徳島県立城南高等学校(とくしまけんりつ じょうなんこうとうがっこう, 英: Tokushima Prefectural Jonan High School)は、徳島県徳島市城南町二丁目にある公立高等学校。
概要 徳島県立城南高等学校, 過去の名称 ...
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- 歴史
- 1875年(明治8年)創立の「徳島中学校」(旧制中学校)を前身とし、政官財界に優秀な人材を輩出してきた[1]。2015年(平成27年)に創立140周年を迎えた。
- 校地
- 眉山のふもとに校舎がある。
- 特色
- 2003年度(平成15年度)と2006年度(平成18年度)に文部科学省によってスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。
- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1875年(明治8年)- 「名東県師範学校附属変則中学校」の設立が認可される。
- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)2月7日 - 「高知県徳島師範学校附属変則中学校」に改称。
- 1878年(明治11年)12月10日 - 徳島師範学校附属変則中学校が廃止され、「徳島中学校」を開設。当分の間校長をはじめ職員の兼務は継続。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 中学校の校長が任命され、中学校の職員も任用されたため、徳島師範学校から組織的に独立。
- 1885年(明治18年)
- 4月15日 - 脇町中学校・富岡中学校・川島中学校を統合。
- 9月10日 - 東富田17〜19番地に校舎を新築し、師範学校とともに移転。
- 1887年(明治20年)1月20日 - 徳島尋常中学校規則を制定。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 「徳島県尋常中学校」と改称。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 脇町と富岡に分校を設置。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 「徳島県徳島中学校」と改称。脇町分校が徳島県脇町中学校として、富岡分校が徳島県立富岡中学校として分離・独立。
- 1901年(明治34年)7月1日 - 「徳島県立徳島中学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
- 1933年(昭和8年)6月1日 - 現在地に校舎が完成し、移転。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)- 復興新校舎の建設を開始。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は学制改革による混乱を避けるためにあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみであった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年生となる。
- 7月18日 - 復興新校舎が完成。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「徳島県徳島第一高等学校」(男子校)が発足。
- 全日制課程普通科および通信教育部(後に通信制課程)を設置。
- 旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年生、旧制中学4年修了者を新制高校2年生として編入する。併設中学校卒業者を新制高校1年生とする。
- 併設中学校は新制高等学校に継承される。在校生が1946年(昭和21年)4月に旧制中学校に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 高校三原則に基づく徳島県内公立高校再編により、「徳島県城南高等学校」に改称し、男女共学を開始。
- 徳島県徳島女子高等学校と生徒を入れ替えることにより、互いに男女共学とした。なおこの時に徳島女子高等学校は徳島県立城東高等学校に改称した。
- 4月20日 - 開校式を挙行。以後この日を本校開校記念日と制定。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 家庭課程を設置。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「徳島県立城南高等学校」(現校名)と改称(県の後に「立」が加えられる)。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭課程を家政科に改称。
- 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造校舎(本館)が完成。
- 1971年(昭和46年)- 教室棟が完成。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 徳島市内公立普通科高校4校[2](城南・城北・城東・市立高校)間で総合選抜入試を開始。またこれに伴い、家政科の募集を停止。
- 1974年(昭和49年)
- 3月31日 - 家政科を廃止。
- 11月21日 - 創立100周年を記念して、百周年記念会館が完成。
- 1975年(昭和50年)11月1日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)3月31日 - 通信制課程を廃止。
- 1985年(昭和60年)11月16日 - 創立110周年を記念し、校門周辺を拡張し、整備。アババイ像を設置。禍の音歴史館を創設。
- 1987年(昭和62年)- 昭和61年度卒業記念として、自主自立碑が建立される。
- 1992年(平成4年)- 体育館を改築。
- 2002年(平成14年)3月 - この時の入試をもって総合選抜入試を廃止。
- 2003年(平成15年)3月 - 総合選抜制度の廃止により、単独選抜入試を開始。
- 2006年(平成18年)
- 3月1日 - 平成17年度卒業記念としてマスコットキャラクター(ジョーくん・ミナミちゃん)を制作。
- 4月1日 - 応用数理科を設置。
- 2007年(平成19年)
- 1月31日 - 校舎改築事業(第一期工事)が完成。
- 4月1日 - この時の入学生より新制服を採用。
- 2008年(平成20年)10月31日 - 校舎改築事業(第二期工事)が完成。
- 2010年(平成22年)4月20日 - 新校舎が完成。
校訓はなく、生徒により培われた「自主・自立」の校風が受け継がれている。
「かしわに松」 1949年5月15日制定
- 松と柏は節操の象徴として論語子罕編の「歳寒然後知松柏之後彫也」から採られた。寒い冬であればこそ、常緑の松や柏の木の存在を知ることができる。つまり松と柏は、周囲の状況が厳しく変化しようとも、態度を変えないという節操を象徴している。また、柏はギリシャ神話のアレスからとって質実剛健もあらわしている。
- 柏はコノテガシワというヒノキ科の細い葉であり、松と組み合わせても形がとりにくいため、旧制第一高等学校のカシワ(檞)を借用して台とし、これに松葉とコノテガシワの葉を配して図案化された。画一化を避け、校章に「高」の字を入れていないのが特徴である。
- なお、PTAの名称については、校章制定の趣旨にのっとり、城南高校PTAということばを意識的に退け、城南高校「松柏会」と命名された。
- 作詞: 山口義広
- 作曲: 石桁真礼生
- 1950年制定
校歌を作るに際し、教師、生徒から歌詞が募集された。教師・生徒からなる校歌制定委員会が組織され、協議の結果、生徒の投票によって歌詞が決定され、当時3年生であった生徒の作品が採用された。
過去の校歌
- 大滝山の(開校記念日の歌)(1902年〜)
- 旧徳島中学校校歌(1931年〜1950年)
文化部
- 茶道
- 華道
- 文芸
- 映画
- 写真
- 美術
- 書道
- 吹奏楽・合唱
- 英会話
- 囲碁・将棋
- 演劇
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- 科学
- 手芸・調理
- ガーデニング
- JRC
- 漫画研究
- パソコン
- ヒューマンライツ
- 新聞
- 放送
- ファイヤーストーム実行委員会
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科学部地学班は、2015年に国際天文学連合によって太陽系外惑星系の名前の公募と投票が行われた際、いるか座18番星の主星にMusica、惑星bにArionという名前を提案し、同年12月に採用された。[3]
- 「城南祭」と呼ばれている。
- FS(ファイヤーストーム)という行事が特に有名で、体育祭終了後に全校生徒・教職員で行う。
- 「徳島県立城南高等学校同窓会」と呼ばれている。
- 同窓会の支援のもと、城南高校の教育の振興発展を後援することを目的として、「徳島県立城南高等学校後援会」が設立されている。
、系外惑星に公式名を決定 国際天文学連合 - NEWSALT(ニュースソルト)