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19世紀初期から半ばの日本の文化 ウィキペディアから
化政文化(かせいぶんか)とは、江戸時代後期の文化文政時代(1804年 - 1830年)を最盛期として、江戸を中心として発展した町人文化を指す[1]。化政とは文化・文政を略した言葉。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など、一般に現代に知られる江戸期の町人文化の全盛期にあたり、国学や蘭学の大成した時期でもある。広義の定義では、18世紀後半から19世紀前半の非常に長い期間を含む場合がある。
史学上は、江戸前期に上方を中心に起こった町人文化である元禄文化と対比され、享楽的色彩が強いとする[1]。また、従来においては江戸の三大改革を基点に、寛政の改革と天保の改革の間の時期と見なされてきた上に、享保の改革と寛政の改革の間の田沼時代(宝暦-天明期)が軽視されたため、本来であれば宝暦-天明期に属する事柄の多くが、化政文化のものとして取り扱われてきた経緯がある。そのため、近年は宝暦・天明文化と新たな時代区分が定義されており、従来、杉田玄白や本居宣長、与謝蕪村といった化政文化の代表人物として扱われることも多かった者が、宝暦・天明期のものに変更されている部分もある。
江戸時代後期に江戸を中心として栄えた町人文化を、その最盛期とされる文化・文政期(1804年 - 1830年)を中心に据えて定義される文化、また時代区分である。
政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行し、文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた[2][3]。版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、そのような技術で作られた版画は錦絵(浮世絵)と呼ばれた。江戸から発生し、商人などの全国的交流や、出版・教育の普及によって各地に伝えられていった。また、これに伴い、内容も多様化していき、庶民へと浸透していった。風俗上で時代劇の舞台とされることが最も多いのがこの時代である[4]。
江戸時代前期に栄えた町人文化である元禄文化のときには、文化の中心は上方であったが、このころから文化の重心は江戸に移っていく。ただし、音楽における京流手事物や陶芸の京焼のように、上方で著しく発展を見たものもある。
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