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近畿地方で用いられる日本語の方言の総称 ウィキペディアから
近畿方言(きんきほうげん)または関西方言(かんさいほうげん)、関西弁(かんさいべん)は、近畿地方(大阪府・京都府・兵庫県・和歌山県・奈良県・滋賀県・三重県)大部分および福井県嶺南で用いられる日本語の方言の総称である。西日本方言に属する。京阪神を中心とする近畿中央部の方言は上代から近世中期までの中央語の系統を汲み、現在も首都圏方言に次ぐ認知度と影響力を持つ(後述)。
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「近畿方言」と「関西弁」では指す範囲が必ずしも一致せず、近畿中央部の方言だけを指して「関西弁」ということもあれば、逆に漠然と「西日本の方言」という意味合いで「関西弁」ということもある[1]。本稿では基本的に「近畿方言」と称する。
古代より近畿地方は畿内低地帯(奈良盆地・大阪平野・京都盆地)を中心に発展した。中世以降は京都、近世以降は大阪(大坂)が最大都市となって文化圏を形成し、言語の面でも京都・大阪(以下、京阪と略す)を中心に比較的まとまった方言圏が形成された。京阪の方言を合わせて上方語(上方言葉・上方弁)や京阪語とも言う。
近畿地方周辺では、四国方言と北陸方言に近畿方言的性格がよく認められ、特に近畿地方との交流が活発な徳島県は言語の面でも影響が強く、また兵庫県淡路島との対岸同士では方言差がほとんどない(阿波弁参照)[2]。岐阜・愛知方言も文法や語彙で近畿方言との共通点が多く、西濃の一部ではアクセントも近畿方言的である(美濃弁参照)。近畿・四国・北陸の方言に共通点が多い背景には、かつては陸路よりも海路による交通の方が容易であり、瀬戸内海や日本海に沿って言葉がよく伝播したためと考えられる[2]。
近畿方言の主な特徴としては、5母音をはっきりと発音すること、京阪式アクセント、「安う
物語などの書き言葉が発達していた近畿地方では、言葉の変化が比較的少なく、特にアクセントについては千年前からほとんど変わっていないとされる[3]。ただし、近畿から離れた地域ほど古語が残るという考え方(方言周圏論)があるほか、アクセントに関しても厳密には南北朝時代と幕末・明治初期に大きな変化があった(京阪式アクセント#歴史を参照)。
近畿方言内での方言区画には様々な案が提唱されているが、自然地理的・文化的条件を考慮しつつ、京阪からの距離を考えて区画されることが多い(方言周圏論的)。すなわち、京阪とそれを取り巻く近畿中央部(大よそ半径50km圏内[5][4])ほど一般に近畿方言的とされる特徴を多く備え、京阪から離れた周辺部(北近畿や紀伊半島など)ほど他の近畿方言との違いが大きくなる一方で古い言語状態を保っている[2]。近畿中央部の大阪・神戸・京都の方言を比較すると、音声上はアクセントが僅かに違う(大阪・神戸の「行きました」と京都の「行きました」など)程度で、問題とされやすいのは語法上の違いである。とりわけ「どす」と「だす」など京阪の違いがよく対比されるが、アスペクトの点では神戸(継続と完了の区別あり)と京阪(区別なし)の間に著しい違いがある[1]。
周辺部のうち、兵庫県但馬と京都府丹後西部は、行政上は近畿地方であるが、方言においては東京式アクセントであるなど違いが大きく、中国方言に分類される(但馬弁・丹後弁)。また、紀伊半島で特に山岳が険しい奈良県吉野郡南部は、近畿方言的な特徴がほとんど現われない言語島である(奥吉野方言)[6]。なお、三重県は経済活動や広域放送などの面で東海地方に含まれるが、方言においては愛知よりも奈良や和歌山との違いの方が小さく、近畿方言に分類される[4]。
楳垣実が1962年に発表した区画案では、近畿地方の方言を北近畿方言・中近畿方言・南近畿方言に大分し、中近畿を東近畿(京言葉圏)と西近畿(大阪弁圏)に、北近畿と南近畿を近畿中心部との隔たりに応じて内近畿と外近畿に細分している。なお、楳垣は北大和について「年配の人達は京言葉に近く、若い人ほど大阪弁的になる中間地域」、淡路について「南近畿に入れてもよさそうだが、兵庫県に属していることを重視して、中近畿に入れておく」と補足している。
奥村三雄が1968年に発表した区画案では、近畿地方の方言を中近畿式方言と外近畿式方言に大分し、外近畿式をさらに東西南北に細分している。奥村は中近畿式を「いわゆる関西弁」としている。但馬・北丹後と紀伊半島の一部(南吉野・北牟婁郡など)は近畿方言から除外している。また、論文の本文では福井県嶺南も除外しているが、区画図では北近畿式に含めている。奥村案は楳垣案と比べ、京都対大阪の違いよりも大阪対播磨や京都対伊勢の違いをより重視している点が特徴である。
各方言の詳細は各項目を個別に、周辺の他方言との比較については日本語の方言の比較表も参照。
上代から近世までは日本の文化・経済の中心は近畿地方だった為、上代は大阪平野や奈良盆地、平安時代以降は京都の方言が長らく中央語とされ、文語も平安時代の貴族の京都方言を基に成立した(中古日本語)。日本語のなかで古代から連続して文献資料が残る唯一の方言であり、また文芸活動の中心地であったことから、日本語史を語る上で最も重要な方言である。平安遷都後、長らく都が置かれた京都では自らの方言を中央語と自負し、他地方(特に東国)の方言を卑しめる風潮が形成された。中世末にポルトガルなどから来日した宣教師も、公家の京都方言(御所言葉)を模範とすべき有力な日本語として扱っている(ジョアン・ロドリゲス『日本大文典』など)。
歴史が変わるのは江戸時代後期、江戸幕府政権の安定に伴って江戸の町人文化が成熟し、日本の文化・経済の中心に江戸が上方へ肩を並べた時代である(化政文化も参照)。江戸では町人文化の発展とともに江戸言葉の地位が向上し、上方・江戸の二つの有力方言が併存・拮抗する日本語史上唯一の事態が生じた[7]。現代の関西と関東の方言対抗意識はこうした歴史背景から形成されたものである。滑稽本『浮世風呂』(1808年)にも江戸女と上方女の言葉争いの描写がある(以下はその一部)。
上方言葉の地位が高かった江戸中期まで、江戸の上級武士や教養層は上方言葉を真似て話していたとされる。その後江戸言葉の地位向上に伴って上方風の話し方は廃れたが、一方で上方風の言い回しは「老人の言葉」「権威者の言葉」として歌舞伎や戯作などでステレオタイプ化されていった。これが「わしは知らぬのじゃ」のような老人や古風な権威者(殿様など)の役割語の起源である(老人語も参照)[8]。
江戸時代は、大坂が商都として栄え、京都を凌ぐ上方最大の都市となった時代でもある。豊かな経済力を背景に上方文化の一翼を担うようになり、言語面でも大坂方言と京都方言とで対抗意識が生じた。1759年の洒落本『弥味草紙』にも以下のような描写がある[9]。
明治の東京奠都によって東京方言(とりわけ山の手言葉)を基に標準語が整備されると、近畿方言は一地方方言に甘んずることとなり、近畿方言も標準語の影響を受けるようになっていった。もっとも、保科孝一が1915年時点で「東京語は関東方言の系統に属するものであるが、しかしこれを基礎として標準語を制定する場合には、関西方言との調和を計ることは、ある程度まで必要である。[10]」と記すなど、近代以降も一定の影響力を残した。1954年に梅棹忠夫が「第二標準語論[11]」(「関東系標準語」に対抗して関西系の第二の標準語を作ろうという論)を唱えたこともあるが、実現はしなかった。
話者人口の多さや京阪神の文化力・経済力を背景に、近畿方言は依然有力な方言勢力である。特に大阪弁は演芸を通じて日本全国に広く認知されている。もっとも、演芸で用いられる大阪弁は全国の視聴者に分かりやすいよう共通語を交えたり、誇張したりする場合があるため、船場言葉をはじめとする伝統的な大阪弁とは異なる「吉本弁」だと揶揄する声もある[12]。
近畿方言は、単に認知度が高いだけでなく、共通語や各地の方言に影響を及ぼすこともある。「一緒[注釈 3]」「しんどい」「ぼやく」「まったり[注釈 4]」「むかつく[注釈 5]」「ややこしい」「ヤンキー」など幅広い語彙が共通語に取り入れられたり、「関東はバカ、関西はアホ」だったのが東京でも「アホよりバカの方がきつく聞こえる」者が多数派となったりしている[13]。
認知度の高さや、近世以来の江戸・東京への対抗心などから、近畿地方では自分達の方言への愛着や自負心が強いとされる。実際、2000年に大阪で行われた意識調査では、東京の言葉に対しては7割が「嫌い」「どちらかと言えば嫌い」、地元の言葉に対しては9割が「好き」「どちらかと言えば好き」と回答している[13]。しかし他の地方と同じく共通語化・東京方言化は進んでおり、団塊ジュニア以降の世代では共通語や東京の俗語・若者言葉が混合した以下のようなスピーチスタイルが主流となっている(1993年に大阪府寝屋川市で記録された20歳女性と21歳女性の会話の一部[14])。
近畿地方には、京都の御所言葉、大阪の商人言葉(船場言葉や堂島言葉など)や芸能言葉(関西歌舞伎・文楽・上方落語など)、遊郭言葉(京都嶋原や大坂新町など)、志摩半島の海人言葉、紀伊山地の林業や山岳信仰関係の言葉、伊勢の獅子舞神楽言葉など、階層・職業別に多様な言葉遣いがあった。しかし近代以降、特に太平洋戦争後、旧来の階層社会や生活習慣が大きく変質したため、多様性は薄れている。多様性の衰退は地域間でも起こっており、交通網の発達に伴う大阪を中心とした大都市圏の拡大によって、「関西共通語」(関東のいわゆる首都圏方言に相当)とも言うべき方言に均質化しつつある。例えば、互いに意識し合い、大きな違いを見せていた京言葉と大阪弁も、そのような明確な傾向が見られるのは団塊の世代までに限られつつある。
演芸文化に支えられ、近畿圏の放送局のローカルバラエティ番組では、出演者やアナウンサーが方言でトークを進めることが珍しくなく、共通語の規範とされやすいNHKも例外ではない。方言がメディアという公の場で一定の幅を利かせているのは他の地方ではあまり見られないものである。一方で、メディアの強い影響力から、放送で話される方言は近畿方言均質化の一因にもなっている。
2014年には、facebookが関西弁を公式サポートした[15]。2019年、Vivaldiが関西弁の公式サポートを表明した[16]。
文学・ドラマ・映画・漫画などのフィクションでは、ステレオタイプな大阪像を念頭に置かれた関西弁が強烈な役割語としてキャラクターの差別化の記号としてよく利用される。
「役割語」の提唱者である金水敏によると、フィクションにおける大阪弁・関西弁は「快楽・欲望の肯定と追求」(金銭への執着、好色、派手など)という性質を持ったトリックスターの役どころを表す記号であり、これは江戸時代における理想主義的な江戸文化と現実主義的な上方文化の対比に端を発するという[17]。このイメージに関連して、高度経済成長期以降、菊田一夫の『がめつい奴』や花登筐の「根性もの」の流行から「ど根性」というイメージも定着している[17]。
近代以降、大阪発の漫才や演芸番組がラジオやテレビを通じて日本全国で人気を博したことから、「関西弁=お笑い」のイメージが強く定着した[17]。このことを井上章一は「関西語は、道化的な言い回しに、おとしめられている」と否定的に指摘している[18]。また太平洋戦争後、近畿地方を舞台とする迫力ある作品(ヤクザ映画など)の流行や、現実の近畿地方における凶悪事件の多発とその過熱報道などにより、関西弁は「暴力」などの荒々しいイメージと結び付けられるようになった[17](戦前までは、上方出身者は江戸っ子に比べて気長・柔弱・女々しいなどとされていた[17])。
フィクションでの関西弁については、以上のようなステレオタイプに加えて、大袈裟な誇張や誤ったアクセント・表現によって不自然な「似非方言」となりやすく、近畿地方出身者にとって違和感や不快感の対象となることがしばしばある[19]。関西大学副学長黒田勇はスポーツ紙などマスメディアにおいて、報道内容に庶民性や現実味を付加するために関西弁が恣意的に使われることがあり[20]、それは一方で関西弁を「東京的な価値観」からの「逸脱者」を表す安易な役割語となし、「関西の文化と人々を傷つけるもの」であると指摘している[21]。
1980年代以降、従来のステレオタイプな大阪像とは異なるイメージも生まれている。山下好孝によると、若者を中心に「かろやか」「ファッショナブル」「都会的」「タレント的なおもしろさ」といったプラスイメージで受け入れられるようになったという[22]。要因として、関西お笑いタレントの東京進出が活発化し、全国放送のバラエティ番組において、漫才やコントの作り物のセリフではなく、フリートークとしての関西弁を耳にする機会が増えたことや、大阪出身以外の関西タレントが増えて近畿地方に対する認識が大阪一色でなくなったことなどが考えられるという[22]。また、東京などの人が以前よりも関西弁を受け入れやすくなった要因として、共通語化で関西弁がマイルドになったこと、東京で活動するタレントの関西弁はさらに共通語化すること、関西弁と共通語をTPOで使い分けるタレントが登場したことなどを挙げている[22]。
近畿方言の音韻体系は東京方言とほとんど変わらないが、母音を丁寧に長く強く、子音を弱く軽く発音する傾向がある[23]。
近畿方言でも母音はア・イ・ウ・エ・オの5種であるが、ウは東京方言よりも唇を丸めて発音される(円唇後舌狭母音に近い)[23]。
母音を丁寧に発音することから、東京方言において「菊」の「き」や「月」の「つ」で起こるような母音の無声化がほとんど起こらない(戦後は「です」「ます」の「す」などで無声化の傾向も見られる)[23]。「赤い→あけえ」「凄い→すげえ」「寒い→さみい」のような連母音アイ・オイ・ウイの同化融合も「わたい→わて(一人称)」「かい→け(疑問・反語の終助詞)」などの数例を除いて起こらず[23]、和歌山県では「ケイサツ(警察)」や「メイジ(明治)」のように「エイ」も「エー」ではなくはっきり「エイ」と発音することが多い[24]。また一般に鼻音前のウは「旨い→んまい」のように鼻音化しやすいが、近畿方言では丁寧にウと発音して鼻音化しにくいという[25](異論もある[26])。
1拍語ではほぼ規則的に「木→きい」「目→めえ」のように母音が長音化し、特定の語では「やいと(灸)→やいとお」「路地→ろおじ」「去年→きょおねん」など1拍以上の語や「寝たい→ねえたい」など語幹が1拍の動詞も長音化することがある[23]。一方で「御幸町通→ごこまちどおり(京都市内の通り)」「早う学校行こう→はよがっこいこ」のように語中・語尾の長母音が短音化することもある[27]。これらの現象は、話者の母音の長短意識が曖昧であることに起因すると考えられる[23]。
語によっては「動く→いごく/いのく」「キツネ→けつね」「タヌキ→たのき」「ニンジン→ねんじん」「見える→めえる」のように母音がよく転訛するが、個々の単語に関わる問題であり、規則的・体系的な音変化ではない。
子音も東京方言とほぼ同じであるが、全般に東京方言よりも摩擦や破裂が弱い[23]。「ひ」は調音部位が東京方言と異なり、弱い響きで発音される(無声声門摩擦音に近い)[23]。「じ」と「ず」は東京方言では語頭では破擦音となるが、近畿方言では破裂が弱く、語頭でもほとんど摩擦音に近くなる[23](有声歯茎硬口蓋摩擦音および有声歯茎摩擦音)。
摩擦や破裂が弱いため、子音の転訛・混同・脱落がしばしば起こる。近畿地方各地(特に和歌山県)で「全然→でんでん」「身体→かだら/からら」のようなラ行音・ダ行音・ザ行音の混同が起こり[23]、それを揶揄した「よろがわのみるのんれ、はららぶらぶや/はらららくらりや(淀川の水飲んで、腹ダブダブや/腹だだ下りや)」という小噺もある[28]。またサ行音が特定の語でしばしば「質屋→ひちや」「それなら→ほんなら/ほな」「山田さん→山田はん」「しません→しまへん」のようにハ行音化したり、「わし→わい(一人称)」「傘差した→傘さいた(サ行イ音便)」のように脱落したりする[23]。「煙→けぶり」「寒い→さぶい」のようなマ行音とバ行音の交替も多い[23]。奈良県などでは「牙→きわ」のようにバ行音のワ行音化がみられるほか、南近畿海岸部ではワの[w]が脱落する傾向が強い[23]。
都市部から離れた地域の高齢層では、「くゎじ(火事)」のような合拗音クヮ・グヮ、「しぇんしぇ(先生)」「じぇに(銭)」のようなシェ・ジェといった古い発音が残っている[29]。中世の京都で行われた語中・語尾の鼻濁音の残存として、ダ行鼻濁音が紀伊半島各地や淡路島などにあるほか、ザ行・バ行鼻濁音が三重県志摩で「かんじぇ(風)」「あんぶ(虻)」など特定の語のなかに残っている[23]。ガ行鼻濁音は近畿地方の広い地域で聞かれるが、鼻音性・破裂性ともに弱く、東京ほどガ行鼻濁音が意識されず、音素として捉えない話者がほとんどである[23]。東京以上に衰退が進んでおり、1999年の兵庫県高砂市での調査によると、ガ行鼻濁音を発音する人の割合が、70-87歳の老年層では74%なのに対し、17-20歳の若年層では8%となっている[30]。
近畿地方は京阪式アクセントの一大勢力圏である。京阪式は東京式アクセントと違いが大きく、近畿方言らしさを印象付ける大きな要素となっている。
一口に京阪式と言っても「地下鉄:ちかてつ/ちかてつ」や「東京:とーきょー(大阪)/とーきょー(京都)」のように個人差・地域差があり、変化も起こっている。変化が最も進んでいるのは京阪神であり、「京阪式」と言えども、京阪から離れた和歌山県田辺市付近や四国地方に近代以前の伝統的なアクセントが残る。
隣接する中国地方と東海地方は東京式であり、違いが明瞭である。近畿地方でも、中国地方に続く形で但馬・丹後に、孤立した形で奥吉野に東京式の領域があり、京阪式と東京式の接触地域には京阪式のやや変化したアクセント(垂井式アクセント)がある。また紀伊半島の尾鷲市・熊野市周辺には様々なアクセントが点在している。そうした地域では、1拍語の長音化が少なかったり、母音の無声化や連母音変化が盛んだったりと、音韻面でも他の近畿方言との共通性が薄い[1]。これはアクセントと音韻の関連を匂わすものとして注目される。
ワ行五段動詞の連用形(「て」「た」に続く場合)や形容詞の連用形ではウ音便を用いる。ウ音便は、語幹末の母音によって、次のように異なる。
歴史的には、これらの母音交替は次のような連母音融合により成立したものである。
上記は山陰を除く西日本方言で共通するが、後述するように、近代以降の近畿方言ではこれらがさらに変化している。
東京方言で廃れた活用形が一部残っている。関東では近世に一段活用化した「飽く」「借る」「しゅむ(染む)」「足る」「垂る」などが、近畿方言の多くでは明治以降も五段活用のまま保たれた(例:図書館で本を借った←→図書館で本を借りた)。各地の高齢層に「死ぬる」「いぬる(去る)」のナ行変格活用が、紀伊半島に「落つる」「見ゆる」などの上二段活用・下二段活用が残っており、滋賀県には「蹴る」の下一段活用の名残がある[33]。 一方で、「見らん(見ない)」「寝れ(寝ろ)」のような一段活用の五段活用化傾向が各地(特に紀伊半島)にあり、奥吉野などでは「見れる」「来れる」のようないわゆるら抜き言葉が東京よりも早くに定着していた[33]。
前述のようにア・ワ行五段活用の連用形でウ音便が起こる。ウ音便があることで共通語よりも弁別できる動詞が多く、例えば共通語では「会う/有る」「言う/行く」「飼う/勝つ」は連用形では「あって」「いって」「かって」のように同音化するが、近畿方言では「おーて/あって」「ゆーて/いって」「こーて/かって」のように区別できる。なお、3音節語と「食う」などでは「わろーた→わろた(笑った)」「くーて→くて(食って)」のように音便が脱落しやすい。ウ音便ではないが「持つ」と「行く」でも「もてきた(持ってきた)」「いてまえ(行ってしまえ。やってしまえの意)」のように促音便が脱落することがある。サ行五段活用の連用形で「はないて(話して)」のようなイ音便が起こり、滋賀県など各地に「はないて→はないせ」のような特殊な音変化が点在するが、近畿中央部では「傘さいた(傘差した)」以外は稀である[23]。その他、志摩や奥吉野などに、「およんだ(泳いだ)」のようなガ行撥音便や「のーだ(飲んだ)」「あそーだ(遊んだ)」のようなマ・バ行ウ音便がある[33]。
形容詞の連用形でもウ音便が起こるが、近畿方言ではしばしば「あこない」「おもなる」のようにウ音便が短音化する。京阪では語幹末がiのものは「たのしーない」や「たのしない」のように拗音を直音化させた形が優勢となり、本来の形は高齢層の語となっている[34]。戦後にはさらに活用の簡略化が進み、「あこーない→あかない」「食べとーなる→食べたなる」のような語幹形との統一傾向や、「黒いない」「赤いかった」のような無活用化傾向も現われている[33]。また「て(も)」に続く場合は、仮定表現「連用形+たら」の影響から「あこーて(も)」より「赤かって(も)」のような形が多くなっている[35]。
近畿方言では「かとーになる(固くなる)」「よろしゅーに言うといて(宜しく言っておいて)」のように連用形に「に」を添えることがあり、特に大阪や神戸などで盛んである[36]。また「冬寒く、夏暑い」のような連用中止法はほとんど用いず、「冬さむーて、夏暑い」のようにほぼ必ず「て」が伴う。
活用語尾が「や」(周辺部や高齢層では「じゃ」や「だ」とも)であるほかは東京方言とほとんど変わらないが、各地で「まめなや(達者だ)」のような連体形から生じた二次的な終止形がある[33]。また「綺麗や」を「きれいかった」「きれい花」のように形容詞化して用いることがあり、昭和30年代には既に若い世代での使用が記録されている[33]。
人や生物の存在を表す際、東日本では「いる」を、西日本では「おる」を用いるが、京阪と滋賀県などでは「いる」を中立以上の表現、「おる」をやや粗野で見下げた表現(「おります」「おられる[注釈 6]」の形で用いる場合は除く)として両方を使い分ける。「いる」に進行形を掛け合わせた「いてる/いとる」もあり、「いてる」は特に大阪で多用する。紀伊半島の一部では古典文法そのままに「先生ないなあ。あっ、あそこにあら(先生がいないなあ。あっ、あそこにいるよ)」のように人や生物にも「ある」「ない」を用いる[37]。
「ある」の丁寧語に「御参らす」の転「おます」があり、大阪を中心に近畿地方の広い地域で用いた。京都などでは「おはす」の転「おす」、大阪船場では「ござります」の転「ごわす/ごあす」とも。用法は「ございます」と同じで、「ほんまでおます」のように「で」に付いて丁寧な断定を表したり、「よろしゅおます」のように形容詞連用形に接続したりする。否定形はそれぞれ「おまへん」「おへん」「ごわへん/ごあへん」。
常体の断定表現には「や」を用いる。室町以降「である」の変形「であ」が「ぢゃ(じゃ)」、江戸後期以降さらに「や」と転じたものである(関東の「だ」も「であ」の転)。「や」に取って代わられた「じゃ」も、罵倒など強い口調の際に終止形でのみ用いる(例:何見とんじゃ!)。「だ」にはない活用形として、過去中止形「やって」がある(例:実家が貧乏やって、若い頃苦労したわ)。共通語では「だから」「だが」「だったら」のように「だ」を文頭でも用いるが、「や」を文頭で用いることは一般的ではない(例:○そやさかい ×やさかい)。「や」に引かれてか、「やら」の転「や」(例:何や知らんけど、なんやかんや)、終助詞「や」、「やん(か)」(後述)など、近畿方言では「や」を多用する傾向がある。
「や」を用言に後続させる場合は、「の」を介して「のや」とする(例:行くのや)。くだけて「んや」「ねや」「にゃ」 などとも。「や」との接続は、「のや/んや」は「なのや/なんや」(例:ほんまなんや)、「ねや」は「やねや」(例:ほんまやねや)とする。共通語「のだ/んだ」と違い、敬体にも接続可能(例:○行きますのや←→×行きますのだ)[注釈 7]。「ねや」がさらに転じたものが後述「ねん」である。
「や」と対になる表現(体言の打消し)に「やない(か)」と「と違う(か)」がある。「やない(か)」に関しては、「や」+「無い(か)」と解されることもあるが、正確には「では無い(か)」の転である。反語的な強調に「やあるかい」がある。「と違う(か)」に関しては、終止形・連体形と「ます」に続く連用形で「ちゃう」「ちゃいます」と転ずることが多い。「と」の省略も頻繁に起こる。近年[いつ?]では若年層[いつ?]を中心に「違うかった」「違うくて」のように「違う」を形容詞的に活用させることがある(本来の形は「ちご(お)た」「ちご(お)て」)。
丁寧な断定表現には「だす」や「どす」を用いる。「でやす」の転「だす」は大阪を中心に播磨から奈良県北部・伊賀付近まで、「でおす」の転「どす」は京都を中心に丹波東部から滋賀県・若狭まで広がる表現で、ともに幕末から明治にかけてやや卑俗な表現として成立[注釈 8]。成立後まもなくに標準語として東京の「です[注釈 9]」が伝播したため、中流以上には浸透しないまま、早いうちから衰退していった[注釈 10]。現在は一部の高齢層と特殊な場面(古典落語、京都の芸妓言葉など)でしか聞かれない。「です」と同様、形容詞には本来付けない。
近畿方言では敬語から侮蔑語に至るまで、助動詞による待遇表現が発達しており、話中の第三者の動作に対して日常的に多用することが特徴的である。
敬語体系は京都を中心に複雑に発達した。東京方言の敬語の基礎も江戸初期に京言葉の影響を強く受けて形成されたものであり、「おはようございます」「しておりません」などにその名残が見られる。明治以降は敬語体系の簡略化や共通語化が進むが、絶対敬語(ウチとソトを区別せず、自分にとって目上の人物には必ず敬語を用いる)的な性格を保ち、共通語では廃れつつある素材敬語(話中の動作主を高める敬語)がむしろ興隆するなど、共通語とは違う敬語の発達を見せている[39]。
紀伊半島などでは近畿中央部のような助動詞による待遇表現が発達しておらず、「敬語がない」と見なされることがあるが(紀州弁#敬語も参照)、そうした地域の方言では助詞によって待遇表現を言い分けている(助詞敬語)[40]。
近畿方言の侮蔑語としては「くさる」「さらす」「けつかる」などがあり、なかでも「けつかる」は非常に強烈な悪態語である。「くさる」は連用形と「て」に、「さらす」は連用形に、「けつかる」は「て」に付けて用いる。「けつかる」単体では「ある」「いる」の卑語(ただしほぼ死語)を、「さらす」単体では「する」の卑語を表す。
京阪では相手に対してなるべく丁寧に、へりくだって表現しようとする傾向が強い。そのため、近代の商家で「さようでござりましてござります」のような敬語が多用されたり、「ぶぶ漬けでも」や「ぼちぼちでんなあ」のような婉曲法が発達したりした。改まった会話だけでなく日常会話でもその傾向はあり、「どいたれや」「堪忍したって」のような第三者的な命令・依頼表現(後述)はその典型と言える。共通語では慇懃無礼とされることのある「させてもらう/させていただく」も近畿地方から全国に広まった敬語表現という[43]。
敬称の「さん」(くだけた場面では「はん」とも)も日常的に多用し、「おはようさん」「おめでとうさんです」などの慣用表現、「えべっさん」「おひがしさん」「すみよっさん」のような神仏社寺名などに盛んに「さん」を付ける。女房言葉の応用で「お芋さん」「お豆さん」「おくどさん」「飴ちゃん」など、生活に身近な物(特に飲食物)にも盛んに敬称を付ける。なお、伝統的な大阪弁では前の音によって「さん」と「はん」の使い分けがあり、イ音・ウ音・撥音・ハ行の後は「はん」になりにくいとされるが、現在では使い分けが曖昧化しており、その例として京阪電鉄のキャッチコピー「おけいはん」(2000年以降)や新野新(大阪市出身)の著書『まるごとなにわの芸人はん』(1996年、リバティ書房)が挙げられる[44]。
動作や出来事がどこまで進んでいるかの違いを表す述語の形式を、アスペクト(相)と呼ぶ。
神戸・播磨 | 京阪・滋賀県 | 伊勢 | ||
---|---|---|---|---|
生物の存在 | 中立 | おる | いる | おる |
見下げ | おる | |||
進行相 | 中立 | よる(よお) | てる | とる |
見下げ | とる | |||
完了相 | 中立 | とる(とお) | てる | |
見下げ | とる |
他の西日本方言と同様、近畿方言では能力による不可能と状況による不可能を区別する。しかし現在では、両者の区別をしない共通語の影響から、近畿方言においても区別が曖昧化し、両者の混合形(例:よう泳げん/よう泳がれへん)が用いられるようになるなどしている。
意志表現や勧誘表現には「う」「よう」を用いる。サ変では古形の「しょう[注釈 14]」を保ち(例:どないしょうか)、カ変でも主に補助動詞として用いる場合に古形の「こう」を用いることがある(例:行ってこう)。また「う」「よう」に伴う長音は省略されやすい(例:行こか、どないしょ)。
推量表現は明治以降「や」を用いた「終止形+やろう」が主流で、「行ったろう」「赤かろう」「なかろう」などの表現は古めかしいものとされる。丁寧形も「敬体終止形+やろ」(促音化すると「っしゃろ」)であり、「だす」「どす」の推量形も共通語「でしょう」のような形は取らず「だすやろ/だっしゃろ」「どすやろ/どっしゃろ」とする。共通語では「だろう」は男性的な表現とされ、女性は「でしょ(う)」を用いることが多いが、近畿方言の「やろう」に男性的な印象は薄く、女性も多用する。打ち消し推量も現在は「んやろ」「へんやろ」が主流であるが、かつては「まい」を用いた。共通語にはない「未然形+う+まい」という形もあり(例:しょまい、行こまい、食べよまい)、各地で勧誘表現に用いた(例:早う行こまいか)。
仮定は「連用形+たら」にほぼ一本化されている。例えば共通語では「行ったら」「行けば・行きゃ」「行くと」「行くなら」「行くのなら」「行くのだったら」などと言い分けるところも、近畿方言話者は「行ったら」と「行くのやったら(行くんやったら)」で済ます傾向がある。特に「なら」は「ほんなら・ほな」(「それなら」の転)や「さいなら」など慣用表現以外ではほとんど用いない。
近畿方言では「Aが・・・してくれる」よりも「Aに・・・してもらう」の形式を好む傾向がある。「・・・てもらいたい」という表現は「てほしい」と言い、昭和以降全国にも広まった。「てほしい」の対義語として「て要らん」がある。「てやる」は「たる」や「ちゃる」(紀伊・和泉など)と縮めることが多い。「欲しけりゃくれてやる」のような自分から相手への動作に対して「くれる」は用いない。「邪魔やさかい退いたれや(=邪魔だから退いてくれよ)」「堪忍したって(=勘弁して)」のように「てやる」を用いた第三者的で婉曲な命令・依頼表現がある。また「てやる」の強い言い方に「てこます」があり、「行てこましたろか(=やっつけてやろうか)」のような喧嘩言葉や、「何もええこと無いし、もう寝てこまそ」のように自分の動作に諧謔性を込めるのに用いる。
使役には「せる」「させる」よりも「五段連用形+す」「その他連用形+さす」を多用し、五段活用させることが一般的である[46](例:食べさせぬ→食べささん、行かせた→行かした)。五段以外の動詞の場合、紀伊半島を中心に「さす」ではなく「やす」と言う地域も多いほか、和歌山県の一部では「らす」と言う[46](例:見やす、見らす)。
完了には「連用形+てしまう」または「連用形+てまう」を用い、過去形「てしもーた」「てもーた」は「てしもた」「てもた」となるのが普通である[47]。
くだけた文での格助詞の省略が東京よりも盛んで、共通語では非文となる「私の名前は田中言います」のような「と」「(っ)て」の省略も行われる(「と抜け」と呼ばれる)。「と」「(っ)て」の省略が起こるのは「言う」と「思う」の前に限られ、とりわけ「言う」の前での省略頻度が高い。「と言う」「と思う」を「ちゅう」「ともう」と縮約することもある[48](例:なんちゅうこっちゃ、これで大丈夫やともてたのに)。頻繁に省略が起こる格助詞は目的格「を」であるが、それ以外の格助詞でも1音節語の後は省略が起こりやすい(例:目が痛い→目ぇ痛い)。
近畿方言を特徴づける助詞には「なあ」がある。現在ではいくぶん改まった表現として共通語「ねえ」も併用するようになったが、依然として間投助詞や終助詞、呼びかけの感動詞として男女問わず多用する。英国の翻訳会社Today Translationsの調査によると、近畿方言の「Naa(=なあ)」は世界で最も翻訳が難しい言葉第3位であるという[49]。似た表現に中世・近世で多用された「のお」があるが、現代の京阪神では「のお」は粗野で男性的な表現とされる。「なあ」と「のお」はともに平安初期の京都で用いられた「なう」から分かれたもので、そのうち「なあ」は室町時代に発生したとされる[50]。
「なあ」のほかに近畿方言で特徴的な終助詞には次のようなものがある。
近畿方言特有の助詞として、「かとて」「かてて」から転じた「か(っ)て」がある。接続助詞として活用語(主に過去「た」や否定「ん」)の連体形に接続して逆接条件を表す(例:何したかてあかん)ほか、副助詞として体言や格助詞に接続して共通語「でも」「さえ」の意を表す(例:私かてできる 大阪にかてある)。文頭で用いる場合は「そやかて/そうかて」とし、さらに変化したものが「せやかて」である。
原因・理由を表す接続助詞として、近畿地方で広く用いる表現に「さかい(に)」がある[53]。中世末の成立とされ、語源については名詞「境」の転用とする説や古語「け」に由来するとの説などがある。「はかい」「はけ」「さけ」「さか」などとも。「大阪さかいに江戸べらぼう」の諺があるほどに近畿方言を代表する表現だったが、現在の京阪では共通語「から」が圧倒的に優勢になっている。「さかい」のほか、大阪などの「よって(に)」、京都の「し」(例:これ旨いし食べてみ)、三重県・滋賀県などの「で」(例:雨やで待とか)などもある。
近畿方言では複数の命令・禁止表現が発達し、強い表現と穏やかな表現を場面に応じて使い分ける。
ここでは近畿地方で広く用いる語彙を取り上げる。近畿方言の語彙はかつて中央語として周辺地域に伝播することが多かったため、以下で取り上げる語彙も含めて、近畿地方以外にも分布するものが少なくない。例えば「おおきに」は近畿地方に限らず、西日本各地や東北地方の一部でも用いる地域がある。「関東煮」「レーコー」など飲食関係の語彙については近畿地方#食文化も参照。
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