橋本 菊太郎(はしもと きくたろう、1876年(明治9年)1月7日 - 1947年(昭和22年)2月21日)は、日本の政治家。薬剤師、徳島市長。徳島県徳島市出身。
経歴
1876年、徳島市東新町の薬舗「郡茂」の分家、橋本半太郎の長男として生まれる[1]。
小学校を卒業後、大阪市内にある田辺製薬へ勤務し、その傍ら大阪薬学校(現在の大阪大学薬学部)に入学。1890年(明治23年)、14歳の若さで薬剤師試験に合格。後に東京薬学校(現在の東京薬科大学)に進学し1894年(明治27年)7月に同校を修了する[1][2]。
1904年(明治37年)、徳島市会議員に当選。その後、徳島薬業組合長・徳島市商店研究会長・徳島県薬剤師会長を歴任。1919年(大正8年)、徳島県会議員に当選。1923年(大正12年)には徳島市会議長に就任。1926年(大正15年)、徳島市助役に就任[3]。
1927年(昭和2年)、徳島市長に就任、1933年(昭和8年)まで任期を満了した。1935年(昭和10年)に徳島市会議員、1937年(昭和37年)には徳島県議会議員に再び当選する[4]。
脚注
参考文献
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