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日本の近世文学史(にほんのきんせいぶんがくし)では、江戸時代日本文学歴史を述べる。

概略

近世の定義には諸説ある[1]中村幸彦は「政治史上の徳川幕府の期間」を近世と定義し、前期1期(1603 - 1680)・前期2期(1681 - 1763)・後期1期(1764 - 1803)・後期2期(1804 - 1867)に大別した[1]。本項もこの分類に従って特徴を説明する。

前期

京都大阪といった上方が中心である[1]

1期

細川幽斎の晩年、烏丸光広松永貞徳などの門人が集い、古典の学習や和歌が盛んになり、古活字版や製版印刷の普及に伴い、近世以前の古典やその注釈が流布する[1]連歌の退潮に対して、俳諧が大いに流行した[1]。口頭による教養娯楽の提供を目的とする舌耕文芸も広がりを見せた[1]。近世初期の小説と位置づけられる仮名草子も誕生した[1]。中世に発生した浄瑠璃三味線と繰人形が結びつくことで、近世演劇として独自路線へ進んだ[1][注 1]

2期

元禄時代に入ると、俳諧では貞門派に対して、談林派が興る[1]松尾芭蕉は俳諧を雅文学の領域に引き上げることを指向した[1]。芭蕉の死後、俳諧は様々な流派が興り、文学から遊びへと性質を変えた[1]1682年(天和2年)、井原西鶴が『好色一代男』を刊行し、新たに浮世草子というジャンルが生まれた[1]北条団水西沢一風都の錦江島其磧といった人物が作品を残した[1]。歌舞伎では続き狂言が出現し、女形中心から様々な役柄が増えた[1]。浄瑠璃では人形が3人遣いになって舞台装置も精巧となり、興行の最盛期を迎える[1]

漢詩文についても、押韻や格調に難点はあるが、鑑賞に堪えうる作品が生まれ始めた[1]。また、油煙斎貞柳にはじまる狂歌も広がりを見せた[2]落語講談実録本といった舌耕文芸も成立した[1]

後期

出版界の中心が上方から江戸に移り、文運東漸の状況が生じる[1]

1期

八文字屋本のマンネリに対抗して談義本が生まれたほか、洒落本草双紙(赤本・黒本・青本)黄表紙といった新しい小説が生まれる[1]。さらに、中国白話小説の影響を受けて読本が誕生し、都賀庭鐘上田秋成建部綾足などが作品を残した[1]。歌舞伎では寛政歌舞伎と呼ばれる時代を迎え、廻り舞台の発明や数多くの名優が輩出するなどの活況を呈した[1]。対して、浄瑠璃は歌舞伎の後塵を拝するようになる[1]

2期

山東京伝曲亭馬琴十返舎一九式亭三馬為永春水といった人物が活躍し、読本滑稽本合巻人情本といったジャンルが人気を博す[1]。漢詩では大窪詩仏・梁川星巌・菊池五山・大沼沈山・広瀬旭荘らが活動した[1]。歌舞伎では鶴屋南北河竹黙阿弥が好評で、落語や講談は明治期にかけての最盛期へと入った[1]

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文学の周辺

形骸化した歌学を批判する形で、儒教の一派の古学の影響を受けた国学が現れ、賀茂真淵本居宣長らが活躍した。

また、滑稽話の元祖として安楽庵策伝の『醒睡笑』が著され、さらに江戸と上方で現在の落語の原形となる話芸が流行する。その他、三味線音楽など江戸期に特徴的な音曲が流行したり、葛飾北斎らにより浮世絵が描かれて町人に愛玩されたり、歌舞伎浄瑠璃が町人の娯楽となったりと、様々な芸術が庶民に愛された。特に、浮世絵は、遠くフランスの印象派にも大きな影響を与えたことが知られている。

近世文学の主な作品一覧

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北越雪譜』二編 巻一(鈴木牧之著、天保12年(1841年)刊)
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近世文学研究者

近世文学を専門とする主な研究者とその専門分野を挙げる。近世文学研究者が集う学会として、日本近世文学会がある[3]

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脚注

参考文献

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関連項目

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