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徳島県徳島市の町名 ウィキペディアから
中洲町(なかずちょう[1])は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。西から中洲町一丁目、中洲町二丁目、中洲町三丁目と並ぶ。
郵便番号は〒770-0856。
元は福島町・塀裏町の各一部であり、1941年から現在の町名となる。
ひょうたん島南東部に位置する町で、町の南を吉野川の支流である新町川が流れ川岸にはケンチョピア(みなと公園)のヨットハーバーが広がる。町の東には同じく吉野川水系の助任川(福島川)が流れている。
西辺は牟岐線で、反対側の幸町とは南端(新町川河岸)のアンダーパスでのみ通じている。ただし歩行者・軽車両専用のアンダーパスがもう1ヶ所ある。なお中洲総合水産市場は中洲町ではなく幸町にある。
中洲町は江戸時代には、西に連なる幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に新町川の河道だった。しかし堆積が進むと、1880年(明治13年)ごろには干潟・カヤ原となった。
江川克己 (1847年8月~1909年) は、この地を埋め立て港湾とすることを計画した。まず土地を名東郡から借り受け、1889年(明治22年)に徳島市議会議員・1893年(明治26年)に徳島県議会議員となり、1898年ごろまでに埋め立てを終え、所有権も手に入れた。
これにちなみこの地は江川新田と呼ばれた。住所表示は現在の幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に「塀裏町土手外」だった。塀裏とは本来は寺島(牟岐線の西側)の地名である。
新町川河岸に川港の中洲港が築かれ、大阪行きの定期航路が発着するようになった。1922年(大正11年)には内務省指定の重要港湾の徳島港となった。しかし船舶の大型化に伴い徳島港は海岸へ移動し、旧・中洲港はヨットハーバーのケンチョピアとなった。
西端にはかつては寺島川が流れ、中洲港・徳島港の一部となり、河口には中洲橋が架かっていた。しかし1960年ごろ埋め立てられ暗渠化し、現在は寺島排水機場で新町川に排水されている。埋立地は寺島公園と徳島中央警察署になった。
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