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1718-1794?, 江戸時代中期の読本作家、儒学者、医師。書・画・篆刻にも巧みであった。 ウィキペディアから
都賀 庭鐘(つが ていしょう、1718年(享保3年)- 1794年(寛政6年)か)は、江戸時代中期の読本作家・儒学者・医師。字は公声、通称は六蔵。別号は大江漁人・近路行者・十千閣主人・近江行者・千里浪子など。
大坂生まれ[1]。享保末年頃に京都に遊学し、新興蒙所に書と篆刻を学び、香川修庵に医学を学ぶ[1]。漢学や唐話学の師は不明[1]。茶道・香道にも通じ、大枝流芳と親しく交わった[2]。1736年~1747年の間に、読本三部作『英草紙』『繁野話』『莠句冊』の原稿30編を綴る[1]。26歳頃に医師として開業したか[1]。1794年(寛政6年)刊『北華通情』に序文を寄せているが、1806年(文化3年)刊の読本『義経盤石伝』は遺著として公刊されているため、この間に没したものと推定される[2]。庭鐘は上田秋成の医学・文学の師と推定される[1]。
庭鐘は白話小説を愛好し、校合や出典考といった白話小説研究、白話小説の翻訳(訓訳・通俗訳)、白話小説の翻案といった著作を数多く残した[2]。庭鐘の作品は、曲亭馬琴や小枝繁といった同時代の作家にも影響を与えた[3]。
後藤丹治は佐々木味津三の『右門捕物帳』「謎の八卦見」(1928年8月)が『英草紙』「白水翁が売卜直言奇を示す話」を換骨奪胎したものと指摘した[3]。
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