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日本の俳優、男性声優 (1939-2008) ウィキペディアから
広川 太一郎(ひろかわ たいちろう、1939年〈昭和14年〉2月15日[9][注 1] - 2008年〈平成20年〉3月3日[13])は、日本の俳優、声優[1]、司会者、ラジオDJ。東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)出身[2]。
ひろかわ たいちろう 広川 太一郎 | |
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プロフィール | |
本名 | 広川 諶次郎(ひろかわ しんじろう)[1][2][3] |
愛称 | タイッチャン[4] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)[2] |
死没地 | 日本・東京都渋谷区 |
生年月日 | 1939年2月15日 |
没年月日 | 2008年3月3日(69歳没) |
血液型 | A型[5][6] |
職業 | 俳優、声優、司会者、ラジオDJ |
事務所 | フリー |
配偶者 | 加茂良子[7] |
著名な家族 |
広川あけみ(妹) 藤森崇多(甥) |
公称サイズ(時期不明)[8] | |
身長 / 体重 | 174 cm / 63 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1961年 - 2008年 |
ジャンル | 吹き替え、アニメ、ゲーム、ナレーション |
俳優活動 | |
活動期間 | 1940年代 - 1980年代 |
ジャンル | テレビドラマ、映画 |
松竹[15]、中田プロ[15]、東名企画を経て[16]、フリーランスで活動[17]。個人事務所のオフィス広川を経営していた[18]。
父親が大都映画所属のカメラマンだったこともあり、生後すぐから小学3年生頃まで映画に出演していた[19]。
中野区立第九中学校(現:中野区立中野中学校)[2]、東京都立文京高等学校卒業[注 2][20]。小さい頃から学校教師、ジャーナリスト、演劇人に憧れ中学時代から、将来はどれかになろうと決めていたといい、高校時代に演劇部へ所属したことを機に、演劇人になることを決意する[2][3][21]。
日本大学芸術学部演劇学科卒業[1][2][21][22][10]。在学中は、自ら結成した落語研究会で講師となった柳家つばめから大きな影響を受ける[23]。大学卒業後、舞台俳優を目指し俳優の道へ進んだ[2][21]。
1961年、大学の先輩であり東北新社にて吹き替えディレクターをしていた小林守夫から声をかけられたことで[21][22]、海外ドラマ『シャノン』の吹き替えでデビュー[24]。その2年後に『ハワイアン・アイ』の吹き替えでレギュラー出演して以降は、声優としての活動が中心となった[24]。
1969年、アニメ『ムーミン』にスノーク役で出演。自身の味を出そうと考えこんだ時期でもあり、他のキャラクターとのギャップを広げようと語尾を変えたり工夫した結果、独特なアドリブスタイルが完成された。それが評判となり、吹き替えなどの他作品でもその口調を求められることが増加。広川は後に「自分にとってもターニングポイントになったのがスノークでした」と述べている[25]。
全盛期にはCMナレーションを月に30〜40本務めており[13]、加えて『おはようテレビ朝日』や『競馬中継』などのテレビ番組の司会、ラジオ番組のパーソナリティといったタレント活動も行っていた。
晩年になってからもナレーションを中心に精力的に活動していたが、その後体調を崩すようになる。
2008年3月3日、癌のため東京都渋谷区の病院にて死去[26]。69歳没。第2回声優アワードの冒頭で訃報が告げられた[27]。同年2月下旬に行われた『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』DVD版のナレーション収録が最後の仕事となった[7]。
渋い二枚目からコミカルなキャラクターまで幅広く演じている[26]。洋画ではトニー・カーティス[10]、エリック・アイドル、マイケル・ホイ、ロジャー・ムーア[10]、ディーン・マーティン、ダン・エイクロイド、ロバート・レッドフォードなどを持ち役とする。アニメでは『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの古代守役や『ムーミン』のスノーク役などがある。
劇団やプロダクションには属さず、一貫してフリーで活動した[2]。このことに関して、舞台俳優を目指した新人時代に見学した複数の劇団が入団条件にしていた「研究生になること」に抵抗があったことや、口幅たい言い方とした上で「なんかケツの穴の小っちぇ世界だなあ」と思ったことから躊躇していた結果、流れでフリーランスとならざるを得なくなった、と後に回想している。また、その躊躇していた頃に声優としての仕事を取れたことで、晩年には「浮き草みたいに自由にやってきた。自分でも今日までよく、ひとりでやってこられたなあという気がします(笑)」と語っている[23]。
コメディ作品などでは、ダジャレなどのアドリブを吹き替えに交えて作品の魅力を引き出した。「ようっとな」「いいんでないかい」「なんともはや」「…っちゃったりなんかして」「はた?」「恥ずらかしい」「きらーん♪」といった台詞回しは「広川節」「広川調」と呼ばれ親しまれた[13]。広川自身はこれについて「披露したのは全出演作のうち2割ほどだが、それが突出して世間に行き渡っている」と述べている[28]。
言葉遊びについて、原点は大学の落語研究会所属時だといい「昔からある言葉にフリカケをすることで、今に蘇らせたいんですよ。たとえば“けっこう毛だらけ猫はいだらけ”って言葉のあとに、“サハラ砂漠は砂だらけ”って繋げると、なんだか面白いセンテンスになるでしょ」と語っている[23]。また、吹き替えでは日本だと伝わらないジョークなどもあり「日本人が聞いているんだから、今生きてる日本語でもって伝えたいなということが芯にあったんです。そのためには、ちょっととっちらかってもいいかなってやったことなんです」と発言している[21]。
アドリブと称される独特のフレーズについて、実際には最初からシナリオ通りだったとインタビューなどで発言している。事前にもらった台本に自身が考えた駄洒落やフレーズをびっしりと書き込み、これを基にスタッフと打ち合わせをして収録するのだという。アフレコでは共同作業であることを考慮し、リハーサルのうちから共演者に内容を明かしていた[21]。一方で『ダンディ2 華麗な冒険』で広川と共演したささきいさおは、広川が「いさおちゃんだから」とリハーサルと本番で異なるアドリブを披露していたことを後に明かしている[29]。
「アドリブはあくまで作品をより魅力的にするためのもの」と心がけていたため、アドリブが合わないと感じた作品には一切アドリブを入れず、弁えた姿勢で臨んでいたという。実際に、『007 美しき獲物たち』の吹き替えではリハーサル中から「ヘンなアドリブは入れません」と公言していたといい、演出を手掛けた伊達康将も「最初からアドリブはしないと決めていたんだろう」と当時を回想している[30]。一方で、いざという時のアドリブに備える一面もあり、シリアスな作品である『スパイ・ゲーム』にて共演した森川智之は、広川が台本にダジャレをいくつか書き込んでいたのを目撃し「うわぁ、スゴイなぁ」と驚嘆したことを明かしている[31][32]。
ゲーム『天外魔境 第四の黙示録』では悪役の一人であるDr.Mを演じているが、ここでも随所でアドリブを入れており、テキストで表示される台詞と広川の音声による台詞が一致しないという現象が生じている。
晩年は、広川のアドリブで育ったファンが制作者側となりオファーされることが増加していた[33]。テレビアニメ『MEZZO -メゾ-』の黒川健一役や特撮『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の臨獣ピッグ拳タブー役では事前から台詞にこれらの演出があり、後者においては広川の出演を知った番組アクション監督の石垣広文が「広川さんが(声を)演るなら、オレがタブー(のスーツアクター)演りますよ。誰か別の監督立てて下さい」と申し出たという[34]。
本名は「諶次郎」だが、書く時に困るため、姓名判断に凝っている知り合いの妻が芸名を「太一郎」と命名してくれたという[3]。当時は「田舎大名みたいだ」と皆吹き出していたという[3]。
吹き替えについて、口パクなどの間尺を合わせるリップシンクは基本だとしつつも、リップシンクばかりが最優先されることには疑問を呈していた。広川自身は吹き替えにある程度慣れると台詞を生かす方に力を入れるようになり、その結果アドリブをするようになったという[35]。
表現者や演者などクリエーターを目指す人に対しては、「始めは模倣やモノマネからはじめてもいい。モノマネとはある意味その人をリスペクトしているということ。そこからそのモノマネを吸収、たまったものを発酵させてしっかりオリジナリティをもった表現者になってほしいと思うし、僕もそういう風にありたいと思っている」という趣の言葉を残している[35]。
先輩の羽佐間道夫とは声質が似通った部分があり[36]、吹き替えで同じ俳優を担当することがあった。
『ローマの休日』ではフジテレビ'72年版とテレビ朝日版の2バージョンに渡って美容師のマリオ・デラーニを演じているが、広川はアドリブで所謂"オネエキャラ"にアレンジし、広川以外がマリオを演じた後発のバージョンでも踏襲されるようになった[37]。2024年に4K版が劇場公開されることになった際にはテレビ朝日版が選ばれたが、配給を担当するTCエンタテインメントは広川がマリオを演じていることが理由の一つになったことを明かしている[38]。
『Mr.BOO!』シリーズがフジテレビで放送された際、担当したマイケル・ホイの台詞が「もたもたして古臭い。吹き替えで面白くしないと」と感じ、ディレクター(春日正伸)と相談してオリジナルにない「広川節」を連発しヒットした。2005年にシリーズのDVDが発売された際には、一部を除いて当時の吹替が収録。発売記念で来日したマイケル・ホイは会見で「(人気の理由の)一つにはこの広川さんの声の吹き替えがあったから。彼の吹き替えは生き生きしていて本当に素晴らしい!」と語り、広川との対談も実現した[39]。
「007シリーズ」以降、ジェームズ・ボンド演じるロジャー・ムーアの吹き替えをフィックスとして多く担当[40]。ムーアの吹き替えは、広川の”二枚目路線”を代表する仕事のひとつとなった[注 3]。2006年にDVD発売のため行ったシリーズの吹き替え新規制作では、当時のテレビ版吹き替えから広川のみが続投。結果的にこれは広川の最晩年を代表する仕事となった。演出を担当した福永莞爾は「印象に残っているのは、広川太一郎さんですね」「まったく元気そうでしたよ。別録りもせず、みんなと一緒に録ってますし、まったく(病気の)兆候はありませんでした。」などと話し、最晩年の広川のプロとしての矜持を感じさせる証言を残している[41]。
ラジオ関東の深夜放送『男たちの夜かな』では、私財をなげうち自らスポンサーとなっていた。女学生を中心に莫大な投書が寄せられ、シンナー中毒の女学生とその友人の話を聴くために自ら更生施設へ出向いたこともあったという。
子安武人は尊敬する役者に広川の名を挙げており[42]、彼が死去した際には自身の公式ブログで「心の師逝く。」と題した追悼コメントを出した[43]。広川の存在があったからこそ、超絶二枚目を演じている子安がギャグ三枚目まで演じているようなものであった[42]。後ろに広川という大きな存在があったからこそ「二枚目から三枚目に崩せるんじゃないかなあ」といい、広川自身は2枚目を追及していたことに子安は「惹かれているんだ」と思った[42]。子安は広川と共演したことがなく共演してなかったことからイメージだけが残っていたと語っていた[42]。広川の甥である藤森崇多は、自身が公式動画などで様々な駄洒落(藤森自身は「おやじギャグ」とかけて「こやじギャグ」と称している)を披露していることについて、広川に影響を受けており、尊敬する「コヤジスト」であると発言している[44]。
広川本人が公認した「広川節」のものまねで知られる人物として、イラストレーターのもりいくすおがいる。ファンを中心に「二代目広川太一郎を名乗ってほしい」などと評価され、1990年に羽佐間道夫は「あなたすごい」「もう少しであいつもくたばりますから(笑)代わりになれるよ絶対」と評した(後日、広川はこの羽佐間の評に「先輩ですし⋯僕は“あの野郎”の悪口は言ったことない(笑)」とコメントしている。)[36]。同年、ラジオ番組『コサキン無理矢理100%』にて電話中継で初共演した際、もりいの広川節を聞いた広川はそのネタの構成力やオリジナリティを称賛すると共に、「本人を超えてる」「よくあるものまねのように誇張したり馬鹿にせず、僕をここまでアカデミックに研究した彼に抱擁したいくらいだ」と太鼓判を押した[45]。
その後、広川没後に製作されたアニメ『プリンセス・プリンシパル』にて、広川を意識した役にもりいが起用された[46]。
※太字はメインキャラクター。
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