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徳島県庁所在地 ウィキペディアから
徳島市(とくしまし)は、徳島県の東部に位置する市。徳島県の県庁所在地及び最大の都市であり2018年12月18日から中枢中核都市として指定されている。
とくしまし 徳島市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 徳島県 | ||||
市町村コード | 36201-8 | ||||
法人番号 | 6000020362018 | ||||
面積 |
191.52km2 | ||||
総人口 |
245,549人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 1,282人/km2 | ||||
隣接自治体 |
小松島市、勝浦郡勝浦町、板野郡松茂町、北島町、藍住町、名西郡石井町、神山町、名東郡佐那河内村 和歌山県和歌山市(海上〈紀伊水道〉で隣接) | ||||
市の木 | ホルトノキ | ||||
市の花 | サクラ | ||||
徳島市役所 | |||||
市長 | 遠藤彰良 | ||||
所在地 |
〒770-8571 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
徳島市のブランドステートメントは、わくわく実感! 水都とくしま。
徳島市は江戸時代に徳島藩の城下町として栄え、幕末には藍産業の発展で国内で人口が上位10位に入る城下町となった。徳島県の政治・経済・文化の中心都市であり、地理的には「四国三郎」と呼ばれる吉野川の河口に位置し、紀伊水道に面している。
古来より近畿地方との繋がりが深く現在でも神戸淡路鳴門自動車道や関西地方のテレビ、ラジオを通じて人的・物的・経済的な交流が盛んであるが、明石海峡大橋の開通後は買い物客の神戸・大阪への流出も激しく、2020年に徳島駅前にあったそごう徳島店が閉店したことで、山形県とともに県内に百貨店が存在しない県となった(その後跡地の一部にサテライトショップの三越徳島が出店)。
毎年8月のお盆期間に開催される当市の阿波踊り(徳島市阿波おどり)は江戸時代より約400年の歴史がある日本の著名な伝統芸能の一つであり、阿波踊り期間中の4日間に日本国内外から約130万人の観光客が訪れる[1]。
吉野川河口に位置し、その三角州上に発達した都市である。当市内には138の川が流れる。当市の大半は徳島平野に位置し平坦であるが、ほぼ中央には当市のシンボルである眉山がそびえ、風光明媚な景観を創り出している。南部は山林が広がる山間部となっている。
国土地理院地理情報 によると徳島市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは19.33km、南北の長さは19.44kmである。
市内の各地区は、徳島城跡や徳島駅のあるひょうたん島(内町地区)を中心とすると、東西南北に次のように位置している。
また、内町地区より新町川を挟んで眉山寄りには新町地区があり、この2地区を合わせて中心市街地と定義されている。
さらに、各河川を超えると、次の地区がある。
北端 北緯34度7分50秒 東経134度34分37秒 ↑ | ||
西端 北緯34度2分54秒 東経134度25分21秒← | 中心点 北緯34度2分34.5秒 東経134度31分38秒 | 東端 →北緯34度2分18秒 東経134度37分55秒 |
↓ 南端 北緯33度57分19秒 東経134度32分9秒 | ||
山 | 標高 | 備考 |
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眉山 | 277m | 映画『眉山-びざん-』の舞台 |
城山 | 62m | 徳島城跡 |
中津峰山 | 773m | 当市内で最も高い |
西竜王山 | 495m | 山内には徳島県立神山森林公園がある |
東竜王山 | 408m | 西竜王山の東部に位置している |
弁天山 | 6.1m | 自然の山としては日本一低い |
平石山 | 648m | 当市と勝浦郡勝浦町の境界に位置する山 |
古田山 | 660m | 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山 |
負出山 | 346m | 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山 |
日峰山 | 191m | 当市と小松島市の境界に位置する山 |
津田山 | 77m | 阿波狸合戦ゆかりの地 |
気延山 | 212m | 源義経ゆかりの地 |
辰ヶ山 | 197m | 名東郡旧国府町と名西郡入田村の境界に位置する山 |
向寺山 | 190m | 山内には徳島県文化の森総合公園がある |
七ッ山 | 9.0m | 徳島県第2位の低山 |
熊山 | 41.0m | 徳島県第4位の低山 |
徳島市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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市街地は瀬戸内海式気候と南海型太平洋側気候のちょうど境目に位置している。南海上の湿った気流による影響が大きい点から、南海型太平洋側気候に分類されることがある。ただ降水日数や年降水量から見ると、瀬戸内海式気候が明瞭である。西日本では珍しい、梅雨よりも秋雨や台風での降水量が多い地域である。
空梅雨の年、台風襲来のない年は、瀬戸内側の他の地域と同様に降水量が少なくなる。しかし、夏から秋に特に台風で雨量が集中すると、南海型太平洋側気候の地域とほとんど変わらない降水量を記録する事も珍しくなく、年によって降水量が大きく異なる。
典型的な海洋性気候で年間を通じて温暖であり、降霜や冬日(日最低気温0℃未満の日)はごく稀であり、冬季の最低気温の平均は四国4県の県庁所在地中で一番高い。
また日照時間は全国的に見て長い方であり、県庁所在地47地点中で第9位である。
年平年値(1991年から2020年の平均値)は、気温:16.8℃、降水量:1,619.9mm(最多雨月9月:271.2mm、最少雨月1月:41.9mm)、日照時間:2,106.8時間、1mm以上の降水日数:97.5日/年である[2]。
徳島市(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 22.5 (72.5) |
23.2 (73.8) |
26.4 (79.5) |
30.1 (86.2) |
32.9 (91.2) |
35.7 (96.3) |
38.4 (101.1) |
38.2 (100.8) |
36.2 (97.2) |
33.4 (92.1) |
27.1 (80.8) |
26.7 (80.1) |
38.4 (101.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.0 (50) |
10.8 (51.4) |
14.3 (57.7) |
19.6 (67.3) |
24.0 (75.2) |
26.8 (80.2) |
30.6 (87.1) |
32.3 (90.1) |
28.5 (83.3) |
23.1 (73.6) |
17.7 (63.9) |
12.5 (54.5) |
20.9 (69.6) |
日平均気温 °C (°F) | 6.3 (43.3) |
6.8 (44.2) |
9.9 (49.8) |
15.0 (59) |
19.6 (67.3) |
23.0 (73.4) |
26.8 (80.2) |
28.1 (82.6) |
24.8 (76.6) |
19.3 (66.7) |
13.8 (56.8) |
8.7 (47.7) |
16.8 (62.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.9 (37.2) |
3.1 (37.6) |
5.8 (42.4) |
10.6 (51.1) |
15.6 (60.1) |
19.8 (67.6) |
23.9 (75) |
24.9 (76.8) |
21.6 (70.9) |
15.9 (60.6) |
10.1 (50.2) |
5.2 (41.4) |
13.3 (55.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.4 (22.3) |
−6.0 (21.2) |
−3.6 (25.5) |
−0.7 (30.7) |
4.6 (40.3) |
9.7 (49.5) |
15.3 (59.5) |
16.6 (61.9) |
11.9 (53.4) |
4.5 (40.1) |
−1.3 (29.7) |
−4.3 (24.3) |
−6.0 (21.2) |
降水量 mm (inch) | 41.9 (1.65) |
53.0 (2.087) |
87.8 (3.457) |
104.3 (4.106) |
146.6 (5.772) |
192.6 (7.583) |
177.0 (6.969) |
193.0 (7.598) |
271.2 (10.677) |
199.5 (7.854) |
89.2 (3.512) |
63.9 (2.516) |
1,619.9 (63.776) |
降雪量 cm (inch) | 1 (0.4) |
1 (0.4) |
0 (0) |
- | - | - | - | - | - | - | - | 0 (0) |
2 (0.8) |
平均降水日数 (≥0.5mm) | 6.5 | 7.1 | 10.3 | 10.1 | 9.7 | 13.2 | 11.2 | 9.0 | 11.4 | 9.4 | 7.7 | 6.5 | 112.2 |
% 湿度 | 61 | 61 | 61 | 62 | 67 | 75 | 77 | 73 | 72 | 69 | 66 | 63 | 67 |
平均月間日照時間 | 160.3 | 152.5 | 179.8 | 197.9 | 205.7 | 151.9 | 192.0 | 230.6 | 162.0 | 163.6 | 150.4 | 160.1 | 2,106.8 |
出典1:気象庁 [統計 1] | |||||||||||||
出典2:気象庁 [統計 2] |
徳島市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 徳島市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 徳島市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
徳島市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
人口は約25万人と、四国の県庁所在地の中では最も少ないが、徳島都市圏の人口は68万人(四国第2位)となっており、松山都市圏とほぼ同規模である[注釈 1]。
これ以前については「徳島城#歴史・沿革」を参照。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 井上高格 | 1889年(明治22年)11月11日 | 1890年(明治23年)6月3日 | |
2 | 坂部広織 | 1890年(明治23年)6月17日 | 1896年(明治29年)6月12日 | |
3 | 保富正三 | 1896年(明治29年)6月29日 | 1897年(明治30年)11月2日 | |
4 | 高井幸雄 | 1898年(明治31年)1月31日 | 1902年(明治35年)10月27日 | |
5 | 桑村猪平 | 1902年(明治35年)12月1日 | 1906年(明治39年)8月31日 | |
6-9 | 一坂俊太郎 | 1907年(明治40年)4月13日 | 1922年(大正11年)2月3日 | |
10 | 武市彰一 | 1922年(大正11年)4月18日 | 1925年(大正14年)11月14日 | |
11 | 矢野猪之八 | 1926年(大正15年)6月9日 | 1927年(昭和2年)5月5日 | |
12 | 橋本菊太郎 | 1927年(昭和2年)5月19日 | 1931年(昭和6年)5月18日 | |
13 | 坂本政五郎 | 1931年(昭和6年)6月5日 | 1933年(昭和8年)9月6日 | |
14 | 藤岡直平衛 | 1933年(昭和8年)9月7日 | 1937年(昭和12年)9月6日 | |
15 | 工藤隆治 | 1937年(昭和12年)12月6日 | 1941年(昭和16年)12月1日 | |
16 | 森六郎 | 1942年(昭和17年)3月27日 | 1945年(昭和20年)4月15日 | |
17 | 吉積文平 | 1945年(昭和20年)5月8日 | 1946年(昭和21年)11月14日 | |
18 | 妹尾芳太郎 | 1947年(昭和22年)4月7日 | 1948年(昭和23年)7月1日 | |
19 | 原菊太郎 | 1948年(昭和23年)8月27日 | 1951年(昭和26年)3月30日 | |
20-21 | 長尾新九郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1959年(昭和34年)5月1日 | |
22-23 | 豊田幸太郎 | 1959年(昭和34年)5月2日 | 1967年(昭和42年)5月1日 | |
24-25 | 武市一夫 | 1967年(昭和42年)5月2日 | 1973年(昭和48年)1月31日 | |
26-28 | 山本潤造 | 1973年(昭和48年)3月4日 | 1985年(昭和60年)3月3日 | |
29-30 | 三木俊治 | 1985年(昭和60年)3月4日 | 1993年(平成5年)3月3日 | |
31-33 | 小池正勝 | 1993年(平成5年)3月4日 | 2004年(平成16年)3月5日 | |
34-36 | 原秀樹 | 2004年(平成16年)4月18日 | 2016年(平成28年)4月17日 | |
37 | 遠藤彰良 | 2016年(平成28年)4月18日 | 2020年(令和2年)4月17日 | [10] |
38 | 内藤佐和子 | 2020年(令和2年)4月18日 | 2024年(令和6年)4月17日 | |
39 | 遠藤彰良 | 2024年(令和6年)4月18日 | ||
当市は、四国の県庁所在地の中では唯一平成の大合併を行っていないが、徳島県などが合併構想を持っており、徳島県市町村合併推進審議会の答申[広報 11]では当市を含む合併構想について2つの案を示している。
1つ目の枠組み案は小松島市、勝浦町、上勝町、佐那河内村、名西郡および板野郡の各町を含むもので、この枠組みでの人口は約45万人(四国第2位)となる。もう1つの枠組み案は、1つ目の枠組み案から板野郡を除いたもので、この枠組みでの人口は約35万人(四国第3位)となる。
また当市は「第4次徳島市総合計画[広報 12]」などで合併に前向きな姿勢を示しており、40万人規模の中核市とすることを目標[14]にしている。しかし、周辺市町村の足並みが揃っていない[15]など合併には数多くの課題を抱えているため、当市は周辺市町村に呼び掛けて「徳島東部地域市長村長懇話会[広報 13]」を設け、共通の行政課題や地域のあり方ついて話し合うことで将来的な合併に向けての足がかりを得ようとしている。
2010年(平成22年)、東部地域市町村町懇話会に参加する全市町村が参加した定住自立圏を形成し、当市が近く中心市宣言を行うことを発表した。
2015年(平成27年)、徳島市は隣接する小松島市と合併して40万人規模の中核都市とする計画を断念し、徳島市のみで中核市を目指す方針へ計画を変更した。これはこれまで中核市になりえる条件として市人口が30万人以上だったものが20万人以上に引き下げられたためである[16](現在の徳島市の人口は約25万人)。
江戸時代より阿波国/徳島県の経済の中心であり、四国でも県庁所在地の高松市、松山市、高知市と並び重要な位置を占めている。江戸時代から明治時代までは、藍や木材の集散地として大いに栄え、全国でも有数の商業都市であった。古くから大阪など関西地方とのつながりが深いことで知られており、明石海峡大橋の開通後はそれがさらに顕著になっている。
大正以後は、藍産業の衰退にともなって一時停滞を余儀なくされたが、藍商人が長年蓄積した富を資本にした金融機関の設立や、紡績、製紙、電力などの近代産業の発展が見られ、現在の経済の基盤が築かれた。
太平洋戦争の徳島大空襲により市街地は焦土と化したが、戦後いち早く復興し、高度経済成長期には新産業都市の指定を受け、化学工業を中心に工場の誘致が進むとともに、製材業、木工業といった従来の産業も発展した。1998年(平成10年)の明石海峡大橋開通前後には、流通産業や、関西系企業を中心とした製造業の立地が進んだ。
年間商品販売額は、四国の市町村中で高松、松山、高知市に次いで第4位であり、年間製造品出荷額は第6位(県庁所在地中では第1位)である(2007年)。
製造品出荷額は4,998億円[統計 3](就業者数3人以下の事業所を除く)で、徳島県全体の3分の1ほどを占める。ここ数年増加傾向にある。
化学工業の占める割合が高く、製造品出荷額では全体の68%(3,395億円)を占め、順調に増加している。これは、川内地区に徳島工場をもつ大塚製薬をはじめとする大手企業よるところが大きい。その一方で、機械産業や木工業など、他の分野は減少が続いているものが多い。重化学工業が占める割合は約73%である。
就業者数は11740人[統計 3](同)であり、これも化学工業が最も多く、約30%(3480人)を占める。重化学工業の占める割合は56%である。一方で、事業所数(462軒)[統計 3](同)で最も多いのは食料品業の約18%(82軒)や家具・装飾品業の約17%(75軒)であり、化学は20軒にとどまる。重化学が占める割合も28%(130軒)である。
古くからの代表的な工業としては木材業(津田地区で詳述)や、木工業(家具、木製品、装飾品業、渭東地区で詳述)がある。津田海岸町にある徳島県木材団地は、木材団地として全国屈指の規模を誇り[20]、唐木仏壇(徳島仏壇)は、徳島県が全国一のシェアを占めている。木工業は渭東地区、沖洲地区一帯に集中している。
食料品業では、日本ハムが徳島市発祥の企業であり、現在でも県内に工場を持つ。また、徳島製粉も市内に本社、工場を持つ。
地区別の製造品出荷額では、川内地区が全体の約75%(3673億円)を占め、次いで加茂地区の約5%(227億円)、沖洲、応神、国府、津田、八万、不動の順である。
主な工業団地・および工業地[21]
当市の年間商業販売額は約1兆円(1兆3433億円・2014年)であり、徳島県全体の6割強を占める。この額は、鳴門市発祥で川内地区に主要生産、研究拠点を持つ大塚ホールディングスの年間売上高(1兆2,400億円・2017年度)とほぼ同額である。
年間商品販売額のうち、卸売販売額は7,228億円、小売販売額は6,204億円である。いずれも減少傾向にある。
卸売業は県内向けの商品が主に取り扱われているが、本州から四国各地への商品の流通も明石海峡大橋の開通後増加している。
小売業は、徳島駅前に百貨店などの大型商業施設、沖浜や田宮街道といった市街地周辺にロードサイド型の店舗が数多く立地し、徳島県内全域から集客がある。しかし、近年では近郊の板野郡北島町や藍住町などへの大型商業施設の出店により、市外からの集客は減少傾向にあり、市民も市外で買い物することが増えている。さらに明石海峡大橋(1998年)、高松自動車道(2003年)の開通により、関西や香川県への消費流出も指摘されている[22]。
各地区の年間小売販売額および主な商店地区・大型商業施設の立地
地区 | 年間小売販売額[統計 4] | 主な商店街・商業地 | 備考 |
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内町地区 | 466億円 | 徳島駅前 | 市内で最大の繁華街である。(内町地区に詳述)
などの大型商業施設が集積する。 |
その他商業地 | 両国本町商店街、中洲総合水産市場、中洲市場。通町、南内町(新町川沿い)などにも中小店舗が並ぶ。 | ||
新町地区 | 108億円 | 地区一帯 | かつては百貨店や映画館の集まる市内最大の繁華街であったが、現在は衰退している。(新町地区に詳述。) |
東富田地区 | 99億円 | 仲之町 | 東西に伸びる4車線道路。県道136号線に指定。カラー舗装化され、雑貨、衣料品店などの並ぶ商業地区。 |
二軒屋通り | 二軒屋町を南北に走る江戸時代から続く商店街。国道438号に指定。カラー舗装化され、中小店舗が連なる。 | ||
秋田町・栄町 鷹匠町 | 新町地区の紺屋町、富田町とともに、市内最大の歓楽街を形成。四国でも最大規模である。 アクティ21などの大型商業ビルがある。 | ||
西富田地区 | 15億円 | ||
大道 | 国道438号指定。江戸時代からの商店街。市街地を南北に走り、二軒屋町に続く。カラー舗装化されている。 | ||
佐古地区 | 112億円 | 佐古商店街 | 旧伊予街道。かつて問屋街として栄えた。現在も問屋、小売店が多く残る[23]。 |
国道192号 | 旧伊予街道に沿う4車線道路。中小小売店、スーパー、飲食店が並ぶ。徳島大学病院前には菓子屋や薬局が立ち並んでいる。佐古駅に延びる道沿いにも中小店舗が並ぶ。 | ||
加茂名地区 | 188億円 | ||
蔵本商店街 | JR蔵本駅前、ならびに旧讃岐街道(蔵本元町)に長く延びる。徳島大学病院(徳大蔵本キャンパス)に隣接し、飲食店や居酒屋も多い。 | ||
県道30号線 | 田宮街道の通称で親しまれている。 | ||
加茂地区 | 129億円 | ||
渭北地区 | 174億円 | ||
都市計画道路常三島沖洲線 | 北常三島交差点から東に延びる市道。渭東地区住吉に入ると、新興商店街の「すみよしセンターストリート」となる。 | ||
渭東地区 | 119億円 | ||
福島、安宅 | 県道38号線沿いがスーパーや小売店の多い商業地区となっており、また、近年開通した県道29号(徳島環状線)沿いにコーナンやドラッグストアが出店している。 | ||
沖洲地区 | 204億円 | ||
昭和地区 | 198億円 | 国道55号沿い | 飲食店、スーパー、雑貨店が並び、南下すると沖浜へ続く。 |
県道120号(旧国道55号)沿い |
| ||
津田地区 | 130億円 | ||
県道29号(徳島環状線) | マルナカ徳島店が立地。近年飲食店や衣料品店など出店してきている。 | ||
八万地区 | 314億円 | 国道55号沿い 文理大学周辺 | 沖浜(おきのはま)と通称される、郊外型店舗の集積地である。1980年代から開発が進んだ新興商業地区である。 |
国道438号 | 城南町、八万町内で中小の商店が連なり、また、スーパーやドラッグストアも立地している。 | ||
県道136号 | 南二軒屋町、八万町では、スーパーや商店が立ち並ぶ。園瀬川以南では住宅と商店が混在する。 | ||
勝占・多家良地区 | 294億円 | ||
国道55号 | 園瀬川以南では水田地帯も見えてくるが、国道沿いにはニトリやキリン堂などの大手チェーン店や自動車販売店、飲食店が立ち並び、小松島市境まで続く。三軒屋町は、かつてゆめタウン出店が計画されたところである。 | ||
県道120号 (旧国道55号) | 論田(ろんでん)町では自動車販売会社が立ち並んでいる。勝占地区の自動車・自転車販売額は市内最大の168億円であり、当地区の小売販売額(280億円)の6割を占める。大原町に入ると、小松島市境まで、大小の小売店が連なっている。 | ||
不動地区 | 6億円 | 県道1号線沿いに飲食店やコンビニなどが数軒みられる。 | |
応神地区 | 67億円 | 県道39号 (旧国道11号) | 中小小売店、飲食店が立ち並び、北島町境まで続く。徳島市と北島町は、この道路に沿ってDID地区が連続している。 |
県道29号 (徳島環状線) | ロードサイド型の飲食店などが立地している。市境を超え、藍住町に入ってすぐにゆめタウン徳島、コーナン、ヤマダ電機、ケーズデンキの大型商業施設が立ち並ぶ。 | ||
川内地区 | 229億円 | 国道11号 | ロードサイド型店舗が立ち並ぶ。飲食店などのチェーン店が多い。 |
上八万・入田地区 | 32億円 | 県道沿いにスーパーや小売店、しらさぎ台には町の中央にスーパーがある。 | |
国府・南井上・北井上地区 | 136億円 | 国道192号 県道30号 | ロードサイド型のスーパー、飲食店、小売店が立ち並び、石井町境まで続く。 |
市街地では、全てJR徳島駅前に集まっている。かつては東新町商店街に丸新百貨店やダイエー徳島店などが集まっていたが、2005年までに全て閉店し、その後、大型商業施設は立地していない。
また、万代町にサティ、南末広町にジャスコの入居した徳島リバーシティがあったが、それぞれ2008年、2009年に相次いで撤退した。
名称 | 所在場所 | 開業年 | 閉店年 | 主なテナント | 商業施設面積 | 備考 |
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徳島駅前再開発ビルアミコビル | 徳島駅前 | 1983年10月1日 | 2020年8月31日 | そごう徳島店 | 26,738m2 | |
営業中 | アミコ東館(旧そごう徳島店) | |||||
アミコ西館(アミコ専門店街) | 約4500m2(売場面積) | |||||
その他 | スマイルホテル、徳島市立図書館など | |||||
徳島駅ビル | 1993年 | 営業中 | クレメントプラザ | 7000m2 | ||
JRホテルクレメント徳島 | ||||||
とくしまCITY | 1972年9月 | 2013年7月21日 | 無印良品、パワードラッグワンズなど | 老朽化のため閉店。
2015年10月25日、跡地にダイワロイネットホテル徳島駅前が開業。 | ||
ダイワロイネットホテル徳島駅前 | 2015年10月25日 | 営業中 | セブンイレブンなど | とくしまCITY跡地。 | ||
ラスタビル(旧つぼ美屋ビル) | 1974年 | つぼみや百貨店新館 | ||||
1987年4月20日 | 1999年4月11日 | 徳島ビブレ | 8400m2(延床面積) | |||
2001年10月12日 | 2003年1月27日 | ラスタ徳島 | 8400m2(延床面積) | 2012年9月にビル解体工事開始、2013年3月31日にビル解体工事完了。跡地はコインパーキングになっている。商業ビルを計画中。 | ||
徳島名店街 | 1957年 | 営業中 | ホテルサンルート徳島、タリーズコーヒーなど。 | 8058m2 (延床面積) | 2006年に新築オープン。 | |
丸新百貨店 | 新町地区 | 1934年3月24日 | 1995年3月22日 | 7898m2 | 老舗の地場百貨店として賑わったが、そごう出店後売り上げが減少し閉店。
跡地は東新町商店街のイベント広場になった。 | |
徳島東宝ビル | 1971年6月18日 | 2005年11月27日 | ダイエー徳島店 | 3720m2(延床面積) | 跡地には2009年5月に高層マンション「アルファステイツ新町」が竣工し、1階部分に地場スーパーがんばりやが出店。 | |
2006年1月27日 | 徳島東宝 | |||||
徳島サティ | 昭和地区 | 1981年3月1日 | 2008年4月6日 | 11500m2 | 跡地には田岡病院が開院した。 | |
ハローズ万代モール | 2017年7月3日 | 営業中 | ハローズ万代店など | 月極駐車場跡地。 | ||
マルナカ徳島店 | 津田地区 | 2003年12月20日 | 営業中 | ヤマダ電機、宮脇書店、コムサイズムなど | 16433m2 | |
ヤマダ電機徳島本店 | 渭北地区 | 2007年9月14日 | 営業中 | 6950m2(売場面積) | ||
ハローズ住吉モール | 渭東地区 | 2016年10月21日 | 営業中 | ハローズ住吉店、セリアなど | ||
ケーズデンキ徳島沖洲店 | 沖洲地区 | 2002年3月14日 | 2021年2月14日 | 跡地にはキョーエイ沖洲市場店が開店した。 | ||
徳島リバーシティ | 1981年4月25日 | 2009年2月1日 | ジャスコ徳島店など | 8487m2 | 老朽化のため閉店。
跡地にはイオンモール徳島が開店した。 | |
イオンモール徳島 | 2017年4月27日 | 営業中 | イオンスタイル徳島店など | 約49,900m2(敷地面積) | 徳島リバーシティ跡地。 | |
キョーエイ佐古店 | 佐古地区 | 1973年12月7日 | 2018年11月7日 | ダイソー | 老朽化のため閉店。
跡地にはハローズ佐古モールが開店した。 | |
ハローズ佐古モール | 2019年12月6日 | 営業中 | ハローズ佐古店、レディ薬局、セリアなど | キョーエイ佐古店跡地、ダイヤレーン跡地。 | ||
マルナカ佐古店 | 2021年10月29日 | 営業中 | ||||
ケーズデンキ沖浜店 | 八万地区 | 2021年2月26日 | 営業中 | 4191m2(売場面積) | ホームキーパーデコール沖浜店跡地。 | |
アクロスプラザ徳島大松 | 勝占地区 | 2006年 | 営業中 | キリン堂、ダイソー、ローソン | ||
ショッピングプラザタクト | 加茂名地区 | 1994年11月30日 | 営業中 | キョーエイ、エディオン、平惣など | 地場最大手のキョーエイが経営する複合商業施設。 | |
地元資本の勢力が強く、複数の地場スーパーがチェーン展開を行っている。かつてはダイエー、ジャスコ(上述のとおりイオンスタイルとして再出店)、サティもあったが相次いで撤退した。店舗数は増加しており、市街地や郊外を問わず市内一円に立地している。
競争が激化しているため、徳島県産の生鮮食料品の販売に力を入れたり24時間営業を行ったりするなど、各店が様々なサービスを展開している。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
徳島市の定義では、中心市街地は内町地区と新町地区から構成されており、主に次の商店街がある。アーケードがあるのは東新町、籠屋町商店街などであるが、その長さは約1.5キロメートルで、四国の他県都に比べると短く、店舗の集積度や通行量も少ない。これは市街地の商業の中心がアーケード街ではなく徳島駅前となっており、デパートなどの大型商業施設が商店街に存在していないことや、市内には私鉄がなく、自家用車による移動が多いため、郊外店に有利な状況が続いているためである。
かつては百貨店や大型スーパー、映画館、劇場が集まり、徳島県下はもとより四国でも最大の繁華街を形成し、最新の流行、文化を得られる場所として賑わった。しかし昭和50年代以降、モータリーゼーションの進展に伴い郊外の大型店に客を奪われ始め、さらに1983年(昭和58年)にそごうの入ったアミコビルが、1993年(平成5年)にクレメントプラザが徳島駅前に開業したことから衰退が加速し、現在[いつ?]では大型商業施設や映画館は全て姿を消し、通行量も昭和40年代の5%ほどにまで減少している。
徳島市は藩政時代から商業都市として栄え、全国の10大都市として古くから市街地の規模も大きかった。中心市街地周辺にも、藩政時代からの歴史を持つ中小商店街が多く存在している。また、戦後開発された郊外型の商店街もある。
かつては新町地区を中心として30軒を超す映画館があり、県内一円からの集客を誇った。しかし、2001年(平成13年)に隣接する北島町のフジグラン北島にシネマコンプレックスのシネマサンシャイン北島がオープンすると次々と閉館し、2006年(平成18年)に幸町の徳島ホールでの封切映画の上映を打ち切ったのを最後に、市内の映画館は全滅することとなった。
県庁所在地であるのもかかわらず映画館が全くないという状況は市民の間でも問題となり、2008年の徳島市長選挙では原秀樹市長(当時現職)が映画館の復活を公約に掲げたほどであった。
その後、徳島市はアニメーション制作会社「ユーフォーテーブル」に依頼して、アニメ映画を中心とした映画館を東新町商店街に開館することを決め、2012年春にufotable CINEMAが完成した。
また、2017年にイオンが徳島市にシネマコンプレックスを備えた大型商業施設「イオンモール」を開業し、ユーフォーテーブルシネマ以来の本格的な映画館が市内に開館することとなった。
徳島県に本社を持つ金融機関の多くが当市に本店を持っており、大手・地方銀行、証券会社、保険会社などの支店も集中している。
当市に初めてできた銀行は、地元藍商人の久次米兵次郎が1880年(明治13年)に設立した久次米銀行であり、全国第6番目の銀行であった。
地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行はすべて徳島市内に支店を持つ。
第二地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て徳島市内に支店を持つ。
など
当市は医師、歯科医師、薬剤師、看護師などの医療従事者が非常に多いことで知られており、人口当たりの病院・診療所数は全国の市町村中4位、医師数は同19位となっている[24]。
徳島県全体で医療従事者数は全国的に非常に多くなっているが、とりわけ当市に数が集中し、医師数で3分の2、医療施設で約6割を占めており、全国でも最高クラスの医療激戦区となっている[25]。
市内に医療従事者が多い理由としては、徳島大学の存在が指摘されている[26]。同大学は医学部、歯学部、薬学部が揃う四国で唯一の大学であり、長年にわたり多くの医療従事者を輩出している。
特に医学部は戦前の設立であり、1973年に愛媛大学に設置されるまで四国で唯一の医学部だった。歯学部、薬学部は現在でも四国の国立大学では徳島大学にしかない。
また、徳島文理大学には薬学部と保健福祉学部、四国大学には看護学部、徳島県立総合看護学校、専門学校健祥会学園には介護福祉科、理学療法士科、作業療法士科があり、医療・福祉関連の専門職を数多く育成、輩出している。
医療施設、従事者の集中とともに、製薬などの医療関連産業も発達しており、市内には大塚製薬といった大手製薬メーカーの工場や研究所が立地しているほか、関連地場産業の発展もみられる。徳島大学との産学連携事業が盛んである[26]。
このほか、小松島市に徳島赤十字病院(405床)、鳴門市に徳島県鳴門病院(307床)、南海病院(301床)、鳴門シーガル病院(236床)、吉野川市鴨島町に国立病院機構徳島病院(300床)、吉野川医療センター(290床)、阿南市に阿南医療センター(398床)、板野町に国立病院機構東徳島医療センター(276床)、上板町に藍里病院(228床)、松茂町にほのぼのホスピタル(216床)、北島町にきたじま田岡病院(198床)がある。
鳴門教育大学と徳島工業短期大学を除き、徳島県内の大学は全て本市に立地している。また、県内の高校のうち、2011年度現在で存続している私立高校はすべて本市に集中している。
本市に大学が設置されたのは戦後に入ってからだが、戦前には徳島医学専門学校などの国立専門学校が集中して開校し、四国の高等教育の中枢を担った。現在でも、四国で医歯薬学部の揃った大学は徳島大学のみであり、また、同大工学部の学生数は中四国の大学で最多である。
1875年(明治8年)には、福澤諭吉の方針によって慶應義塾の支塾も開設された。同塾が支塾を開校したのは、全国で大阪、京都、徳島の3都市だけである。
太字の学校には制服がある。
市内に河川が極めて多く、橋の建設に多額の費用と高い技術が必要となるため、道路、鉄道整備は遅れた。徳島市は、四国の県都の中で唯一私鉄が走っておらず、また、慢性的な交通渋滞が生じている。私鉄が走っていない分、市内の公共交通はJR線や路線バスに頼る面が大きく、JR徳島駅の乗降客数はJR四国の駅の中で第2位となっている。
関西方面への公共交通機関は高速バスが担っている。かつては高速船や航空機も多数発着していたが、明石海峡大橋開通後に全廃された。
JR線は、徳島駅を起点として高徳線、徳島線、牟岐線、鳴門線の列車が発着し、通勤、通学を主体とした輸送が行われている。都市間連絡は高徳線に特急「うずしお」が高松駅(一部岡山駅)へ走り、香川県や中国地方への連絡が図られ、また徳島線には特急「剣山」が阿波池田駅へ走り、高知県方面への連絡が図られている。
関西方面ならびに松山市方面には、所要時間、料金面からも高速バスが圧倒的に有利である。なお、市内に電化されている鉄道区間はない。
高速道路は、吉野川北岸を徳島自動車道が通っている。兼ねてより徳島IC〜鳴門IC間の工事が進行しており、2015年に開通した。この開通により、関西、中部、関東から愛媛、高知方面へ向かう自動車、高速バスはほぼ全て徳島市を経由するようになった。
航空機は、隣の松茂町に徳島飛行場があり、東京・福岡便が発着している。徳島市は、日本初の定期航空路線が開設された都市である。
カーフェリーについては、かつては阪神方面に多数航路が存在したが、2019年6月現在では徳島港から和歌山港を結ぶ南海フェリーのみである。また、東京・北九州へオーシャン東九フェリーが運航されており[28]、これは四国と関東を結ぶ四国唯一のフェリー航路となっている。
市内交通は、マイカーと自転車に頼るところが大きい。とくに自転車は、雪が降らず、晴れの日が多いことや、坂道が少ないこと、公共交通機関が不便なことから、通勤通学や日常生活の足として欠かせないものとなっており、全国に先駆けて、昭和40年ごろには歩道に自転車専用レーンが整備[29]され、徳島市の交通機関に占める自転車の分担率は、全国の都道府県庁所在地で最高[30]となっている。道路については道路整備の遅れから朝夕の渋滞が慢性化しており、現在徳島環状道路の整備が進んでいる。
徳島市内を走る鉄道は全てJRであり、四国の県庁所在地で唯一私鉄が通らない市でもある[注釈 9]。高徳線が佐古地区から吉野川北岸の内陸側の応神地区にかけて、市街地では徳島線が眉山の北側、牟岐線が眉山の東側を通っている。当市内をはじめ、徳島県内全線全区間が非電化である。また、路線は吉野川の川幅の広さや小河川の多さ、眉山、四国山地などの地形の障壁を軽減するように通っている。そのため利便性が高い地域はあまり多くない。
関西方面への移動は、瀬戸大橋を経由しなければならない鉄道よりも明石海峡大橋を通る高速バスのほうが圧倒的に速く料金も安いため、四国の他県都と違って同方面への鉄道需要はほぼ皆無である。高知市、松山市への移動も鉄道だと高松駅または阿波池田駅で乗り換えが必要となることなどから高速バスを利用する人が多いため、中・長距離移動で鉄道を利用する人はかなり少ない。これが当市の鉄道路線が電化されない理由の一つになっている。
ただし、通勤・通学などの近距離輸送の需要は比較的高く、徳島駅の乗降客数は高松駅に次いで四国第2位になっている。これは、市内の朝夕の道路渋滞が激しいことや、徳島駅前にアミコビルなどの大型商業施設が集中し当市最大の繁華街が形成されていること、路線バス・高速バスがほぼすべて徳島駅を起点としており鉄道との接続がスムーズであることなどが理由として挙げられる。しかし、少子化による通学需要の減少や中心市街地の衰退に伴い利用者は減少傾向にある。
市内に私鉄や地下鉄が通っていないため、市街地内や市街地と郊外を結ぶ公共交通機関として重要な役割を果たしており、通勤・通学や高齢者の買い物や通院の足となっている。ほぼ全ての路線がJR徳島駅前を発着点にしており、JRや他のバス路線への乗り継ぎが分かりやすくなっている。最大の運行本数を持つ徳島市交通局の1日の乗客数は約14000人(平成19年)である。
5分以内の間隔で運行されている区間が存在するなど、私鉄がない分多くのバスが運行されているものの、最終便が早く、大半の路線で21時台となっている。
モータリーゼーションにより、全国の地方都市の路線バスと同じく利用者の減少に悩まされている。また、朝夕ラッシュ時は、交通渋滞のために遅延が頻発し、自転車やバイクを利用するほうが速いことが多く、とくに近距離の通勤通学利用は少ない。しかし、雨天時には自転車が利用できないためにバスを利用する客が増え、混雑する。
均一運賃の導入による料金体系の見直しや循環バスの運行、運転士のサービス改善といった対策が行われている。徳島市交通局では、近接した路線を統合して循環バスを新たに開設したり、利用者の少ない路線を福祉バス化したりするなどの経営改善策が図られ、徳島バスでは、好調な京阪神方面への高速バスでの収入により、路線バスの赤字を補っている。
2010年9月26日と10月31日の2日間、徳島市の「まちにいこうよ」事業の一環として、市内を発着する全ての路線バスの運賃を一律100円にする社会実験が行われた。期間中、利用者が大幅に増加し好評だったことから、2011年3月までの間、各月の最終日曜日に継続して実施されることになった。実施日に合わせて、中心市街地で様々なイベントが開催されることになっている。
徳島市内を発着する路線バス企業
全て当市内発着、または徳島市内のバスストップに停車する高速バス路線。大半はJR徳島駅発着である。関西方面へは、料金、時間ともに鉄道に対して圧倒的な優位性を持っており、同方面へ1日100往復を超える高速バスが運行されている。
徳島バス・ジェイアール四国バス共同運行
その他
当市の主要幹線道路は、徳島本町交差点を中心として東西南北方向に走っているのが特徴で、吉野川、鮎喰川、勝浦川など多くの河川や眉山といった自然の障壁に阻まれて、徳島市を通過する自動車のほとんどが中心部に集中するようになっている。交通量の増加に伴う道路整備は、自然の障壁の多さや用地買収の難航のため遅れており、朝夕の通勤時間帯には市街地やその周辺、吉野川にかかる橋付近で激しい渋滞が発生している。
市内を走る主要県道
市内を通る一般県道
徳島市に新聞が創刊したのは1876年(明治8年)であり、戦前には『徳島毎日新聞』(徳毎)と『徳島日日新報』の2紙発行元が徳島県域(一部香川県)をエリアとして新聞を発行していた。この2社は激しい報道合戦や購読者獲得競争を繰り広げたが、1941年(昭和16年)に新聞統制に基づき統合され、『徳島新聞』となった。
ラジオ放送は、大正末期にNHK大阪放送局開局により聴取が可能となり、1933年(昭和8年)、高知に次いで四国2番目の放送局として日本放送協会関西支部徳島支所(NHK徳島放送局)が開局した。同局は、阿波踊りや、「阿波よしこの」の名手お鯉さんの歌を放送し、これらの全国的な知名度の向上に貢献した。戦後、1952年(昭和27年)には、四国放送が、中四国初となる民間ラジオ放送を開始した。
テレビ放送は、1959年(昭和34年)にNHKと四国放送が開始した。徳島県内での民間放送はその後開局せず、県内に系列局を持たないJNN・ANN・FNNの各ニュースネットワークについては、それぞれ大阪の放送局が市内に報道支局を置いている。
徳島県を対象地域とする放送局
下記は報道拠点を置く放送局
徳島市の観光客入り込み客数は、年間229万5,000人[統計 5]である。1998年の明石海峡大橋の開通や、徳島を舞台にした映画『眉山』や『バルトの楽園』の上演によって増加傾向にある。
市内の主要な観光地としては、市のシンボルである眉山、徳島城跡、阿波踊り会館、徳島県文化の森総合公園、とくしま動物園、阿波十郎兵衛屋敷がある。また、市内には四国八十八箇所の札所のうち、13番大日寺から17番井戸寺までがある。いずれも市の郊外に位置している。
徳島中央公園は、徳島藩主蜂須賀氏の居城であった徳島城跡(城山)に整備された公園であり、日比谷公園に次いで全国2番目に整備された西洋式公園としての歴史を持つ。桜の名所であり、徳島城博物館や表御殿庭園などがある。徳島市内町小学校の生徒らは卒業に伴いタイムカプセルをこの公園敷地内へ埋める。しかし、無関係の者に無断で掘り返されるなどの事態は未だかつて起こったことはない。 眉山は徳島市のシンボル的存在として市民に広く親しまれており、山頂(眉山公園)へはロープウェーや自動車で登れる。山頂からの眺望は素晴らしく、夜景は日本夜景遺産に指定されている。
県立の図書館、博物館、美術館は市郊外、八万町の徳島県文化の森総合公園内に集中している。かつて県立図書館は徳島中央公園(徳島城跡)内に、博物館は新町地区の眉山ロープウェー乗り場(現阿波踊り会館)に立地していたが、1990年(平成2年)、文化の森オープンと同時に移転した。
県立図書館の県民1人当たりの貸し出し冊数は、都道府県立の図書館の中で最も多く(2005年度)、蔵書数は四国最大である。 一方、徳島市立図書館は長らく規模の小さい図書館であったが、2012年に徳島駅前のアミコビルに拡張移転し、施設面積は約3倍となり、内容も充実した。
とくしま動物園は、市中心部にあった徳島市立動物園が郊外に移転拡張して1998年にオープンしたもので、年間約20万人の入園者がある。それに隣接するとくしまファミリーランドは、徳島県内唯一の遊園地となっている。 眉山公園、徳島中央公園、西部公園は、市内有数の桜の名所であり、3月末〜4月上旬にかけては多くの花見客でにぎわう。市中心部のひょうたん島やその対岸の河岸は、公園や緑地として整備されて景観の向上が図られており、春〜盆前にかけては阿波踊りの練習場所にもなる。しんまちボードウォークは、中心市街地の活性化のために新町川沿いに建設された遊歩道であり、とくしまマルシェなどのイベント開催時には多くの人で賑わう。普段は静かな市中心部の公園だが、徳島市阿波おどり開催中は演舞場や露店街に様変わりし、観客や踊り子達でごった返すこととなる。
有名な歌手、劇団、楽団のコンサートが主に行われるのは徳島市立文化センター、徳島県郷土文化会館、アスティ徳島である。このうち徳島市立文化センターは1963年(昭和38年)の開館で最も歴史があり、市内唯一の1000人規模の公共ホールとして、有名歌手や世界的なオーケストラの徳島公演が数多く行われてきたが、抜本的な改修やリニューアルは行われておらず、施設の老朽化や音響、設備の面での不備が指摘され2015年3月より使用停止。翌年には耐震工事や設備投資を行わず完全閉館する事が決定された。そのため、徳島市は市中心部の新町西地区への新しいホール建設を計画していたがその後に白紙撤回。徳島市文化センター跡地に新しいホール建設を計画していたが、徳島市文化センター県有地問題で白紙。徳島市が徳島市文化センター跡地の市有地を徳島県に譲渡し新しいホール建設を移譲。徳島市文化センター、徳島県青少年センター、徳島市中央公民館跡地に新しいホール建設を計画していた。予定地は未定だが、収容人数は文化センターと同規模かそれ以上。 アスティ徳島は四国最大の多目的コンベンションセンターであり、有名アーティストの大規模ライブや大型の式典、展示会が開催される。むらさきホールは徳島文理大学キャンパス内にある音楽ホールであり、主に大学主催のコンサートや学生出演のコンサートが開催される。
市内には大型のスポーツ施設が集まっており、各種競技の県大会も多数行われる。ただし、市近郊の鳴門市には県内最大の徳島県鳴門総合運動公園(鳴門・大塚スポーツパーク)があり、徳島開催のプロ野球公式戦や、Jリーグの試合は主に鳴門総合運動公園内の球場、スタジアムで行われる。 また、市内を流れる吉野川や鮎喰川、勝浦川の広大な河川敷は運動場としても利用されており、野球やソフトボール、サッカーなどの試合が行われるほか、阿波踊りの練習場所にもなっている。吉野川河川敷の一部は民間ゴルフ場のコースにも利用されている。
徳島市地区コミュニティセンター条例[広報 18]および徳島市地域コミュニティセンター条例[広報 19]に基づき、徳島市は27のコミュニティセンターを設置している[広報 20]。
徳島藩は江戸時代中期より阿波和三盆糖の生産を開始し、薩摩(鹿児島県)、讃岐(香川県)と並ぶ砂糖の一大産地となった。徳島市はその集散地として、全国でも最も早く、大量の砂糖を入手することができたため、阿波ういろなど、江戸時代から続く伝統和菓子が存在する。また、古くから比較的安価に砂糖が得られたことから、庶民の間にも砂糖を使った料理や菓子が広がり、花嫁菓子といった風習も残っている。
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