | 1968年 10月3日 | 山田洋次 稲垣浩一(稲垣俊) | 小林俊一 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ | 寅とさくら18年ぶりの再会 |
第2話 | 10月10日 | 山田洋次 | 諏訪博士:井川比佐志 川又登:津坂匡章 澤田雅美 | 寅、仮病で入院 舎弟・川又登が住み込むようになる |
第3話 | 10月17日 | 稲垣俊 | 大宮部長:浜田寅彦 鎌倉正夫:松本克平 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 高野ひろみ | 寅の失言でさくらの縁談がストップ |
第4話 | 10月24日 | 稲垣俊 | 諏訪博士:井川比佐志 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 | 傷心のさくらのためにハワイ旅行に行こうとするが… |
第5話 | 10月31日 | 山田洋次 | 山本久太郎:佐山俊二 田武謙三 平岡奈津美 | 旅行会社の倒産でハワイ旅行は中止に 寅が店の留守番をしていると、 久太郎という泥棒が入り意気投合 |
第6話 | 11月7日 | 山田洋次 東盛作(森崎東) | マクナマラ:マーティ・キナート 坪内散歩:東野英治郎 | 寅の口上に惚れたマクナマラ青年と、寅・さくらの交流 |
第7話 | 11月14日 | 山根優一郎 | 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 | 寅がアメリカ航路で密航中、さくらは道夫との仲に苦しむ。 寅が帰国しさくらは過去を清算しようとする |
第8話 | 11月21日 | 山田洋次 稲垣俊 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ (特別出演)小川宏 露木茂 田代美代子 | 町内に下着泥が現れ、舎弟の登が疑われる。 釣り竿作戦で真犯人を捕らえた寅は評判となって 「小川宏ショー」に出演することになるが… |
第9話 | 11月28日 | 光畑碵郎 | 坪内冬子:佐藤オリエ | 男に絡まれそうになっていた冬子を寅は助けるが… |
第10話 | 12月5日 | 山田洋次 森崎東 | 東雲の銀蔵親分:杉狂児 石山律雄 石田茂樹 | 寅はかつての恩人銀蔵親分のために熊本へ向かう |
第11話 | 12月12日 | 山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 寅の母親・染子:武智豊子 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 賀原夏子 | 散歩先生と冬子は九州から戻ってこなかった寅を京都で発見 寅は30年前に生き別れた実母に会いに京都に来ていた… |
第12話 | 12月19日 | 山田洋次 東盛作(森崎東) | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 北小路:野々村潔 | 散歩先生は冬子に見合いをさせるために京都に。 寅の心中は… |
第13話 | 12月26日 | 山田洋次 光畑碵郎 | 諏訪博士:井川比佐志 愛子:寺田路恵 | 年末柴又に戻った寅。寅不在中にさくらと諏訪の仲が進展し… |
第14話 | 1969年 1月2日 | 山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 愛子:寺田路恵 | 散歩先生の家で汁粉を食べながら人生について語る |
第15話 | 1月9日 | 山田洋次 森崎東 | 諏訪博士:井川比佐志 山本久太郎:佐山俊二 愛子:寺田路恵 | 寅に見合い話が! 登に思い人ができるが、相手は寅に興味津々で… |
第16話 | 1月16日 | 山根優一郎 | 中村瑞枝:市原悦子 高橋英吉:田中邦衛 | 寅の元に北海道から瑞枝が訪ねてくる。 次の日、「人の女房によくも手を出しやがったな!」と男が乱入し… |
第17話 | 1月23日 | 光畑碵郎 | 竹千代:松村知毅(子役) 田武謙三 | 見知らぬ子供に父ちゃんになってやると言った寅が… |
第18話 | 1月30日 | 山田洋次 | アケミ:宮本信子 田武謙三 | おいちゃんの浮気相手・アケミがとら屋に乗り込んできて… |
第19話 | 2月6日 | 山田洋次 | 諏訪博士:井川比佐志 田武謙三 | 諏訪がさくらに求婚するが… |
第20話 | 2月13日 | 山田洋次 森崎東 | 諏訪博士:井川比佐志 陶隆司 | 諏訪とさくらが婚約し、親戚への挨拶に張り切る寅だが… |
第21話 | 2月20日 | 山根優一郎 | 諏訪博士:井川比佐志 山本久太郎:佐山俊二 | 結婚式。寅は両家を代表して挨拶をするが… |
第22話 | 2月27日 | 山根優一郎 | 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 山本久太郎:佐山俊二 坪内冬子:佐藤オリエ | 結婚式を終え虚脱状態の一家。 久太郎が寅の気持ちを冬子に伝えるのだが… |
第23話 | 3月6日 | 光畑碵郎 | 岡村亀雄:塚本信夫 佐藤正範:森幹太 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ | 寅が同窓会の幹事になり… |
第24話 | 3月13日 | 山根優一郎 | 畠山三太郎:谷幹一 三太郎の妻・ツル子:春川ますみ 諏訪博士:井川比佐志 | 三太郎から、ある「ボロい金儲け」の話を聞かされる寅 |
第25話 | 3月20日 | 山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 藤村薫:加藤剛 | 寝たきりになった散歩先生が寅を呼ぶ。 天然鰻の蒲焼きが食べたいという。 何とか釣り上げ蒲焼きにするが、散歩先生は息を引き取る。 傷心の冬子に恋人の藤村が寄り添うのを見て失恋を実感した寅。 それでも散歩先生の葬儀を立派につとめた。 もうこの柴又に帰るところはないことを悟った寅は… |
第26話 | 3月27日 | 山田洋次 森崎東 | 諏訪博士:井川比佐志 坪内冬子:佐藤オリエ 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 | 散歩先生に立派な墓を建ててやりたいと 一山当てるために、寅と雄二郎は奄美大島に向かうのだが… |
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フジテレビ系列 木曜22時枠 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
石狩平野
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男はつらいよ
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1969年から1995年にかけてと1997年、2019年にシリーズ全50作が公開された。
作品内容
主人公、「フーテンの寅」こと車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子[注 5]。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、14歳の時[注 6]に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後に突然、倍賞千恵子演じる異母妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある御食事処・草団子屋「本家とらや老舗[37](後に、本家くるま菓子舗に店名変更)」に戻ってくるところから始まる。
各作品のパターンは、寅次郎が旅先或いは柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、何かと世話を焼くうちにマドンナも寅次郎に対して信頼を寄せ親しい仲になる。その後、舞台を柴又に移し「とらや」を舞台に賑やかな人情喜劇が展開されるが、結局本格的な恋愛に発展することなく最後にはマドンナの恋人が現れて寅次郎は失恋をする。或いはとらやに旧知の女性やマドンナとなる女性が現れて恋に落ちるが失恋する。そして傷心の寅次郎は書き入れ時である正月前、もしくは盆前に再びテキ屋稼業の旅に出るといったものである[注 7]。
マドンナが寅次郎をそれとなく誘惑したり、愛の告白(らしきもの)をするなど、互いが相思相愛にあることを示唆する作品も少なくないが[注 8]、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となっている。こんな寅次郎について甥の満男は、「手の届かない美しい人には夢中になるけれど、その人が伯父さんに好意を持つと逃げ出してしまう」と端的に語っている[39]。
また、マドンナと「うまくいっている」と誤解している時点で、寅次郎が柴又に帰り、さくら達にマドンナとの楽しい体験を脚色を交えながら話す場面は、渥美清の語りが落語家のような名調子で、スタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいた。
第42作〜48作のうち4作品では、寅次郎の相手となる通常のマドンナに加え、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)がマドンナとして登場するようになり、寅次郎が満男のコーチ役にまわる場面が多くなり、満男が事実上の主役になっている。渥美が病気になり快活な演技ができなくなったため、満男を主役にしたサブストーリーを作成、満男の恋の相手が必要になったため、当初は予定されていなかった泉が登場することとなる。山田監督の話によれば実現しなかった第49作で二人の結婚を描く予定だったが[40]、その後の第50作ではそれぞれ別の人物と結婚している。
レギュラーとして登場する人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、草団子店を経営する叔父・竜造と叔母・つね、博が勤務する中小企業の印刷会社「株式会社朝日印刷所[注 9]」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎[注 10]、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、歌子(吉永小百合)、泉以外は、別人の役で出演している。おいちゃんこと叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。
青年時代に、実際にテキ屋体験がある渥美ならではの見事な口上も、ファンの楽しみであった。また、このシリーズは原則としてお盆と正月の年2回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった。画面に映し出される日本各地の懐かしい風景が、シリーズの魅力の一つでもある。
なお、第48作まで一貫してエンドロール表示は設定されず、出演キャストや制作スタッフ等の字幕表示はオープニングでされた。また日本映画の主流がビスタサイズ画面やドルビーステレオ音響に移り変わった後でもシネマスコープ、モノラル音声を使用し続けていた[注 11]。
蓮實重彦は「寅さんが出て来たことによって、いかに松竹の多くの才能・新人監督が消えているかということ。実際に出て来ていながらも社会的に抹殺されていたかということは、おさえておかなければいけないと思う」と評している[42]。
登場人物(映画)
レギュラー
- 車寅次郎
- 演 - 渥美清
- 主人公。葛飾柴又の帝釈天門前にある老舗の団子屋「本家とらや老舗」(40作以降は「本家くるま菓子舗」)の5代目主人、車平造と、芸者の菊との間に生まれた[43]。生年月日は資料や作品によって異なっており、1931(昭和6年)年9月10日[45]、1935(昭和10年)年9月10日[46]、1940(昭和15)年2月26日[47]、同年9月10日[48]、同年11月29日[注 12]などの説がある。第1作の年齢の設定は41歳[注 13]。
- 生後まもなく平造とさくらの実母の光子に育てられるが、柴又尋常小学校卒業後、13歳、または14歳の時(1949年12月)[47][注 14]、柴又中学校を中退。16歳で家出[43]。若しくは旧制中学校や葛飾商業学校を中退という資料もある[46][45][48]。第35作では葛飾商業学校同窓会からのハガキに対し、「卒業してねぇのに何で会費払わなくちゃなんねぇんだ」と言っている。第26作で旧制の中学2年の時に「芸者の子供だから教育がなっていない」と校長に言われたことに腹を立て、体育祭の日に酒を飲んだあげく校長を殴り退学になったと、定時制高校の生徒に話している。14歳の時、校舎の隅でタバコを吸っていたのが見つかり父・平造が呼び出され、帰宅後大ケンカをして家を飛び出したという説もある[47]。第26作で定時制高校に編入したいと願書を書いているが、中学校中退だからと断られている[注 15]。14歳の家出後放浪の果てにテキヤとなり、その際の経緯は第39作の夢のシーンで断片的ながら映像化されている。寅次郎の家出の数年後に平造は死去し、第11作で27回忌を迎えている。初恋は11歳の時で、とらやの裏手にある朝日印刷の女工をしていた18歳の山形出身のサトコであった[47]。
- それから20年後の1969年(昭和44年)[注 16]、柴又帝釈天(経栄山題経寺)の庚申(こうしん)の日(帝釈天の縁日)に柴又に帰省して父の団子屋に戻って来て以来、年に数回とらやにふらりと帰って来ては家出を繰り返している。家を飛び出してから全国各地を回って祭りなどで的屋として物を売りさばくのが日課。商売柄、口が非常に達者で、思いつきやデタラメに作り上げた会話で人を笑わせる、快活で明朗な性格である一方、中身は子供のままで、感情が顔に出やすく、ちょっとしたことで頭に血が上り、激昂すると女子供相手にも容赦なく手を上げようとする程に大人気ない性格の為、しょっちゅうケンカ沙汰になる。また、美女を目にした途端にのぼせ上がり、それが毎度色恋沙汰を引き起こす。人情に厚く、義理堅いという根は真面目な面もあり、家族のことも大切に思っているが、孝行しよう、真面目に働こうと必死になるたびに、気持ちのすれ違いや他者との誤解から、空回りしてケンカが起きることもしばしば。小学校までしかまともに教育を受けておらず、手紙なども文法は丁寧ながら字体は辛うじて通じるなど、漢字もあまり読み書きができない(例えば、封建主義を「ふうけんしゅぎ」、喫茶店を「きっちゃてん」と呼ぶ等)。
- 和食党で好物は芋の煮っころがしやがんもどき。歌はうまく、旅先で鼻歌、替え歌を口ずさんだり、上機嫌なときは笑顔で歌い出したりする。鈍行列車を好み、速い乗り物は苦手であるが第25作と第42作では飛行機、第46作では新幹線に騒動の末、乗っている。特に飛行機に乗る際は本気で怖がっており、美人のスチュワーデスの説得でようやく乗る事が出来た。日本各地をテキヤ稼業で旅しているので国内の名所には詳しいが、一方で外国を毛嫌いしてる部分も多く、第24作ではとらやに下宿していたマイコーを当初嫌っていたり、成り行きで旅行したウィーンでも、辛うじて「ありがとう」のドイツ語・「ダンケ」を覚えられただけである。旅先でも腹違いの妹・さくらのことを常に気にかけている。27作までは大阪が嫌いでおいちゃんたちが「大阪と寅は相性が良くない」と言っていたり「大阪弁を聞くと蕁麻疹が出る」「関西の料理は薄味で食べた気がしない」と述べていた。
- 保険証は持っていない[49]。パスポートは第4作でハワイに行きかけたり、第41作でウィーンへ行くとき「数年前に取ったパスポートがあるはず」とさくらの台詞があり、実際にウィーンへ旅立っている。運転免許証については言及はない。
- 寅次郎の名は、映画監督の斎藤寅次郎にちなみ、車は非人頭が代々受け継いだ名前「車善七」からとの解釈があるが[50]、監督の山田洋次はそれを否定して、当初姓に考えた「轟」が物々しいのでそこから1字とって姓は車に、寅は落語の熊さんから転じたもので、さらに次男だから次郎をつけて寅次郎としたと説明している[51]。また渥美清が幼少期を過ごした上野車坂という説もある。寅次郎の方は柴又の兵隊寅、若しくは喜劇の神様で斎藤寅次郎監督から由来していると山田監督は述べている[53]。
- 映画版では第48作ラストで旅に出て以降は、とらやに帰ってきておらず、どこを旅して暮らしているのか長らく不詳のままになっていることが第50作の満男たちの回想等により明らかになっている。第50作終了時点で寅次郎が生きているかどうかについは、監督の山田は「そのことには触れないようにしています。『死んだ』とも『生きてる』ともセリフはない。さくらはどこかでお兄ちゃんが生きてることを信じているし、彼女の前でそのことは触れちゃいけないとタブーになっているんだと思います」と明言を避けている[54]。ドラマ版では一獲千金を狙って奄美大島までハブを取りに行ったところ、逆に噛まれた事で、雄二郎の頭を叩きながらそのまま亡くなって行くという悲劇的な最期を迎えている。
- 諏訪さくら
- 演 - 長山藍子(ドラマ版)→倍賞千恵子
- とらやの先代の主人、平造の長女で、寅次郎の腹違いの妹[43]。本名は櫻。性格と容姿は寅次郎とは似ても似つかない。幼い頃、寅次郎が家出をした時に、最後の最後まで引き留めようとし、寅次郎が家出をして間もなく両親と残された秀才の兄を亡くし[注 17]、叔父の竜造夫婦に育てられ、20年後、たった一人の異母兄の寅次郎と再会。寅次郎の一番の理解者でありながら、毎度ドタバタを起こすことに冷や汗をかく。いつか寅次郎がカタギの生活に戻ってくれることを祈っている。小学生の頃は図工が好きで絵描きになりたく、中学生のころは音楽好きで音楽家希望、高校時代は成績が優秀で、また第21作では松竹歌劇団に入ることも夢見ていたことも告白した。第14作では地元のコーラスサークル「江戸川合唱団」に参加し、第29作では陶芸の教室に通っている。第1作では高校卒業後、一流企業で1200人職員がいる丸の内オリエンタル電機のOLとして10年間勤務し、上流階級の御曹司とお見合いをしたが、同席した寅次郎の職業と下品なおしゃべりが原因で破談となる。その後、家の裏手の印刷工場で働いている職工の諏訪博と結婚して満男を産む。結婚後は洋裁を内職としていたが、とらやが「くるまや」に変わってからは店を切り盛りするようになる。第27作ではスクーターに乗っているシーンがある。
- 諏訪博(博士)
- 演 - 井川比佐志(ドラマ版)→前田吟
- さくらの夫。満男の父。岡山県高梁市生まれ。父親は大学教授で、博自身は家庭環境としては高等教育を受けられる立場にあったが、父親と対立し高校を中退して家出したことで機会を逸し、新宿でくすぶっていたときにタコ社長と出会い、中小企業の印刷工場「朝日印刷」の職工として生計を立てる。会社の寮がとらやの裏にあったことからさくらと知り合い、結婚[43]。会社の寮からさくらの部屋が丸見えで、さくらに思いを馳せていた。当初寅次郎には「大学を出ていない」という理由でさくらとの結婚を反対されていた。結婚して3年後には主任技師となり社長の片腕としてナンバー2的な立場になる。かつては独立を考えて退職しようとしたことがあった(第6作「男はつらいよ 純情篇」)。冷静な性格で博識。寅次郎を理屈で諌めたり助言したりするが、あまり通用しない。岩波書店の『世界』や労働問題の雑誌を抱えていることが多い。息子の満男には能力以上の期待をかけており、自分が大学を出ていなかったため息子には大学進学進めるようになった。焼きなすが好物。喫煙者。もともとは弁護士志願で[57]、テストドライバーやオートショップの経営者を夢見ていたことがある。実兄が二人いる[注 18]。第26作で家を新築するが、第9作では「敷地は30坪。おいちゃん夫婦からお金を借り東京都の融資を活用し、土地はタコ社長から借りる」という設定になっている。第50作ではさくらと共にとらやに移住し、パンフレット記載の前田吟のインタビューの裏設定では印刷工場は既に定年退職している。
- なお、ドラマ版と映画版では設定が大きく異なる。ドラマ版では町医者で、寅次郎が恩師・坪内先生(東野英治郎)の家を訪ね、先生宅で飲み食いが過ぎ博士の働く病院に担ぎ込まれる、それがきっかけで見舞いに来たさくらと出会い恋愛結婚をする。眼鏡にスーツ姿の厳格な見た目なのに対し結婚後は寅次郎を「兄さん」と呼び唯一謙虚で常に謙っているが、寅次郎が茶の間で暴れたときには柔道の技で押さえ込むことができる唯一の人物。博識で、寅次郎に時折知的な助言をする点は映画版に引き継がれている。またこのドラマ版の博士の設定は『続・男はつらいよ』の藤村薫(山崎努)に引き継がれる。
- 車竜造(おいちゃん・おじちゃん)
- 演 - 森川信(ドラマ版、第1作 - 第8作)→松村達雄(第9作 - 第13作)[注 19]→下條正巳(第14作 - 第48作)
- 寅次郎の叔父。葛飾柴又の帝釈天にある老舗の団子屋「とらや」の6代目主人。初期の映画作品のクレジットにおいて「龍造」と明記されていることもある。兄の平造(5代目主人、寅次郎とさくらの父親)の死後、団子屋を引き継いだ。平造が夢の中で枕元に立ち、「寅次郎とさくらのことはよろしく頼む。特に寅のやつは生まれつきバカだから、心配で仕方がねえ」[58]と言い残してから、責任を持って二人の親代わりをしている。若い頃は満洲に行って馬賊になることを夢見ていた。基本的な設定は同じものの演じる俳優によって性格がやや異なり、コメディアンの森川が演じた当初は寅次郎と同様にどこか抜けた喜劇的キャラクターで、店の営業中に昼寝をするなどして、妻のつねからあきれられる事も多い。幾度と色恋沙汰でドタバタを起こす寅次郎に冷や汗をかきながらも、寅次郎の口車に乗せられるボケた一面もある。毎回ドタバタを繰り返す寅次郎に「バカだねえ…寅は」「バカだね、全く…」「知らねえよ。俺ァ」とぼやいたり、寅次郎の奇行が頭痛の種となってさくらに対して「枕、さくら取ってくれ」と言い違うのも口癖となっている[注 20]。寅次郎が調子に乗ってふざけた時に頭に血がのぼってケンカになってしまうこともしばしばであった。松村になってからは、やや大人しいおいちゃんになり、パチンコ好きという設定が加えられた。民藝出身の下條正巳になると、これまでのマイペースなキャラクターとは異なり店の切り盛りも勤勉にこなす、ややシリアス寄りのキャラクターへ傾いている。名物の草団子を丹念に仕込む描写も下條から多く見られるようになる。つねが母親のように寅次郎に愛情を注ぐのに対し、長らく風来坊としてテキヤ生活を送る寅次郎に深刻に悩みながら、しばし黙り込んで厳しく当たるようになる。「お前には関係ない話だ、黙ってろ」と厳しく寅次郎に苦言を呈する事も日常となった。これは、コメディアンの森川、正統派俳優の下條と、演じた俳優それぞれの持ち味を生かした上での山田の演出の変更で性格設定が異なる為である。なお松村は第6作で医師役で出演。おいちゃん役を降板してからもゲストで度々出演。初代おいちゃんの森川が亡くなったときは、代役を立てるのかおいちゃんなしの寅さん一家にするか、そうとう迷ったと山田は答えている[59]。第50作では遺影として登場している。
- 車つね(おばちゃん)
- 演 - 杉山とく子(ドラマ版)→三崎千恵子
- 寅次郎の叔母。昔ながらの元気なおばちゃん。感情豊かで涙もろい。実の母親のように寅次郎に愛情を注ぎ、さくらとともに寅次郎の理解者。料理上手で寅次郎が帰ってくると好物のがんもどきの煮ものや芋の煮っころがしを作り、寅次郎が連れてきたマドンナや珍客に対しても得意の家庭料理で歓待する。寅次郎の夢の中や、旅行に行くとき以外は着物姿である。昔は日本橋の呉服屋の女房になることを夢見ていた。第30作では竜造(俳優は下條正巳)とは見合いで「会ったらカマキリみたいな男だった」と発言している。子どもがないこともあってか、寅次郎を「寅ちゃん」と呼ぶ数少ない人物(第1作の初対面では「寅ちゃん」だったが、第1作から第8作までは「寅さん」だった。第9作から寅ちゃんに統一された)。さくら同様、ウナギがあまり好きではない。第50作では遺影として登場している。なお、杉山とく子は第5作のマドンナの母親役を皮切りに、パチンコ店の客、国勢調査員、旅館の女将、駄菓子屋の老女役などでシリーズに度々出演している。
- 諏訪満男
- 演 - 石川雅一(第1作のみ)→中村はやと[注 21](第2作 - 第8作、第10作 - 第26作)→沖田康浩(第9作のみ)→吉岡秀隆(第27作 - 第50作)
- 1969年(昭和44年)生まれ[注 22]。第1作(1969年〈昭和44年〉)の終盤に誕生。さくらと博の長男で一人っ子。寅次郎からは甥にあたる。両親の期待を一身に受けて育つが、大学受験に失敗、代々木の予備校に通う浪人生活を送り(第42、43作・1989年〈平成元年〉、第43作・1990年〈平成2年〉に城東大学経済学部経営学科に入学、卒業し中小企業の靴の製造・卸売業の営業職に就職(47作・1994年〈平成6年〉)する。浪人中に、後藤久美子演じる及川泉に恋をする。第46作で就職活動に失敗した際に本当は大学に行きたかった訳ではなく、さくらが博は大学に行けなかったので代わりに自分が行くように押し付けられたと語っている。第46、47作では別のマドンナに恋をし、第48作の台詞では何人もの女性と付き合っており後半は事実上の主役になった。吉岡秀隆に代わった第27作より、寅次郎との絡みのシーンが増えている。第17作(1976年〈昭和51年〉)で小学校入学で第34作(1984年〈昭和59年〉)で中学校に入学という矛盾が見られる[注 23]。第50作では小説家となっており、妻とは死別し一人娘と暮らしている。
- 桂梅太郎[注 24](タコ社長)
- 演 - 太宰久雄
- とらやの裏に構える中小企業の印刷会社工場「株式会社朝日印刷所」(第2作までは「共栄印刷株式会社」)の社長。とらやの人々とは家族ぐるみの付き合い。印刷工からたたき上げで戦後の1946年(昭和21年)に独立して経営者にまで上り詰めたものの、常に資金繰りと人手不足に頭を悩ませており、経営難をとらやの面々に愚痴っている。しかし社長相応の実入りはあるようで、キャバレーで遊んだり、ゴルフを嗜んだりする他、寅次郎にも何かと融通している。お人好しな性格でお調子者のため、軽はずみで口走ることが多く、そのことで毎度寅次郎の怒りを買い、時々とらやの庭で二人で乱闘を演じることもあるが、根っこのところでは寅さんと相性は悪くない。さくらと博の結婚式では仲人をつとめたが、手形の支払いのためにあやうく挙式に遅れそうになって寅さんに叱られた。毎度トラブルに見舞われた際に「コロっと忘れてた」「オラ知らねぇよ」と、その場から逃げることが多い。妻とは見合い結婚だが、見合いをしたのは別人で妻の妹だった。仲人を問いつめるが仲人に借金をしており言うことを聞かざるをえず、姉の方と結婚する。妻との間に4人の子供がいるが、長女のあけみ(演・美保純)が年頃になってトラブルメーカーとなったことがより悩みを増やしている。シリーズ全般におけるコミックリリーフ的キャラクター。第50作ではパンフレット記載の前田吟のインタビューの裏設定では博の定年退職後に亡くなったことになっており、その影響で裏の印刷工場もアパートになっている[注 25]。
- 源公・源ちゃん(愛称で名は源吉[注 26])
- 演 - 佐藤蛾次郎(第8作を除く)
- 柴又題経寺の寺男。寅次郎の幼友達で孤児。ドラマ版の名前は雄二郎。寅次郎の舎弟、寅次郎を「兄貴」として慕っており、最終回で寅次郎がハブに噛まれて死ぬのを看取る。映画版では源公の設定は一部川又登(津坂匡章)へと引き継がれる。大阪出身で関西弁を話し、母親は彼を生んですぐに消えてしまった[注 27]。寅次郎を「兄貴」と呼び、成人後も寅次郎にあごで使われる関係だが、時に「逆襲」することがある。第1作から登場しているがシリーズ初期ではとらやの従業員や寅の商売を手伝っていた。当初は常識人であったが、シリーズが進むにつれてどこかとぼけたキャラクターになっていき、台詞もほとんど喋らないが独特の風貌と所作で可笑しみを与えている。劇中で正式に題経寺の丁稚として働く経緯が出てくるのは「男はつらいよ 純情篇」から。
- テレビドラマでは設定が異なり「川島雄二郎」という名前で寅次郎の腹違いの弟であり、最終回では寅次郎と共に奄美黄島にハブを捕まえに行き、寅次郎がハブに噛まれ亡くなったことをさくらとおばちゃんに伝える。
- 御前様(ごぜんさま)
- 演 - 笠智衆(第1作 - 第45作)
- 柴又題経寺[注 28]の住職。姓は坪内。正式には日奏上人だが、とらやをはじめ近所の人々からは親しみを込めて御前様と呼ばれている。人格者であり、幼いころからの寅次郎の理解者であるが、世間知らずでとぼけたところもある。とらやの面々は寅次郎のことでトラブルがあると御前様のところに相談や愚痴を言いにいき、御前様はそれを受けて時として寅さんを叱りつけることもある。寅次郎はまったく頭が上がらない。「困ったぁ」が口癖。ルンビニー幼稚園[注 29]の園長でもある。
- 御前様役を演じていた笠智衆は、第45作(1992年)終了直後に亡くなっている。しかし第46作で、御前様の娘・冬子役の光本幸子が久々に出演、さくらと冬子が御前様の近況の会話をする描写があるほか、第47作ではさくらが源公に「御前様お元気?」と聞くシーンもあり、御前様は健在であるという設定になっている。第50作公式サイトでは「先代の御前様」と記載されており[61]、劇中には別人である当代の御前様(演 - 笹野高史)が登場。
- 第1作で写真撮影のかけ声「チーズ」の代わりに「バター」と言い、後に寅次郎が『男はつらいよ 柴又慕情』などで使用している。
準レギュラー
- リリー(松岡リリー、松岡清子)
- 演 - 浅丘ルリ子(第11作、第15作、第25作、第48作 - 第50作)
- マドンナ。
- スナックやキャバレーなどでドサ回りをしながら活動している三流歌手。気が強く心優しい女性。一時寿司屋の主人・石田良吉(演:毒蝮三太夫)と結婚しそこの店の女房となるが、性分に合わず離婚してしまう。第48作の時点では日本各地を旅した後、加計呂麻島の男と知り合い再婚するが、夫は死去して島で暮らしているという設定になっている。第50作では東京で「ジャズ喫茶リリー」を経営している[61]。寅次郎の理解者であると同時に、多くのマドンナと異なり堅気でないという点で寅次郎とつり合いの立場にあり、相思相愛となる女性の一人[注 30]。
- 浅丘は第48作の出演で具合の悪そうな渥美清の姿を見て「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思い、監督の山田洋次に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と懇願したと後のインタビューで語っている[63]。
- 浅丘によると最初のオファーは北海道の酪農のおかみさん役であったが、「山田さん大変申し訳ありません。私この細い身体ですしいつものメイクを落とせというのはいやです。牛乳絞ったバケツを持った普段着が似合いますか」と言い、「確かにそうだな。一週間ほど考えさせてください」となりリリー役になったと語っている[64]。
- 及川泉(イズミ・ブルーナ)
- 演 - 後藤久美子(第42作 - 第45作、第48作 - 第50作)
- 満男の高校時代のブラスバンド部の後輩で交際相手/マドンナ。第48作で医師の卵と結婚することになるが岡山県の風習で満男が花嫁である泉の乗る車を無理やり後退させたため破談となってしまう。彼女は満男に怒るが、それよりも「なぜ彼が婚礼の邪魔をしたのか」真相を聞くことが大事と、礼子に陳謝してすぐ津山を後にする。博から満男の居場所を聞き、奄美諸島まで追いかけて尋問。満男の気持ちを知り、彼女は納得した。第50作では国際結婚して2人の子供がおり国連難民高等弁務官事務所に勤務、生活の拠点は欧州にある。
- あけみ
- 演 - 美保純(第33作 - 第39作、第50作)
- タコ社長の娘。第6作『純情篇』で一度だけ登場したタコ社長の自宅で登場した2人いる女の子のうちのどちらかがあけみであるが、33作では一人っ子のように扱われており、3人の兄弟については言及されていない。
- 明るく陽気な性格で、蓮っぱなところがある。
- 博に気性が似ている会社員・小島慎吾と結婚するが、「真面目過ぎてつまらない」といい、梅太郎と衝突。慎吾とは全く違うタイプの寅次郎に憧れるが、寅次郎は「社長(梅太郎)の娘だからダメだ」と拒否してしまう。自由奔放な寅次郎に憧れる一方、マドンナにつられて勝手すぎる行動に困惑、さくらの指図もあって寅次郎にダメ出しする一面もあった。第50作で再登場し、浩介という息子がおり、騒動を起こし出ていく姿を、父親のタコ社長そっくりだと博には言われている。
- 川又登
- 演 - 津坂匡章(ドラマ版、第1作、第2作、第4作、第5作、第9作、第10作、第33作。第33作は「秋野太作」名義で出演)
- 寅次郎の舎弟。
- 寅次郎を「兄貴」として慕う。八戸出身。しかし、後にテキ屋稼業から足を洗い結婚して所帯を持ち、盛岡で食堂を営むようになる。寅次郎との再会を喜び妻に紹介するが、「彼の今後のために」と寅次郎は心を鬼にして距離を置くことにした。
- 三平ちゃん
- 演 - 北山雅康(第40作 - 第50作)
- 本家くるま菓子舗(くるまや)の男店員。関西弁を話す。第46作以降から加代とコンビで出演することになった(第49作特別編含める)。第50作では改装されたカフェくるまやの店長となっている。
- お菊
- 演 - 武智豊子(ドラマ版)→ミヤコ蝶々(第2作、第7作)
- 寅次郎の母。
- 元は深川の芸者であり、寅次郎の父親と内縁関係で寅次郎を産む。ただし実際に寅次郎の養育には関わっていない。現在は京都で連れ込みホテルを経営している。女手一つで世智辛い世の中を生きてきたため気が強く、息子とは顔を合わすたびにケンカをしてしまう。
- 諏訪飈一郎(ヒョウイチロウ)
- 演 - 志村喬(第1作、第8作、第22作)
- 博の父で北海大学農学部教授でのちに名誉教授[65]。大学ではインド古代哲学の教鞭を執っていた。物静であるが、博の人生選択に強く対立し反発を受け、博の家出を招く。博とさくらの結婚式で久しぶりに親子対面し、和解を果たす。この博の結婚式で父としての不明を詫びる感動的なスピーチをし、感極まった寅次郎やとらやの面々は泣き出してしまった。ちなみに、この結婚式で挨拶前に紹介を受ける際、タコ社長と司会者が飈一郎という名前の漢字が読めず、曖昧な呼ばれ方をする。第6作では退職し、博が独立資金として退職金から80万を借りようとしたが、断りの葉書がさくらたちの所へ届くシーンがある。第8作では大学を辞めて岡山の郷へ戻っており、妻を亡くし葬儀が営まれる中で研究一筋だった自身の過去を振り返って、家族の大切さ、人生のはかなさを放浪暮らしの寅次郎に切々と説く[65]。第22作では旅をしていたところ、やはり旅の途中の寅次郎と偶然出会い、しばらく行動を共にする。寡黙な知的人物で、寅次郎とはまったく対称的な性格であるが、寅次郎の素直な性格をかなり好んでいるようで、不思議に通じあうものをもっている。寅次郎のことを「大人物」と表現している同作品では「今昔物語」を片手に長野で古文書を巡る旅をしている。また博のために安曇野に土地を買っていることを告白している。第22作出演後、演じる志村喬の死去(1982年)と共に設定上でも死去。32作目には三回忌の法要が行われる。第8作での寅次郎との二人芝居はシリーズでも異例なほどの長大さであり、小林信彦は著書『おかしな男 渥美清』で、後年の会話の中で『野良犬』の志村の物真似を巧みに披露する渥美の姿を記している。
- 坪内冬子
- 演 - 光本幸子(第1作、第7作、第46作)
- 御前様の娘で寅次郎の幼なじみ。マドンナとして初登場した第1作時は奈良で三か月病気の静養をしていた。幼い頃に寅次郎に出目金とあだ名を付けられイジめられた過去があるが、見違えるほど美しく成長した冬子を前に、寅次郎は恋心を抱くが、大学の先生と結婚する。以後も度たび登場する。
- 及川(原)礼子
- 演 - 夏木マリ(第42作 - 第45作、第48作 - 第50作)
- 泉の母。第42作では名古屋でミニクラブを経営、第44作ではミニクラブの雇われマダム、第45作ではミニクラブ「礼」を経営している[66]。
- 夫であった一男(泉の父)とは性格の不一致から離婚してしまい、泉は満男とともに一男を連れ戻しに、一男の恋人のいる日田へ出向くが、一男と新恋人の二人を見て説得を断念した。
- 一男をあきらめた後、新たな婚約者を得るが泉は複雑な思いであった。出奔して寅次郎に宥められて帰宅後、母の婚約者を継父として受け入れる。その後、彼女の病気で泉は勤めていた楽器店を退職している。
- 第48作での一件で満男に対して反感を持ち、電話でさくらに苦言を訴えたが、その後は二人の交際を認めた。
- 加代ちゃん
- 演 - 鈴木美恵(第46作 - 第49作)
- 本家くるま菓子舗(くるまや)の女店員。毎度、たまにしか帰らない寅次郎を忘れて店の家人と思わず「誰ですか?」と言われ、三平に窘められてしまう。
- 友ちゃん
- 演 - 脇山邦子(第2作 - 第5作)
- 本家とらや老舗の女店員。
サブキャスト
- 竹下景子 - 第32作、第38作、第41作にそれぞれ違う役でマドンナとして出演。3作別役のマドンナで出演しているのは竹下が唯一である。
- 吉永小百合 - 鈴木歌子(旧姓・高見歌子)役[67]。第9作と第13作にマドンナとして登場。
- 東野英治郎 - 寅次郎の商業学校時代の恩師・坪内散歩役。ドラマ版でも担当。
- 悠木千帆 - 木曾の旅館の仲居役。
- 米本善子 - 本家とらや老舗の初代女店員役。
- 左卜全 - 湯の山温泉の番頭徳爺役。
- 野村昭子 - 湯の山温泉の仲居お澄役。
- 赤塚真人 - マドンナのばあやの孫、知床の漁師マコト、警官役など。
- 関敬六 - 第1作でさくらの結婚式の司会者。シリーズ後半は、タクシー運転手、ウイーンのツアー客、テキヤ仲間・小岩のポンシュウ役など多数。
- 桜井センリ - 龍野市観光課長、平戸の教会の神父、結婚式場係員、大観覧車係員、芸能プロ社員三田、タクシー運転手、上海軒主人、麒麟堂、島の住職、委託駅員役など。
- 佐山俊二 - 蓬莱屋のちに備後屋、不動産屋、マンションの管理人、長万部の熊吉役など。
- 河原崎國太郎 - マドンナの画家の恩師役。
- 米倉斉加年 - シリーズ前半は轟(または青山)巡査役でたびたび出演、夢のシーンで海賊の手下、ガンマン役などでも顔出ししている。マドンナに絡む大きな役では2度登場、それぞれ東大助教授、証券会社課長を演じた。
- 柄本明 - 陶芸家の弟子、ノイローゼのサラリーマン役など。
- 笹野高史 - 下田の長八、区の結婚紹介所員、アパートの大家、旅館主人、泥棒、車掌、ホモのライダー、泉の父親の同僚内藤、釣り人、島の警官、新郎の叔父役など。第50作では当代の御前様を演じた。
- 梅野泰靖 - 博の長兄・毅、タンカーの船長役など。
- 穂積隆信 - 博の次兄・修役。
- 八木昌子 - 博の姉・信子、菜穂の母親役など。
- すまけい - 嘉穂劇場の男、船長(鳥羽、知床)、病院長、花嫁行列の父親、製靴会社の専務役など。
- 犬塚弘 - 交番の警官、小学校の同級生、タクシーの運転手役など。
- じん弘 - 看板屋の親方、東北弁のツアー客、地方駅の駅長、テキヤ仲間役など。
- 大村崑 - マドンナの弟が勤めた会社の主任役。
- 柳家小さん - ラーメン屋の主人役。
- イッセー尾形 - 病院の医師、車掌、警官、海外旅行会社社員、ローカル線の老乗客役など。
- 笠井一彦 - 朝日印刷所工員・中村役で準常連、第15作以降第48作まで34作に出演。
- マキノ佐代子 - 朝日印刷所事務員兼工員ゆかり役は準常連、他に婚約者、女子大生、証券会社相談係嬢役など。
- 石井愃一 - 朝日印刷所工員役。
- 石川るみ子 - 朝日印刷工場工員役。
- 谷よしの - シリーズ当初は近所の人、その後は花売り、行商、仲居、田舎の老婆役などシリーズで計36作品に出演。28作にクレジットされている。1本で3役の時もあり。
- 出川哲朗 - 近所の板前、地方の祭りやテキヤの若衆役など。第50作では満男の小説の出版社の編集者役で出演。
- 吉田義夫 - 旅の一座の座長、映画冒頭の夢のシーンで常連悪役、父親役など。
- 岡本茉利 - 一座の娘役大空小百合、観光船のガイド、日本画家のお手伝い、夢のシーンでカスバの娘および召使い、熊本の春子、朝日印刷所の事務員、大洲の仕出し屋の店員、伊勢原市病院の看護婦役など。
- 三木のり平 - 伊予大洲藤堂家の執事吉田六郎太役など。
- あき竹城 - スルメ工場のおばさん、親方の新妻役など。
- 広川太一郎 - 第1作でさくらのお見合い相手役。
- 大杉侃二朗 - 寅の飲み友達、「菊の湯」の親父、車掌、入院患者、屋台のラーメン屋、福井の駅員、旅の一座の座員役など。
- 津嘉山正種 - オープニングでは画家、サックス奏者、ボクサー、通行人役など常連。その後は沖縄の知念医師、 陶芸家の弟子、証券会社部長、泉の母の恋人役など。
- 石井均 - 平戸の船長、佐賀の遺跡保存会員役など。
- アパッチけん - オープニングで測量技師役。島の小学校卒業生の青年役など。
- 佐野浅夫 - 詐欺師役。
- 神戸浩 - 島の連絡船係、宿屋の従業員、リリーの家のお手伝い役など。
- 寺尾聰 - 龍野市観光課員、警官、泉の父親役など。
- 久米明 - 龍野市長役。
- 石倉三郎 - そば屋の店員役など。
- 大滝秀治 - 寺の住職、旅僧、古書店主役など。
- 光石研 - 島の小学校卒業生の青年役など。
- 川合みどり - 源公の友達、ウエイトレス、店員、女客、記者、カメラ助手、旅館の売店係、乗客、ホステス、結婚式場の着付け係、花嫁行列の付き添い、夢のシーンの女など多数の役に出演。
- 田中世津子 - 初代ポンシュウの新妻、長崎五島の旅館の仲居、名古屋のアパートの隣人、大分日田の酒屋のおかみ役など。
- 山崎一 - たんか売の客役。
- 古本新之輔 - 満男の大学の友人役。
- 田中邦衛 - 小学校の教員役、鹿児島での海上タクシー(漁船)船長役。
予定されていた作品
- 1996年12月28日公開予定『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』
- (マドンナ:田中裕子 ロケ地:高知県 原作:室生犀星『あにいもうと』[注 37])
- タイトルは『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』[72]。渥美の親友、早坂暁の代表作、花へんろ(NHKドラマ・花へんろで、渥美はナレーションを担当している)からで、渥美がお遍路に興味を持っていたこともヒントになっている[73]。兄弟のストーリーは後の『虹をつかむ男 南国奮斗篇』で生かされている[74]。シリーズ第49作のマドンナは田中裕子で、その兄役で西田敏行が出演の予定だった。物語は、妹が中絶した子供の父親が寅さんか、と兄が疑い[注 38]、その後寅さんがこの兄妹の後見人になる。あるいは、妹(田中)は兄(西田)の反対を押し切ってアメリカ人と結婚。結婚に失敗して10年か15年ぶりに高知の田舎へ帰ってくる。兄は工事現場労働者、若しくはトラック運転手、とび職のやくざっぽい粗暴な男で、その妹への思いが強く辛く当たってしまいその間を寅さんが取り持つ予定だったともいわれる[76][74][77]。山田によると「二人の兄弟、寅とさくらの兄弟、その二つの兄弟の愛憎物語、ダブルの兄弟愛を考えていた」としている[76]。
また満男シリーズの完結編として泉と満男を結婚させ、甥の結婚を見届けた寅次郎は放浪の終焉を宣言し、第50作に繋げる予定だった[78][79]。満男と泉が結婚式を挙げるものの肝心の寅さんが行方不明。いろんなことがあって、最後に結婚式場にヒュッと表れ素敵な演説を打って消えていく、というストーリーだった[74]。
秋からの撮影を控えており、1996年6月27日(30日という説もある)には打ち合わせでタイトル、大まかなストーリーは伝えており[80][81] 満男役の吉岡秀隆も同年公開の「学校II」をやっている時に、山田が「秋にまたやるよ」と49作目の話をしていたと語っている[82]。ロケ地となるはずだった高知県安芸市伊尾木地区に2002年に開業した土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線伊尾木駅のイメージキャラクター「いおき トラオくん」が寅次郎をモチーフにしたのはこの経緯によるものである。公開は1996年12月28日予定だった[83]。
- 1997年12月27日公開予定 タイトル不明
- (マドンナ:黒柳徹子[79] ロケ地:未定[注 39])
- 山田洋次は、寅次郎はテキ屋を引退、幼稚園の用務員になり、子供たちとかくれんぼをしている最中に息を引き取り、町の人が思い出のために地蔵を作るという構想を早くから持ち[84][85] 第49作から直結するストーリーだった。黒柳も冗談に「最後のマドンナは黒柳徹子さんだ」と山田から言われていたと林真理子の対談で明かしている[86]。このことは1990年8月25日に放送されたTBS『クイズダービー』(第754回)の第7問(三択問題)で出題されており、遅くとも同年時点でこの構想があったことがわかる。
- 2023年の山田洋次へのインタビューでは、遠藤周作との対談で、「寅はだんだん身体が弱って、旅に出る元気もなくなる。それを御前様が哀れがり『お前は愚かな男だけれど何の罪も犯してはいない。それどころか多くの人を精神的に救ってきた。お前の晩年が人に迷惑をかけるようじゃ気の毒だからうちの寺で暮らせ』と寅を引き取る。そして寅は寺男として掃除なんかして暮らす。ある日子どもたちとかくれんぼをしているうちに鬼の寅が探しに来ない。子どもたちが探しに行くと寅は縁の下でうずくまったまま息を引き取っていた――。御前様が哀れがり「寅次郎」という地蔵を彫り、境内に建てた。その地蔵は御利益があり、特に恋に悩む若者たちがたくさん拝みにくるようになった。もしかしたら息を引き取る間際、頭がぼんやりしてきて、恋した美しいマドンナたちの姿が走馬灯のようにかけめぐったんじゃないかな」と話している[87]。
- 第51作目
- 山田洋次は第50作目終了時点では「考えてもいない。もしそういう声が起きれば…」[88]、映画公開55周年寅さんサミットでは「つくりたいけど寅さんがいない。つくってほしいという声はうれしい」[89]と発言している。
- 幻のマドンナ歌子三部作
- NHK衛星第2の番組(1991.9.30放送)の中で吉永小百合と山田洋次の対談が行われ山田は「また、寅次郎と歌子(吉永小百合)が再会したらどうなるかって、しょっちゅう考えているんですよ」と語っており、ストーリーは『歌子が手話の通訳となり働いている。偶然再会した寅さんは歌子から手話を習い、物語の最後に、手話で歌子に自分の気持を伝える。それが通じたかどうかは分からないというストーリー』[90] 、或いは『離婚した歌子は伊豆大島で福祉職員として働いている。そこへ旅の途中の寅さんが現れ偶然の再開をする』[91]というストーリーだったが吉永の撮影スケジュールが合わず「それに、同じ役を何度もやると、私自身がマンネリになるんじゃないかと」「もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています」と吉永は語っている[92]。
渥美清没後2年の命日を記念して、1998年8月7日19時に、高井研一郎作画のコミック版を元に、映画シリーズ第11作の『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』をベースにした『アニメ 男はつらいよ〜寅次郎忘れな草〜』が、TBS『金曜テレビの星!』で放送された。
視聴率は7.1パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であった。
スタッフ(テレビアニメ)
- 原作:山田洋次
- 製作総指揮:村田英憲
- 製作協力:荒井雅樹(大船撮影所)、林律雄、高井研一郎
- プロデューサー:小野辰雄、山村俊史(TBS)
- アニメーションプロデューサー:出崎哲
- 音楽:山本直純
- キャラクターデザイン・総作画監督:小林ゆかり
- 音響監督:加藤敏
- 美術監督:阿部幸次
- 色彩設定:西川裕子
- 撮影監督:岡崎英夫
- 音響効果∶横山正和
- 選曲∶合田豊
- 演出:棚橋一徳
- 文芸:小出一巳
- 絵コンテ・総監督:四分一節子
- 原著作・協力:松竹
- 制作協力:マジックバス
- テレビ版アニメ製作:エイケン、TBS
『けっこう毛だらけ-小説・寅さんの少年時代』(けっこうけだらけ しょうせつ とらさんのしょうねんじだい)は、山田洋次による日本の小説。『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』創刊号の第1号より最終号の第50号まで連載された。
映画シリーズの監督や脚本を務めた山田により、執筆される[124]。映画版のストーリーを単純にそのままノベライズしたものではなく、主人公の車寅次郎の少年時代を描いた完全なオリジナルストーリーとなる。映画でも断片的に語られたことはあったが寅次郎の出生時の逸話が描かれるなど[124]、小説版によって初めて明かされる設定なども少なくない。寅次郎の少年時代を中心にストーリーが展開するため、時代設定は映画版よりかなり前となっている[124]。なお、山田が小説を執筆するのは、本作が初めてとなる[124]。なお、本作は主人公が一人称で語る形式を採るため、山田は他の一人称の作品を参考に研究を重ね、工夫を凝らした[124]。
その後、改稿・加筆を経て『悪童 小説 寅次郎の告白』(ワルガキ しょうせつ とらじろうのこくはく)と改題し、講談社より2018年9月7日に刊行、『少年寅次郎』と題してNHK総合テレビ「土曜ドラマ」で2019年にテレビドラマ化された。
「みんなの寅さん」と題し、山田洋次監督50周年プロジェクトと文化放送開局60周年の企画として、2011年4月4日より2013年3月29日まで文化放送で『吉田照美 ソコダイジナトコ』の箱番組として午前8時13分頃~8時20分頃に放送していた。月曜から水曜は歴代マドンナやファンを招いてのトーク、木曜と金曜は前述の小説『けっこう毛だらけ』を倍賞千恵子による朗読で放送していた[注 43]。また、2011年10月9日より2012年4月1日まで本放送を聴く事が出来ないリスナーのために、本放送を再編集した『みんなの寅さん日曜版』を日曜日9時30分から9時55分の25分番組として放送していた。
2013年4月より週一回化されて『続・みんなの寅さん』とタイトルを改め、同年4月7日より9月29日まで日曜日16時00分~16時30分の30分番組となるが、同年10月6日から2014年3月30日までは放送枠を変更して17時00分〜17時27分の27分番組に。2014年4月6日から9月28日まで『新・みんなの寅さん』へとタイトルを改めたが、同年9月30日からタイトルを『みんなの寅さん』に戻して火曜日19時05分〜19時15分の10分番組として2015年3月24日まで放送し、同年4月4日から土曜日6時40分〜6時50分に放送枠を再度変更と続いてきたが、2016年9月24日放送分をもって終了することになった。