城山 (徳島市)
徳島県徳島市の徳島中央公園内にある山 ウィキペディアから
徳島県徳島市の徳島中央公園内にある山 ウィキペディアから
徳島城があったため城山と呼ばれる。
古称は渭山。細川頼之が1385年に、助任川に映る山を中国長安の渭水に映る山になぞらえて、川を渭水・山を渭山と名づけたと伝えられる。
ただし一説にこれは史実ではなく、西から見ると猪(い)を伏した姿に見えることから猪山と呼ばれたともいう。
徳島駅の北側に広がる徳島中央公園の中央を占める。標高61.7m(三角点の高さ)、東西400m×南北200m[1]。吉野川デルタの一角の標高数メートルの平野に囲まれ、ほとんどの方向で斜面は傾斜を保ったまま平地に接している。頂上部は徳島城築城時に盛土・切土され平らになっている。
北は助任川に面し、最も近い箇所では間にあるのは細道だけである。東では堀川上流にある流れの池・泉の池に、南東では弁天池に接している。南西では徳島城の残存石垣が切り立ち、道を挟んで徳島駅と接している。ただし徳島駅の出入口は南口のみで、城山側に旅客用の出入口はない。
北西麓は唯一、なだらかな斜面で、徳島市民庭球場西の丸コートになっている。西麓にもかつては同様のなだらかな斜面があったが、1929年の西ノ丸運動場建設の際に切り崩され、平地が広げられた。現在の「ライオンの森」(内町小学校裏の広場)あたりである。そのすぐ西には内町小学校があるため、城山はしばしば内町小学校の学校行事に利用される。
沖積平野の堆積層の下の岩盤が堆積層の上に頭を出している部分である。東西に伸びる眉山の稜線の延長線上にあり、眉山や津田山と地下で繋がっている[2]。
古生層に属する三波川変成帯の結晶片岩、主として緑色片岩から成る。
東麓に海蝕痕がある。縄文海進期の波による侵食跡である。地面から高さ約3mにあり、当時の海面がこの高さだったことがわかる。
中腹以上にある城郭遺構を除き、山のほとんどが極相照葉樹林の原生林で、約600種が確認されている。1963年4月27日、城山の原生林として徳島市指定天然記念物に指定された。
ただし山全体が完全な原生林というわけではない。中腹から山頂に分布する徳島城遺構の多くと城山配水池は、盛土・切土されており、草地ないし土がむき出しである。北西の登山口から三の丸跡の間には、築城時の資材搬送路として伐採された跡がある[3]。1929年完成の西ノ丸運動場のために西斜面が削られ、ニセアカシアが植えられた。1988年には森林保全のため、山内から採取された種子から育てられたホルトノキの苗木が補植された。
樹種はホルトノキが卓越し、クスノキ・エノキ・ムクノキなども多い[4]。南斜面と北斜面では樹種が若干異なり、南斜面ではクスノキやホルトノキが、北斜面ではムクノキやエノキが多く、東斜面は中間的でムクノキやホルトノキが多い[5]。西斜面では西ノ丸運動場と城山配水池の建設により本来の森は失われ、植林されたニセアカシアの森になっている。
1970年から樹木の立ち枯れが増加し、1984年からホルトノキの大木が枯死するようになった。原因として土壌の乾燥、大気汚染、アオサギの糞害などが考えられているが究明はされていない[6]。市は1986年から本格的な調査を依頼し、1988年から1990年にかけ水平溝の設置・酸素管の埋設などの活性化対策を行った。これにより、森林は回復しつつあると判断された[4]。
帰化植物が増加しており、1960年から1975年の間に26種が新しく確認された[4]。なお西斜面に植えられたニセアカシアも外来植物である。
西登山路・本丸跡・東登山路に沿って、およそ西から東へ記す。
4口・3本の登山路がある。一定した呼称はないが、ここでは河野[3]による。
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